【一話完結】~忘れん坊な君へ~

はむん hamun

俺の幼馴染は忘れっぽい。

◆──────────────────────

 

 夏が近付き、燃えるような朝の陽射しがまばゆいほどに差し込む教室。まだ涼しさの残る朝の空気の中で俺は席に座ると、隣の席の莉子がいつものように、にこやかに声をかけてきた。


翔太しょうた、おはよ!』

「おはよう、莉子りこ


 俺の隣の席に座る幼馴染・莉子は、昔から変わらない明るい笑顔を向けてくる。けれど、彼女は少し変わった事情を抱えている。

 ──「寝て起きると、前日に起こったことをほとんど忘れてしまう。」

 そんな記憶障害を患っているのだ。


「そういえば、金曜日の帰り道で話したこと覚えてるか?」


 何気なく聞いてみると、莉子はキョトンと首をかしげた。


『んー、…ごめん、覚えてない…!』


 やっぱりな、と苦笑する俺を見て、莉子は少し困ったように眉を下げる。


『で、でも!大事なことはちゃんと覚えるように努力してるんだよ!』

「大事なことって、例えば?」

『翔太が私の幼馴染ってこと!優しくて、明るくて。たまーに意地悪なところもあるけれど、私のことを誰よりも大切に思ってくれる人!!』


 無邪気な笑顔で、そんな恥ずかしいことを言うもんだから、俺は思わず照れ隠しに軽くツッコむ。


「でもそれ、毎朝リセットされてんじゃないの?」

『それはないよ!…多分!!』


 (多分かい!)とツッコミたくなる気持ちを抑え、俺は朝のHRが始まるまでの間、莉子や他のクラスメイトと他愛もない会話を続けることにした。

 ◆──────────────────────


 そんな会話から一月ほど経ったある日、莉子が珍しく真剣な表情で俺に向き合ってきた。


『ねぇ、日曜日、デートしよう。』

「……は?」


 唐突な提案に、思わず聞き返す。


『大丈夫!ちゃんとメモに書いておくから!』

「いや、忘れる前提かよ……」


 莉子はちょっと困ったように眉を下げ、それでも真剣な眼差しで俺を見つめる。


『忘れないように努力する。でも、もし忘れたとしても……私は、翔太とのデートは絶対に思い出したいの』


 その言葉に、俺の心の奥で微かに高鳴るものを感じた。


「まぁ、いいけど。じゃあ日曜に駅前で待ち合わせな。時間は後で送るから、絶対忘れんなよ。」


 そうして迎えた日曜日。俺たちは昼前に駅で落ち合い、少し遠出する予定になっていた。と言っても、高校生の身分で行ける範囲なんてたかが知れているが。


 待ち合わせ場所に着くと、莉子は既にやってきていた。


『あ、翔太!おはよう!!』

「すまん、待たせたか」

『んーん!待ってないよ!!』

「…今回は本当に来たんだな」

『ちゃんとメモに書いてたからね!!─って、今回は?』

「いや、なんでもない。」


 今回は、という発言はさておき、莉子が得意げに見せてきた手帳には、「日曜日!!翔太とデート!!」 とデカデカと書かれていた。俺は思わず笑いがこみ上げる。


『あ、なんで笑うのー!!』

「いや、こんなに分かりやすくデカデカと書くなんて、余程俺とデートしたかったんだなって。」

『そりゃー、もちろん!翔太とのデートを楽しみにしてましたとも!』

「はいはい。じゃあ行くか!」


 電車に揺られること約1時間。車窓から海が見えた瞬間、莉子が嬉しそうに声を上げる。


『あ、翔太見て見て!海だよ!』

「ほんとだ。綺麗な海だな」


 今日の目的は、海沿いの町を散策すること。特に決まった予定はなく宛もなくブラブラする─はずだったのだが、訳あってデートのプランは既に入念に練ってある。


「もうすぐ到着だけど、まずはどうする?さっき窓から見えてた海を見に行くか?」

