掃除婦の独白
リス(lys)
掃除婦の独白
この屋敷で働き出して、もう1年ほどになる。
私は週に5日ほど、ここで掃除婦として働いている。家が貧しく、学校に通うことは諦めた。そしてまだ幼い兄弟を育てなければいけない家計を助けるため、ここで働くことを決めた。募集の広告に出ていたお給料も良かった。面接のために初めて顔を合わせた
この屋敷には主様のほか、住み込みの使用人のエリナさんと、私のように通いで勤める料理婦の女性、それから庭師の中年の男性がいた。みんな、だいぶ年下の私を可愛がってくれて、もともと掃除も好きだった私にとって、ここでの仕事は楽しかった。
ある日のこと。新しく執事として働くことになったと、ひとりの男性を紹介された。
「こちら、住み込みで執事をしてもらうことになったカミロです。……あの、そんなに怖がらなくて大丈夫、別にあなたに危害を加えたりしないから……」
主様にそう紹介されたけど、正直言って私は最初、カミロさんが怖かった。
まず、私は男性に慣れていない。身の回りにいる男性といえば、背の低い父親、幼い兄弟、それから庭師の中年の男性ぐらいだ。学校に通えなかった私は、同年代の男の子とすら関わりがなかった。
カミロさんは、背が高い。それに、なんていうか……威圧感がある。体は細く見えるのに。多分、彼の放つどことなく高貴な雰囲気や、どこか鋭い目つきがそう感じさせていたんだと思う。顔はものすごく端正で、綺麗なブルーグレーの目をしているから、尚更。
主様に紹介されたカミロさんは、無表情のままこちらをチラリと見ると、直ぐに目を逸らして頭を下げた。……顔に怪我をしている。喧嘩でもして殴られたような。どういう経緯でここで勤めるようになったのかは、
私がカミロさんに慣れるまでには、少し時間がかかった。
彼はものすごく、静かだ。庭師の中年男性も結構無口な方だけど、カミロさんは無口でもあるし、とにかく生活音がない……まるで幽霊みたいに。歩く音もしないため、いつの間にか近くにいて、驚いて悲鳴をあげたことが何度かある。そして私の悲鳴に驚いたように肩をビクリと震わせた彼が、気まずそうに立ち去る後ろ姿をみて、申し訳無い気持ちになった。
なぜ、ここまで静かなのか、ただの性格という言葉で片付けるには、ちょっと異常なくらい、……自分の存在を、隠したがっているのでは、とさえ思える。
でも、だんだんと、彼はただ人との接し方に慣れていないだけで、本当は優しい人なんじゃないかと気付き始めた。
彼が静かなのは相変わらずだけど、あえて咳払いをして存在をアピールしたり、私の死角から現れないようにしてくれていると感じることが増えた。
それに、鋭かった目つきも日を追うごとに柔らかくなっていったし、庭師の男性ともなんとなくコミュニケーションをとれているようだった。……お互いに言葉少なだけど、なにか通じ合うものがあったんだろうか。
それから、主様とカミロさんの関係。主様を見るカミロさんの眼差しは、私たちに向けられるものと比べて、明らかに、優しい。あれは、愛しいとか、守りたいとか、そういう類の眼差しだ。ラブストーリーが大好きな私には分かる!
主様が大きな怪我をしたことがあった。しばらく療養生活となり、一日のほとんどを寝台で過ごしていた。あるとき、主様の書棚の前に立ち、なにごとか考え込むカミロさんを見かけた。普段の彼は決断に迷いがないから、何にそんなに悩んでいるのか興味があった。こっそりと彼の様子を窺う。ブツブツと、「なぜ敢えてホラーを」とか「精神に良いはずがない」と呟いている。
主様は大好きなホラー小説を所望してるけど、カミロさんは療養中にはあまり良くないと思っているみたい。……そこまで悩むことかな? 彼がいつまでも書棚の前から動かないので、私は静かにその場を去った。後から主様のお部屋にお見舞いに顔を出すと、寝台の上で体を起こし、凄く怖そうな表紙の本を楽しそうに読んでいたので思わず笑ってしまった。
それから数カ月後。カミロさんは突然屋敷から居なくなった。主様は、彼は事情があって辞めた、とだけおっしゃった。でも何日か前から、なんとなく……具合が悪そうというか、なにか、悩み? 焦り? そういう隠しきれない雰囲気が感じられていたから、ほかの使用人たちとも、体を壊したのかも、と納得しあった。
その後主様が私のところへ来て、彼の部屋には入らずに、掃除もしなくていいから、とおっしゃった。
……ああ、主様。やっぱり、彼のことを……。お二人が信頼しあっていたのは傍から見ていてよくわかったし、きっと彼のことを諦めきれないのかも。ラブロマンスに詳しい私には分かる! 私が、そのお気持ちとってもよく分かりますよ、という思いを込めて頷いたら、主様は困った顔で何も言わずに微笑んでいたけど……多分照れ隠しなのかも。
カミロさんがどこから来て、どうしてこの屋敷に住むようになったのか、初めの頃はなぜあんなに警戒心や威圧感を発していたのか。
……いつも必ず革手袋を嵌めていたのは何故か。少なくとも、私たち通いの使用人がいる時間帯には、ただの一度も、革手袋を外したことはなかった。誰も見ていないような時でさえ、絶対に。
それから、本当にもう、ここには戻らないのか。
たくさんの疑問を胸に秘めたまま、屋敷での日常は続く。
初めから、カミロという人物が、存在しなかったかのように。
掃除婦の独白 リス(lys) @20250214lys
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