エピローグ「秘密結社で待っていろ」
ep.23 秘密結社で待っていろ
月日は流れ――、翌年の春先。
日本各地で晴々しく桜が咲くなか、錬金術師の一人娘はもの寂しい海辺の療養所でひっそりと暮らしていた。
彼女の目はいつも虚ろ。小柄な身体をベッドの上にぐったりさせて、青空に飛ぶ鴉をサナトリウムの窓から毎日眺めている。
その日も彼女は布団に寝転がったまま、窓の向こうをぼんやりと見つめていた。
「……」
視線の先には――、連れ立って崖の上を飛ぶ海鳥たち。
あるとき空を旋回する彼らの群れを突っ切って、ひとつの鳥影が療養所に近づいてくる。薄く彼女が目を凝らすと――、鴉だった。
『カァ』
まっすぐ飛来してきた鴉は翼を広げて軒先へ着地する。そして室内を覗いてパジャマ姿のくたびれた娘を見つけ、窓をその嘴でノックするのである。
「……何?」
おもむろに身体を起こし、ベッドから素足を降ろして窓際まで歩いていく女子高生。窓の前で彼女は目を丸くした。鴉の羽毛はなんと漆黒の粘土で出来ていたのだ。
――作り物の鴉は窓の桟へと飛び乗り、生気のない娘に向かって深く首を垂れた。
『カァ』
乱れ髪の娘をガラス越しに見つめる青い瞳――。
女子高生はこの鴉が自身の同胞であることをすぐ察した。窓だけ開けてやると、どこか冷めた表情になってベッドサイドへと戻っていく。
「……誰のお使いでこんなところまで」
粘土の鴉はその場でぷるりと身を震わせたのち、ぴょこぴょこと彼女を追ってベッドサイドの丸テーブルに飛び移った。そして片足を上げてみせる。――粘土の足には小さな筒状の容器が紐で括り付けられていた。
「それを届けに来たの?」
『カァ』
彼女が筒の中から小さく巻かれた紙切れを取り出すと、鴉はまた窓の方へと飛び渡っていく。そして窓の桟から律儀にベッドの上を見守り始めるのである。白い布団に腰を下ろしたまま、女子高生はため息混じりに紙の折り目へ爪を立てる。
――そして紙切れを広げた瞬間、彼女は濁った目を見開いた。
紙切れに垣間見えた異国の文字――。それは遠く離れた異国の銀行で振り出された小切手だったのだ。裏返すと筆記体で小さくメモが記されていた。
『私のために生きる君に、私のための新たな使命をここに記す』
気がつけば手が小刻みに震えていた。紙幣大の紙切れにいくつもの皺ができる。彼女はすぐさま窓際へ視線を移したが、鴉の姿はもうそこになかった。
見やれば大空に飛翔する鳥の影がひとつ――。彼女は黒髪を揺らして鴉の後ろ姿へ視線を据えた。
「『……人らしく生きろ』」
薄汚い鴉はたちまち白銀の渡鳥に姿を変え、無限に続く春空を悠々と滑空していく。作り物の分際で、どうしてああも神々しい輝きを放てるのか――。
「私は人らしく生きられるのかな、先生」
そう独り言を呟いて、名もなきゴーレムはベッドに座ったまま口をつぐむ。
それからというもの、彼女は地平線の彼方に消えていく鳥影を淡色の表情で眺めるばかりであった。いつまでも、いつまでも――。
秘密結社で待っていろ ウルカモモチベ @ulka_momotive
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