ご覧ください、おひなさま

澤田慎梧

ご覧ください、おひなさま

咲羽さわさん。大根、ここに置いておくわね」

「いつもありがとうございます、中山田のおばあちゃん。……まあ! なんて立派な大根」


 中山田のおばあちゃんは近所に住む農家さん。時折、こうやって採れたて野菜をおすそ分けしてくれていた。

 今日持ってきてくれたのは、人の足ほどもありそうな太くて立派な大根だ。


 ――私と夫の匡史まさふみが山奥の村に越してきて、一年近くになる。最初はあまりの田舎ぶりに辟易したけど、今ではその鄙びた雰囲気にもすっかり慣れた。


 『子どものいない二十代の夫婦限定。移住支援プラン』という文字にひかれて決めた移住だったけど、結果は大正解だった。

 お店は小さなスーパーが一軒あるだけだけど、宅配は届くしインターネット環境もある。携帯の電波だってしっかり届くから、夫婦そろって在宅仕事の私達には不便は何もない。


 不便どころか、ご近所の農家さん達がこうやって野菜や玉子、時にはお肉や魚なんかもおすそ分けしてくれるものだから、食費が大幅に浮いているくらいだ。

 困ったことと言えば、食生活が充実して少し太ったこと程度だろうか。


「それでね咲羽さん。例の件、もちろん引き受けてくださるのよね?」

「例の件?」

「ほら、ひな祭りの」

「ああ、『生き雛』でしたっけ?」


 「生き雛」というのは、日本の一部の地域で行われている、人間の男女が男雛と女雛の扮装をする催しだ。

 昭和に入ってから生まれたもののはずだけど、この村では大昔からやっているのだという。ちょっと眉唾だ、と言ったら失礼だろうか。


「私達なんかで、いいんでしょうか」

「あらやだ。咲羽さん達だからこそ、いいのよ。別に村の中を練り歩く訳でもないし、お雛様になるだけだから。やってくださらないかしら」


 ――結局、私は中山田さんの笑顔の「圧」に負けて、生き雛を引き受けることにした。


   ***


 そして、ひな祭り当日。

 私と匡史は、それぞれ男雛と女雛の扮装をして、村の集会所で歓待を受けていた。

 季節のお野菜や山菜、川魚に絞めたてホヤホヤの鶏肉等など、お腹いっぱいになるまで食べさせられた。

 とろりとした謎の白いお酒も美味しくて、二人して調子に乗って呑んでしまった。


 村の集会所には初めて入ったが、こんな田舎にはそぐわない立派な建物だった。

 古い洋館を流用したものらしく、かなりの年代物だ。

 今いるのは食堂。アンティーク調の立派なテーブルや椅子の中に、お雛様の扮装をした私達がいるのは、和洋折衷を通り越して少し奇妙な光景にも思えた。


 でも、それ以上に奇妙なものがある。

 壁際に並べられた飾り棚。その中には、沢山の雛人形が鎮座しているのだ。

 夥しい数だ。おそらく、二十組は軽く超えるだろう。年代ごとに並んでいるのか、私から見て向こう端に置かれた雛人形はやたらと年季が入っていて、その逆に私達に一番近いものは真新しい。

 

「中山田のあばあちゃん。このお雛様たちは?」

「毎年ね、生き雛さまに合わせて一対ずつ新調してるのよ。そちらの端のお雛様は、あなた達に合わせたものなの。棚に乗りきらないものは、お焚き上げしているのよ」


 中山田さんがニコニコと微笑みながら解説してくれる。

 なるほど、大昔から行っているというのも、案外ウソではないのかもしれない。


 食堂には、村の主だった大人達が集まっていた。基本、ご老人ばかりだけれど、若いご夫婦も結構いる。なんでも、私達よりも前に移住してきた人々なんだとか。

 彼らも以前に、生き雛を経験しているそうだ。

 ――それにしても。


「ひな祭りなのに姿のは、ちょっと寂しいですね」


 お酒の勢いも手伝ってポツリとこぼしてしまった言葉に、村の人々の箸が止まる

 この村には子どもがいない。正真正銘、一人もいないのだ。


「――ええ。寂しいは寂しいですけど、

「……えっ?」


 にっこりと、いつもの笑顔を浮かべながら中山田さんの言葉に、思わず怪訝な表情を返してしまう。

 ――と。


(あ、あれ……?)


