慈父の背を憧れ慕いて

楠秋生

第1話

 私にとってシノブは、父でもあり母でもあった。

 ひねくれて荒れていた私を、真っ当な人間に育ててくれ大学まで行かせてくれた人だ。時には頼りになる父となり、時にはひたすら甘い母となって。おかげで私はそれなりにいい会社に就職し、結婚もして子どももできた。今は一般的な家庭のいい父親をやっていると思う。


 だけど。いろいろな面において、まだまだシノブにはかなわない。


 大きくため息をついて、見つめいた真っ白な天井から視線をおろす。天井と同じ真っ白なギプスで固められた足を見て、もう一度深いため息。


「情けないな」


 思わず独りごちたのと同時にノックの音がして、長女の美晴が入ってきた。俯き加減に神妙な面持ちでゆっくり近づいてくると、ベッド脇の椅子に腰かけた。

 しばらく沈黙が続く。

 妻に言われて、いやいややってきたのだろう。それとも、私の怪我に責任を感じているのだろうか。私の方は見ないで、じっと足下を見つめている。妻とはだいぶ打ち解けたようだが、私にはまだぎこちない。


「あのね。シノブさんのこと、聞いたの」


 俯いたままぽつりと一言だけ呟いて、また黙りこむ。


「お母さん、なんて言ってた?」

「中二の時から育ててくれた人だって」

「そうか」


 シノブのことは、できれば美晴が大人になるまで話さないつもりだったのだけれど。まあそんなことは不可能だろうが。


「他には?」

「詳しいこと、教えてもらいなさいって。......憧れてるんだと思うよって」

「憧れ!? ......ては、いないかなぁ」


 シノブの顔が頭に浮かんで、反射的にそう答えた。

 感謝はしている。シノブがいなかったら、今の自分はない。けれど、シノブのようになりたい、とは思わない。

 私の素っ頓狂な声とそれに続くつぶやきに興味をもったのか、美晴は病室に入ってきてからはじめて顔をあげた。


「シノブさんってどんな人? どうして育ててもらうことになったの?」


 美晴がこんなに興味をもって質問するのは、この半年ではじめてだ。シノブの話を聞くことで、何か感じ取りたいと思っているのだろうか。話すことで、何か変わるだろうか。


「長くなっても、聞きたいか?」


 美晴は小さく頷いた。



     ☆   ☆   ☆



 中学二年生のとき、離婚調停の最中に両親がそろって事故死したんだ。数台の車が大破するような大きな事故に巻き込まれて。もうずっと喧嘩ばっかりしてて同じ車になんて乗ったことなんてなかったのに。


 そんな風に仲良く一緒に逝くくらいなら、生前もっと仲良くしておけばよかったじゃないか、当時はそう思ったものだ。


 家の中がぎくしゃくしだしたのはその一年前くらいからで、家にいづらかった私はしょっちゅう出歩くようになっていて、いわゆる不良仲間とつるんでかなり荒れた生活をしていたんだ。


 そんな素行の悪い少年だったし、近しい親戚はみんな言い訳をして引き取ってくれず、児童養護施設に入ることになった。


 まあ、今から思うと、素行の良し悪しは関係ないかもしれないけど。他人の子を引き取るなんて中々できないよね。でもその頃はそんなことわからないし、どうせ自分なんてって、余計にひねくれてね。夜遅くによく抜け出して、また不良仲間とつるんでみんなに迷惑ばかりかけていたんだ。


 二か月ほどたったころ、シノブが現れた。スーツをピシッと着こなした爽やかな青年で、一緒に暮らすことを提案してきた。


「遠いけど、一応親戚だよ。良樹のお母さんの従妹の旦那の弟」

「……他人じゃん」

「まぁ、細かいことは置いといてさ。良樹はここにいたいか、出たいか」


 未婚で独り暮らししてるっていうし、そりゃあ、集団生活で我慢することが多い施設より、よく知らない人でも二人の方が生活しやすそうに思うだろう? 私は二つ返事でオッケーしたんだ。


 はじめのころは、だいぶ迷惑をかけたよ。前のように夜遅くまで帰らなかったり、警察の世話になったりして。


 だけどある日、不良たちでたまっているところにやってきたんだ。


「良樹をもう呼び出さないでくれ」


 頭をさげたシノブを見て、みんなはげらげら笑った。「土下座してみたら」の言葉に、いとも簡単にシノブは土下座をした。引き取ってもらって家に置いてもらっている身として、さすがにそれは申し訳なく思って、シノブの方へ行こうとしたときに、トップの奴が言ったんだ。


「俺とタイマン張って、勝ったら二度とそいつをここに来させねぇよ。来たら帰らせてやる」


 タイマンってわからないかな。一対一で戦う、喧嘩するってことだ。それに対してシノブは、平然と答えた。


「大の大人が、ガキ相手にそんなことできるか」


 土下座は簡単にしたくせに、タイマンは断った。


「怖気づいてんじゃねーよ」

「良樹のことはあきらめろ」

「どうせ無理だしな」

「そんなひょろひょろで、トップに勝てるわけがねえよ」

 