『うーん、私はちょっとお腹すいたかも!』

「そうか、もう昼時だからな。じゃあ先にご飯食べに行くか。」


 そんな会話を交わしていると、電車が目的の駅へと滑り込んだ。ドアが開くと、潮の香りを含んだ風が心地よく吹き抜ける。


「やっと着いたな」

「うん!!この町、すっごく綺麗!」


 初めて見る景色に目を輝かせる莉子。その隣で、俺はこの光景を2度目として味わっていた。


 ──そう、ちょうど1ヶ月前。俺はこの場所をひとりで訪れていた。


◆──────────────────────


 1ヶ月前のある日、莉子は俺にこう言った。


『翔太!デートしよう!』

「え?」

『明日、予定空いてるでしょー?だから、その日海に行こう!!』


 唐突な誘いだったが、断る理由もない。


「わかった。じゃあ10時に駅前集合でいいか?」

『もちろん!!』


 軽く約束を交わし、迎えた土曜日。俺は10分前には待ち合わせ場所に到着し、莉子を待っていた。


 ……しかし、30分経ち、1時間経ち、それでも莉子は来なかった。

 

 スマホの時計を確認し、ため息をつく。

 ──まぁ、なんとなくそんな気はしていた。昨日の夜にデートに関するメモを取るのを忘れたのだろう。

 …一応、ここに来る途中で事故に巻き込まれたりしていないかを確認するため、莉子に電話をかけた。


 数コール後─。


『……ん?もしもし!』

「……あ、出た。おはよう、莉子。」

『翔太、おはよう! どうしたの?』


 莉子のいつもと変わらない無邪気な声が耳に届く。この口ぶりからして、約束のことは記憶から消えてしまっているのだろうか。


「いや、今日暑いだろ。夏バテとかしてないかなーって思って。」

『全然平気!寧ろピンピンしてる!翔太も体調崩さないように気をつけてね!!水分補給ちゃんとするんだよ!! 』


 俺の気遣いを何の疑いもなく受け入れ、逆に心配してくる莉子。

 ……まぁ、いっか。


「おう、気をつけるよ。じゃあ、またな。」


 通話を切り、俺は多少の落胆を覚える。

 やはり幼馴染は今日の約束を忘れていらっしゃるようです。だから今日はもう、このまま家に帰ろうか…と悩んだのだが、折角外に出たのに即帰宅は勿体ないということで1人で海に行くことにした。


「…いやぁ、それにしても暑いなぁ。」


 電車に揺られ、目的の海に辿り着くと、潮風と共に夏の象徴とも言える熱風が吹き寄せてきた。


 本来はデートだったのだが、寂しい男一人旅になってしまった。まぁしょうがないだろう。ということで、俺はまず腹拵えをすることにした。


「…ここらで有名なご飯といえば何だろうか。」


 今日は隣に相手がいないので、俺の唯一の相棒─ スマホ─を片手に町を散策する。


「お、流石海の近い町だな。海鮮が有名らしい。」


 地図を確認すると、駅から出て徒歩数分のところに海鮮専門の店があるらしい。溶けそうな暑さに蝕まれながらもなんとか店に辿り着くと、明るい店主のおじさんが迎えてくれた。


『…おぉ、兄ちゃん。1人で来たのかい!』

「そうです。デートの下見っていう感じですかね。」

『お、いいねぇ!おじさんもそんな時期があったよ』


 幼馴染とデートする予定だったけど、当日に悪気のないドタキャン(慣れっこ)をされた。とは言えないので適当に誤魔化しつつ、田舎特有のフレンドリーな距離感で話しながら、オススメの海鮮を頼むことにした。


「オススメってなんですか?」

『んー、うちのオススメは─。』


 注文を待っている間、俺はスマホで次はどこに行こうかを考えていた。ふと、こういうのは町をよく知っている人に聞いた方がいいだろうと思い立ち、店主のおじさんに聞いてみることにした。


