12 夜の散歩者

 ふと・・、数字の羅列などが、唐突に頭に浮かぶことがある。

 それはだいぶ昔に憶えていた、そして忘れてしまっていた誰かの電話番号だったりする。

 何かの拍子に、いや何のきっかけがなくとも、不思議とその記憶のワードが浮かび上がる瞬間がある。

 アニメ映画『天空の城ラピュタ』において、ヒロインのシータが幼い頃、母親から聞いた呪文を思い出したように。一度は覚えて、そして忘れ去ってしまっていた呪文が浮かんでくるように。

 『WVD5142』

“これ、何だっけ・・?”

 昼間の衝撃、国保に勾引されたその忌まわしい記憶が、まだ深く残っている。

 眠りの中で、何かぼんやりとした夢を見ていた。

 その夢の中で、目覚めるきっかけとなる何らかの出来事があったはずなのだが、それが何かは思い出せない。

 起き上がって、頭に浮かんだ文字列を、忘れぬ内にと、ペンとメモを探しすぐ書き留めた。

 しかし、記憶にはない。スマホを取り出し検索すると、それは上海租界の古い建物の区画を示す界石に刻まれた記号だった。

“夢の中で、誰かに会っていた・・、でもそれが誰か思い出せない。モカだったろうか・・?、いや、違う気もする”

 その建物までは、自宅から徒歩で1時間半の距離だった。

“明日、行ってみるか?”

 いや、そんな酔狂な。ただの偶然の産物だ。学生時代、ぼーっとしながら聞いた講義の中で教授が発した言葉、それが訳もなく思い出されただけだ。

 そう思いなおして、再び布団にくるまった。

 しかし、眠りには逃げ込めなかった。どうしてもその文字列が気になった。

 むくっと起き上がり、身支度した。

“真夜中の散歩・・、ってのもたまにはいいのかも・・”

 少し風に当たる必要がある。そう思った。自室でふさぎ込んでいると、考えが悪い方へ、悪い方へと傾く。気分転換が必要だ。

 夜の冷気に備えて、上着を手に取り、玄関を後にした。


 アヘン戦争と続くアロー戦争を契機に、清王朝は開国、貿易港の開港を強いられ、欧米列強からの屈辱的な浸食を受けた。

 接収された土地には各国の領事館や商館が設けられ、現在ではその残された石造り・レンガ造りの古い町並みは、観光客の目当てとなっている。

 永信の頭に浮かんだ文字列、そのスマホの検索結果として現れた礎石は、その古い建造物のものだった。

“多分、何もない・・”

 でも夜風に吹かれて、上海の街を横断するのは悪くなかった。

 考えてみると、ネットゲームに耽溺した頃も外出は必要最小限だったが、論文の執筆にも没頭していた時期もやはり同じだった。

 体を動かせば気分も変わるだろう。

 スマホで時間を見ると、深夜の2時過ぎ。街は無人で寝静まっている。

 1時間半は長いと思っていたが、夜の街灯が灯る通りを歩くのは、別世界をさまよっているようで楽しく、時が過ぎるのが早かった。

 時折、昼間の出来事が思い出されたが、その度に無理やり頭から拭いさった。


 上海一番の観光地である外灘を横切る。

 川沿いの広範なウッドデッキを、完成まじかの上海タワーを横目に歩んだ。

 いくつかの深夜営業のお店が灯りを点け、国の内外からの観光客を誘い込んでいる。

 「40元もするようなドリンクが、よく買えるもんだ・・」

 黄浦川からの夜風を浴びながら、そう独り言ちた。

 人の集まるエリアを抜けて、旧市街くへと入る。

 この一帯にも観光客相手の飲食店がいくつもあるが、ほぼ全てが閉まっていた。

 改革開放により、元々の住民は小さな土地成金となり、住居の一階を店舗として貸し出しているケースが多く、その賑わいを目当てに、古い建物の内装をリノベーションし、高収入ホワイトカラーの90后などが住み着いている。

