ローズマリーとマリッジブルーの妖精【KAC20253】

花車

ローズマリーとマリッジブルーの妖精



 王宮内にある図書室で、私は一冊の本に向かいあっていた。


 本には鍵がかかっていて、目の前にはマリッジブルーの妖精『ブルー』が浮いている。



「さぁ、早く。その鍵を鍵穴に挿すんだ! マリー!」



 ブルーは私を励ますように、透きとおる声に力を込めた。


 図書室の入り口からは、私の婚約者であるこの国の第一王子、ダリウス様が怒りに歪んだ顔で近づいてくる。


 私は焦りに震える手を抑えつけて、その鍵を鍵穴に差し込んだ。



      △



――二時間前。



 ダリウス様との結婚式を一時間後に控え、私は少し緊張しながら王宮の礼拝堂に足を運び入れた。


 陽光がステンドグラスを透かし、華やかな反射が大理石の床を彩っている。


 礼拝堂の祭壇やベンチは、私たちの結婚を祝福するため、色とりどりの花で飾り付けられていた。


 そのなかには、さわやかな緑色のローズマリーが、ほのかな香りを漂わせている。



――いい香り。こんなにステキに飾り付けてくださるなんて。



 純白のドレスを着た私は、小さいながら頭にもローズマリーの飾りをつけている。


 子供のころ、花冠を作って遊んでいたら、ダリウス様が褒めてくれたのだ。



『ローズマリーか。可愛いね。とっても似合っているよ』



 王子の優しい声が脳裏によみがえる。私は胸をときめかせた。


 私とダリウス王子の結婚は、五歳のころから決まっていた。もちろん政略結婚だけど、私は期待でいっぱいだった。


 だって彼は、本当にステキな王子様で、幸せな未来しか見えなかったから。


 少し思い出に浸っていると、ふいに礼拝堂の入り口が騒がしくなった。


 ダリウス王子が到着したのだ。彼は会場に足を踏み入れた途端、顔を真っ赤にして怒鳴りはじめた。



「だれだっ、この城にローズマリーなんか持ち込んだのは! いますぐ全部廃棄しろ! 違う花に変えるんだ!」



 会場を飾り付けた召使いたちが青ざめている。結婚式はもうすぐはじまるのだ。



「どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」


「ローズマリーは、花嫁が夫に永遠の忠誠を誓うという意味が込められた、結婚式にも相応しい植物で……」



 従者たちが説得しようとするも、彼はわめき散らすばかりだった。


 結局結婚式は少し延期され、二時間後に執り行われることとなった。



      △



 時間を持て余した私は、昔ダリウス王子とのデートを楽しんだバラ園に向かった。



――どうしてあんな横暴なことをするのかしら……。


――あんなダリウス様、見たことがないですわ……。


――王宮での生活、うまくやっていけるのかしら……?