「おじさん。ここらでオススメのデートスポットありますかね?」


『ん、ここら辺なら…あそこは外せないと思う。ここから少し歩いたところに、この町と海を一望できる丘があるよ。夕暮れ時なんかに行ってみるのもロマンチックでいいんじゃないかね。』


「なるほど。…まぁ、今回は1人ですけど、また今度見に行ってみます!」


『はいよ。あとはまぁここに来たんなら海は見に行ってみなさい!』


「じゃあこの海鮮丼食べたら、海行ってきます。」


 という感じに教えてもらい、ほっぺが落ちそうなほど新鮮で美味しい海鮮丼に舌鼓を打ちつつ、ぼんやりと行き先を決めていった。


「おじさん。美味しかったです。また来ます!」

『いつでも来てな。待ってるから。』


 俺は親切な店主のおじさんに別れを告げ、海に向かった。


───────────────────────


「綺麗な海だな。」


 淀みのない綺麗な海、ゴミ1つ見当たらない綺麗な砂浜。文句の付け所のない海岸である。綺麗な砂浜を見たら、裸足で駆け抜けてみたくなってきた。1人で来ているとはいえ、高校生男子なんだからこれぐらいのことはやりたいと思ってしまう。ん?幼い?いやいやぁ、高校生はこれぐらいアホな生き物なんです。


「…よっしゃ、よーい、ドン。…って熱っ!!!」


 まぁ、言うまでもなく炎天下に晒されている砂浜は、まるで鉄板のように、燃え滾っていた。ということで砂浜裸足ダッシュは断念し、大人しく日陰に座り、浜風に打たれながらぼんやりと遠くまで広がる大海を眺めていた。


「莉子は行き当たりばったりのデートが好きそうだけど、こうやって事前に調べておいてエスコートするのも悪くはないかもな。」


 今後また莉子から海に行きたいと誘われるかは分からないが、いつか役立つだろう。今回は忘れたけど、次は忘れず来てくれるかもしれないしな。


 そうこうしているうちに小腹が空いてきた。15時というおやつにぴったりの時間なので、また相棒片手に店を探し歩こうと思う。


───────────────────────


「夏だしな。やっぱり─。」


 そう呟きながらやって来たのは、海辺の小道にひっそりと佇んでいるカフェだ。店の前には「夏限定 かき氷あります!」と書かれた黒板が立てられている。店員のお姉さんによると、普段はコーヒーやスイーツを提供するカフェだが、夏だけは特製かき氷が看板メニューになるらしい。


『うちは地元の果物を使ってるからね。今日はちょうど、採れたての白桃があるよ。』


 おすすめされるがまま、白桃のかき氷を注文する。運ばれてきたのは、ふわふわの氷の上に、たっぷりの桃のピューレがかかった一品だった。


「……うまい。」


 口に入れると、氷がすっと溶け、甘さ控えめの桃の風味がじんわりと広がる。食べ進めると、中からゴロッとした果肉が顔を出した。瑞々しい桃の歯ごたえと冷たい氷の組み合わせが、火照った体に心地いい。


 スプーンを動かす手を止め、ふと店内を見渡すと、壁には手描きのメニューや、過去に訪れた客のメッセージがびっしりと書かれていた。「夏の味、最高!」「また来ます!」──この店が長年地元の人に愛されてきたことがよく分かる。


 かき氷を食べ終え、ひと息つくと、店員のお姉さんがにこっと笑った。


『暑い日は、これに限るでしょ?』

「はい、ごちそうさまでした。」


 しっかり冷えた体を引き連れ、俺はゆっくりと町を歩き出した。

 ───────────────────────


 お昼に教えてもらった丘に向かう途中、ふと視界の端に入り込んできたのは、古びた木製の看板が掛かった小さな店だった。「〇〇商店」と書かれたそれは、いかにも昔ながらの雰囲気を持っている。


