予言者フィリーナの苦悩

吾輩はもぐらである

本編

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


「おとぎ話にうたわれるかの邪龍が目覚める」


 予言者フィリーナ・ヒルエ・ネオメイが見る夢の世界。フィリーナはまた”あの夢”を見ている。薄桃色の綿雲のような姿の夢魔が、老若男女、様々な声音で告げる。


「邪龍が望むのは死だけ」

「土地も人も宝も要らない」

「まずは北から冬が来る」

「次に氷河と一緒に滅びが訪れる」

「シェイローネにとどまれば夏の終わりを見ることはない」

「吟遊詩人の歌に注意せよ」


 フィリーナが言葉の意味を問うても夢魔は一方的に語り続ける。夢魔が問いに答えたことは一度もない。


 夢魔の姿が徐々に薄れて消えるとフィリーナは覚醒する。時刻は早朝。彼女が住まうシェイローネに、深緑の山々の合間から夏の朝日が差し込んでいる。隣の布団では彼女の夫と三人の娘が並んで眠っている。フィリーナはほとんど目が見えないが、銀の瞳に美と幸福が映っていることを感じ取ってはいる。それでも、捉えどころのない予知夢のせいで心は重い。


「邪龍って何? どうして氷河でシェイローネが滅ぶの?」


 無学な自分に解ける問いでないことは自明。ならばシェイローネの領主イレッシウスに話すべきか? ケト王国の第四王子にして博学強記であり、自分を予言者に任命したかの御仁に。だが、フィリーナの心には二つのためらいがあった。


 まず、夢魔のお告げがあまりに途方も無いこと。シェイローネの北西と東に山があるが、川はさほど大きくなく、冬に積もった雪は既に溶け切ったと聞く。一体何がどうなれば夏が終わる前に冬が訪れ、氷河がシェイローネを滅ぼすというのか。フィリーナ自身もイレッシウスに説明のしようが無いのである。


 次のためらいは、イレッシウスの異能者に対する憎悪の強さ。ここ最近のイレッシウスは、自分が予言者に任命した女の具申に耳を傾けることすら屈辱らしい。フィリーナが彼に面会を求めると常に不機嫌な顔で現れ、フィリーナが告げるのが慶事の予兆だったとしても、面会が終わるころには不機嫌さを増している有様である。万人に一人しかいない異能者たる幸運を、王族の彼ではなく卑賤な産まれの女が授かっていることが我慢ならないのだろう、とフィリーナはそう心得ていた。


 これらのためらいは昔は無かったものである。イレッシウスは変わった。フィリーナが夢魔のお告げで存在を言い当てた、シェイローネの東の山から採れる魔石が生み出す利が、彼を変えてしまったのだ。



 今日では辺境”都市”と呼ばれるようになったシェイローネは、フィリーナがまだ子供だった頃は何も無いありふれた田舎だった。


 フィリーナは九歳の時に初めて夢の世界で夢魔と会い、「東の山に魔石あり」と告げられた。フィリーナがそれを周りに話すと、耳を傾けたのはフィリーナの家族だけで、それ以外の村人は哄笑するばかりだった。フィリーナは子供の頃は全盲で、何をさせても人並み以下だった。将来は物乞いか娼婦になるしかないと幼いフィリーナの眼前で言い放つ者がいるほど、周りから侮られていたのである。


 両親以外でフィリーナの言葉に初めて耳を傾けたのが、当時見聞を広めるための旅行でシェイローネに滞在していた第四王子イレッシウスだった。若きイレッシウスはフィリーナの夢に興味を持ち、自らの宿にフィリーナの一家を招いた。村人は貧農のフィリーナ一家が王子に招かれた幸運に驚いたが、両親は喜ぶどころか、この招待が一家に破滅をもたらすのではと戦々恐々とした。


