あなたには妖精が見えるか

lager

妖精

 山の国の冒険者ギルドで、受付嬢の女性と一人の老婆が押し問答を繰り広げていた。


「そこをなんとか頼めないかしらねえ」

「申し訳ありません。いくらあなたの頼みとは言え、こればかりは……」


 山の国は、その名の通りに急峻な山岳地帯に興った国で、古くから、山や裾野の森に巣食うモンスターを討伐する冒険者たちの活動が盛んな国でもある。

 彼らをまとめ、仕事クエストの斡旋を行うギルドの建物は、この日も多くの冒険者や依頼主たちで賑わっていた。


「採取や捕獲の依頼なら、もちろん腕利きをご紹介させていただきます。ですが、あなたを直接深部へ連れて行くというのは……」

「大丈夫よぉ。ちょっと行って帰ってくるだけだもの。私、こう見えて昔は冒険者だったんだから」

「ええ。それはこの国の全員が知っていますが……」


 弱り果てた受付嬢が周りを見渡すが、カウンターの内側の誰もが目線を逸らし、唯一目が合った上司は蒼褪めた顔でぶんぶんと首を横に振っている。

 対する老婆は、顔に刻まれた深い皺が示す年齢には似つかわしからぬ、しゃんとした姿勢でにこにこと人の良い笑みを浮かべ、色よい返答を待っていた。


 その時――。


「私が連れてってあげましょうか、おばあちゃん」


 不意に聞こえたその声に、一瞬場が固まった。

 そこにいたのは、今まさに市場での買い物から帰ったばかりの主婦のような見た目の、中年の女だった。

 体型は細身で、背は高くもなく低くもない。鳶色の髪は頭の後ろで雑に結わえられ、手にした籐籠には、干乾びた木の根のような何かと、毛皮の塊のような何かが覗いて見えた。


「あらぁ。本当かしら。助かるわぁ。親切なお嬢さん」

「うふふ。いいのよ。で、どこに連れてくって?」

「ええ、ええ。ちょっと山の奥にね。不思議な光る泉があるんだけどね――」

「ちょ、ちょっと待ってください! 誰ですか、あなた!」


 奇妙な闖入者と話を進め始めた老婆に、受付嬢が慌てて待ったをかけた。


「勝手なことをされては困ります! ギルドを仲介しないクエストの授受はご法度――」

「なに言ってるの。私が冒険者に見える?」

「は? いや――」

「ただの一般人よ。私が何をしようが、あなたにとやかく言われる筋合いはないわ」

「なおさら駄目ですよ! 山の中には危険なモンスターが多く生息しているんです。あなた、モンスターと戦う術でもあるんですか!? というより、あなた一体誰なんです!?」


 突然現れた見慣れぬ女(そうは言っても、町中を探せば簡単に見つけられそうな容貌ではあるが)に、受付嬢はすっかり混乱してしまった。


 女は薄い唇で笑みを作って、こう言った。


「戦う術なんか必要ないわ。その代わり、呪いをあげるから」


 呪術師ノウェ、と、その女は名乗った。


 

 ◇



「ふん。それで私が駆り出されたというわけか」


 赤毛の女剣士が、憮然とした表情で森を歩いていた。

 その後ろには、しっかりとした足取りでそれに着いていく老婆と、薄い笑みを顔に貼り付け、買い物にでも行くかのような気楽な足取りで歩くノウェが続いている。

 昨日、得体の知れない中年女と老婆が二人だけで危険な山に入って行こうとするのを何とか食い止めるため、ギルド側がなんやかんやと屁理屈を捏ね回し、一人の冒険者を護衛につけることに成功したのだ。


 身を固める防具は傷痕が目立つが、見るからに上物と分かる。

 その隙間から見える肉体は鋭く鍛え上げられ、それでもやはり、傷が目立っていた。油断なく周囲を警戒しながら、そして老婆の歩みを気遣うようにいくらか緩めた歩調で、女剣士は森を分けて進んでいた。

 不意に、僅かに首を後ろに巡らせた。


「貴様、ノウェとか言ったな。聞いたぞ、町で最近怪しげな商売をしている女がいる、と」

「ま、あなたは用がなさそうね」

「当然だ。人を呪う道具を売りつけるだと? なんと卑劣な。それを買う方も買う方だ」

「それはそうよ。そういう人を相手に商売してるんですもの」

「ふん。貴様がなにを企んでいるかは知らんが、このお方に不埒な真似をしでかしたらただでは済まさんぞ。このお方は、かつて史上最高と評された伝説の冒険者パーティのヒーラーを務めた聖女なのだ」