「地元の名産品を売っているのか。」


 気になって足を踏み入れると、店内には潮の香りがほのかに漂っていた。棚には干物や海藻、地元産の塩を使ったお菓子など、海沿いの町らしい品がずらりと並んでいる。


『お兄ちゃん、観光かい?』


 レジに座っていた年配の店主が、穏やかな笑みを浮かべる。


「まあ、そんな感じです。」

『それなら、これなんかどうだい? うちの人気商品だよ。』


 店主が差し出したのは、手のひらサイズのガラス細工。波のように青く揺らめくデザインが美しく、光を受けてきらきらと輝いている。


 (これ、莉子が好きそうだな……。)


 手に取ると、ひんやりと冷たく、指先に馴染む感触が心地いい。迷った末に、そっと元の場所に戻した。次に来るときは、ちゃんと莉子と一緒に選ぼう。


「また寄らせてもらいます。」


『おう、気をつけてな。』


 店を出ると、店主が背中越しに声をかけてきた。


『この先にある石段を登れば、丘の上からいい景色が見られるよ。』


「ありがとうございます。」


 意図せず道を教えてくれた店主に、軽く会釈しながら言われた通りに丘へ向かう。夕方に近づき、少しずつ空の色が変わり始めていた。


───────────────────────


 丘の麓に到着し、長く続く石畳の階段を登ると、視界が一気に開けた。眼下には、穏やかに波が揺れる海と、港町の屋根が夕日に照らされている。潮風が頬を撫で、どこか懐かしい香りがした。


 ふと周りを見渡すと、ちらほらとカップルの姿が目に入る。手を繋いで写真を撮る二人、並んで夕日を眺める二人。微笑ましい光景だが、なんとなく居心地が悪くなり、俺は思わず視線を逸らした。


「……まあ、次は莉子と来るしな。」


 そう自分に言い聞かせるように呟き、ベンチに腰を下ろした。


 風が吹き抜ける。日が傾き始め、空がオレンジ色に染まる。


 莉子とここに来ていたら、どんな反応をしただろう。目を輝かせて「きれい!」とはしゃぐだろうか。それとも、何かボソッと気の利いたことでも言うのか──。


「忘れられたの、これで何回目だろうな。」


 莉子のことを考え、思わず苦笑が漏れる。何度忘れられようと、大切な幼馴染である莉子を信じて、ずっと一緒にいると決めている自分はお人好しなのだろうか。いや、莉子を大切に思っているんだから、これでいいんだ。


 スマホを取り出し、海の写真を撮る。「次は一緒に来るんだぞ」とメッセージを打ちかけたが、結局、送らずに画面を閉じた。この景色は、莉子を連れてきて直接見せてあげよう。ふっと笑いながら、ポケットにスマホをしまった。