 イレッシウスが彼の異母妹である第五王女ユーヴィーンに対して、彼女が異能者であるというだけの理由で嫉妬と嫌悪の情を向けていることは、都からはるか遠いシェイローネにすら噂として広まっていた。両親が王子のその悪感情がフィリーナに向く可能性を恐れたのは至極当然であった。


 それだけではない。夢魔がお告げの主であることが知られるのも大問題だった。ケト王国で広く信じられるサリカン教において、夢魔は妖艶な男か女の姿をしており、人を淫乱と堕落に誘う存在とされていた。フィリーナの夢に現れる夢魔はそのような存在ではないようだが、それはフィリーナだけが知り得ること。夢魔の言葉を広めているなどと知られればフィリーナの名誉がどれだけ傷つくか。これもまた当然の恐れであった。


 第四王子は、しかし、両親が恐れるような人物ではなかった。彼はフィリーナの言葉を遮ることなく最後まで真剣に聞いた。そして聞き終わるや否や村周辺の地図を広げて部下と論じ合い、翌日には調査隊を派遣した。果たして、調査隊はしばらくすると、水に浸ければ汚れを吸い取り浄化する魔石「食濁石しょくだくせき」の未だ知られざる鉱脈を発見して戻った。フィリーナの言葉に偽りなしと証明された瞬間である。


 イレッシウスは都に帰ると宮殿で政治と交渉に励み、次にシェイローネに来た時には領主となっていて、さっそく東の山の開発を始めた。周囲の村や街から人が集められて採掘に投じられ、食濁石が村を豊かにするとその者達はシェイローネに定住するようになった。


 イレッシウスはフィリーナへの褒美を忘れなかった。一家に広い土地と立派な家を与え、フィリーナを予言者として自らの部下とした。更にフィリーナは目の治療を受けることになり、ごくわずかではあるものの視力を得た。


 イレッシウスとフィリーナは良い関係を築いた。その後もたびたびフィリーナは夢魔のお告げを夢に聞くことがあり、それが外れることは一度として無かった。イレッシウスはフィリーナに敬意を以て接し、目が悪い彼女のために自ら手を引くのが常だったのである。



 そんなイレッシウスだが、シェイローネが豊かになればなるほど、それに反比例して人格が劣化していった。


 蓄財を好むようになり、かつて東の山で共に汗を流した庶民から酷く収奪するようになった。彼の人品に関する聡明で果断との賞賛も、財欲と疑りの心のみ深く思いやりには欠けるとの悪評に変じていた。何人かの気骨ある部下がイレッシウスの行いを咎めたが、ことごとく厳罰に処されたため、周囲に残るのは阿諛追従あゆついしょうの輩ばかりとなった。


 フィリーナに対する態度もあからさまに変わった。フィリーナの予言のその実は夢魔による預言である。夢魔は大陸中をあてどなく漂い、妖精や幻獣といった超常の存在と交信し、知り得たことを気まぐれに告げるのみ。お告げに偽りは無かったが、その多くはイレッシウスにとって役に立たなかったのである。


 食濁石の事業が軌道に乗るにつれ、イレッシウスにとってフィリーナは重要な人物でなくなっていった。すると、彼女が異能者であることへの嫉妬が再燃した。かつて彼女の両親が抱いた危惧は、時を経て現実のものとなったのである。

 ある日、フィリーナは夢魔のお告げで十日以内に東の山で土砂崩れが起きることを予知し、イレッシウスに採掘作業の中断を具申した。しかしイレッシウスは従わないばかりか、フィリーナを「事業の勝負所をわきまえない愚か者」「夢魔と毎夜交歓する淫乱女」と公衆の面前で面罵し、余計なことを吹聴しないよう自宅に軟禁した。盲目の貧しい小娘の夢物語に真剣に耳を傾けた徳者はもはや去り、彼に似た姿をした暗愚がいるようだった。


 フィリーナの予言は当然的中し、大勢の者が岩と土の下敷きになった。しかしイレッシウスはそれを「大いなる成功のための必然の犠牲」と言い放ち、自らの判断を悔いることは遂に無かったのである。


