3、東雲遥香は夢を見ていた

 東雲遥香は徐々に変わっていった。


 ただでさえ休みがちだった学校に行かなくなった──彼女の父親からそんな連絡が来たのだ。それでも、僕のところには通ってくれていた。


 僕の前で見せる彼女の姿と、叔父さんから伝え聞く状況のギャップがあまりにも大きすぎた。だから、僕は彼女といつもと変わらないように接するだけで、事情を訊くことができなかった。


 遥香が僕の前でならいつもの彼女らしくいられるのなら……そうやって、遥香の心に歩み寄らない口実を作っていた。


 目の下に隈が目立つようになった。


「最近寝てないんじゃないか?」

「フフン、私の中では寝る間も惜しむほどに未知なる世界への探求心が燃え滾っているのだよ」


 そう言って彼女が差し出したのは、膨大な文章を手で書き殴ったノートだった。


 そこには、日々のニュースや周囲の出来事から数字を抽出して、そのすべてが「42」になるという理論や位相の異なる世界についての考察、果ては彼女が愛してやまないホームズ物の短編から世界の真実を物語るメッセージを“解読”する様子などが綴られていた。


「君、世界はいくつかの様相のうち、ひとつの面しか私たちに見せない性質があるようだぞ」


 心なしか頬がこけたような遥香が目を輝かせて熱弁する姿に、僕は思考が停止してしまう。


「どうしたんだ? こんな初歩的なことに気づかなかったわけではあるまい、ワトソンくん?」

「あ、ああ……、もちろん、分かってはいたけど、お前の論理には及ばなかったよ」

「フフフ、遥香はね──、あっ、私はだな、真実を見極める能力が日に日に高まっているのだよ」


 いつもと変わらないはずなのに、いつもと違う遥香を見るのは辛かった。涼音先輩との“密約”について話すべきではないだろうか……?


 僕はすぐに大学のオカルト研究会に向かった。



     ◇◆◇◆◇◆



「血相を変えてどうしたのかしら、戸森ともりくん?」


 涼音先輩は相変わらず長い黒髪をなびかせ、超然とした様子で僕を迎え入れた。

 僕は前置きもそこそこにここ最近の遥香について涼音先輩に共有した。


「私たちのディベートまであと4日ほどよ。あなたのかわいい従妹いとこちゃんには、証拠集めに奔走してもらえるのはありがたいことじゃない」

「そ、それはそうなんですけど……。今のあいつを僕は見ていられなくて」


 涼音先輩は小さくため息をついた。


「案外、楽しんでいるのかもしれないわよ、従妹ちゃんは」

「そうでしょうか。隈も目立って、寝られてないみたいだし、学校も休んでるんです」


 涼音先輩は涼しい顔をして長い黒髪を耳にかける。その手が微かに震えるのを僕は見逃さなかった。


「僕たちはやりすぎたんです。あいつはピュアだから、あんなことになって……」

「……ディベートが終わったら、種明かしをすればいいわ」


 僕はバッグの中から遥香に借りてきたノートを引っ張り出した。


「これを見てください」


 遥香のノートに記された一節だ。



     ・ ・ ・



 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 惚れ惚れするような光を身に纏った妖精が私を導くその行く先を、私は知っている。


 久遠の時を生きる妖精たちの住む世界だ。


 際限のない光と温かさに満ちたその場所は、訪れた者すべてに幸福を与えるという。


 今だけでなく、過去の苦しみからも断ち切られ、真の自由を享受できるのがその場所だ。


 決して私を孤独にしないそんな国──私も、そこへ行きたい。


 いつか妖精の国へ行ったのならば、この世界との乖離に心乱すこともないだろう。


 叶わないと思いながらも、ずっと探していたのかもしれない。


 奇しくも、私のワトソン──ゆうがその端緒を作ってくれたのだ。



     ・ ・ ・



「あいつはずっと自分を責めていたのかもしれません。だから、妖精の話をあんなに信じて……」


 涼音先輩のため息が震えている。


「仕方ないわね、今からあなたの従妹ちゃんに会って──」


 涼音先輩の言葉を遮るように僕のスマホが鳴る。叔父さんから電話だ。


 胸がざわめく。電話の向こうで叔父さんの声がする。


「悠くん、遥香が倒れた」

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東雲遥香はダークサイドに堕ちる 山野エル @shunt13

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