「…日も落ちてきたし、今日はもう帰るか。」


 辿ってきた道をゆっくりと折り返し、駅までの道程を急いだ。

 ───────────────────────


 帰り道。電車の窓にも、茜色の光が映り込んでいた。流れる景色の向こうに、さっきまでいた海が見える。


「次のデートこそ、最高の思い出にしてやる。」


 窓にもたれ、静かに目を閉じた。


「忘れられないほど楽しいデートにしてやるからな、覚悟しとけよ、莉子。」


 電車は、ゆっくりと最寄りの駅へと向かっていた。

 ◆──────────────────────


『翔太!お昼どうしよっかぁ?』

「じゃあ俺がさっき調べてみたところに行ってみてもいいか?駅の近くだからすぐに着くと思うんだけど。」

『え、どんなお店ー?めっちゃ気になる!!』


 彼女は興味津々といった様子で、期待を込めた瞳を向けてくる。


 俺はスマホを取り出し、事前に調べておいた店の情報を確認した。


「海鮮丼の美味しい店がある。海沿いの町だから、仕入れてすぐの新鮮な魚が食えるはず。」


 すると、莉子の顔がぱっと輝いた。


『えっ!いいね、それ!お魚大好き!』


 彼女は興奮した様子で俺の腕を引っ張る。


『じゃあ、早く行こう!』


 俺は莉子に急かされるように歩き出しながら、俺は心の中で苦笑した。こういう時の莉子の行動力は本当にすごいんだよな。


 店までは徒歩で10分ほど。潮風に吹かれながら歩くうちに、遠くにこぢんまりとした食堂の暖簾が見えてきた。


 店の前に到着し、扉を開けると、ほんのりと醤油の香ばしい匂いが漂ってきた。


 カウンター席が並ぶ小さな店内には、壁に飾られた漁師たちの写真や、魚の名前が書かれた木札がかかっている。ガラスケースには、その日仕入れたばかりの新鮮な魚が並んでいた。


『お、いらっしゃい!』


 奥から出てきた店主のおじさんが、俺を見るなり一瞬目を丸くしたが、すぐに何事もなかったように微笑んだ。


『今日は観光か?』

「あ、はい。"初めて来ました"。」


 俺がそう答えると、おじさんは軽く頷き、莉子に視線を向けた。


『お嬢ちゃん、海鮮丼でいいのかい?』

「はい!翔太と同じやつください!」


 彼女は迷うことなく即答した。


 俺は内心、ほっと胸を撫で下ろす。実はこの店、俺がひとりで来た時にも訪れた店だった。でも、莉子には「初めての店」として楽しんでほしかったから、事前に店主に「俺が下見に来たことはバレないようにお願いします」と伝えておいた。


 おじさんは『了解』とばかりに軽く頷き、厨房へ戻っていった。


 カウンター越しに聞こえる包丁のリズムや、魚をさばく音。そうした音が心地よく響く中、俺たちは席についた。


 …しばらくして、目の前に運ばれてきたのは──見事な海鮮丼だった。


 色鮮やかなマグロ、ぷりぷりの甘エビ、脂の乗ったブリ。酢飯の上に惜しげもなく並べられた新鮮な魚が、光を受けて煌めいている。


『わぁぁぁ!!すごい!めっちゃ豪華!』


 莉子は目を輝かせながら、感動したように丼を見つめた。


『早く食べよ!』


 彼女は勢いよく箸を取り、まずはマグロを口に運んだ。


『……っ!美味しい!!』


 目を見開き、幸せそうな笑顔を浮かべる。


『お魚がすごく甘い!あと、このご飯もすごく合う!』


 次々と箸を動かし、夢中で頬張る莉子。その無邪気な姿を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。


 俺も一口食べる。うん、やっぱり美味い。ほどよく漬けられた魚の旨みと、酢飯のバランスが絶妙だ。


 しばらく夢中で食べ進めた後、莉子がふと顔を上げた。


『ねえ、翔太が調べてくれたお店だから、余計に美味しく感じるかも!』


 不意打ちの一言に、俺は一瞬言葉を詰まらせた。


「……そんなことあるか?」

『あるよー!翔太が選んでくれたってだけで、なんか特別な気がするもん』


 莉子はニコッと笑い、再び箸を進める。


 その笑顔を見た瞬間、俺の中に確かなものが芽生えた。


 ──今日は絶対、莉子を楽しませる。


 たとえ、この一日が彼女の記憶から消えてしまったとしても。俺はそう、改めて強く決意した。


 長い間、会話をするのも忘れるほど夢中で食べ進めていた2人はほぼ同じタイミングで箸を置き、大きく息をついた。丼の中は、きれいに食べ尽くされている。


『ふぅ……めちゃくちゃ美味しかった!』


 莉子が満足そうにお腹をさすりながら、嬉しそうに微笑む。


 俺も頷いた。実際、味は文句なしだったし、何より莉子がこんなに喜んでくれたことが嬉しい。


 俺たちは席を立ち、カウンター越しに店主へ声をかけた。


「ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味しかったです!」

『おじさん、本当にありがとう!とっても美味しかったです!!』


 莉子が無邪気に頭を下げると、店主は豪快に笑った。


『ははは、そりゃよかった!またいつでも食べに来な!待ってるからね!』


 俺は軽く目配せをしながら「ありがとうございました」と改めて小さく礼を言う。すると、店主──まあ、俺の中では"親父さん"とでも呼んでおくか──は、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。


