あ、焦がれる

小石原淳

山が「あこがれ」になるとき

 学校探偵を自称する有木鼓太郎ゆうきこたろうに、今日も今日とて依頼が舞い込んだ。お代を取っている訳ではないけれども、繁盛するのはいいことだ。何せ、小学生が小学生に持ち込む依頼なんて、たいていは平和なものだと決まっている。

「お願い、有木君」

 この度の依頼者、神楽恋かぐられんが、両手をお祈りするときのようにしっかり組み合わせ、目をきらきらさせて言った。同じクラスの女子で、五年生の中でも発育がいい方だ。

 場所は教室、ではなく神楽家の彼女の部屋。勉強用とそれ以外とがきっちり分かれた本棚や、ポスターが壁を埋めている。ポスターは特定のアニメキャラとお笑い芸人のものが半々で、何故か二枚だけ山の写真がある。窓の脇に丸まるカーテンの色はピンク系統、タンスの上には何の動物なのかオレンジ色のぬいぐるみが数体あった。

 そんな空間で、カーペットに置かれたクッションに座り、丸テーブルを挟んで向き合っている。ドアは開け放しているとはいえ、知らない人が傍から見れば、神楽が有木に好意を寄せているように映るかもしれない。

 しかしその可能性は、続く本題によって消去されよう。

垂水たるみ君がほんとに私を好きだったかどうか、判断してほしいの」

「まず確認させてもらうよ。垂水君とは、一年間の予定で米国に転校していった垂水辰喜たつきのことだね?」

 探偵っぽく尋ねる有木に、神楽は何を今さらと言わんばかりに、眉根を寄せて変な表情を作った。

「同じクラスだったでしょ。他に垂水って人はいないんだし」

「そこはそれ。何事も確認が肝心さ」

「……その喋り方、むずがゆくなるからやめて」

「……それも依頼の一つとあれば、仕方がない。やめるよ」

 テーブルに置かれたティーカップを取り、紅茶を飲む有木。そうして、堅苦しく正座していた姿勢を崩した。

「じゃ、真っ先にどうしても気になることから聞くけど、何でわざわざ僕を家に呼んだの? 依頼なら学校で受け付けるのに」

 質問しながらも、有木は答に当たりを付けていた。『垂水の名前を出すからには恋愛ネタに違いない。そういう話をしているところを、他のみんなに聞かれるのは恥ずかしい。だから家に来てもらった』ぐらいだろう、と。

 ところがである。

「それはだって、手掛かりがここにあるから」

「お? ふむ、面白い。依頼を詳しく聞かせてよ」

 名探偵口調が完全には抜けていないことを有木は自覚したが、訂正せずにそのまま喋った。

「自分で言うのも変かもしれないけれども、垂水君と一番仲のよかった女子は私だと思うの」

「うん」

 客観的に認めるところである。そしてお互いに好意を抱いていることも、周りの者からすればほとんど自明であった。

「私は垂水君のことが好きで、それでもなかなか言葉にできなかったけれども、転校すると聞いて、決心が着いたわ。思いきって言ったのよ、この部屋で」

「そりゃおめでとう」

「何でおめでとう?」

「相手も同じ気持ちだったんでしょ、どうせ」

「だったら依頼なんてしないってば」

「あ、それもそうか。でもまさか拒絶したとも思えないんだけどな」

「答をはぐらかされたの」

「転校するくせに?」

 垂水の奴、何を考えてんだ。確かなぞなぞ好きだったようだけど、こういうことにははっきり返事しとけよな。そうしたらこんな恋愛相談めいた依頼をされることなんてなかったろうに――有木は内心で、ひとしきり毒づいた。