 私は肩を落としながら王宮の庭園を歩いた。ダリウス様との楽しかった思い出が、いくつもいくつも蘇る。


 美しいバラ園のガゼボで、私の手を取りキスをしてくれたダリウス様。


 そのときのときめきを思い出すと、いまでも顔が熱くなる。


 なのにどうして、今日はこんなに不安になってしまうのだろう。


 名前の一部に自分の名を含むローズマリーに、思い入れが強すぎたせいだろうか。



「あら……? どうしてこんな……?」



 バラ園のガゼボに着いた私は、その光景に顔をしかめた。


 水気を失いしおれたバラが悲し気に首を垂れている。


 これは王子が私のために、大切に育ててくれていたバラだ。


 それが結婚式の当日に、こんなに萎れてしまうなんて。


 私はますます不安になって、ひとつ大きなため息をついた。


 この場所であのときめきを思い出せば、不安を拭えると思っていたのだ。


 あのとき王子は、私に優しく囁いて、ステキな笑顔を見せてくれた。


 だけどいったい、どんなふうに笑っていただろう。なぜだかいまは思い出せない。


 そのとき、ふいに、足元に小さな鍵が落ちていることに気づいた。


 不思議に思って手を伸ばす私。


 指先がそれに触れた瞬間、まばゆい光がその鍵を包む。


 そして目の前に、キラキラと光る妖精が現れたのだ。


 手のひらに乗るほど小さくて、背中には可愛らしい羽根が生えている。



「あなたは……?」



 驚いて声をあげた私に、妖精は柔らかに微笑みを浮かべ、優雅に頭を下げてあいさつした。



「やぁマリー。僕はマリッジブルーの妖精ブルーだよ!」


「マリッジブルーの妖精?」


「そう、マリッジブルーのお姫様を見つけたら、助けずにはいられない妖精さ! 僕がきみの不安を取り除いてあげる。さぁ、その鍵を持って一緒においで!」



 私は半信半疑ながらも、その妖精の美しい姿にすっかり目を奪われていた。宝石のように澄んだ青い瞳は、どこか懐かしい感じがしたのだ。


 そしてこれが、冒険心というものだろうか。さっきまでの不安が嘘のように、胸がワクワクするのを感じる。


 小さな鍵を握りしめ、私は妖精のあとを追った。



      △



「ここだよ。この図書室に、マリッジブルーを治す秘密の本があるのさ」



 ブルーに連れられてついた場所は、王宮の回廊の奥にある人目に付かない場所だった。


 王宮には何度も来たことがあるけれど、こんな場所に図書室があったなんて。



「さぁ、その鍵を扉の鍵穴に挿すんだ!」



――カチャリ。――



 私は不思議に思いつつも、好奇心のままに扉を開けた。


 ドキドキと胸が高鳴っている。


 扉を開けると、埃っぽい空気が漂っていた。かなり薄ぐらい空間だ。けれど、その部屋は目を疑うほどに広かった。


 天井まである大きな書棚が無数にあり、ぎっしりと本が詰め込まれている。少し眩暈がするほどだ。



「きみの不安を解消できる本は、青い表紙に銀の文字が刻まれているよ」


「わかりましたわ。その本を探せばいいのですね。夕方の式までに、このモヤモヤした気持ちを解消しないと。こんな気持ちのまま結婚したのでは、ダリウス様にも失礼ですわよね」