『坊主、ちゃんとエスコートしてやれよ。』


 俺が一瞬言葉を詰まらせると、莉子が不思議そうに『エスコート?』と首を傾げた。


 以前も来たことがバレるとマズイと思い、俺は咳払いをして、気を取り直した。


「じゃあ次は海に行こっか。せっかくここまで来たし、景色も綺麗だと思うから」


『海!』


 莉子の顔がぱっと明るくなった。


『翔太!早く行こ行こー!』


 彼女はまた俺の腕を軽く引っ張り、勢いよく店を出ていく。その姿を見送りながら、親父さんは小さく笑っていた。


───────────────────────


 店を出て少し歩くと、潮の香りが一層濃くなった。


 防波堤を越え、視界が開けると、目の前には広々とした海が広がっていた。


 青く澄んだ水面が太陽の光を反射し、波打ち際では白い泡がリズムよく弾けている。少し沖のほうには漁船がいくつか浮かび、のんびりとした風景が広がっていた。


『うわぁ……綺麗!』


 莉子が思わず感嘆の声を漏らす。


 彼女は軽く風に吹かれながら、海を見つめ、深呼吸した。


『海っていいね!静かで落ち着くし。』


「うん。こういう静かな海もいいもんだな」


 俺も同じように潮風を感じながら呟いた。


しばらく波の音を聞きながら歩いていると、突然──『ねえ、ちょっと波打ち際行っていい?』


 それだけを言い残し、俺の了承を得る前に莉子は靴を脱ぎ、裸足で砂浜へと駆け出していった。


「お、おい……」


 止める間もなく、彼女は波打ち際で足をばしゃばしゃと動かし始める。


『冷たっ!……けど、気持ちいい!』


 無邪気にはしゃぐ彼女の姿を見て、俺は肩をすくめた。


「……全く、子どもみたいだな」


 呆れながらも、俺の口元には自然と笑みが浮かぶ。


 莉子は軽くスキップしながら、波を避けたり、わざと足を浸けたりして遊んでいた。その姿は、まるでどこかの映画のワンシーンみたいで──何とも絵になる光景だった。


『ねえ、翔太も入ってみなよ!』


 俺に向かって笑顔で手を振る莉子。


「いや、俺は……」

『そんなこと言わずに!』


 次の瞬間、彼女が水を蹴り上げた。


 小さな水しぶきが俺の足元に飛び散る。


「……っ、お前」

『ふふっ、ちょっとだけ!』


 俺はため息をつきながらも、靴を脱ぎ、そっと足を水に浸した。


「……意外と、悪くないな」

『でしょ?』


 莉子は満足そうに微笑んだ。


 波の冷たさが足元にじんわりと広がり、心まで少しだけ軽くなるような気がした。


 潮風が吹き抜ける中、俺たちはしばらく何も考えずに波打ち際で遊んでいた。


 その時間が、いつまでも続けばいいのに──そんなことを思いながら。


───────────────────────


 海で一通り遊び、少し汗をかいて疲れてきた頃に、時計をちらっと見るともう15時が近くなっていた。


「ちょっと小腹が空いたな。おやつでも食べに行くか?」


 莉子が提案するより前に、俺が言ってしまった。


『うん、おやつ! どこ行く?』


 彼女は目を輝かせて答える。俺が軽く肩をすくめると、莉子はスマホのマップでササッと検索して俺の方を向いてにこやかに提案してきた。


『じゃあ、このお店に行こうよ!』


 偶然にも、莉子のスマホ画面に表示されていたのは、以前俺が訪れた、海辺の小道にひっそりと佇むカフェ兼かき氷の店だった。


 店の外観は、あまり派手ではないが、何となく落ち着いた雰囲気が漂っている。店内からは楽しげな話し声や、かき氷を削る音が聞こえてきた。


