一日目②:八元咲樹

世界が自分にとって生きにくいと感じたのは、いつだっただろう。


今日も夜を過ごし、夜明けの鐘が鳴る時間を迎えた。

それは始まりを告げる鐘であり、終わりを告げる鐘。

その鐘の始まりと終わりは等しく与えられる。


けれどそれは、今日も私の終わりを告げてはくれなかった。


部屋を出て、階段を降りる。

今のうちじゃないと、誰にも会わずにやり過ごせないから。

けれど、私が誰にも会いたくないと願っていても…向こうはそうじゃない。


「おはよ、咲樹」

「…おはよう、お母さん」

「最近早起きしているみたいだから、お母さんも見習って早起きしてみちゃった」


…いや、全然早起きじゃないし。私は夜更かしだし。

反論する気力も湧かない。


「今日は、学校行けそう?」

「…いや」

「そう」


「ごめんね。迷惑かけて」

「気にしないで。でも、何があったの?今まで楽しそうに学校へ行っていたのに」

「…話したくない」

「お母さん、話してくれないと何も分からないわ」

「…どうせ言ってもわかんないって」


お母さんはお父さんと結婚したんでしょ。

だったら、異性が、男の人が好きじゃん。


お母さんは女の子が好きになったことないでしょ。

勇気を出して告白したら、気持ち悪がられて、戻ったらクラス中に女の子に告白した噂が出回った事なんてないじゃん。

根本から違うんだから、理解なんてできないよ。


何もかもズレていて、悔しくて、やるせなく拳を握り締めるだけ。

それらぶつける先は、どこにもない。

何度も繰り返した問答から逃げるには、部屋から立ち去る事しかできない。


「ちょっと、咲樹」

「…出かけてくる」

「学校?」

「私服で行くわけないでしょ!?」


明日から、水とご飯を取りに行く時間を変えなきゃ。

大学、どうしよう。

高校は出席日数的にこのまま不登校を続けても卒業できるし、お父さんもお母さんも大学まで出てくれって言うから今までは進学を進路にしていた。

でも、やりたい勉強なんてなくて…どうしたらいいか分からなくて。

私は私がわからないまま、前を歩いて行く。


「…さぶっ」


今は十二月。玄関にかけられていた防寒着を着込んできたから暖かさはあるけれど、やっぱり寒い。

とりあえず、お母さんが仕事に出かけるまで適当に外を歩いておこう。

目標を定め、適当に街中を歩いていると…ふと、あるお店が目に入った。


「…お花屋さんか」


庭先に植えられた桜の木とか、ここで買ったんだっけ。

他にも、前はお母さんが趣味で園芸をしていたから…色々、苗を買ったんだよね。

でも、お父さんが死んでから…私を養う為に働かないといけなくなって、余裕がなくなって…今は、何もしていない。


「何か、私っていない方がよかったかもな…」


そう思っても、今すぐ車道に飛び出す度胸はないし、ロープを買って首つりとか、想像しただけで足が竦んでしまう。

今すぐ終わりたいけれど、死ぬ勇気はない。


もう少しだけ、街を歩いて行く。

もう制服を着た子達が歩いている。部活かな。

同じ高校の子を見かけ、ふと顔を背けるけれど…向こうは何も気にすることなく前を歩いて行く。

それもそうか。向こうは私の事なんて知らないし、興味ないからどうでもいいよね。

意識するのは、変だよね。


平穏を保ちつつ、花屋を覗いてみる。

そういえば、この花って…元は妖精が作り出した種子が育ったものなんだよね。

なんか、妖精が育てた種子や苗木はどんな土地でも逞しく育つとか。

そんな植物を恵んで貰っている代わりに、人間は花から取れる「花雫」っていうものを回収するんだっけ。

それが、妖精の主食だから…って聞くけど。


「本当に妖精なんているのかな…」


人の世界は妖精の恵みで成り立っているなんて言うけれど、そんなの見たことないし。

なんでそんなお伽噺を信じられるんだろう。

この世界には、夢も妖精も、存在するわけないじゃん。

花屋から離れようとするが、ふとあるものが目に入る。

ひときわ大きい鉢に入った椿の苗だ。

その鉢には、何故か椿の花弁が起きている。


「あの、店員さん」

「すみません。まだオープン前で…」

「いえ、あの…ふと、気になって。その、椿の苗木」

「ああ。今日輸入したんですよ」

「妖精界から、ですか?」

「ええ。お取り置きしますか?」

「あ、いえ…その妖精界では、花が咲くんですか?」

「え?いや、咲きませんよ。咲くのは花妖精の頭に生えている花ぐらいで…」

「これ、妖精の頭に咲くようなサイズですかね」

「あら。椿の花弁かしら…輸入局から直に運んできたのだけど…こんなもの、受け取った時には…」

「見てもいいですか?」

「構いませんよ」


ふと気になった椿の苗木。

その下に落ちている、眩く輝く鮮やかな花弁。

何かに導かれるように、持ち上げた。


いや、これは花弁じゃない。


「これは…」


椿の花を連想させる鮮やかな赤髪に包まれていた女の子。

私が握っていたのは彼女の羽根だと気がついて、慎重にその小さな肢体を手のひらの上に乗せた。

キラキラと透き通って輝く、真紅の羽根。


妖精なんて、いるはずないと思っていたのに…。

私の手には、間違いなく妖精が乗っていた。


「あら、花妖精」

「妖精?これが?」

「輸入品に紛れて人間界に迷い込んでしまった子なのね…貴方、時間はある?」

「え、ええ…暇なので、ありますが」

「今から妖精管理局に連絡するわ。それまでその子に付き添ってあげて」

「え、あ…はい。わかりました…」


花屋さんがどこかに電話している間に、手のひらの妖精をまじまじと眺める。

小さいけれど、人間ソックリ。お人形さんみたい。


それから…小さな身体が小さく上下している。息はしているみたい。

意識は、失っているのかな。


身体は小刻みに震えている。寒いのだろうか。

とりあえず、冷えないように両手で覆っておこう。

手袋も何もないから暖かさはないだろうけど、風の影響は受けないから幾分かマシな筈だ。


「連絡付いたわ。屋内に入っていて」

「いいんですか?」

「面倒事を押しつけたんだもの。朝ご飯は食べた?簡単なものしかないけれど、食べて行きなさいな」

「あ、はい」


花屋さんの押しに飲まれ、私はなんだかんだで朝ご飯を頂くことになってしまった。


…普段とは違う一日の始まり。

この妖精との出会いは、人生の転機になるだなんて…この時の私は全く思っていなかった。

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枯れ逝く君と夜明けの鐘 鳥路 @samemc

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