「でしょ? 私も無理矢理聞き出したくなかったから我慢した。それで最初はいいように受け取ろうとしたわ。だけど段々不安というか心配になってきちゃった」

「えっと、はぐらかされたってのは、言葉を濁されたとかじゃなく、何て言うか……そう、含みのある言い方をされたってこと?」

「そう、それよ。垂水君、あれを指差しながらこう言ったの」

 彼女自身も“あれ”を指差した。示す先は、山の写真のポスター。その内の一枚。

「『僕はこの山が好きなんだけど、この山のあこがれになれば、もっと大好きなんだよね』って」

「何なに? もう一回言って」

 筆記用具を準備し、書き取る有木。

「これは正確なのかな?」

「もちろん。意味が分からなくて、何度も聞き返したんだから。おかげで暗唱できるくらいになったわよ」

「それなら信頼してよさそうだ。思うに、これは垂水君からの出題だろうね」

「クイズのね。それくらいは私も分かる。問題は、答が分からないってこと。だから」

「はいはい、依頼してくれたんだね。取り掛かる前に一応聞くけど、あいつに電話でも何でもして、答を聞くというのはしないの?」

「しない。自力で解いてびっくりさせる」

 僕に依頼している時点で自力とは言い難いのでは……などという無粋な指摘は声に出さない。

「では本気で考えてみるか。あの山の名前は? 外国っぽいけど」

「アコンカグアよ。知らない? バラエティ番組で私の好きな女性芸人が登頂に挑んで、惜しくもできなかったっていう」

「知らないなあ。でもその女芸人というのは、別のポスターの人だね? それで山のポスターがあると」

「ええ。今のところアコンカグアとエベレストだけ、登頂断念しているのよね。いつか攻略してほしいというおまじないみたいなもの」

「あ、もう一枚はエベレストか。ふむ、垂水君はアコンカグアの方を指差したんだね?」

「うん」

「エベレストの方は一度も指差さずに?」

「そうよ」

「彼はこの山がアコンカグアと分かっていたのかな」

「最初は知らなかったから、私が教えた。あ、教えたのはそのときじゃなくて、初めてこの部屋に来たときね。教えたら興味深そうに頷いて、近くに立ってしげしげと見ていたっけ」

 甘酸っぱい思い出と化しているのか、斜め上を見るような仕種をする神楽。

 有木は垂水を真似てみようと、立ち上がってアコンカグアのポスターに近付いた。足を止めて、じっと見つめる。

 撮り方のためか、それとも周りの山もそこそこ高いせいか、あんまり高い山には見えない。頂上が尖っていなくて、まるっとしているのも高さを感じない一因かも。山の中程に被せる格好で、「Aconcagua」という白抜き文字が斜めに走る。

「神楽さんが知っているアコンカグアのことを教えてほしい」

「いいけど、参考になるかしら。たいした情報じゃないから。アコンカグアは南米最高峰。“トレッキングで行ける七大陸最高峰”と呼ばれるくらいなのに、登頂率は世界一高いエベレストの半分以下。これだけ聞くと訳が分かんなくなるでしょうけど、アコンカグアは天候に恵まれないことが多いらしくて――」

「あれ? 何か小さく書き足してあるけど、これ、神楽さんが書いた?」

 話の途中だったが、ポスターを見て気付いたことを口にする有木。問われた神楽は「ええ?」という反応を見せた。知らなかったものとみえる。慌てた様子で腰を上げ、有木を押し退ける勢いでポスターの前に立つ。

