第7話 その後
※2023年に発表した「韓国脱出」の修正版です。実はPCの操作ミスで編集作業ができなくなりました。そこで新しいページで書き直したものです。表現や文言を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。なお、続編として「韓国脱出2025」を書きました。本編を読んだあとに読んでみてください。
午後7時
会田と鳥居は最後の晩餐と称して、避難物資の中で一番うまいと思われるハンバーグを食した。真空パックに入っているハンバーグはおいしいとは言えないが、結構それなりの味を感じることができた。アルコールで乾杯したいところだが、さすがに避難物資にアルコール類はない。会田のアパートまで行けばあるが、たとえ往復10分の距離でも、学校から抜けるわけにはいかなかった。
「会田さんは、どうして教員になったんですか?」
鳥居は会田に興味を感じていた。
「うーん、剣道をやっていたからですかね。それに高校時代は、結構やんちゃで担任や部活の顧問にずいぶん迷惑をかけました」
「えー、そんな風には見えないですけどね。まじめ一方かと思っていました」
「やんちゃと言っても大したことないですよ。単車を転がして、警察に捕まった程度です」
「ゾクだったんですか?」
鳥居は、目をまん丸にして会田に聞いた。
「ゾクに入っていたわけじゃないですよ。ほとんど単独です。ゾクと張り合ったことはありますが・・・」
「へぇー、意外だな。それで教員の道ですか?」
「成績も悪くて、地元の大学に入れず、東京の夜学に入りました。そこは珍しく小学校の教員免許がとれるところだったんです」
「たしかに夜学で小学校の教員免許がとれるのは珍しいですね」
「それで、昼間に大学の図書館で働き、夜に授業を受けました。朝9時から夜9時まで大学にいました。それを4年間続け、教員免許を取りました。地元に戻って、小学校の教員になったら、部活の顧問だった先生が町の教育長になっていて、(小学校に剣道教室を作るからおまえやれ)と言われ、子どもたちに剣道を教えました。その時3段を取りました。3年目に町内の剣道大会で子どもたちを優勝させて、教育長先生に(よくやった。これで罪滅ぼしだな)と言われました」
「剣道が導いてくれたということですね」
「そうかもしれませんね。その後、海外日本人学校への赴任を希望して、30才でベルギーに行きました。そこで、デカルメ氏に会いました。当時、4段でベルギー代表チームの大将でした。最初の稽古の最初の技が、突きでした。強烈でしたね。デカルメ氏が休みの時は、3段の私が上位だったので、ベルギー人に私が指導したこともあります。初歩的な日本語は通じたので、何とかなりました。貴重な体験でしたね」
「デカルメという名前は、世界剣道大会で聞いたことがあります」
「今は6段で、ヨーロッパ剣道連盟の会長です」
「あのひげ面の大きい目をした人ですよね」
という鳥居の発言に、会田は笑って
「そうですよ。当時の日本人の子どもたちはデカルメ氏のことをデカイメと言っていました。そう言っても返事をしてくれるので、日本人だけが笑っていました。ところで、鳥居さんは、どうして警察官なのに領事をやっているのですか?」
今度は会田が鳥居の身の上話を求めた。
「私ですか。会田さんほどドラマチックじゃないですよ」
「そんなこと無いでしょ。外国に来るというのはふつうじゃないですよ」
「まぁ、そうですけどね。私は筑波大学で剣道をやっていました。高校の教員になるつもりでした。ですが、大学3年の教育実習で挫折しました。自分の教えることがうまく通じないんです」
「生徒にもいろいろいますからね。優等生だった学生の中には、教育実習で挫折する人も結構います。鳥居さんだけじゃないですよ」
「それで、国家公務員試験を受けました」
「それって、上級ですよね。すると鳥居さんはキャリアですか?」
「世間ではそう言いますね。それで警察庁に入りました。研修で交番勤務もしましたが、実際は国家公務員ですから、警視庁の警官ではありません。3年ほどやりましたが、内部はややこしくて、その時募集があった外務省出向へ希望を出しました。そうしたらソウル派遣だったのです。こっちの方がやり甲斐があるしおもしろいですね」
「すごい人だったんですね」
会田は、畏敬の念を持って鳥居の顔をまじまじと見た。大使館では下っ端の方で、雑用係みたいなことばかりしていたからだ。
「まるで過去の人みたいに言わないでくださいよ」
という言葉に二人は笑い合った。
その夜、学校の北側、漢江方面で多くの爆発音が聞こえた。北の国とA国が漢江をはさんで戦っているのは明白だった。会田は、漢江の北側に住んでいる多くの日本人のことを思っていた。戦乱に巻き込まれているのではないか? どこかに避難して困っているのではないか? 自分が助かっていいのかと考えているうちに寝入ってしまった。
3日目
午前6時
朝とともに3機のヘリコプターがやってきた。兵士もいれば医師や看護師もいる。体育館には多くの簡易ベッドが設置された。すると日本人らしい医師が会田と鳥居に近づいてきた。
「医師長のケン・キムラです。防衛隊では1尉でした。今はA国陸軍に出向中です。お二人の任務お疲れさまでした。学校の鍵と無線機を受け取るように聞いておりますが、そちらの無線機を使うことはありませんので、鍵をかけておいてください」
そこで、放送室に鍵をかけ、学校の鍵一束をキムラに渡した。戦争が終われば、学校は日本人会に戻されるということだったが、どういう状態になって戻ってくるかは未知数だった。そして会田と鳥居は、プサンに戻るヘリコプターに乗り込んだ。キムラは最敬礼で二人を見送っていた。