 不意に強烈な眠気が襲ってきた。美味しいからと、お酒を呑み過ぎてしまったのかもしれない。

 見れば、傍らの匡史は既に卓上につっぷして穏やかな寝息を立てている。

 ――何か、おかしい。


 けれども、考える間もなく私の意識は深い闇へと落ちていった。


   ***


『いやあ、今年も無事に終わった。良かった良かった』

『生き雛を引き受けてもらえないかと、ヒヤヒヤしましたよ』


 ――声が聞こえた。

 ここはどこだろう? 確か、生き雛になって宴会をしている最中に眠くなって……。


『おお、お雛様が目覚めたみたいですよ』

『無事に魂が定着したみたいですね。では、本番を始めましょうか』


 ――視界が開ける。

 私は、壁際から食堂の中を眺めていた。やけに視線が低いのは、気のせいだろうか?


『まずはモツからですね。――うん、これは絶品だ。都会育ちは青臭さが無くていい』

『ほらほら、レバ刺しもこんなにツヤツヤ。若いっていいわねぇ』


 どうやら、村の人達が宴会の続きをしているらしい。

 先程までとは打って変わって、肉料理中心なのだろうか?


『うんうん、お肉も美味しいね。絶妙にサシが入ってて。中山田さんが一生懸命に育てたお陰だね』

『骨と筋からは、丁寧に出汁をとってますからね。後のお楽しみです』


 村人達が美味しそうに肉料理を平らげていく。

 けれども、何故だろうか。私にはそれらの料理が、全く美味しそうに思えなかった。


『さあ、本日のメインディッシュですよ! じゃ~ん! ハツのステーキと脳みそのコロッケです!』

『わあ、おいしそう!』

『ああ、こらこら。駄目ですよ? これは中山田さんご夫妻だけの特別メニューなんですから』

『そうですよ~。中山田さんったら、他の人に順番譲ってばっかりで、あんなにお年を召されてしまったんですから。もう、寿命が先に来たらどうするつもりだったんですか?』


 メインディッシュの皿が、中山田夫妻の前へと運ばれていく。

 七十代後半の二人には、ステーキとコロッケは重いんじゃなかろうか? なんて余計な心配をしてしまう。

 けれども――。


『うん! これは絶品!』

『はぁ~、若さが漲っていくわぁ~』


 箸を進める二人の姿に、私は瞠目した。

 白髪しかなかった二人の頭が、瞬く間に黒々していったのだ。

 そればかりではない。皺だらけだった顔も手も艶を取り戻し、瑞々しさを備えていく。


 しかも、二人のその顔は――。


(ええっ!? わ、私と匡史?)


 そう。いつしか中山田夫妻の姿形は、私と匡史と瓜二つに変化していた。

 二人がすっかり料理を平らげると、そこにはもう、本人にさえ見分けがつかない私達の写し身が現れていた。


『ふむ……久々の若い身体は最高だな! 今夜はハッスルするか、ばあさん!』

『まあ、嫌ですよ。それに私はもう、ばあさんではなく咲羽ですから。ねぇ? 匡史さん』

『おお、そうだったそうだった。中山田夫妻は近日中に大往生するんだったな。どうやらまだ、記憶の継承が上手くいっていないらしい』


 ――一体何が起こっているのだろうか?

 私が見ている前で、中山田夫妻が私達夫妻に変身してしまった。

 しかも、「記憶の継承」だとか、訳の分からないことまで言っている。


 「今すぐ問い質さなければ」と思っても、何故か体はピクリとも動かない。

 先ほどから、瞬きの一つも出来やしないのだ。体の感覚は、確かにあるのに。

 ――と。


『ご覧ください、お雛様。無事に若返ることが出来ました。これもお二人のお陰です。どうかそこで、私達が無事に匡史と咲羽になれるよう、見守っていてくださいね?』


 私の顔をした中山田のおばあちゃんが、私の方を見ながら、そんな訳の分からないこと言った。





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