華宵の闇
小野塚
瞑闇の春や芳し御霊燈
宵闇に紛れて、庭の何処からか
梅や
香りに 心当り はないが、それでも
広い庭の何処からか夜風に載って
流れて来るから、きっとこの庭の花の
明治時代からこの場所に居を構える
祖父母の屋敷の庭は広くて、よく
庭師を入れていた。手入れの甲斐も
あって、剪定された見事な枝振りの
松や梅、
白木蓮、花桃、
いつも何かしらの花が咲いていた。
特に春先には多くの花々が、色や
香りを競う様に咲き誇る。
とても素敵な庭だけど、怖い場所も
あって。決して近づいてはいけないと
日頃から厳しく言い含められていた。
広い敷地の中には家屋敷の他にも
茶室や
眺める為に造られた四阿は、牛の様な
声で鳴く お化け蛙 がいるから
決して一人で近づいてはいけない。
そして、もう一箇所
屋敷の裏の、竹藪の入り口にある
薄暗い上に、
繋がっていて、言いつけを守らないと
祠の神様が怒って恐ろしい罰を下す。
だから、絶対に近寄ってはいけない。
それは、取り分け厳しく祖父から
言い付けられていた。
只、祖父だけは仏間に
眠っている。
おじいちゃまは、おかげんが
わるいから、おとなしくして。
母から、いつになく厳しい表情で
言い含められて、内心つまらないと
思い
祖父には
いたのだ。大抵は応接間でお客様と
仕事の話をしていたけれど、ひと段落
付けば必ず遊んでくれた。木々や
花々、そして庭に遊ぶ鳥たちの名前。
それらは皆、祖父が教えてくれた。
広い庭は祖父の自慢であり、
場でもあったのだろう。
何の花なのか。
もう既に薄闇に呑まれ始めた庭の
何処からか、嗅いだ事のない甘く
麗しい花の香が漂って来る。
丸い襟だけ白い、
母が私に着せてくれた。でも、身支度が
整うや、直ぐにお客様をお迎えする
準備に加わってしまった。
ワンピースは、以来一度も袖を通した
記憶はない。襟の縁がレースになって
いたから好きだったのに。
宵闇に、花の色が。
茫と浮き出て見えるのは、
祖父が用意してくれた 子供用の
突っかけ を履いて、私は庭に出た。
辺りは既に薄暗く、花の香が一層
濃くなって行くのを感じる。
ザザッ ザッ ザッ ザッ ザ
不規則な揺れが、酷く心地悪い。
玉砂利の上を走っているのだろう。
背中は大きくて温かかったけれども
冷たい夜風が髪を翻弄する。ゾクリと
する様な 所在なさ が、夕闇に
更に濃い翳りを
不思議と、不安は少しもなかった。
それどころか私は誰かの背中の上で
ザッザッ ザッ ザッ ザザッ
《…一体、どうして…ッ?!何故
こんな事に…!!》
《…嗚呼あッ…私のせいでッ!!
私がきちんと見ていれば…!》
《お前のせいじゃない。大丈夫だ。
必ず、何とかする。》
《お義父様ッ…!私が行きます!》
《いや、父さん。俺が一緒に行く!
俺が背負おう。これは俺の…。》
《…いや駄目だ。帰りには、お前が
迎えに立つんだ…提灯を忘れるなよ。
……頼んだぞ。》
《父さん……ッ!》
ザッ ザッザッ ザッ ザッ
とても退屈だった。母が折角着せて
くれた お気に入りのワンピース も
誰も見てはくれない。皆んな屋敷の
中で忙しそうにしているばかり。
私は、誰の目にも映らない。
だから、夕闇に呑み込まれ始める
庭に出た。何処からか漂ってくる
見ず知らずの花の香に誘われて。
池の方から お化け蛙 の低く鳴く
声が聞こえる。それに呼応する様に
いや、あれは
死人の國から夜になると飛来する。
昔、屋敷の屋根の上で鳴かれて病気に
なった人がいるとか。それを、弓矢の
得意な家来が撃ち落としたのだ。
来る。矢張りあの 祠 の向こうへは
行ってはならないのだろう。
に じゅ う し
一層に濃く漂う、花の香。
目の前には 竹藪 があった。
竹で出来た柵の向こう側には、暗い
竹藪の奥へと細い道が続いている。
鵺の鳴く聲、そして孟宗竹の葉擦れ。
確かに私は 声 を聞いた。
ソレ は着物を着て、手には提灯を
持っていた。玄関の両側に
同じ漢字が
照らす顔は 白い布切 で覆っている。
只、一文字だけ。
忌 と。
擱筆
華宵の闇 小野塚 @tmum28
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