 昼間であれば、租界の残した古い街並みを眺めるべく、多くの人通りがあるが、この深夜の時間帯に永信とすれ違う歩行者は稀だった。


 目的である建物に到着したはずだが、その文字列が刻まれた界石はすぐには見つけられなかった。

“そうか、一ヵ所ではなく、同じ界石であっても複数にあるんだ・・”

 それに気付くと、近辺の建物を巡って、周辺を探し歩いた。

 界石は年月と共に風化し、或いは現在では不要とみなされ削り取られていたりもした。

 刻まれた文字列を判読できない界石も多かった。

 諦めて、家路に就いたが、さっきまでのくせで下を見ながら歩いていると、視界にひとつの界石が現れた。

 近寄って確かめると、そこにはWVD5142と刻まれている。

 目当てのものにたどり着いたのだ。

 ネット検索で知った知識だと、イギリス領事館が発行した界石には頭にBCと刻まれ、フランス領時間ならばFCとなる。

 ただWVDが何を意味するかは、どこにもその情報が見当たらなかった。

“結局、何だったんだろう・・?”

 歴史の授業か何かで、上海租界や界石の解説を受けて、それが記憶の片隅に残っていたということなんだろうか。

“いや、違うな・・”

 ダイバーダウン開発者の男性が語っていた話を、永信は思い出していた。

 「細部のデータを個々人の脳が補完するが、反対にドリームの世界の中で起こった出来事の全てを記憶している訳ではなく、自分が必要とするものだけを記憶して持ち帰っている。だから目覚めた後でユーザー同士が狩りの話をしていて、齟齬が生じるケースもある」

 もっともそれは現実の世界でも同様だ、と彼は説明してくれた。

 ショックな出来事が起こった場合など、その前後の記憶が失われたりもする。

 そのような大きな出来事でなくとも、人間の脳は記憶するべきもの、しないものを常に取捨選別しているのだと。


“そうだ。あの時・・”

 オレは、あの2人の、モカとその相手の会話を耳にしていた。

 どちらかが、どちらかに言った言葉、それがあの『WVD5142』だ。

 今、唐突にそれを思い出した。

 でも、それが何なのだろう?、2人は古い建築物に興味があり、それを話題にしていた、ということなのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ、永信が顔を横に向けると、界石のすぐ脇の雨どい、それと壁の隙間に何かがあるのを見つけた。

 手に取ると、それは小物を納めるケースだった。ケースの街灯の光の反射がなければ、確実に気付かなかったろう。それほど小さなものだった。

「何か入っている・・、TFカードか・・?」

 これを潜ませた場所を報せていたのか?!

 でも何故?

 確かに人の目にはつきにくい位置にこれはあった。しかし誰かに気付かれて持っていかれる可能性だってある。

 いや、いっそデータならば、送信すればいいだけのことだ。それが何故・・?

 しばらく考えて、永信は結論に達した。

 つまり、今や中国政府によるネット監視はほぼ完ぺきだ。政府や党に批判的な書き込みもすぐに削除される。

 データ送信しては網警に感知されるし、データの内容も知られ、発信元の位置も特定される。

 郵送でも同じだろう。どこかで中身をチェックされる可能性がある。

 同様に人伝ても危ない。共産党スパイは津々浦々に潜んでいる。渡した相手が無害な人物であっても、興味本位で中のデータをのぞかれる可能性もある。

“いや、それにした所で、何かの荷物に潜ませればいいのでは?、TFカードほど小さい物なら、チェックする者も見逃すだろうに・・?”

 それを準備するほど、切羽詰まっていたということなのかもしれない。そして履歴の残らないドリームの世界でこれの在処を伝えたのだ。

 租界跡の古い地区だ。監視カメラの数も新興地区と比べてだいぶ少ない。そしてあの文字列が示す場所はこのポイントひとつしかない。

 そして、このTFカードこそが、国保がモカを追いかける理由なのだろう。


“それよりも、これからだ・・、どうすればいい?”

