九相図艶伝

真野てん

第1話

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 すべてが終わってしまった今となっては、ただ虚しい限りだが、それでも叫ばずにはいられない。「どこにだよ!」と。


 九相図というものがある。

 死者の肉体がやがて白骨になるまでの様子を、九つの段階をもって描かれた仏教絵画のひとつであり、その変貌するさまを観察、内省することを九相観と呼ぶ。


 これは修行者における悟りの妨げとなる煩悩を払い、肉体(物質世界)は不浄であり、いつかは朽ち果てる諸行無常なものであることを知るための修行のひとつだ。


 大陸文化でも唐や南宋の頃に死屍観想の伝統が見られ、本邦でも奈良時代にはその概念が伝わったとされている。


 そう。

 本来であれば、煩悩を打ち払い、人間というものを深く思慮するためにあるものだ。しかし私の夢に現れた九相図は、悟りを得るどころか、色々な手間をすっ飛ばして、自分を賢者にでもさせようとしているみたいだった。


 1回目、それは私の理想のままの女性として現れた。

 眼鏡に三つ編み、はにかんだ笑顔。

 どうってことない普段着に、仕事中なのかエプロンを付けている。

 決して世に言う美人の類いではないが、人好きする見た目にほんのりと漂う色気を持った20代半ばと思われる可愛らしいひとだった。

 どこか初恋のあの子にも似たその容姿に惹かれ、ゆるゆると彼女の元へ近づこうとしたところで目が覚めた。

 珍しく朝から身体のほてりを感じ、妙な焦燥感に駆られているのに気付く。


「なんだったんだいまのは……」


 そう思いながらも寝床を離れ、出勤の支度をはじめた。その日は一日中、彼女の笑顔が頭から離れなかったことを記憶している。


 2回目の夢に出くわしたのは、まもなくのことだった。

 九相図であれば、脹相ちょうそうといい、死体の腐敗が進みガスの発生により内部から膨張する様子が描かれる。

 しかし彼女の容貌は崩れることなどなく、愛しさが募るばかりだ。

 さらには前回していたエプロンを外し、後ろに組んだ手のおかげで、反らしたお胸がセーターを突き上げ、その存在を激しく主張している。

 ありがたや、ありがたや……。

 とくにこれといった信仰を持たない私ですら、心の底から祈ったものである。


 なんとかしてお近づきになりたい。

 そう思って足を一歩踏み出すが、不思議なことに前へと進む気配がなかった。夢の中でよく起こりがちな現象に腹を立てながら目が覚める。

 焦燥感はますます強くなる一方だった。


 そんな夜が周期的にやってくる。

 彼女との距離感は一向に縮まらないが、5回目の夢で私は気づいてしまった。会うたびに彼女が段々、薄着になっていることに。


 はじめにエプロン、続いて靴、靴下。だから今は裸足である。小指のカタチですら愛くるしいのである。

 暑くなったのかセーターをやめ、ブラウス姿へ。

 そしておさげをまとめていた髪ゴムを解いたところで、疑惑は確信に変わる。


 彼女――脱いでる、と。

 興奮を隠しきれないまま、ベッドから「うおおおおおお!」と飛び起きる。お隣さん、ごめんなさい。今度、手土産もって謝りに行きます。


 7回目の彼女はスカートをはいていなかった。

 うっすらと下着の透けるブラウスと、眼鏡のみの艶姿だ。この時点ですでにエロい。なんだったら真っ裸よりエロい。

 そして眼鏡。よくやった私の夢。数多くのコンテンツが失敗しがちな「眼鏡をとったら実は美人」を見事に回避している。ことに及んで眼鏡っ子が眼鏡を取ってしまうという罪深い行為は、地上から一掃されるべきである。

 たとえ全裸になったとしても眼鏡だけは取らないでいただきたい!

 血がにじむほどに拳を握り締めた私が目を覚ましたのは、深夜四時。悶々とする中、おもむろに開いたラップトップでなにを検察したのかについては差し控えさせていただく。


 8回目。

 ついに彼女は艶やかな下着姿となった。ちょっと肉付きのいい野暮ったい女性の、上下カルバンクラ〇ン姿はどうしてこんなにも男を刺激するのだろう。

 あちこちからハミでた駄肉が素晴らしい。いや無駄な肉などない。これらすべてが完全に調和された美であるからだ。

 私は思わず涙する。ありがとう。ありがとう、私の夢――。

 生まれてこの方、泣きながら目が覚めたのは後にも先にもこの日だけである。


 この頃にはすでに、私の頭の中には九相図のことがあった。

 なにかの漫画か小説で知った奇妙な連作絵画。

 あれが今、自分の身に起きていると。

 段階を経て衣服を脱ぎ棄ててゆく彼女の様子は、まさに九相図だ。かたや世の諸行無常を説いて朽ち果ててゆき、もののあわれを表現し、一方で衣服という煩悩を脱ぎ捨て、私の劣情をあおってくる。


 どうしたものか。

 否、答えなどすでに決まっているではないか――なんとかして揉みたい。

 クズである。人間のクズ。

 ああ、なんとでも言うがいい。


 しかしここでひとつの疑念が生じる。この夢が九相図であるならば、次回で最後だ。だが下着はまだ上下二枚残っている。

 アンダーウェアをまとめてカウントしてくれるのか、はたまた10回目があるのか……。


 そんなしょうもないことを考えながら、いつかくるだろう九回目を待つ。

 待つ、待つ、待つ。

 来た!

 その日はついに訪れた。


 頬を染め、うつむき加減にはにかんだ彼女は、すでにブラを外して豊満な自身のお胸を右腕一本で抱えていた。先端部こそ隠せてはいるものの、四方八方にマシュマロがはみ出ている。

 幸せだ。

 こんなことがあるのか。

 思わず私は天に祈りをささげる。最終日に下着が二枚どうだとか、うだうだ言ってすみませんでした。もうここで終わってもいい――。


 私がそんな最低な覚悟をした時だ。

 彼女の残った左手が、適度に腰肉の乗ったカル〇ンクラインをおもむろに掴む。そしてゆっくりと上半身をかがませてゆく。

 たぷんとはね落ちたお胸が重力に引かれて、たゆんと揺れた。


「おおおおおおおおおお!」


 身体全体でブラインドされた秘部が、彼女の左手の位置によって、徐々に白日の下へとさらされてゆくのが分かる。

 するするという衣擦れの音さえ芳しい。

 最高だ。

 さあ、いまこそ君のすべてを私に見せてごらん――と、いうところで急に周囲が真っ暗になった。しかし目が覚めたわけではないらしい。


 ん?

 一体こりゃなんだ?


 するとしばらくして、暗闇に文字が浮かび上がった。




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九相図艶伝 真野てん @heberex

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