 私の言葉に、ブルーは少し悲し気に微笑む。



「時間がない。急ごう」



 ブルーに促されて、私はその不思議な図書館に足を踏み入れた。


 だけどいったい、その本はどこにあるのだろう。こんなに広い図書室で、見つけることができるだろうか。


 少し不安に思っていると、書棚の影から別の妖精が現れた。


 彼もとても小さくて、やはり背中に羽が生えている。だけどよく見ると、なかなか精悍な顔立ちをしていた。



「あなたはもしかして、図書室を守る妖精さんかしら? お名前は?」



 私の質問に、精悍な妖精は申しわけなさげな表情を浮かべた。



「すみません、自分の名前を覚えていないのです」


「まぁ、それはたいへん。どうして忘れてしまったのかしら」



 もし自分が、自分の名前を忘れてしまったら。そう考えると、私はその妖精をとても不憫に感じてしまった。



「そうだ、この香りを嗅いでみて。ローズマリーには、記憶をよび覚ます効果があるって言われているの。あなたの名前も、思い出せるかもしれませんわよ」



 私は髪の花飾りからローズマリーを抜き取ると、妖精にそっと近づけた。


 その甘くスパイシーな香りに、虚ろだった妖精の瞳が輝いていく。


 妖精の心に大切な記憶が戻ることを願って、私はその小さな顔を覗き込んだ。



「どうですか?」


「いい香りだ……。そうだ、思い出した! 私の名前はエド……そう、エドです!」


「エド……? ステキなお名前! 思い出せてよかったですわね」


「えぇ、ありがとうございます。ところでお嬢さん、なにか本をお探しですか?」



 エドは私の隣にいるブルーが、ソワソワしていることに気づいたのだろう。


 私たちが事情を説明すると、図書室の奥へ飛んでいき、本の場所を教えてくれた。



「ブルーが言ったとおり、青い装丁に銀の文字ですわ!」


「よかった、間違いない。この本だよ」



 私とブルーとエドは、三人で顔を見合わせて喜びあった。


 だけどその本には、しっかりと錠がかけられていたのだ。



「どうすればいいのかしら……」



 私が呟くと、エドは図書室の最奥にあった箱の前に飛んでいった。



「この箱のなかに、その本の鍵があるはずなんですが……」



 箱のふたを開けてみると、なかにはいろいろな形や大きさの鍵が、数百本も入っていた。



      △



「これかしら? 違うようね……、今度こそ……」



 私はそんなことを呟きながら、鍵をひとつひとつ確認していった。



――ガチャガチャ――


  ――ガチャガチャ――



 鍵はどれも美しいデザインで、ついつい見入ってしまいそうになる。



「マリー、急がないと、時間がないよ」


「待って、ブルー。結婚式の時間が迫ってきましたわ。そろそろ礼拝堂へ戻らなくては」


「だめだよ、マリー。マリッジブルーは、結婚前に解消しなくちゃいけない! マリーもそう言ってたよね?」


「そうでしたわね」


「とにかく急いで、どんどん鍵を試すんだ!」



 ブルーに何度も急かされながら、私は次々と鍵を鍵穴に挿していく。


 けれど、どれもこれも、目的の鍵ではないようだった。



「こんなに試しているのに。あと五本しかありませんわ。このなかに本物の鍵があるのかしら……」


「最後まで、諦めないで!」




「マリー! こんな場所でなにをしてるんだ!?」




 そのとき、ふいに図書室の扉が開いて、ダリウス王子が入ってきた。怒りに震え、ひどく声を荒げて、恐ろしい形相になっている。


 私は思わず青ざめて、鍵を差し込む手を止めた。



「礼拝堂にいないと思ったら、どうしてこんなところにいる!?」


「す、すみません、でも、あのっ」


「花嫁がうろちょろと! お前にはやるべきことがあるだろう!」


「す、少し待ってくださいませ」



 ダリウス王子は大きな声で私を責め立てながら、どんどんこっちに歩いてくる。


 エドはその威圧的な声に驚いたのか震えている。


 私もダリウス様の変貌ぶりが恐ろしくて、かたまったまま動けなくなっていた。


 だけど、こんな小さな妖精たちまで、こんなに怖がらせるなんて。


 私の知る優しいダリウス様は、どこへ行ってしまったのだろうか。


 このままマリッジブルーも解消できずに、結婚してしまっていいのだろうか。


 私は思わず王子を睨んで、大きな声で叫んでいた。



「ごめんなさい! でもこれは、本当に必要なことなのです!」



 五つ残っていた鍵のなかから、青い宝石がついた鍵を選ぶ。


 どこか懐かしいと感じた、ブルーの瞳に似た石だ。


 震える手で鍵穴に差し込むと、『カチャリ』と軽快な金属音が鳴り、施錠されていた錠が開いた。



「やめろーーーーー!」



 叫びながらこちらに手を伸ばすダリウス王子。同時に開錠された本が宙に浮いて光りはじめる。


 その眩い光は薄暗い部屋を明るく照らし、私は思わず目を細めた。



「くそ! くそくそくそくそくそがぁぁあ! やりやがったなぁぁぁぁああ!」



 ダリウス王子の怒りの声を聞きながら目を開ける。すると目の前で、マリッジブルーの妖精が見る見るうちに大きくなり、人間の男性に姿を変えた。


 宝石のような青い瞳に、美しい金色の髪……。



「あなたは……。ブルーノ様……!?」



 大きな驚きや衝撃とともに、私の失われていた記憶がよび戻された。


 この国の第一王子は、ダリウス様ではなかったのだ。


 私が子供のころから恋焦がれ、結婚を待ち望んでいた王子様は、この目の前にいるブルーノ様だった。



「マリー。思い出してくれてうれしいよ。弟に魔法で妖精にされてしまってね。長い間記憶を失ったまま、あのバラ園に住んでいたんだ。


そして今日、懐かしいローズマリーの香りで、忘れていた記憶を取り戻した。でも、だれも僕のことを覚えていないものだから、本当に寂しかったよ」


「なんてこと……! 大切なあなたを、忘れてしまっていたなんて。私、あなたとの思い出を、ダリウス様とのものだと思い違いを……」


「いいんだ。こうして再びきみに会えた。きみとローズマリーのおかげだね」



 ブルーノ様に囁かれて、思わず顔が赤くなる。


 そんな私たちの様子を、ダリウス王子は苦々しい顔で睨みつけていた。



      △



 その後ダリウス王子は、駆け付けた衛兵たちに取り押さえられ、正当な王位継承を妨害したとして、厳しい罰が下された。


 あの本を開いた瞬間に、私だけでなく多くの人が、失くしていた記憶を取り戻したようだ。


 私はブルーノ様や信用できる侍女たちと協力して、図書室にあった錠付きの本を、ひとつひとつ開錠していった。


 それによりダリウス王子の余罪が次々に発覚し、王位継承権の剥奪はもちろんのこと、死刑もあり得る状況になっている。


 そしてもう一人の妖精エドも、人間の姿に戻っていた。



「ごきげんよう、エドワード様」


「お久しぶりにお目にかかれて光栄です、マリー様」



 そう言って笑う精悍な顔つきの彼は、この国の第二王子だった。


 ダリウス王子は第二王子どころか、第三王子だったのだ。



「いよいよですね! 本当におめでとうございます」


「ありがとうございます。うれしいですわ」



 エドワード様を含め、たくさんの人たちが私たちを祝福してくれる。


 今日こそは本当に、私とブルーノ様の結婚式だ。私の隣に立つブルーノ様が、少し不安げな顔をしていた。



「マリー。大丈夫かい? もしかして、マリッジブルーになったりしていないよね?」


「いいえ。ブルーどころか、すごくドキドキしていますわ。ブルーノ様と結婚できることが、本当に幸せです」


「よかった。うれしいよ、マリー!」



 王宮内の礼拝堂には、色とりどりの花々が飾られている。


 ふわりと漂うローズマリーの香りにつつまれて、私たちは新しいスタートをきったのだった。


*************

<後書き>


 お読みくださりありがとうございます!


 こちらは「KAC2025 ~カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ 2025~」の第三回お題 「妖精」で書かせていただきました!


 第一回第二回は書けなかったのですが、ファンタジーなお題だったので、一回だけでもと参加してみました。妖精は呪われた王子だった!ということで、よろしくお願いいたします。

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