 当然、国保にこれを提出するべきだろう。再びあの取調室を訪ねなくてはならないだろうか?、もうそれがどこであったかも憶えていない。

 近くの警察署に持ち込めばいい。詰問はされるだろうが、おそらく彼らが欲しがる品を提供するのだ。悪いようにはならないだろう。

 そう判断して歩き出した時、2人の男が永信に近づいて来た。

「手に何を持っている?」

 鋭い口調でそう尋ねられた。

 懐中電灯の光を顔に浴び、永信は身を固くした。

「お前、やっぱり知っていたんだな」

 男は永信の腕をつかみ、手のひらの中の物を奪ってそう言った。

「来い!、締め上げてやる!」

 両脇を固められ、強引に歩かされた。

 混乱が満ちる頭でも、自分が大きなミスを犯したのだと気が付いた。“ここに来るべきじゃなかった。『思い出した言葉がある』と、それだけを通報すればよかったんだ・・”

 それで余計に疑われたとしても、今のこの状況よりはましだろう。

 角を曲がった先に、車が停められていた。片方の男がリモートキーで解錠した音とテールライトの点滅で、それに乗せられるのだと判った。

“ありのままを釈明すれば、それを信じてもらえるだろうか・・?”

 その一点だけを念頭に、後部座席に押し込められるそうになった時、ちかくでバチっという鈍い音が響いた。

 脇の男が「何だ?」と呟く。

 運転席にとっくに乗り込んでいるはずの男がいない。

「動くなよ」永信にそう一言、警告すると、男は相方の姿を求めて車外へと出ようとした。

 その時、もう一度、バチっと同じ音が響き、男は永信の方へもたれかかってきた。

 それまでどこのいたのか、女が一人、男の体を車内に押し込んできた。

 彼女は永信とは目を合わせず、鋭い言葉を投げかけてきた。

「車から出て、手伝って!」

「誰?!」

「察しが付いてるんじゃない?、私がモカよ。それより早く!」

「一体、何を・・?」

「説明は後。急いでいるの。言う通りにして!」

 混乱に次ぐ混乱で、完全に自分の身に何が起きているのかが判らなかったが、彼女の言葉に従い、車外へと出た。

「助手席を開けて、中に入って!」

 言われた通りにすると、女は半分だけ開かれていた運転席ドアを全開にし、その前に倒れていた男の体を抱きかかえ、その上半身を運転席に収めようと奮闘していた。

「こいつの服の襟を取って、引っ張って!」

 男は二人とも気絶している。

 気を失っている人間は重く、作業はてこずった。幸い・・と言うべきなのだろうか、人の往来はなかった。

 永信はこの時初めて、自分が引っ張っている男が昼間に見た顔と同じであると気付き、先ほどの響いた音がスタンガンのそれであると理解し、そして男が目を覚まさないかと危惧した。

 女は車内に収めた男の上着ポケットを探り、何かを掠め取った。

「ど・・、どうする気なんだ?、何でこんなことをしてる?!」

「何で、ですって?、生き残るためよ!、降りて!車から!」

 反意を表すつもりで、永信は助手席から動かなかった。

 彼女は明らかに不穏分子だ。それに手を貸すのは得策ではないと、永信の頭の中で鳴り響く警報がそうさせた。

「そこにいるのね?、いいわ。でも待っているのは破滅よ」

「君が僕の破滅だ・・」

「・・・、確かにそうかも・・、でも判断するのは話を聞いてからでも遅くないわ。とにかく今はこの場を離れなくてはならないの」

 永信は数秒、黙考し、彼女もそれを待ってくれた。

“話・・?、何だよ、話って・・”

 今目の前で起こっていること、彼女が何者か、知りたいことは山ほどある。

 この車内に残るか、残らないか。脇で身を横たえる男に目をやる。確かに彼らの方が関わりたくない相手だった。傲慢さと暴力の臭いがぷんぷんと漂ってくる。

 車を出ると、女は「来て!」と一言だけ告げ、足早に歩き始めた。

 角を曲がった所に停車してあった車の解錠音が鳴り、「乗って!、助手席に!」そう告げた彼女自身は運転席へと素早く身を滑らせた。

 走り出した車の中で、永信は冷静に考える時間を取り戻し、隣でハンドルを握る女性、モカに質問をぶつけた。

「で、どんな説明をしてくれる?、そしてこれからどうする気なのか教えてくれ」

「そうよね・・、もっともな要求だわ・・」

 モカは前方から目を離さず、思いつめた表情で何を語るべきかを探っているようだった。

「まず・・、あなたはあそこに行くべきじゃなかった・・、と言いたい所だけど、あなたより先に到着できなかった私のミスね・・、そしてあの会話を聞かれてしまったのも・・」