「ど、どこよ」

「文字のところ。ほら、Aconcaguaの最後のaの前に、鉛筆かな、黒い字でRって」

「――本当だわ。Rと書いてある。山肌の色に溶け込んで、気付かなかった」

「こんなことをしそうな人、できる人は? 垂水君以外に」

「できる人って、この部屋に入れるという意味なら、お父さんお母さんが入れるけれど、こんな真似はしそうにない。あとは友達ぐらいだけど……」

 一人一人思い浮かべては、打ち消すように首を横に振る。そんな様子の神楽を横に、有木はぶつぶつ呟き、そして「あ!」と言った。

「どうしたの? 何か分かった? それとも他にも書き足しがあったとか。それってもしかして垂水君のメッセージかも?」

「いや、他に書き足しはないようだけど、垂水君があのRを書いたのは間違いないと思うよ。つまりは彼からのメッセージの一部だ」

「どういう意味」

 小首を傾げる神楽に、有木は改めてポスター上の文字を指し示した。

「ここにRを入れて、無理矢理読むとどうなる?」

「無理矢理って、ローマ字読みよね? えっと、アコンカグラ?」

「そうなるよね。で、当然気付くと思うけど、ほら、神楽さんの名前が入っている」

「名前?」

 分かっていなかったらしく、神楽は再度「アコンカグラ」と唱えて、やっと理解した。

「アコン、神楽。言われてみれば入ってるわ。え、まさかこれだけのこと? これでアコンカグアは私を意味するって――」

「ううん、もう少し複雑だ。そうじゃないと、神楽さんに言った台詞の意味がないからね。僕はまだ暗記できてないからメモを見ながら言うけど、『この山が好きなんだけど、この山のあこがれになれば、もっと大好き』。この文で一番違和感あるのは、“この山のあこがれになれば”だと思う。普通に考えたら、人が山を憧れるのであって、山のあこがれになるというのは変だから。垂水君にしても、この部屋にある物を使って即興で作ったクイズだろうから、多少の無理は仕方がない」

「その口ぶり、もう解けたのね? 焦らさないで教えてちょうだい」

 さあ答を渡しなさいとばかり、片手の平を有木に向ける神楽。有木は肩をすくめ、「ここからは書いた方が説明しやすいから」と率先して丸テーブルにつくと、神楽にも座るよう促す。彼女が元の場所に落ち着いたところで、スタート。

「“この山のあこがれになる”の、『この山』を、Rを入れたアコンカグアに置き換えると、“アコンカグラのあこがれになる”になる」

 紙に書きながら説明をする。神楽はふんふんと頷いた。

「さて、“あこがれになる”とは何か。僕は考える内に、垂水君のよくやる手口の一つを思い出した。言葉遊びだね、“あこがれになる”とは『アコがレになる』だったんだ」

「え? ……あ、そういう」

 文字による説明で一拍遅れで理解した様子の神楽。そこから先は、彼女自身の理解の方が、有木の説明よりも早かった。

「“アコンカグラ”の『アコがレに』なったら、それって……レンカグラ! 私の名前!」

「だね。名字と名前が入れ替わっているのは西洋式。アメリカに行った垂水君らしいなぞなぞ――」

「ありがと、有木君!」

 推理を締め括ろうとした有木を遮り、神楽は探偵の両手を取ると、上下にぶんぶん振った。「あ、ああ。よかった、ね」と応じた有木。

「それじゃ、僕はさっさと退散するとしよう。片方がいないとは言え、邪魔をするつもりは毛頭ないので」

「え、待ってよ。お礼をしなくちゃ」

「いや、別になくてかまわない。誰からももらってないとは言わないけれども、料金を定めている訳じゃなし」

「そう? 何だか悪いわ。私のもやもやがすっかり晴れて、天にも昇るくらい心地よくなったのは、探偵さんのおかげなんだけどな」

「気持ちだけで充分」

「一回だけなら、デートするっていうのもありだけど?」

 部屋を出て行こうとした有木の腕を掴まえ、どう?と目配せしてくる神楽。ほんの一瞬心が揺らいだ有木だったが、すぐさま首を左右に振った。

「え。い、いややっぱり遠慮する。これで神楽さんとデートしたら、垂水君から滅茶苦茶恨まれてしまう」

「そっかー。仕方がないわね。もし仮に、垂水君を好きになる前に、有木君に解決してもらっていたら、あなたを好きになっていたかも」

「何そのパラドックス。神楽さんが垂水君を好きにならない限り、この依頼はあり得ない」

 まじまじと神楽を見返す。

 と、彼女の表情から冗談だと分かって、ようやくほっと一息付ける学校探偵なのであった。


 終わり

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あ、焦がれる 小石原淳 @koIshiara-Jun

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