森の小道

 爽やかな風が木々の間を吹き抜けていく。木々の葉はカサカサとなり、少し赤や黄に色づいているものも見えた。先生はいつもの出がけの時と同じように、淡い深緑の羽織りを着て、杖をついている。

 クラムはいつものワンピースだが、手には大きな籠を持っていた。中からはキュルキュルと鳴き声がしている。動き回って重さが行ったり来たりしているのを、うまく支える。来がけに先生が持とうかと聞いてきたが、持ちたかったので断った。

 木の葉の間が太陽の光でキラキラと光って見える。

「いい天気ですね」

  深呼吸すると、木の幹の香りが鼻先を撫でていった。クラムがグラスバードの、魔法使いの弟子になってからひと月が過ぎていた。


 あの日の翌朝、嵐の後の空は青く晴れ渡っていた。燃えたアーバンリキュガルたちは、クラムの倒した一体の灰の跡以外、一片の痕跡も残さなかった。目を覚ました村人たちは、なぜか眠ってしまっていたと皆んな不思議なこともあると話題になっていたが、幾人かはそれがグラスバードの魔法であることに勘付いていた。

 先生と草原へ出ると、丘の上に立つ黒く背の高い人影が見えて、すぐにザラスだとわかった。こちらには背中の方を向けていて、遠くを眺めている。先生とそちらへ向かって歩いていけば、すぐに気づいて笑顔を見せてくれた。

「……どうやら、何も聞かなくても良さそうですね」

 ザラスはクラムの内側で起きた変化に気づいたのかもしれない。クラムを見て微笑み、目を閉じる。次にその瞼を開けたときには、さっぱりとした表情をしていた。

「観測は無事できたのかい」

「ええ、おかげさまで」

  胸元から見覚えのある黒い小さな機械を取り出す。鳴き声でも録音したというのか、とグラスバードは眉を寄せる。その思考を読んだかのようにザラスは笑い、その機械を上下にスライドさせた。先端にはカメラがついている。

「都でもまだほとんど出回っていない最新型のカメラです」

  もう何も言うまいとグラスバードは呆れ顔で遠くを向いた。

 クラムはザラスの見ていた村の方に目を向ける。見てみれば、嵐のせいで散ってしまった材木や鉢植えなどを片付ける村人たちの姿がまばらに見えている。

「私、ちょっと手伝ってきます」

  クラムは二人から離れ、鍛えられた速い足で、軽やかに草原を駆けていく。朝日に照らされる草原の中を瑞々しく喜ぶ子鹿のように。

 こいつと二人に残すのか、とグラスバードは思ったが、その姿を見ては呼び止めようとは思わない。

「いいんですか? 繋ぎ止めなくて」

 ザラスはわかりきっているからかいをする。

「手伝いが終わったら戻ってくるよ」

  ザラスはグラスバードに生まれた心の余裕にクスクスと笑い、遠くなったクラムの姿を見る。

「……彼女は、ご健在なのか」

 グラスバードが口にしたその人が誰のことかは、すぐにわかった。

「いえ。三年前に、天寿を全うされました。たくさんの人に愛され、看取ってもらいましたよ」

「……そうかい」

  たくさんの人々に囲まれる老いた彼女の姿は目に浮かぶようだった。思い出は苦くても、彼女の人柄ならそれが為せることを、グラスバードは想像できる。

「……私はね、私のさっぱりとした博愛主義は、祖母の血から来ていると思っていますよ」

「……だろうね」

 苦そうな声にザラスは笑う。

「だから言っておこうかと思います。これは推察の話にはなりますが。あなたのトラウマになってしまった出来事は、祖母という人だから起きたことです。協会の子であることとは、また、別の話です。まあ、それは、私が言わなくても、これからじっくり貴方のそばでクラムが証明していくでしょうが」

 最後の言葉にじとっと横目を流したグラスバードとは別に、イタズラのようにザラスは笑う。

「では、私はそろそろ行きます」

「ああ、二度と来なくていいよ」

  ザラスは軽快に笑う。

「二度とは無理でしょうが、それでは」

 黒い背中はそうしてあっさりと、クラムとは別の、草原の彼方へ去っていった。


 森の湖のそばは、他よりさらに空気に水分が多いような、気持ちの良い香りがした。籠を持ったまま、思いっきり息を吸う。若芽も老木も、温かく積もる土も、全ての香りが鮮明にする。

「クラム」

  名前を呼ばれ先生の方を見ると、先生が遠くを指差している。そちらを見れば、湖の遠くの岸辺に、小さな動く生き物が見えた。クラムはやわらかな茶色のその姿に笑顔になる。

 手に持っていた籠をそっと地面に置き、蓋を開けた。中にいたパシュカはくるりとした黒目で見上げてくる。

「さよならだね」

 籠をゆっくりと傾けて乗り越える壁を低くしてあげると、すぐにするりと外へ出た。久しぶりの森の匂いに、鼻を土につけている。

 すると、鳴き声が遠くから一つ響いた。パシュカはそれにピクリと反応し、立ち上がるようにそちらを見ると、魔法が解けたように駆けて行く。小さくなる後ろ姿を見つめるクラムのそばに、先生が歩いてくる。

「家族が迎えにきたんでしょうか」

「友達かもね、あるいは恋人か」

  くすりと笑う。クラムは思う。自分の元を去っていく者たちと、自分が去ることを決めた人、そばに居るのを選んだ人。

「私、昔の私は、自分が汚い人間であるのが、嫌だったんだと思います」

  遠い過去の、自分を否定した自分を思い出す。

「でも、それは選択で、自由で、歩いてるってことで。生きていれば、選択はするし、相手も自分も、選んで良くて、それで良くて」

 進んで流れて、過ぎてゆく人を寂しいと思っても、また自分も歩く者だから。

「その先で、誰かに会えるし」

  微笑むクラムを見て、グラスバードはその肩を抱き寄せ、柔らかな黒髪に口付けをする。

 身を寄せ合う二人の姿の遠くで、花草の上、戯れ合う鼬たちがきゅるりと鳴いた。

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灯台の魔法使い 宇賀いちほ @lo_l

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