天下無双と呼ばれた人

本文

俺が十数年も追いかけ続けたあこがれの人は、わずか五分でボロ雑巾のように死んだ。


俺は彼に追いつくために死に物狂いで努力した。

何度やっても勝てず、何度やっても負けた。

剣の腕、人望、勇敢さ。

その全てが俺より何十倍も優れた人だった。


そんな彼は、たった一人の魔族に殺された。


俺たちは兵士だった。

魔王の城へと攻め入る軍に参加していた。

魔族の将軍の首でも取って、一旗上げるつもりだったのだ。


だが、千人近くいた兵士は、わずか十数人の魔族に壊滅させられた。


辺りを見渡しても死体の山で、生きている兵士は俺くらいしか見当たらない。

千人規模の軍が十数人に負けるだって?

考えられないし、考えたくない。

でも、それほどまでに人間と魔族の差は明らかだった。


敗因は一つだ。

魔族は魔法を使う。それも強力なものを。

だが人間は使えない。俺たちにあるのは剣だけだ。


俺の眼の前にいる魔族は、俺に何かを投げてよこす。

咄嗟にそれを受け取る。

俺の憧れた人の首だった。

思わず腰を抜かし、その場にへたり込む。


「おい、お前」


魔族は何かを言う。

その言葉が自分に向けられたものだと気づくのに、時間がかかった。


「今すぐ帰って王に報告しろ。人間の軍はたった十三人の魔族に全滅させられたってな」


俺は何度も頷くと、死にものぐるいでその場から走り去った。

その気になればいつでも俺を殺せた魔族は、誰も追いかけてはこなかった。

人間が魔族に勝てる見込みなど微塵もないことを思い知らせたかったのだろう。

その報告役にたまたま一人が選ばれて、それが俺だった。


俺が生き残れたのは実力があったからでも、勇敢だったからでもない。

ただ運が良かっただけだった。


俺は国に戻ってことの次第を王に報告した。

悲惨な戦況を悟った王は魔王討伐を諦めた。

俺は除隊し、兵を辞めた。


憧れになりたいと思った。

俺が憧れた人みたいになりたいと。

しかし俺が憧れた人は、馬鹿みたいに弱かった。


訓練で百人近い兵にも打ち勝ち。

どんな戦況でも一切諦めずに勝利を導き続けた人。

その人は、魔族と五分も戦うことができずに死んだのだ。


魔族は強すぎた。


故郷に戻った俺は、すっかり心が折られていた。

剣を持つ度に戦場でのことを思い出して震えた。

夜眠るとあの魔族の顔と、首を切られた憧れの人が脳裏に浮かんだ。


その恐怖を拭いたくて、死に物狂いで剣を振った。

剣を振るえばいつかはトラウマを乗り越えられるかもしれないと思ったのだ。

心を折られた俺に剣をふるわせたのは、勇気でも気力でもなく、純粋な恐怖だった。


農作業をして、その傍らで剣をふるった。

俺は戦争から逃げた臆病者だと揶揄され、十年も経つ頃には誰にも相手にされなくなった。

そうしているうちに村の外れに住む奇人として扱われるようになり、白髪でヒゲの生えた老人になっても剣をふるいつづけた。


それでも俺の中から、あの時の恐怖が消えることは無かった。


俺が田舎に引きこもっている間も、人間と魔族の戦争は続いていた。

戦況はどんどん悪化し、人間の軍はなすすべもなく魔族に敗れ、次々に人間の土地は支配された。


やがて魔族は俺のいた村をも襲った。


見知った村人が死に、昨日まで楽しく遊んでいた広場にはバラバラになった遺体があった。

家という家は燃え、作物は奪われる。


その中で、魔族に追い詰められた子どもの姿を見つけた。

いつも俺のことを馬鹿にしていた村の子どもだ。

無慈悲にも、魔族は子どもまで殺そうとしている。


俺は剣を持ち、魔族の前に立った。


眼の前いた魔族の顔を見て、俺は息を呑んだ。

忘れもしない、その顔。

あれから何十年と経ったのに当時と全く変わらないのは、魔族が長寿だからだろう。


間違いなく、あの時、戦場で俺に声をかけた魔族だった。


俺の人生をぶち壊した魔族。

