禁断の果実

昼星石夢

第1話禁断の果実

「あんた、下手だから無理。他の人呼んできてよ」

 注射器をせたトレーを、所在しょざいなく宙に浮かせる。

「でも……」

「いや、でもじゃなくてさ。てか、部屋入る時はノックしてよ。常識無いの?」

「大きな声ねえユズハ。その調子ならすぐに元気になるわ」

 扉が閉め切られていなかったのか、隙間すきまからふわりと、腰を丸めたテレーサさんが入ってきた。

「テレーサさん、ちょうどいいや。この人注射下手なの。代わってよ」

「ユズハ、そんなこと言ったら仲村さん困っちゃうわよ」

 テレーサさんは、私にだけ聞こえる声で、「気にしちゃだめよ、この子反抗期なんだから」と言って、するりと私と場所を交代した。


「テレーサさんって何者なんですかね」

「看護師に決まってるでしょ」

 先輩は、子供の弁当の余りという卵焼きを頬張ほおばりながら、すげなく言う。

「そんなことわかってますけど、ほら、日本語ペラペラだけど目が青いし、おばあちゃんだけど私より若々しいし」

 先輩は適当にうなずきながら、梅干しをかじって白米を口に運ぶ。

「患者さんにも患者さんの家族にも好かれてるし」

「看護師は人気商売じゃないわよ」

 先輩が箸を振って話の腰を折る。

「そうは言ってもコミュニケーションは大事じゃないですかぁ、テレーサさんって近くにいると、なんとなく気持ちが安らぐんですよねぇ……。どうやったらそんな雰囲気ふんいきが出せるんだろ」

「やたらとめるじゃない。何かあったの?」

 先輩の冷めた上目遣いに、少しビクッとする。

 ミスはしていないが、ユズハに言われた『あんた、下手』という言葉が頭に残っている。

「いえ、ちょっと……助けていただいて……」

 先輩は、ふう~ん、と鼻の奥で言ったあと、

「私は苦手かな」

 と小さく、しかしはっきりと言った。

「え……?」

「テレーサさん」

 意外な言葉に、目をしばだたかせる。

「どうしてですか?」

 先輩は、顔をしかめ、言うか言うまいか数秒考えたあとで言った。

「彼女が泣くと、患者が亡くなるのよ――」

「はい?」

 素っ頓狂すっとんきょうな声が出てしまい、水筒のほうじ茶を飲んで誤魔化ごまかす。

「何言ってんだって思ってるでしょ。でも本当なんだから仕方ないでしょ。あんたが来るずっと前からよ。この前だって……。勤務時間外に、ふらりと患者の部屋から、泣きながら出てくるのを見たと思ったら、翌日その患者が亡くなって……」

 自分でも気づかないうちに、いぶかしげな目をしていたらしい。先輩は、

「私だって別に嫌いじゃないわよ。同僚からだって評判いいのは知ってるし。ま、病院だし、たまたまよ、たまたま」

 と、取りつくろうように言うと、急いで風呂敷を畳み、仕事に戻っていった。


「ランちゃん、お薬の時間ですよーー。あら、何持ってるの?」

 仕切りのカーテンを引くと、上半身を起こしたランちゃんが、手に不思議な木の実のようなものを持っていた。

 暗い夜の焚き火のような色の、ザクロみたいな粒がいくつかつらなっている。

「妖精さんにもらったのーー!」

 あろうことか、ランちゃんは大きな口を開けて、それを食べようとした。

「ダメダメ。そんな得体のしれないもの食べちゃ」

 慌てて止めて、木の実を取り上げる。

 ランちゃんは、ええーー! と頬を膨らませたが、代わりにランちゃんの好きなウサギのシールを一枚あげると、機嫌を直して薬を飲んでくれた。

 詰め所に木の実を持ち帰ると、テレーサさんが慣れた手つきで薬の仕分けをしていた。

「あら、それ、どうしたの?」

 テレーサさんは木の実を見つけると、魅入られたようにそれを見たまま言った。

「ランちゃんが持ってて……食べようとするんですよ、驚いちゃって……」

 と、言いかけたとき、テレーサさんが、その実を私の手からもぎ取ったかと思うと、パクリと食べてしまった。

 食べて――。

「…………」

 啞然あぜんとしていると、テレーサさんは、パチリと右目でウインクした。

「この実はとっても美味しいのよ」

 ――数日後、ランちゃんの斜向はすむかいの部屋へ、検査の付き添いに向かった際、テレーサさんが、ランちゃんの部屋から、泣きながら出てくるのを目撃した。

 見間違いかもしれないが、その目から流れる涙は、あのザクロのような実のように赤く見えた。

 その翌日、ランちゃんは亡くなった。


 ランちゃんのことがあってから、体が重く、気力が出ない日が続いた。

 きっと疲れているだけで、気のせいに違いないと思っても、あの赤い涙が胸の奥に重しとなってよみがえるのだった。

 そんなある日――。

「またあんた? なに。嫌がらせ?」

「そんなわけ……レントゲン検査のお知らせに来ました」

 嫌悪感をあらわにしたユズハの強い瞳から目をそらすと、チェストの上、コップで隠すように、あの実が置かれているのが目に入った。

「これ……」

 手に取った瞬間、ユズハが凄い形相ぎょうそうで取り返した。

「返して。触らないで」

 そしてそれをそのまま、口に運ぶ。

「だめ……」

 ランちゃんの時のように、止めようと手を伸ばした。

「あんたに何ができるの?」

 実を掴みかけた手が止まる。ユズハの真っ直ぐな暗い瞳に自分の姿が映る。

 何が――。私には何ができるの――。

 ユズハは、ザクロのような実を、血色の悪い薄紫の唇に触れさせ、吸い上げるようにして食べた。

 数回咀嚼そしゃくすると、ユズハののどがゴクンと音をたてた。

 唇に、血のような赤い汁がついていた。

 ユズハの容体はそれからみるみる快復した。

 医師や他の看護師が、奇跡的、とか、ユズハちゃんが頑張ったから、と声を掛けるなか、本来明るく輝いているはずの情景が、仄暗ほのぐらく、あやしく見えた。

 退院の日もそんな調子で、ぼんやりしていると、先輩から小突かれた。

「めでたい門出なんだから、嫌いでもそんな顔してちゃだめ」

「いえ、嫌いってわけじゃ……」

 ユズハは「お世話になりました」と、一人ひとりに丁寧に挨拶をしていたが、テレーサさんの前に来ると、別人格が入り込んだようにまとう空気が変わった。

 かと思うと、テレーサさんへ騎士のようにひざまずき、テレーサさんの手の甲にキスをしたように見えた。

「う……ううん?」

 先輩も戸惑とまどった様子で、ぎこちない笑顔をユズハの両親に向けていた。

 私にはそれが、何かの儀式に見えた。


 どことなく祖父に似ている患者のもとへ体調をチェックしにいくと、個室の窓際に、またあのザクロのような実が置かれていた。

「これなあ、さっき小児病棟の子か、小さい子がくれたんだよ。妖精の食べ物だって言うんだ」

 諦念ていねんに満ちた眼差しを向け、「食べるんですか?」と思わず聞いてしまった。

「まさか」

 患者は乾いた笑い声をあげつつ、柔和にゅうわな表情で窓辺の実を見つめ、

「妖精がいるならあの世もあるな」

 と静かに微笑んだ。

 視線を感じ、横の洗面台の鏡に目を向けると、後ろの扉の隙間から覗く、テレーサさんの顔があった。

 ――恐ろしく冷たい表情で。

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