「ドリームの世界で、あの男と話していたこと?」

「そう。エリア入室できるメンバーを制限していたはずなのに・・」

「それは完全じゃないって、あの開発者が言っていたよ」

 モカと男のいるエリアへと移った時、そこでの感覚が不明瞭であったのを永信は思い出していた。

 モカを責めたい気持ちもあったが、真夜中の遠足に出かける。それを決めたのは自分なのだと、永信は省察した。

“そうだ。来るべきじゃなかった・・”

 自分があのケースを手にしたタイミングで、男たちが現れたのは、自分が泳がされていたのだ。まんまと連中の思惑を満たしてしまった。

 でもあの時、心の中の『もう一人の自分』が、出かけるべきだと、そう永信を突き動かしたようにも思えた。

「そのケースの中身は何?」

 モカはしばらく返答しなかったが、やがて諦めたように口を開いた。

「極秘データ。スパイ映画なんかでよく見るやつよ。この国の政府要人の悪行が収められているわ。それと諜報部の謀略の記録もね」

 一瞬、信じられないと思ったが、この状況が彼女の言葉が真実だと物語っている。

 永信か次の質問を発する前に、モカは告げた。

「私はこれを持って、このまま台湾へ逃れるつもり」

「僕はどうなる?」

「こうなった以上、一緒に来てもらうわ」

「台湾?!、無茶だ!、できっこない!、降ろしてくれ!」

「あなたが部屋へ戻ったら、捕まって拘留、尋問されるわ。連中は拷問だって辞さない。仮に巻き込まれただけの無関係だと判っても、モノがモノだけにそれを取り逃した責任を問われる。おそらく死ぬまで塀の中よ」

「じゃあ、それを渡してくれ!、それを持って出頭すればいいんだ!」

「絶対にこのデータは渡さない。これは私の命綱だし、連中の不正を暴くのに必要だから・・」

 モカは鋭い視線で永信の顔を一瞥し、強い意志を示した。

“そう、そしてあの人が命がけで手に入れたデータだもの・・”


 永信はこの状況下の中でも、不思議と冷静な自分がいることに気が付いた。

 確かに、データの内容がモカが語った通りのものならば、そうなると思った。政府はわずかな反抗運動にも苛烈な締め付けを行う。

「じゃあ、こんなのは?、そのTFカードのデータをコピーして、僕はそれを持って出頭する。君から奪ったことにして」

「で、そのコピーはどこでやるの?、あなたの部屋へ戻って?、それともこの近くに友人がいて不要なカードがもらえるの?、その動線はカメラに映ってしまう。コピーを取ったことは気付かれるわよ」

 悔しく思ったが、モカの言う通りだ。その手段は意味がない。

「動線というなら、今、この車で走っているのも天網に把握されているんじゃないか?」

「さっき車を停めた場所にカメラがないのは確かめたし、夜はナンバープレートの映りも悪い。あの男たちが目覚めて通報するまで、捜索が始まるまでの間に舟山市まで走り抜けられるわ」

