第5話  出会い

 その日も、自分は一人で剣を振っていた。


 勲歌は『海渡りメロローパの勲』。思い描くは風管戦争の大英雄、鉄槌のガゼンナタス。大地の怒りそのものと言われた巨漢が、今、自分の目の前にいるのだと考える。


 踏み込む。鎧姿の巨漢は雲つく高さとの記述もあるが、住居のひさしに頭がつかえる描写から一般的な成年男性よりも頭二つ分ほど高い姿を想定。体の厚さは複数の描写からおそらく普通人の三倍以上。深い懐を存分に使い、迂闊に間合いに踏み込んだ獲物に豪打を叩き込む。


 ぎりぎりで身を躱す。破壊の化身のような鋼の塊にさらに肉迫する。岩すら砕く両手持ちの重鉄槌は、受けの一手を許さない。怖気をふるえば死ぬ。後ろに下がったところで追い詰められ、頭を叩き潰されるまでの時間を先延ばしにすることにしかならない。死の暴風の内側にしか活路はない。鎧の隙間に剣を突き入れるべく、さらに前へ───。



 勲歌から古代の騎士の姿を夢想し、仮想のそれといかに戦うべきかを考え検証するというのが、そのころの自分のお決まりの遊びであり訓練だった。


 漫然と剣を振っても身に付く物はなく、なにより面白くない。なので様々な勲歌にて語られる神話の英雄たちの戦いを自分なりに検証し、その戦法を理解することを試みる。時には英雄になりきるように彼らの技を修練し、時には逆に英雄の技を破るための戦形を自分なりに考察する。


 まともな剣術の指南を受けたことさえない素人の、生兵法の上に生兵法を重ねるような稽古ではあったが、当時の自分には他にやりようがなかった。そもそも一人しかいないのだから、何をどうやっても想像の相手と戦う他ない。


 なので、練習相手の存在が欲しくなかったといえば噓になる。


「ねえねえ、いっしょにやろうよ」


 想像上の鉄槌に五回ほど叩き潰され、煮詰まっていた所に声をかけられた。


 相手が誰かはもうわかっていた。ここ数日、自分の稽古を見に来ていたちびのガキだ。


 最初はこちらを恐れるように遠巻きに眺めていただけだったのだが、そのうち少しづつ動きが大胆になり、距離もどんどん近づいて来た。最終的にすぐ近くに座り込んでこちらを観察しつつ、それはなにかとか、なにをしてるのだのとあれこれ声を掛けられるようになった。


 もとより人当たりが良いとは言えない自分としては、だいぶうるさく感じるようになっている。


 そろそろ殴って追い払おうか。などと考えていたところにかけられた意外な言葉に、思わず剣を下ろして振り返ってしまう。


「……一緒にって、剣をか?」


 木剣を示して見せると、背の低い少年は勢い込んで頷いた。妙に嬉しそうなのは、普段ろくに返事もしない自分がまともな反応を返したからか、笑顔になると前歯が一本欠けているのがわかる。「馬鹿面」チルテバクという英雄の勲歌を思い出しながら、疑問を口に乗せた。


「剣術がしたいなら、川向こうでやってるのに混ざればいいだろ」


「入れてもらえないもん」


 兄と村の子供たちのやっている遊びに混ぜてもらえと言ってみたのだが、答えは簡潔だった。


 まあそうかと思う。目の前のちびは、数年前に父親と二人で村に移住してきた新参だった。


 嫁や余所の村で養いきれない子供が養子として貰われてくることはあっても、一家がそろって村に移住してくることなどほとんどない。排外的で疑り深い村長が受け入れたのだから、逃亡農奴や犯罪者の類ではあるまいが、では自由身分の人間がなぜこんな田舎に越してくるのだという疑問は残る。


 ちびの父親は無口な男で、ふらりと村にやって来るや、村の大工(兼農家というかそちらが本業だが)に小さな小屋を建てさせ、そのまま居着いてしまった。賦担の類はきちんとしているようだったし、礼物をけちるような人間でもなかったが、いかにも訳ありの余所者というだけでも、山奥の寒村という閉鎖的な環境ではそれとなく避けられるのには十分な理由になった。


 受け入れられたというより、今のところ追い出す理由がない、といったほうが正確だったかもしれない。


 父親からしてそんな調子だったから、その息子であるこのちびも兄をはじめとした村の子供たちの遊びには混ぜてもらえなかったのだろう。それで仕方なく、一人だけ離れた場所で剣を振り回す変な子供であるところの自分に近づいてきたという訳だった。


「お前、剣は?」


「持ってない。勝手に拾っちゃだめだって言われて……」


「…………ついてこい」


 少年を伴って薪拾いの森に入り、適当な枝を見繕ってやる。


 薪の一本ですら村の財産なのだから勝手に拾うことは許さないとか、いかにもあの兄の言いそうなことだった。閉鎖的な村の空気にうんざりと顔をしかめながら、細かい枝を落としたそれを相手のほうに差し出す。


 ちびがうれしそうに即席の木剣を受け取るも、それだけでふらふらと足元がよろけた。たしか同い年くらいだと思ったが、ずいぶんと痩せて背も小さい。


「あ、ありがとう。大事にするよ!」


「…………」


 自分は小さくため息をついた。一人きりでの修練に不安がないではなかったし、練習相手が欲しいという思いはあったが、これではとても期待できそうにないと思ってしまったのだった。

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剣(つるぎ)バカ一代 ~剣術狂いの成り上がり~ きび @kibi-1dTUfAn6I

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