俺にとって恐怖の象徴そのもの。

それが、人生の最後に再び現れたのだ。

こんな皮肉なことがあるのだろうか。


逃げ出したいと思った。

しかし俺の背後にいる子どもが、俺の正気を保った。

一人だけ逃げることはできない。

いや、逃げたところで二人とも殺されるだろう。


どうせ殺されるなら、子どものために剣を振るおう。

何十年も積み重ねた研鑽のお陰で、どうにか恐怖に呑まれず剣を持てた。

あの時恐怖でふるえなかった剣を、今ならふれる。


本当は怖くて怖くて仕方がなかった。

でも体に刷り込み続けた習慣が、俺を動かしてくれた。


今なら分かる。

俺の憧れた人は魔族の前で雑魚だった。

でもあの時、あの人は恐怖を押し殺して俺を守ろうとしてくれていたのだ。

そして俺は、今の今までそんなことにも気づかないくらい、何も見えていなかったのだ。


あの人はやっぱり俺のあこがれで、すごい人だった。


かつて兵士たちが次々に殺された時。

剣を持って魔族に最後まで立ち向かったのは、あの人だけだった。

俺もようやく、あのあこがれに近づくことができただろうか。


魔族が俺に手を向ける。


「死ね」


訪れる死を前に、俺はただ無心で剣を振るった。



後日。

王都より派遣された部隊が、魔族強襲の報せを受け焼け落ちた村を訪ねた。


「うわ、酷いなこれは……」


血と肉が焼け焦げた臭い。

まだ煙が上がっている建物は、襲われて間もないことを指し示していた。

村人は死に絶えており、動く人の姿はない。


「生存者はいなさそうだな」

「隊長、早く切り上げましょう。もし近くに魔族がいたら我々も全滅します」

「ううむ……そうだな……」


隊を率いる兵士が沈んだ表情を浮かべていると、近くを探していた兵士が声を上げた。


「おい! こっちに子どもがいたぞ!」

「本当か?」


兵士が中に入ると、広場の隅っこで小さな子どもが震えていた。

その前には魔族と思しき者の死体と――


「何だこれは……」


見たことないほど深くえぐられた地面があった。

まるで地割れでも起きたかのように地面が割れている。

よく見るとそれは剣撃の跡にも見えた。


凄まじい剣の技が振り落とされ、地面もろとも魔族を真っ二つにした。

そのように見える。

しかしそんな凄まじい剣の使い手など聞いたことがない。

普通に剣を極めただけでは、絶対にたどり着けないだろう。


「坊や、ここで一体何があったんだい?」


兵士が尋ねると「魔族を切ったんだ……」と子どもは言った。


「魔族を切った? 君がかい?」

「違う……。村の外れに住んでたじいさん。いっつも剣の素振りばっかりして、『戦地から逃げ出した兵士のくせに』ってみんなに馬鹿にされてた……」

「そのおじいさんが、この魔族を?」


子どもは頷く。


「風を切る音がしたかと思ったら、地面が割れて魔族が倒れたんだ」


兵士はもう一度、剣でえぐられたであろう地面を眺める。

もし、何十年もかけて一つの技を極めたとしたら。

こんな風に凄まじい剣をふるうことができるのかもしれない。


しかしそれは、常人にはとても真似できないことだ。

それこそ、常に死を前に必死に努力し続けねばたどり着けないような……剣の極致にも思える。


もしそんな剣士が本当にいるのなら。

人間が魔族を打開することもできるんじゃないだろうか。


「おじいさんはどこに行ったんだい?」


尋ねるも、子どもは首を振る。


「『行かなきゃ』って言って歩いていった」


子どもは老人の歩いていった先を指さした。

兵士は指された方に目を向けたが、そこにはただ静かな風が流れるだけだった。



後に。

魔族を単独で屠る奇妙な老剣士の噂が国を巡るようになる。

名も知らず、顔も知られぬその老剣士は、人々にこう呼ばれた。


『天下無双』と。

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