「舟山市・・って、どこだっけ?」

「宇波市の先よ。港町。そこから船を使うわ」

「金門島じゃないのか?」

 アモイから金門島、それが台湾の領土へ最短で渡れるルートのはずだ。そうではなくこの浙江省からとなると、かなり長い海上ルートとなる。

 “それに、どうやって船を手に入れるんだろうか・・?”という永信の疑問は、次のモカの言葉で溶解した。

「それこそ、アモイまで行く間に捕まるわ。船はもう手配してあるのよ。TFカードを回収して、船を目指すだけで良かった・・、まさかあなたが現れるとはね・・」

 台湾へ行く・・、とんでもないことだ。

 中国での生活はどうなる?、それに郷里の家族とは会えなくなるし、何か悪い影響が及ぶはずだ。

「考えていることは判るわ。でも不穏分子として捕まれば家族にも害が及ぶ。姿をくらました方がまだ安全だと私は思う」

「台湾に行くって・・、亡命する・・ってことだよね?、受け入れられるの?」

「これを使って取引すれば、2人分の亡命には応じてくれるはず。台湾じゃなくても、アメリカでもどこでもね」


 この事態から逃れたい。元のあの狭いシェアルームに戻りたい。そう望んでいたし、絶対にそうすべきだとも思った。今、この車のドアを開けて飛び降りてでも・・

“でも・・”

 そうして・・、あの生活に戻ってどうなるだろう?

 あの自信作の論文を用いて次の、或いはどこかの考古学機関に採用してもらう。

 それが無理でも何とか別の就職口を見つけて、中国で生活の礎を築く。

 中国の豊かさを謳歌している勝ち組の姿は所々で目にする。

 でも自分の周りの先達はどうだ?、みな条件の良い職には就けず、単純労働者として苦しい生活を送っている。

 自分が、何らかの方法で豊かさを享受できる者たちの一員になる。永信にはそれがどうしてもイメージできなかった。

 そして、今回の出来事で犯歴がつけば、もう研究職といった公職には決して就けない、民間での就職だって難しいだろう。

 当局から目をつけられ、この先、何年も行動を監視されるかも、いや、モカの言う通り一生牢獄の可能性もあるのだ。

“そうだ。これまでの人生に、そしてこの国に嫌気がさしていた・・”

 この過酷な競争社会の中で死ぬまでもがき続けなくてはならないのかと。言論の不自由な国家で一生を過ごさなくてはならないのかと。

 そうではないどこかに逃れたいと、ずっとそれを望んでいた・・

 そして時折、外国で別の人生を得た者の話も耳に届く。

 経済発展下の中国、周囲の友人知人の海外留学・海外就労の話は何度も聞く。でも自分には一度もそのチャンスはなかった。

 モカの口ぶりだと亡命は成就されるらしい。

 この国を出る。それは突如として手元に飛び込んできた大きなチャンスなんじゃないだろうか?

 今、永信の前には2つの選択肢があった。

 この車を出て部屋に戻る。彼女に着いて行く。

 後者を選んだ場合、 家族に迷惑が及ばないか、その一点が不安だったが、確かに彼女の言う通り、留置された者の身内よりは、行方不明な者の身内の方が、誹りを受けずらいかもしれない。そして後日、連絡を取ることが出来るのかもしれない。

“乾坤一擲、勝負するべきだ!”

 永信の中の何かがそう告げた。

「行くよ。一緒に」

「そう・・、わかったわ」

 この機会に賭けてみる。永信はそう腹を決めた。

「ひとつ教えてくれ」

「何?」

「どうしてオレを乗せた?、あのまま置き去りにして、オレが死ぬまで拘留されたとしても、君には関係なかっただろうに?、一人の方が身軽に動けたはずだ?」

「それは・・」

 それまでのモカの断固とした口調から一転して、その表情と声音に逡巡がうかがえた。

「そうね。ドリームの世界であなたとフレンドになって、こうして巻き込んでしまったこと・・、そこに責任を感じたのかも。それに・・」

「それに・・、何だい?」

「何でもないわ。それだけ。それが理由よ」

 夜、すれ違う車は稀だった。

 暗闇の上海を南へと急ぐ。

 永信は隣でハンドルを握る女性の横顔を見つめた。

 とても思いつめた表情をしている。

 2人の男を鮮やかな手際で人事不省にした手練れであっても、この逃亡劇に困難を感じている、ということなのだろうか。

「最後に、もうひとつだけ聞いてもいいかな?」

「何?」

「モカでなく、本当の名前は何ていうの?」

「・・・、悠華よ。李悠華。それが私の本当の名前」

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ドリームダイバー 水撫川 哲耶 @MinagawaT

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