 私も、そんなことはしてほしくなかった。二人は体格が明らかに違ったし、大けがでもされたら大変だ。


「もういいよ。帰る」

「二度と、ここへは来ないか?」


 シノブが私に念を押していると、周りが騒いだ。


「ふざけるなよ!」

「根性見せろよ!」

「良樹、呼びに行くぞ」


 シノブはみんなを見渡して、最後にトップを睨めつけた。


「約束は守るな?」


 私が止めるのも聞かずタイマンをはったシノブは、驚いたことに一発でトップを殴り倒した。


 そんな風にして私は不良集団とは縁を切った。


「人生、楽しく真っ当に生きろ。そして、人のためになる人間になれ」


 と教える割に、シノブは中々自由奔放だった。フリーで仕事をしていたから、しばらく家にいたかと思うと、毎日出かける日が続くこともあった。今思えば、できるだけ私との時間を作ってくれていたんだろう。朝食夕食は必ず一緒に食べたし、週末も私が家にいるときはシノブも大体いた。


 旅が好きで、半年に一度は二週間ほどの長い旅行にでかけた。社会勉強だといって、私も学校を休ませて連れて行った。広い視野を持てるようになったのも、多言語話せるようになったのも、この経験からだ。今は商談に役に立ってる。シノブには、感謝しかない。



     ☆   ☆   ☆


 

 話し終えた私は、感謝だけでなく、自分が彼を尊敬し、確かに憧れを抱いていたことに気がついた。


「私を迎えにきたとき、あいつらに立ち向かったのは、シノブさんがタイマン? を張ってくれたのと同じようにしたかったから? そしたら、私がいうこと聞くようになると思ったから?」

「まさか! そりゃ、どこか意識の底にはあったかもしれないけど、大事な娘が変な男たちに絡まれているのを黙って見ている親はないだろう。……情けないことに結果は、これだけど」


 私は自分の足に目をやった。

 シノブのようにタイマンを張ったわけではなく、美晴にちょっかいをかけている男の腕を掴んで、振り払われた拍子に階段を転げ落ちた結果だ。格好悪いことこの上ない。


「情けなくなんかないよ。嬉しかった。……おと、お父さん。ありがとう。ごめんなさい」


 初めて呼ばれた『お父さん』がじんと胸に響く。

 言った美晴が、照れくさいのか「花瓶の水を変えてくる」と立ち上がりかけた時、

ノックもなく勢いよくドアを開けて金髪の大男が入ってきた。

 

「ジェイムズ! 今はアメリカにいるんじゃなかったんですか?」

「アイツが、良樹が心配で心配でたまらない〜って言うから飛んできたのさ」

「心配って......ただの骨折なのに。で、その本人は?」

「家に寄って来たんだ。それでおチビさんたちとゆっくり歩いてきてる。ボクは先にどんな様子か見に来たんだよ」

「むぅ〜」

「鬼の居ぬ間にってやつだな。ところで、キミがミハルちゃんかい?」


 突然入ってきた外人とまくしたてられる会話に目をぱちくりさせていた美晴に向き直ったジェイムズは、思いっきりぎゅーっとハグをした。


「え、と。あの......」


 固まったまま、私に救いを求める視線を送ってくる。


「ジェイムズ、美晴が驚いてる。離れてやって」

「Oh,Sorry」

「美晴。この人は、え〜っと、その、だな。さっき話してたシノブの旦那だ」

「……ええ!? シノブさんって女性だったんですか? 不良を殴り倒したとかいうから、勝手に男の人だと思ってました」

「いや、間違いじゃないよ。遠縁の弟って言っただろう。シノブは男だ。......った」


 いつかバレるだろうけど、せっかくかっこいい男としてのシノブの話しかしてなかったのに、本人がやってきたのなら仕方がない。


「シノブは、性癖も、外見も、自由奔放なんだ。まあ、外見を変えたのは私が高校を出てからだけど」


 ジェイムズが明け放したままのドアから、子どもたちの元気な声とシノブの声が近づいてきた。


「パパ~。シノブが来たよ~」


 子どもたちの後ろから入ってきたシノブは、明るい水色の髪にそれによく合う濃い青のインド人っぽい服を着ていた。豊満なボディを際立たせるへそ出しスタイルだ。


「良樹~。足を折ったって? どんくさいわね~」


 そう言いながらつかつかやってきて、私の顔やら頭やらにキスを落としまくった。


「ん~。ただいま。しばらく日本にいることにしたから、お世話になるわね」


 ……前言撤回。やっぱりシノブに憧れてなんて、いない!





 結果として。

 シノブは三か月、家に泊まっていった。その間に、美晴はすっかり家族になじんだ。くやしいことに、半年かけても私にはできなかったことだ。

 美晴が幸せそうだから、まあ、いいか。

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