「あらそう。凄い人だったのね」


 二人の女の間を歩む老婆は、にこにこと変わらぬ笑みを浮かべてそれに応えた。


「あらあら。そんな昔のこと。いいのよ、今はもう、普通のおばあちゃんなんですからね」

「何を仰います。あなた方の為した功績はこの国の歴史です。私とて、あなた方の冒険譚に憧れて冒険者を目指したのですから」

「いやあねえ、もう。大袈裟なんだから。あ、そうだ。飴ちゃん舐める?」

「いえ、私は結構です」

「あらそう? ミルクで作ってるのよ?」

「あ。いえ、味の問題ではなく――」

「糖蜜のもあるけど、どうかしら?」

「う」

「こっちは生姜が入っているのだけど」

「わ、わかった。わかりました。頂戴いたします」

「ええ、ええ。たくさんありますからね」



 ◇



 その昔、彼女が聖女と呼ばれるようになるよりも以前のこと。

 彼女は、この山で遭難したことがあるのだという。

 今でこそ、ギルドの働きによって冒険者の管理もきちんと行われ、各人に適切な難易度の依頼を斡旋する仕組みが機能しているが、当時はギルドもまだ設立されたばかりで、監督の行き届かないケースも多かった。


 早い話が、仲間に見捨てられたのである。

 臨時に組まれたパーティーに、ヒーラー見習いとして参加した彼女は、実力に見合わないクエストに連れていかれた。メンバーの実力もお粗末なもので、些細なミスから窮地に陥り、散り散りになって逃げた。

 最後まで仲間のために踏みとどまった彼女を、全員が見捨てた。


 モンスターに追われながら必死に逃げた彼女は、山の中で不意に開けた場所に出た。小さな泉が湧いていたのである。

 その泉は薄暗い山林の中でほのかに燐光を放っており、何故か、その周辺は無音だった。後ろから迫っていたモンスターの足音も、ぱたりと途切れた。


「そこにねえ、妖精さんがいたのよ」

「妖精?」


 当時のことを語る彼女の口調は滑らかで、その生涯の中で幾度となく同じ話を繰り返したのだろうことが想像された。

 少なくとも、ノウェと共にその話を聞く女剣士は、もう十分に話の内容を知っているようだった。


「ええ、ええ。掌くらいの大きさでね。透明でキレイな羽が生えてたわ。くるくると踊るみたいに飛んで、その度に光の粒がきらきら舞って……」


 妖精の泉。

 おとぎ話に出てくるような話だった。

 だが、確かに彼女は、それによって命を救われたのだ。


「あの時は必死だったわ。そこで夜を越して、なんとか町に帰ることができたけど、それっきり、恐くてあの場所には近づけなかったの。それに、その後はもう、後ろを振り返っている暇なんてなかったわ」


 彼女はそれから、成長した。

 正しい仲間と出会い、正しい冒険を重ね、やがて史上最高のパーティーと呼ばれるようになるまで。

 そして――。


「でもねえ。主人に先立たれて、考えてしまったの。私ももう長くはないわ。だから最期に、私の命を救ってくれたあの妖精さんに、ちゃんとお礼を言わなくちゃ、って」



 ◇



「おい。ノウェ」

「はい?」


 道中、幾度目のか休憩の時。

 木々の枝葉を分けてなにやらの採集を行っていたノウェに、女剣士がこそこそと忍び寄ってきた。


「よく聞け。この山に妖精などいない」

「あら、そうなの」

「ああ。私はもう何年もこの国で冒険者稼業を続けているが、そんなものを見たこともなければ、実際に見た奴の話を聞いたこともない。あまり言いたくはないが……」

「おばあちゃんがボケてるんじゃないかって?」

「滅多なことを言うな!」

「あなたが言いかけたんじゃない」

「んん。とにかくだ。それらしい泉ならば何かしらは見つかるだろう。それを見つけたら、適当に切り上げて帰るぞ。妖精はもういなくなったのだ、とな。あのお方をあまり危険な場所で連れ回したくないんだ」

