波形の調整室(短編)

真坂/shinsaka

波形の調整室

ある放課後、ナガテは教室に忘れ物を取りに戻った。

3年B組の教室は、静まり返っている。

人気はなく、窓の外では夕陽がオレンジ色に沈んでいた。

いつもと変わらない、はずだった。

机の上に置き忘れた数学のノートを探していると──

黒板の隅に、変な紙切れが貼ってあるのに気づいた。

『波の高さを合わせろ!』

ナガテは眉をひそめた。

「波? 何だよそれ?」

ナガテは首をかしげた。数学の授業で波っぽいグラフを見た気はするけど、頭に入ってねぇ。そもそも数学なんて宇宙語だ。

紙を剥がそうとした瞬間、黒板がビリッと震えた。

教室の空気が重くなった。

机が微かに揺れ、窓ガラスがカタカタ鳴る。

スピーカーからノイズが流れ、低い声が響いた。

「波長調整を開始しろ。失敗したら宇宙が終わるぞ」

「は?」

ナガテが呟いた瞬間、机が浮き上がった。

天井にガンガンぶつかって教科書がバラバラ落ちてくる。

窓の外の夕陽が点滅し、壁が熱されたプラスチックみたいにゆっくり捻じれる。

床が液体みたいに蠢き、足元が沈む感覚がした。ナガテはよろけた。

「なんだこれ」

目の前で椅子がくるくる回り、黒板のチョークが勝手に浮いてガリガリ文字を書き始めた。

”調整しろ”

ナガテは喉を鳴らした。

冗談だろ、って思いたかったが、目の前の光景は全力でふざけてる。

浮かんだチョーク。歪む教室。震える空気。

何が何だかわからない。でも、考えてる場合じゃなかった。

床に金属の棒が落ちてきた。

長さ10センチくらいで、表面に赤い線がうねってる。

拾うと棒がブーンと振動し、目の前にホログラムが浮かんだ。

赤い波と青い波がぐちゃぐちゃに絡み合ってる。声が続けた。

「次元の波長が乱れている。赤い波を基準に青い波を合わせろ。ズレると宇宙が吹っ飛ぶ」

ナガテは棒を握ったまま唸った。

「オレに何しろってんだよ!」

でも、教室の電気がチカチカして、天井がガリガリ削れ始めた。

窓の外が真っ暗になり、星が一つずつ消えていく。

――やばすぎる。

仕方なくホログラムを見ると、赤い波はきれいに上下してるが、青い波はギザギザで伸び縮みしてる。

声が冷静に言った。

「棒のボタンで調整しろ。振幅を赤と同じにしろ。でかいと次元が破裂するぞ」

棒にボタンとスライダーがついてる。ナガテは適当にボタンを押した。

青い波がピクッと動く。スライダーを動かすと波が縮んだり伸びたりした。

「何だこれ、ゲームか?」

試しにボタンを押すと、青い波がピクッと動いた。

スライダーを動かすと、波が伸びたり縮んだりする。

(おお、意外とシンプルじゃん)

ナガテはゲームコントローラーを握るような気分で、ボタンをガチャガチャ押した。

青い波が、赤い波に少し近づいた。

「なんだ、意外と簡単じゃ──」

その瞬間、教室の天井がバリバリとひび割れた。

「──くねぇえぇ!?」

そしたら教室の隅から光が弾けた。

──光?

一瞬の閃光。

次の瞬間、何かが吹き飛ばされたみたいにドサッと落ちてきた。

「うおっ!?」

思わず後ずさる。

倒れているのは──ヒロキ。

「は? 何お前も??」

ヒロキが叫びながら立ち上がり、ナガテは棒を握ったまま固まった。声が慌てた。

「波が統合された! 空間が重なったんだ。早く調整しろ!」

「何!?」「何!?」と二人で叫ぶ。

その瞬間、壁がひしゃげた。今度は「ぐにゃり」じゃない。

巨大な何かが向こう側から顔を覗かせた。

「……なにあれ」

喉がひりつく。まずい。こんなもん適当でどうにかなる話じゃねえ。

「くそっ、本気でやるしかねぇ!」

声が急かす。

「振幅を合わせろ! 今だ!」

ナガテはスライダーを動かした。

なにがなんだかわからないがふたりとも真剣だった。

青い波が赤にピタッと重なると、電気が安定し、机がドスンと床に落ちた。

壁が元に戻り、影が消えた。

「次は周期だ。赤に合わせろ。青い波の周期をTにしろ。短すぎると時間が崩壊する!」

ナガテはスライダーをガチャガチャいじり、ヒロキが「ナガテ、適当すぎだろ! 宇宙終わるって言ってるぞ!」と突っ込む。なにがなんだかわからないが二人とも必死だった。

赤い波の間隔に合わせると、時計がカチカチ動き出し、窓の外は夕日が沈みかけていた。

ヒロキが「生きてる……?」と呟く。

ホログラムに黄色い波が現れた。

ギザギザで、時々ビヨーンと跳ねてる。

教室の天井がビキッと裂ける。

声が叫んだ。

「タンジェント波はある値で発散する。放っておくと次元が裂ける!」

「タンジェントって何だよ!」

ナガテが叫ぶ。

「知らねぇよ! 何か押せ!」

二人でボタンを連打する。

青い波がブレる。黄色い波が跳ね上がる。

天井が裂け、黒い空間がのぞいた。

「やっべ!やっべ!やっべ!!」

ナガテはスライダーを全力で動かした。

青い波が微調整される。黄色い波が──シュッと落ち着いた。

天井が元に戻った。

教室が静かになった。ホログラムが消え、棒が光って手から消えた。

声が最後に言った。

「よくやった!君たちのおかげでこの宇宙は救われた、感謝する」

「いやお前誰だよ!?!?」

ナガテが叫ぶ。しかし――答えはない。

ただ、教室に残ったのは、崩れた机と、奇妙な静寂だけだった。

ヒロキが「ナガテ、何だったんだ今のは?」と息を切らす。

ナガテは「わけわかんねぇよ。こんなの見せられたら嘘じゃねぇだろ……」と少し怖くなった。

黒板の紙切れはまだそこにあったけど、触るとスッと消えた。

その夜、ナガテは家で数学のノートを開いた。

三角関数。波っぽいグラフを見ても何だか分からねぇ。

でも、頭の奥に赤い波とヒロキの叫びがチラつく。

ヒロキに電話すると覚えてないらしい。そんな訳無いだろ。

段々自分がおかしくなった気がして電話を切った。

確かに昨日教室で変な声がして、椅子が飛んで変な声がして波をいじって宇宙がどうこう……まるで夢のようにふわふわとして、確信がなかった。



翌朝、教室はいつも通りだ。

ナガテの記憶もぼやけてきた。

忘れないようにノートに書こうとした。けど──

ペンが止まる。

「……何を書こうとしてたんだっけ?」

頭の中にぽっかりと空白ができている。

何かを忘れている。でも、それが何かすら思い出せない。

窓の外が、一瞬揺れた気がした。

でも、何だったか思い出せない。


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