七海さゆりに気をつけろ
壱単位
七海さゆりに気をつけろ
シューズボックスの扉を閉め、とんとんと靴先を打ちつけて、
が、足元に落とされていた彼女の視線が、自分のものではないつま先を捉えた。あたしのものだ。つま先、足首、ひざ、スカートと、順にスキャンするように上がってきた彼女の視線があたしのそれと交差したとき、七海さゆりは仰け反った。
「ひぃ」
悪の組織の戦闘員の号令に似た声を発し、玄関の方向を向いて走り出そうとする彼女の腕を、あたしはがっしりと掴んだ。
「なぜ逃げる」
怯えさせないようにできるだけ抑えた声を出したつもりだったが、あるいは逆効果だったかもしれない。肩までのやや赤みがかった髪をぶんぶんと左右に振りながら、彼女は顔を引き攣らせた。目尻に涙が浮かんでいる。
「あの、あの、ち、ちが……」
「いいから、ちょっと付き合って」
他の生徒の姿は見えなかったが、ここで話せるようなことでもない。七海さゆりの手を引き、あたしは昇降口を出て左手、用具倉庫の裏まで彼女を連行した。
初めは強く抵抗していた彼女も、やがて観念したらしい。てこてこと自ら歩き、倉庫の壁に背をつけて手を腹の前に重ね、俯いている。首をとってくれ、といっているに違いない。よかろう。
「……七海さゆり。一年三組、学級委員。文芸部所属、好きな作家は井伏鱒二、得意科目は国語と社会。現在のところ交際相手なし、そして……」
どん、と彼女の左ななめ上に手をついた。ぐいと顔を近づける。
「あたしが好きなひとに回りくどいちょっかいを出す、とってもよい性格をしてらっしゃる」
彼女はびくっと顔をあげ、ふるふると振ってみせた。桃色だった頬に濃度が加わってゆく。潤んだ目があたしを正面から見て、驚いたように震えて逸らされた。
なにか声を出そうとしたようだったが、黙ってまた俯いてしまった。
三年生になり、あたしはブラバンを引退した。同時に彼も。
入部してから二年と少し、部長と副部長という間柄だったから、話す機会はもちろんたくさんあった。それでもクラスが違ったし、あたしの性格からして、積極的に距離を詰めにいくことができなかったのである。
それでも、もう終わりなのだ。部活も、呑気な高校生活も。本格的な受験シーズンにはいれば気軽にどこかにゆくこともできなくなる。
あたしは脱毛するほどに悩み、その本数が一定程度を超えた時点で決断した。
そうして彼を呼び出した校舎裏。しばらく躊躇った後にあたしがようやく心を決め、声を出そうとしたそのときに、頭の上から大量の紙が降ってきた。
見上げると、屋上のところで女子が手を振っていた。
ごめんなさあい、うっかり原稿用紙、ぶちまけちゃいましたああ。
告白などできる空気ではない。そのままうやむやに解散となった。だがあたしは諦めない。数日後、放課後に彼を校門のところで待った。ようやく出てきた彼に歩みよったそのときに、彼方から自転車で突っ込んできた者がある。
ごめんなさあああい、ブレーキ、壊れちゃってえええ。
映画のチケットをとった。スマホの画面を用意し、これ、たまたま二枚手に入ったんです、よかったらご一緒にというと、彼は喜んでくれた。あ、このシリーズ好きなんだ。今度の日曜の十時ね、わかった、と言ってくれた。
その後ろでひとりの女子が声をあげた。
わああ、間違えて今度の日曜日の十時の映画のチケット二十枚とっちゃったあ、クラスのみんなに配ってみんなでわいわい行かなきゃああ。
ほかにもいろいろあるが、そのすべてに関与した女子が一名、いる。というより主犯であり単独犯だ。ことが済むと脱兎のごとくに姿を消すので正体をつかむのに難儀したが、ようやく突き止めた。
それがこの、七海さゆり。
「……ね、なんでこんなことすんの。あたしの好きなひとを好きなんでしょ。だったらあんな回りくどいことしてないで、真っ向から来なさいよ。あたしね、邪魔されたりよりも、そういううじうじとネチっこいの、すっごく嫌なの! 正々堂々、勝負しなさいよ!」
七海さゆりは顔を上げ、息を呑むような表情をあたしに向けてきた。
「せいせい……どう、どう……」
「そう。わかった? わかったらもう、こんなことやめて……」
「……しょうぶ、します……」
ぎゅ、と拳を握って、胸に当てる。一度つむった目を、あたしに向けて真っ直ぐに見開いた。
「す、すすすす好きです、先輩っ!」
「ふぁ」
あたしの間の抜けた応答に被せるように、彼女は早口で言葉を継いだ。
「ちゅ、ちゅちゅ中学校から、ずっとずっと、見てました! あ、あんなふにゃふにゃ野郎は先輩に似合いません! 先輩にはもっと、もっと、いいひとが、あっでもそんなひとそう簡単に現れませんから、あた、あたあたたし、あたしで、とりま我慢ってことで、ね、ほら、悪い虫はあたしが端からぜんぶ潰していきますから。ね、ほら、だから、えいっぎゅっ」
<了>
七海さゆりに気をつけろ 壱単位 @ichitan
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