蝶々。鳥。カブトムシ。【葬華】

武藤勇城

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蝶々。鳥。カブトムシ。

 富山県富山市の東のはずれ。川のほとりにある米作農家の娘として生まれた。自然好きなパパの影響で、川遊びも、海遊びも、山遊びも、知らない遊びはないと自負している。水泳が得意で賞を取ったことも。釣りはザリガニからタイまで何でも。カヌーやヨットの操船も、サーフィンも。山歩きで食べられる山菜、キノコと有毒な物も学び、キャンプの食材にしたことも。綺麗な草華を集めて、栞や押し華にしたことも。バードウォッチングをして、トリの小箱を作ったことも。昆虫採集では大人気のカブトムシも、クワガタも、蜻蛉トンボ、蝶々、蝉、飛蝗バッタ、鈴虫、蜘蛛、水爬虫タガメも。たくさんの標本作りの手伝いもした。いつもパパの後ろを付いて回った。


 ママの記憶はほとんどない。淡い面影しか思い出せない。死亡したのか、離婚したのか、失踪したのか、それさえ分からない。パパはママの話をしたがらない。だから何も聞かないし、興味もない。他に身寄りはない。パパさえいてくれれば、パパの後ろを付いて歩ければ、それだけで幸せだった。


 中学三年生の冬。大好きなパパは友人と船出。遭難――


 遺体は未発見のまま、消息不明になった。信じたくなかった。信じられなかった。独りぼっちの居間は、とっても寒かった。学校に行く気力もなかった。先生が心配して連絡をしてきたけど、そのうち面倒になって出なくなった。スマホを開いても充電切れで、何日経ったのかも分からなかった。勉強だとか進路だとか葬儀だとか、何もかもがどうでも良くなった。


 最初はお腹が空いて、米櫃こめびつからパパが作った精米したての白米と冷蔵庫の中の物、買い置きのお菓子、カップ麺を食べて暮らしていたけど、食欲が湧かず。だから学校どころか、買い物のための外出も、家のことも何一つせず。ずっと同じ服を着てお風呂にも入らず。布団に包まったまま寝て過ごした。


 いつチャイムが鳴るだろうか。いつ玄関のドアが開くだろうか。いつパパは帰ってくるだろうか――


 何も口にしないでいると、トイレに行く必要すらなくなる。何日経ったのか分からないまま、久しぶりに家の中を歩き、鏡を見ると、見ず知らずの人が映っていた。ボサボサの髪。青白い顔。痩せこけた頬。死んだ目。それが私だと気付くまで、数分の時が必要だった。

「パパは死んだ。パパは、死んじゃったんだ――」

 玄関には山のような郵便物。新聞、手紙、ポスティングチラシ、各種支払いの請求書。一番上の新聞の日付を見ると、あの日から二ヶ月。

「二度とパパは帰って来ないんだ――」

 直面した現実。見たくなかった現実。知りたくなかった現実。


 起き上がると眩暈がする。栄養失調の身体。冷え切った心。でも行かなくちゃ。確か葬儀って制服でも良かったよね。中学校のセーラー服に着替え、パパの大好きだった紫色の華の栞と、昆虫標本を胸に抱き家を出る。川の向こう、山の上、沢の奥。昔、よくパパと通った道。深い雪に覆われていても迷いはしない。ただでさえ人を寄せ付けない道なき山奥。衰えた体には厳しすぎる雪山。セーラー服一枚で登ろうなんて、誰が考えるだろう。

「確か、ここだったはず」

 目的の場所に到着した。もう歩く気力もない。このまま雪に埋もれて眠ったら、どれだけ楽だろう。でもまだ寝るわけにはいかない。素手で雪を掘る。歩き通しで体は少し温まったけど、冷たい雪を掘ると手が真っ赤になり、全身に震えがくる。ガクガクと膝が笑う。既に体中の感覚がなく、冷たいとも寒いとも思わないのに、体が言うことを聞いてくれない。もう少し。あと少しだけ。最期まで動いて!


 雪の下から黒茶色の土が見えた。力を振り絞る。

「この下なの! この下にあるの!」

 気が付くと爪が割れて、指先が血だらけになっている。構うもんか。アレを見付けるまで、諦めるわけにいかない!

「あったよ、パパ――」

 土の中から掘り出した、泥だらけの華の根。膨らんだ根菜か球根のような形。夏になれば芽を出し、太陽に向かって長く首を伸ばし、淡い薄紫色の綺麗な華をつける。それはトリカブトという名前の、パパが大好きだった華。仰向けに寝っ転がって手足を伸ばす。もう体が動かない。掘った雪が壁となり、その向こう側、雲間に綺麗な青空が見える。指先から滴る血液が雪上に赤い華を咲かす。その指先が何かに触れる。パパと一緒に作った思い出の昆虫標本。たくさんの蝶々が私の周りを飛び回る。


 虫網片手に蝶々を追いかける。エイッ、と振り回すと、バカにしたようにヒラリと舞い、網を交わして飛び去る。半べそをかいていると、パパは華に止まった蝶々を、いとも容易く指先でつまみ上げ、私の目の前に差し出して微笑む。

「こうやって羽のところを持ってごらん。優しくだよ――」


 楽しかったなあ。何だか心がとっても温かいよ。パパ。もうすぐ行くよ。また一緒に蝶々を捕まえようね。カラフルな押し華もいっぱい作ろうね――ガリッと猛毒の根を噛むと、口の中いっぱいに苦い土の味が広がった。

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蝶々。鳥。カブトムシ。【葬華】 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro

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