「お、ちょうどいいタイミングだな。じゃあ、行こう」


 俺たちは店に足を踏み入れると、店内の冷気が心地よく、思わず深呼吸してしまう。


 店員の女性がカウンターの向こうからこちらを見て、にっこりと笑いかけてくれた。


『…!いらっしゃいませ。お二人とも、初めてのご来店ですね?』


 少し驚きながらも、俺は頷く。


「はい、実は昼間に海の近くを歩いていて、気になったので……」


『そうなんですね。海に寄ったついでに立ち寄られるお客様も多いので、お勧めのかき氷をいくつかご紹介しますね。』


 店員さんはすぐにメニューを手渡してくれる。


 莉子は目を輝かせてメニューを見ている。


『どれも美味しそう! でも、やっぱりフルーツ系が食べたいな!』


「俺もフルーツ系がいいかもな」


 俺はメニューを眺めながら、しばらく考えると、最終的に「特製白桃かき氷」を選んだ。


『じゃあ、私もこれにしようっと!』


 莉子も同じくフルーツ系で決め、店員さんに注文を伝える。


『白桃のかき氷2つで、お願いします!!』


 店員さんは笑顔で頷き、注文を取った。


『お待ちいただいている間に、少しお店を見ていてくださいね』


 おしゃれなカフェ風の店内は、木製のテーブルや椅子が並べられていて、窓の外には海が見える。壁にはいくつかのアートが飾られ、落ち着いた音楽が流れていた。


 莉子は、店の中をきょろきょろと見回していた。


『このお店、すごく可愛い!… あっ、こんな雑貨も売ってるんだ!』


 併設されている小さな雑貨コーナーにはこの町のマスコットキャラクターのキーホルダーなどが並べられていた。


 その中でも莉子が気になるアイテムを見つけて、興味深そうに手に取った。


『今度また来たとき、絶対買う!』


 俺は微笑みながら「うん、また来たときに買えばいいさ。」と返事をした。


 店員さんがかき氷を持ってきてくれると、俺たちは席に戻る。


 目の前に置かれたかき氷は、見た目が華やかで、上に乗っている白桃の果肉がたっぷりと乗せられていた。


『わぁ、すごい! とっても美味しそう!』


「ほら、やっぱりフルーツ系は正解だろ?」


 莉子が嬉しそうにスプーンを手に取り、かき氷をひと口食べると、顔を綻ばせた。


『うん! 甘さもちょうどよくて、めちゃくちゃ美味しい!』


 俺もひと口食べると、氷のひんやりとした冷たさと白桃のフルーティーな甘さが口いっぱいに広がった。


「うん、確かに美味しい。」


 二人でかき氷を楽しんでいると、気づけば、店内には他のお客さんもちらほらと訪れていた。


 丁度いい時間の流れの中で、俺たちはゆっくりとおやつのひとときを楽しんでいた。


───────────────────────


 かき氷を食べ終わり、莉子が満足そうに溜息をつく。少し冷えた体を温めるために外に出ると、爽やかな風が二人を迎えた。


『おいしかったね!』


 莉子は嬉しそうに微笑みながら、歩き始める。翔太も軽く頷き、周囲を見渡すと、ふと以前訪れた商店街が目に入った。


「あ、さっきスマホで調べたら、あの辺りにお土産屋があるって書いてあった気がしたんだけど、見ていく?」


 莉子は興味津々に頷く。


『いいね!お土産買おうよ!』


 翔太は少しだけドキドキしながら、莉子を引き連れて商店街の端に向かう。


 数分後、小さな店の前にたどり着くと、木製の看板がひっそりと掲げられていた。店内からは、温かい光が漏れていて、落ち着いた雰囲気だ。店に足を踏み入れると、店主のおじさんが穏やかな笑顔で迎えてくれた。