 王族という富貴の極みに生まれたはずのイレッシウスが更なる利に走って得を失う様に、シェイローネの心ある人々の嘆きは深まるばかりだった。



 フィリーナは苦悩を極めた。


 イレッシウスにシェイローネの滅びを予言しようものなら、無事で済むとは到底思えない。しかし、夢魔のお告げを黙殺すればシェイローネはやはり滅びる。夢魔が偽りを述べたことなど一度としてないのだから。


 フィリーナが外出すると、街の広場に吟遊詩人がいた。フィリーナが夢魔の「吟遊詩人の歌に注意せよ」という言葉を思い出し、はっとして耳を傾けると、それはこのような歌だった。


「我は北方の故郷より来たり。我が故郷に男が来た。その男は灼熱と渇きのルヴォ荒野で吹雪と氷の巨塔を見た。その男は邪龍ヴェルの永き眠りからの目覚めを知った。男は全てを告げると、瞬く間に全身が凍って死んだ。嗚呼ああ、男の言葉に偽りなし。龍の冬は真実訪れるだろう」


 フィリーナは夢魔のお告げの真意を知った。”ヴェル”とかいう邪龍が目覚めて、シェイローネに凍える滅びをもたらすのだと。


 フィリーナは保身の情を捨てる決心を固めた。もとよりこの身は娼婦か物乞いがお似合いの無能である。それが身の丈を超えた幸運によって予言者となり、富を得たのだ。今富を惜しんで自分だけが知り得た危機をひた隠しにするならば、それは財貨を惜しんで人命を軽んじたイレッシウスと何が違うのか? フィリーナという人間の真価は生まれつき備え持った異能にあらず、ここでの決断が己の何者たるかを決めるのだと悟った。


 フィリーナが夢魔のお告げと吟遊詩人の歌のことを伝え、「民を新天地へ導いてほしい」と地に伏して嘆願した。すると案の定イレッシウスは「なぜおとぎ話の邪龍を恐れて東の山の利を捨てるのか」「盲者は目が見えるようになっても盲者のままか」と激怒した。フィリーナはこれまでの功により死罪は免れたが、ついに予言者を罷免され、シェイローネを追放すると言い渡された。


 だが、もとより捨てる覚悟であったものを奪われたとて、フィリーナには痛くも痒くも無い。フィリーナは家財をことごとく金に替え、優れた馬と大きな馬車を買い漁った。フィリーナの突然の奇行を多くの人々は哄笑し、真面目に受け取るのはやはり家族だけであった。フィリーナはいよいよ故郷を去る時、最後にこう言った。


「愛しの同胞よ。この愚かな女の最後の言葉を聞いてほしい。夏の終わりを待たず、シェイローネに避けがたい滅びが訪れる。己の身命を第一に考える者には私が馬と馬車を分け与えるから、どうか東の山の利を忘れ、旅路を共にしてほしい。このフィリーナ・ヒルエ・ネオメイは決して嘘を述べない。この予言に偽りあらば、この目を永遠に閉じて盲人に戻ってもかまわない」


 シェイローネの人々はフィリーナの予言が外れないことを知っている。それにも関わらず、演説で心を動かされた者はごくわずかだった。シェイローネで最も愚かなのはフィリーナであると彼女自身が信じているほどなのに、東の山が生み出す富に溺れた人々はもはや正常な判断を失っていたのである。フィリーナは一族と、彼女の言葉を信じたわずかな人々と共にシェイローネを去った。


 夢魔が邪龍ヴェルの到来を告げたのは、結局9回までだった。10回目の予知夢を見る前に邪龍ヴェルが北の山に降り立った。ヴェルは一晩の内に大量の氷と雪を降らせ、翌朝には膨大な氷河をシェイローネにけしかけた。果たしてシェイローネは氷の海に沈んで滅び、その地には冬が続くようになったのである。

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