プサンへ向かう途中、高速道路はいまだにすごい渋滞だった。車を捨てて歩いている人たちもいる。ところどころ、煙が上がっているところがあった。近距離ミサイルで狙われたところらしかった。
昼過ぎには、プサンの領事館に到着した。翌日に港から高速船で博多に行くということであった。プサンでは爆発音もなく、二人は久しぶりのベッドで熟睡した。ただ寝る前にトイレの個室に閉じ込めておいた社長の存在を思い出した。無線で問い合わせてもらったところ、変な男がトイレにいたが変質者ということで解放したということだった。社長もA国の軍隊がいるところにはもう忍びこまないだろう。もっとも事務室の金庫には帳簿が入っているだけで、現金や通帳は事務の中山が持ち出していた。校長室の金庫には学籍関係の書類があるだけで、金目のものは校内にほとんどなかった。PCでさえ、日本人向きのものだから韓国人には価値がない。
4日目
翌日、高速船で博多に着くと、会田の家族が待っていた。何も言わずに4人で抱き合った。4人で、ゆっくりしたいところだったが、ニュースでは戦乱は収まり、北の国は戻っていったことを報道していた。明日には、ソウルへ戻ることになると会田は告げられた。会田は一夜だけ家族と水いらずの時を過ごした。会田は福岡にある天ぷらチェーンの揚げたてが好きだった。安くて上手いというのが評判だったし、付け合わせのイカの塩辛が絶品だった。店に行くと必ずお土産で買い求めていた。
その日の夜、
「あなた、無事で良かった」
妻の香代子は半分涙を浮かべて話し始めた。
「香代子こそ、子どもたちをよく守ってくれた。ありがとう」
「子どもたちは、立派だったわ。江里はバスの中でもみんなを励ましていたわ。南ソウル空港が攻撃されて使えなくなったと聞いた時も、みんなに希望を捨てちゃだめ! と一番先に言っていたのは江里だったのよ。運転手のイ氏も(そうだ。そうだ)と日本語で応えてくれていたわ。トイレ休憩をして、バスの人数確認をする時は、慎一が率先してやってくれたわ。ガードマンのユン氏も頼もしげに見てくれていたわ。さすが教頭先生のお子さんだと言っていたわ」
「オレと香代子の子どもだよ。オレだけの子じゃない」
香代子は会田の2才年下だ。会田が2度目に赴任した学校で、養護教諭(保健室の先生)をしていた。1年間、同じ学校で勤務した後、香代子が転勤した時に、会田が交際を申し込んだのだ。交際1年後に結婚して、その後二人でベルギーに赴任した。海外赴任は配偶者同伴が原則だったからだ。
子どもができるのは遅くて、ベルギーから帰国して4年後、会田が36才の時だった。ベルギーで子どもを作るのは難しいと思われた。言葉がフランス語だったし、出産して2日後には退院させられるとか、出産時に医学生が大挙して見学に来るということだった。蒙古斑が珍しいのだ。そんなかんなで、子作りするタイミングを外してしまい、遅く子どもを作ることになった。それでも、育休中に二人目を出産し、香代子はその後、退職を選択した。会田が管理職で海外赴任を希望していることを知っていたからだ。会田は、香代子に自分の子どもたちを日本人学校に入れたいと希望を伝えていた。日本人学校での緊張感のある学習環境は日本では望むべくものはなかったからだ。日本の地方の学校で上位レベルにいても、日本人学校では中の下レベルの学力なのだ。香代子も会田の考えは理解していた。実際、この2年半、二人の子どもたちは充実した学校生活を過ごしていた。全国から派遣されてきている教員は、ユニークで熱心な人たちだった。特に、北海道から派遣された教務主任の山川は数学とPCに精通しており、中1の数学の授業に慎一はとても興味をもっていた。ソウル日本人学校の通知表をデジタル化したのも山川の力だった。
久しぶりに会田の腕枕で香代子は寝ることができた。会田は、家族の安心した顔を見て幸福感を味わっていた。
戦闘は4日間で終わった。A国も北の国まで攻め入ることはしなかった。戦力的にも充分な準備ができていなかったということもあるが、ヨンサン区にあるA国軍基地が被害を被ったので、その影響が大きかった。それに、もうひとつの大国C国が調停に入って、またもや休戦状態になりそうな雰囲気であった。
5日目
小関校長と会田は、高速船でプサンに渡り、A国のヘリコプターでソウル日本人学校に戻った。そこに生き残った日本人が多くやってきた。日本人学校の教員やその家族も含まれていた。マンションの避難所や地下鉄の駅構内に隠れていたとのこと。ソウルの地下鉄は地下5階よりも深いところにあり、空襲に耐えられる構造になっていた。それでも、食糧や水の確保には苦労したようだ。教務主任の山川は、家族で自宅のマンションに戻り、停電の中、手回しのジェネレーターで発電をして、最低限の電力を確保したとのこと。マンションの近くでは戦闘の音が鳴り響き、寝付けなかったということだが、狭い避難所で寝場所を探したり、飲食物を手に入れる苦労を考えるとマンションの方が気楽だったということだ。
日本人学校の体育館にはA国が残していってくれた簡易ベッドがあり、臨時の避難所となった。避難物資も1000人分残っており、何とか全員に行き渡った。そこに鳥居領事がやってきた。鳥居はプサンにとどまり、大使館員と共にソウルへ戻ってきたとのこと。
「会田さん、車を取りにきました。また来ますが、無線機をよろしく」
と最敬礼ならぬ剣道の素振りを手で示して去っていった。会田も小手撃ちの素振りをして返した。いつの日か、剣を交えることがあるだろう。
完
2023.4.14
韓国脱出 修正版 飛鳥竜二 @jaihara
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