「ふうん。受付の子が渋ってたのはそういう事情もあったのねえ。ま、私は別にどうでもいいけど」


 毒々しい色の花の葉を採取ケースに詰めながら、本当にどうでもよさそうな顔で、ノウェは答えた。



 ◇



 そして、しばらくして。


「ああ。ここよ。この近くだわ」


 老婆が、足を止めた。

 女剣士とノウェには、今まで歩いてきた山路と見分けはつかなかった。だが、老婆にははっきりとした確信があるらしい。

 しかし――。


 ぎぎゃ。

 ぎぎぃ。


「あらあら」


 緑色の肌と、人間の子供程の背丈。

 黄色い目。

 子鬼の一団が、目の前に屯していた。


「ふん。他愛ない」


 女剣士が一歩を踏み出す。

 道中、幾度かモンスターと遭遇した際には、全て彼女がそれを撫で斬りにしていた。

 しかし、今回は老婆とノウェがそれを留めた。


「何故止めるのです」

「落ち着きなさいな、妖精は争いを嫌うのよ。あなたの剣はお見事だけど、ちょっと派手すぎるわ」

「なにを言って――」


 女剣士が苛ついた声を出す間もなく、ノウェが一行の前に立った。

 ポーチから小さな紙を一枚取り出すと、掌で幾度か折り畳み、鳥の形を作った。

 一言二言、小さな声でなにかを呟く。


 子鬼たちはそれより前に一行に気づき、騒ぎ出していた。

 反射的に武器を構えた女剣士を、ノウェは見もせずに片手を挙げて制する。


 ぎぎゃ。

 ぎゃぎゃぎゃ。


 軋んだ声で興奮する子鬼たちに向けて、紙の鳥を掲げ、投げた。


 ぎゃぎゃ!


 ぽとりと、呆気なく地面に落ちる。

 だが、子鬼たちの目線は、まるで鳥が本当に羽ばたいて飛んでいるかのように宙に釘付けだった。


 一人の子鬼が慌てて駆け出し、それを皮切りに、全ての子鬼がその場から逃げ去って行った。


「あらあ、すごいわねえ。助かるわあ」

「な、なにをしたのだ」


 落とした紙を回収してポーチに収めながら、ノウェが大したことでもなさそうに微笑を浮かべる。


「ちょっとした呪いよ。自分たちが見たことある鳥型のモンスターにでも見えたんでしょ」

「そ、そんな真似が出来るならなんで今までやらなかった!?」

「え? だって、あなたがいたから」

「ぐ。こ、の……」


 額に青筋を浮かべた女剣士の横で、老婆が手を叩いた。


「ああ! ここよ、ここだわ!」

「あ、ちょっと!」


 草むらを分け入り、木々の隙間へと入って行った。



 ◇



 不意に、視界が開けた。

 

 山の木々を、そこだけ切り取ったように楕円形の空間が空き、岩肌の露出した箇所から、小さな泉が出来ている。大人二人が手を回せば、囲ってしまえそうな大きさだった。

 それが、僅かに光っている。

 高い木々に遮られ、日の光は届いていない。にも拘わらず、ほんの僅かに、水面が光って見えているのである。


 女剣士が、困惑したように立ち尽くした。


「これは……」

「あら? 初めて見る?」

「ああ。こんな場所があったとはな……。水脈と地脈が重なっているのだろう。ほんの僅かに魔力が湧出しているようだ。だが……」


 それだけと言えば、それだけの場所であった。

 魔力溜まりと言われる地脈の露出する箇所ならば、他にもいくつか確認されている。無論、この場よりも遥かに大きな規模で、である。

 そこに妖精が見られた、という記録はない。

 当然、この場所にも、僅かの気配も感じられはしなかった。

 

 女剣士の顔に、ひと段落着いたような、安堵の表情が浮かんだ。

 ここでよいだろう。

 道すがらノウェに話した通り、探索を諦めさせるには良いタイミングだ。

 だが――。


「あ。ああ」

「どう、おばあちゃん、妖精は見えるかしら?」

「おい。なにを――」

「あああ!!」


 老婆が、泉に駆け寄り、膝を着いた。


「やっと、やっと会えた! 妖精さん。ああ、良かった。ちゃんといてくれたのね。ああ、本当に、本当に――」

「…………え?」


 女剣士は、目を擦った。

 魔力視の力を最大限に使って泉の隅々を見渡した。

 

「ええ、ええ。ごめんなさいね。突然、驚かせてしまったかしら。え? 私を覚えてる? まさか、そんな。変わらない、って。いやだわ、そんな。恥ずかしい。私、もうすっかりおばあちゃんになっちゃって――」


 それでも、彼女の目に映るのは、元聖女の老婆が、何もない空間に向かって独り言を繰り返す光景だけであった。

 隣のノウェに目を向ければ、相変わらず薄笑いを浮かべたまま、それを観察するように眺めているだけである。


「ごめんなさいねえ。会いにくるのがすっかり遅くなっちゃって。私、ずっとずっと、あなたにお礼を言いたかったのよ。あなたのおかげで、私は生きられたわ。ここまで生きてこれた。色んなことがあったのよ。あれから、本当に、本当に、色んな、こと、が……」


