私のキャベツ~Mon chou~

時輪めぐる

私のキャベツ~Mon chou~

 十二月の或る夜更け、懐中電灯の光に浮かんだのは、茶髪ロン毛のトシヤの顔。三日前に別れた元カレだった。アパート一階のベランダに、前の道路から入ったようだ。

「あんた、何してんの? 警察呼ぶよ。ストーカーなの?」

「ちげーよ」

「じゃあ、何?」

「腹が」

「腹がどうした?」

「月給日前で金欠なんだわ。腹が減って、サオリっちのベランダでキャベツを育てているのを思い出して」

「キャベツ泥棒ってこと?」 

「そうともいう」

「浮気して追い出されて、お腹空いて、元カノの栽培しているキャベツを盗もうとした? 最悪だね」

「浮気って言うけど、ちょっとだけじゃん」

「ああん?」

「うるせぇぞー! 何時だと思ってんだ!」

 隣の部屋から怒鳴られる。

「取敢えず、靴脱いで中へ」

「入れてくれんの? サンキュー」

「入れたくないが、仕方ない」

 ベランダの物音に気付いたのは、深夜零時だった。

「変な気起こすなよ」

「腹が減って力が出ない。もう三日も飯食ってない」

「あの彼女はご飯くれないの?」

「だから、あの子は彼女じゃないって言ってんの」

 トシヤのお腹はぐうぐう鳴っている。

「仕方ないなぁ。これっきりだからね」

 私は、買い置きのカップ麺に、お湯を注ぐ。

「やっぱサオリ、優しいな。これ俺の好きな奴じゃん」

 当たり前だ。あんたの為にストックしてあったのだから。


 知らない女とキスしているのを見てしまったのが三日前。トシヤが『ちょっと間違う』のは今回が初めてではない。もう何度も、ギリギリと歯噛みし、『ならぬ堪忍するが堪忍』の精神で乗り越えてきた。が、遂に私の堪忍袋の緒が切れて、半同棲のように暮らしていた部屋から追い出した。


「今までよく我慢して来たね」と昨夜電話で親友のナナは言った。

「だって、何だか放って置けないんだよ」

「アホの子程、可愛いって言うしね」

「それを言うなら、馬鹿な子でしょ」

「まぁ、どっちにしてもダメな子でしょう」

「……まぁね」

 自分でもそう思うが、他人にトシヤのことを言われるのは、何だかしゃくな気がした。。


「うまぁい! 体が温まる」

 トシヤは、満面の笑顔でカップ麺を平らげた。

「食べたら出て行ってよね」

「わぁってるよ。これ、くれんの? サオリ、大好き!」

 手渡した紙袋の中を覗いて無邪気な顔で言う。カップ麵とベランダのキャベツを一個入れてやった。給料日までは食い繋げるだろう。

 


 数日が過ぎた。トシヤは、あれから姿を見せない。彼の給料日が昨日だから、もう食べるには困らないだろう。連絡先は、別れた時に消したし、着信拒否にしたから、連絡は取れない。さっさと、忘れよう。あんな奴。お腹が空いた時にしか、私を思い出さない奴なんて。アイツは、良いよね。私という帰る処があるのだから、まぁ、もう無いけど。


 私には帰る処が無い。しっかり者と思われているし、故郷の父親に心配掛けたくない。ナナにも、そうそう愚痴れない。だから、今日みたいに会社で嫌な事があっても、一人で耐える。

大丈夫、大丈夫。最寄り駅で電車を降り、途中のコンビニで、お酒とつまみを買ったから。


 あれっ、私、泣いている? 後から後から、涙が溢れて、前がよく見えないよ。もうすぐアパートの私の部屋。ドアの前に大きな塊がある。何だろう。通販で、何か頼んだっけ? あ、立ち上がった。近付いて行くにつれて、それはトシヤだと分かった。

「よっ! おかえり! この間は、ありが……。サオリ、泣いてる? どうしたんだよ」

「……あんたに関係ない。何の用?」

 私は、掌で涙を拭った。

「関係なくない。……今日さ、お前の誕生日だろ。だからさ、俺」

 トシヤは、カバンから小さな包みを取り出した。

「今まで、ごめんな。俺には、お前しかいない。お誕生日、おめでとう! こんな、俺だけど、結婚してください!」

 両手に持った小さな包みを差し出し、頭を深く下げる。

「……へっ」

 変な声が出てしまう。

「うるせぇぞー! いいぞ、もっとやれっ!」

 隣の部屋のドアがバタン! と閉まる。細く開いていたらしい。

「……と、取り敢えず、部屋に入ろうか」

「いいの? ありがとう」

 トシヤは、玄関でドアを背にして言った。

「俺の帰る処は、サオリしかない。いい加減で駄目な俺だけど、本気なんだ」

 小さな包みを差し出す目は真剣だ。

「……もう、しない?」

「はい」

「私だけを愛せる?」

 トシヤは黙って深く頷いた。

 私は涙でぐちゃぐちゃになった顔で、小さな包みを受け取った。

 ナナの『チョロいな』という声が聴こえた気がしたけれど、私の帰る処は、ずっとトシヤだったことに気付いていた。

「開けていい?」

「開けて! 開けて!」

 私は、リボン付きの綺麗にラッピングされた包みを開けた。

「いちご大福?」

 個包装のプラケースに入っている。

「お前、大好物じゃん」

「ちょっまっ、この状況で小さな包みといったら指輪でしょ」

「俺がもう少し稼げるようになるまで、指輪は待って」

「もう、トシヤなんだから」

 私は泣き笑いの顔でトシヤに抱き付いた。

 




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