もう少しお願いします

はねくじら

もう少しお願いします

 オフィス内に満ちる話し声や呼出音。

 そんな中、花川はなかわはるは、緊張した面持ちで、主任席に座る相澤あいざわ糸生しきの前に立っていた。

 朝礼後に突然呼ばれ、彼の席まで向かったのだが、二十五歳を迎えた春に入社して半年、このようなことは初めてだった。――相澤は、研究開発課に所属する心春の上司であるが、心春自身は普段、先輩社員から業務を任されているからだ。

 ――嫌な想像が脳裏をよぎる。まさか、何か重大なミスを……?

 相澤の表情を盗み見る。……いつも通りの無表情で、何を考えているかわからない。彼は机の引き出しを開け、何やら物色している。

(𠮟られるんじゃなくて、できれば褒められたいなあ……)

 心春にとって、彼は憧れの人だ。

 社員の間では「高身長でイケメンな二十八歳。将来有望。でも怖いから観賞用」と言われている。実際、黒髪をオールバックにして銀縁眼鏡を掛け、スーツを着こなしている姿や、ロボットとAIの研究開発における目覚しい活躍ぶりは、まさに出来る男。けれども、仕事に厳しいため、大勢の社員から怖がられている。

 だが、それは仕事へ真摯に向き合っている証で、だからこそ、彼が開発する物はどれもクオリティが高いのだと思う。それに、相澤が理不尽に他者を責める場面を、心春は見たことがない。

 そんなことを考えていると、相澤から白兎のロボットが差し出された。手のひらサイズで、顔の位置に液晶がある。気付けば、卓上にも同型の黒兎がいた。

 白兎ロボを受取る。お叱りの呼び出しじゃなかったことは良かったが……、

「あの、これは……?」

「開発中のAI業務補助ロボットだ。働く人の癒しにもなるよう、ちょっとした触れ合いも可能となっている。今は兎型のみだが、他の動物モデルも検討中だ」

 相澤の低く、心地よい声が耳に届く――と共に、彼の手が卓上の黒兎ロボに伸びる。

 ――目の前の光景に、思わず目を見開く。

 相澤が、頭を撫でている。

 それに反応した黒兎ロボは、表情が笑顔になり、耳の先端がピコピコと黄色く光っている。

 相澤に撫でてもらえるなんて――、

「い、いいな~~」

(あ)

 しまった。声に出た。

 相澤がこちらを見る。

(どどどうしよう、誤魔化ごまかさないと! どうやって⁉)

 焦れば焦るほど言葉が出てこない。どうすれば――、

「一週間使ってみてくれ。開発に関わっていない者のフラットな意見が欲しい」

 ……先程の発言は流れたようだ。よかった。そして、この相澤の発言はつまり、

(主任から直接貰う、初仕事!)

 彼が納得する成果を出せば、お褒めの言葉を貰えるかもしれない。

(次の機会があるかわからない。頑張らないと)

 心春は心の中で奮起しつつ、でも、表には出さないよう注意しながら、しっかりと返事をした。


「ありがとう~」

 と、心春はオフィスの自席で白兎ロボを撫でまわす。耳の先端を黄色く光らせて笑う姿は愛らしい。

 三日前、仕事を引き受けた後、早速PCと連携して業務補助機能を使ってみた。――仕事が超快適になった。加えて、癒しの供給。撫でると反応してくれるため、つい構ってしまう。……早く実用化されてほしい、切実に。

 ふと、先日の光景――相澤が黒兎ロボを撫でる姿を思い出す。

「はあ~。私も相澤主任にナデナデされたいよ~」

 我慢できず、羨望を吐き出す。

 白兎ロボの黄色く光る耳に、一瞬、オレンジ色の光が混ざった気がした。が、それについては後で考えるとして。

 想像する。

 彼の大きな掌(てのひら)が頭の上に乗り、優しく撫でる。そして、ほんの少し笑顔を見せてくれて――。

「最高っ! 褒め言葉もいいけど、こっちの方がよりいい~~」

 熱くなった頬を手で覆う。

「……無理って分かってるけど、ご褒美として相澤主任からのナデナデが欲しい~。欲しいよ~」

 ……分かっている。これは実現することのない悲しき妄想だ。

 気分を切り替えるため、軽く首を横に振る。

「何にせよ、この仕事をしっかり頑張ってやりきるしかない!」

 心春は両手をぎゅっと握り締め、気合を入れ直した。


 誰も居ない休憩室のカウンター席で、缶コーヒーを飲む。

 今日は土曜日。心春は持ち回りの出社日だが、多くの社員は休日だ。

 相澤から頼まれた仕事は昨日完了した。残念ながら褒められることはなかったが、厳しい言葉もなかった。恐らく、及第点ということだろう。

(次はいつ仕事貰えるかなあ。また貰いたいなあ……)

「――今、時間は空いているか?」

 声に驚き、急いで顔を向ける。そこには、相澤が立っていた。

(あ、相澤主任⁉ いつの間に! いやそれより、実はなんかやらかしてた⁉)

 脳内はパニックだが、とりあえず頷き、慌てて立ち上がる。見上げた先の相澤は、いつもの無表情だ。

 不安で胸が苦しい。何を言われるのだろうか。

 すると突然、相澤が心春の頭へ手を伸ばし――ゆっくり、優しく撫で始めた。

 ……何が起こっている? この状況は、何?

「ん? 違ったか?」

 違ったか、とは。一体何のこと――、

「褒美が欲しいと言っていただろう?」

 …………え?

 相澤は、じっとこちらを見ている。

(……いや、待って)

 気付きたくないことに、気付いてしまった。顔がじわじわ熱を持っていく。

「ふむ。一度だけ、ロボットがこちらへ勝手に音声を繋げたことがあってな。すぐに修正はしたんだが――」

 耐えきれず、顔を手で覆う。喜びと羞恥が入り混じる。

「……止めるか?」

 止めるか? そんなの、答えは決まっている。

「もう少しお願いします」

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