 ぽろり、ぽろり、と、落涙した。

 年端もゆかぬ少女のように泣きじゃくる老婆を、二人の女は、黙って見守り続けた。



 ◇



『ありがとう。本当にありがとうねえ、二人とも。おかげでちゃんと挨拶ができたわ』


 その後、目元を赤く腫らし、それでもすっきりとした晴れやかな表情で老婆は泉を去り、山を降りた。もう、山に入るのは最後にする、とのことであった。

 女剣士は、道中の最低限のやりとり以外はずっと無言で、何かを考え込んでいる様子だった。ただノウェだけが、行きも帰りも、変わらぬ微笑を浮かべて最後の道行きを共にした。


 そして、その夜。

 ノウェがこの数日寝泊まりしている宿を、女剣士が訪った。


「夜分にすまん」

「あら。なにか用? ちょっと待って」


 ノウェの姿は見えず、部屋に置かれた薄いパーテーションの裏側から声が聞こえた。薬草と柑橘類の香りが、ほのかに漂っていた。


「いや。いいんだ。そのまま聞いてくれ」


 女剣士の口調からは昼間の刺々しさが消え、顔は気まずそうで、頼りなげであった。


「なあ。昼間のは、お前がやったんだろう?」

「あれって?」

「妖精のことだよ。お前が、あの時小鬼たちにやったように、あのお方に幻か何かを見せる呪いをかけたんじゃないのか」

「え?」

「いや。いいんだ。良くはないが、いいんだ。私にはなにが正しいかなど判断できない。嘘をつくことも、騙すことも、私の正義に大いに悖る行為だ。だが、私だけがあの場にいて、なにもせずに帰ったとして、あのお方はあんな晴れやかな顔をしてくれただろうか。お前の呪いは、あの時、確かにあのお方を――」

「ちょっとちょっと、何言ってるの。私、なんにもしてないわよ」

「は?」


 するり、するり、と。衣擦れの音が聞こえる。

 その合間に、苦笑したような声音のノウェの言葉が続いた。


「あんなに隙のない相手に呪いなんか効かないわ。精神的にはもうほとんど精霊の域に達してるんじゃない、あのおばあちゃん?」

「え? いや、しかし――」

、妖精は」

「何を言ってるんだ!? お、お前には見えていたっていうのか!?」

「いいえ、全く。正直、ボケたおばあちゃんが独り言言ってるようにしか見えなかったわ。真顔保つのに精一杯だったわよ」

「お前なあ!」

「妖精っていうのはね、人を選ぶの」


 寝間着に上着だけを羽織った姿で、ノウェがパーテーションから出てきた。


「真に心清らかで、穢れのない人間の前にしか、妖精は姿を見せない。というより、見えないの。呪詛と怨嗟に塗れた私も、魔物の血の匂いが染みついたあなたも、どこをどう探したって妖精になんか会えやしないわ」

「な……」

「正直、半信半疑だったけどね。普通に生きてるだけで穢れなんてどんどん溜まってくのに、あの歳になって、しかも半生は冒険者稼業なんてやって、まだ妖精に会う資格を持ってるだなんて」

「お、お前――」

「流石は聖女の称号を授かった――」

「いやお前! !?」

「え?」


 実のところ、女剣士は、ノウェの話を半分も聞けていなかった。

 パーテーションから出てきたノウェの姿に目が釘付けになっていたのだ。

 正確には――。


「ああ。これ? 妖精の泉で作った美容液よ」


 ――昼間とは見違えるほどに瑞々しく、艶々と輝くその肌に。


「な。あ……」

「いやあ、流石は伝説のレシピ。まさか自分で調合する機会があるなんて思わなかったわ。聖女様様ね。見て、この肌。うふふふふ。まるで十年若返った気分!」


 石のように固まった女剣士を前に、すっかり上機嫌な様子でノウェは自分の顔を撫で回す。

 自然な瑞々しさ。触らずとも分かる張り。指の動きを跳ね返す頬の弾力。

 十年若返ったと、本当にそう言われても信じてしまいそうな肌であった。


 女剣士は、思わず自分の頬に手を当てた。

 がさつき、強張り、十年前とは比べるべくもない、今の自分の肌――。


「あ。お、おま、お前」

「うん? ああ、良かったら、ちょっと分けてあげましょうか? 道中は色々助けられたしね」

「い、いや、そんな、私は」

「私は?」

「う」

「どうする?」 

「……………………………ぃぃのか?」


 にんまりと、ノウェの唇が吊り上がった。



 ◇



 その後、ギルドに属する冒険者たちの間で、妖精の泉の探索クエストが密かに流行した。



「うふふ。これで妖精さんも、少しは寂しくなくなるかしらねえ」

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