『お、いらっしゃい!今日はどうしたんだい?』


 翔太は少し緊張しながらも、にこやかに返答した。「ちょっとお土産を見に来たんです。」


『そうかい、ゆっくり見ていっておくれ』と店主は優しく声をかける。


 翔太と莉子はお店の中を歩きながら、手作りの陶器や木彫りの小物を眺める。ガラス細工の棚に近づいた莉子は、またあの淡いピンク色のガラス細工に目を留めた。


『これ、ほんとにかわいい…』


 莉子はその小さな花のガラス細工を手に取り、じっと見つめる。店主が近くに寄ってきて、にっこりと微笑んだ。


『それはね、とても繊細に作られているんだよ。見るたびに違う表情を見せてくれるんだよ。』


 莉子はその説明を聞き、ますます気に入った様子でうなずいた。『やっぱり、可愛い…でも、ちょっと高いかな?』


 翔太は莉子の様子を見て、心の中で決めていた。さりげなく財布を手に取り、店主に視線を送ると、店主は微笑んだ。


『もし、気に入っているなら買っていけばいいじゃないか。今日はいい日だし!』


 翔太は少し照れくさそうに、軽く笑って言った。


「じゃあ、これください」


 店主は嬉しそうに頷き、ガラス細工を丁寧に包んで渡す。「気に入ってもらえて嬉しいよ。それと兄ちゃん、またこの店に来てくれてありがとうな。これ、彼女ちゃんに渡してあげな。」と莉子にバレないように小さい声で気遣ってくれた。


 店主に「ありがとうございます。」と返し、翔太は他のお土産に見入っている莉子のもとへ向かった。


「莉子。」

『んー?』


 莉子は振り返ると驚きに包まれた表情を見せた。


『え、これ翔太が買ってくれたの?!』


 翔太は少し照れながら、軽く肩をすくめて「気に入ってるみたいだったからさ。お土産だよ」


 莉子は目を丸くして、嬉しそうに『ありがとう!すごく嬉しい!大事にするね!』と笑顔で喜んでくれた。


「気に入ってもらえてよかった。」


 その他にも2人は、家族用にいろいろなお土産を購入し、店を後にした。プレゼントによって少し照れくささを感じながらも、翔太はどこか満足げな表情を浮かべていた。


───────────────────────


 お土産屋を後にした二人は、静かな小道を歩いていた。

 夕暮れの空は、淡いオレンジと紫のグラデーションに染まり、風に揺れる木々のざわめきが心地よく響く。


「この先に、見晴らしがいい丘があるらしいんだ。店の人が教えてくれたんだけど、夕方になるとすごく綺麗なんだって。」


 翔太がそう言うと、莉子は目を輝かせて頷いた。


『へえ、素敵!行ってみたい!』


 翔太はそんな莉子の横顔を見つめ、小さく笑った。


 丘へ向かう道は、少しずつ静かになっていく。商店街の喧騒が遠ざかり、代わりに鳥のさえずりと草木の匂いが二人を包み込む。


 そして、最後の石段を上ったとき——。


 目の前に広がる景色に、莉子は思わず息をのんだ。


 黄金色に染まる街並み、遥か彼方まで広がる透き通るほど青く澄んだ海、遠く霞む山々、ゆっくりと流れる雲。

 風が草原を揺らし、さわさわと柔らかな音を奏でている。


『……すごい。』


 莉子はそっとつぶやく。翔太は彼女の横に並び、同じ景色を見つめた。


「今日、楽しかったか?」


 不意に翔太が問いかける。


『うん、すっごく!』


 莉子は満面の笑みで答える。


『かき氷も美味しかったし、お土産屋さんも楽しかったし……』


 そう言いながら、莉子は手の中の小さなガラス細工を見つめる。


『こうやって、いっぱい思い出が増えていくのって、なんかいいよね。』


 翔太は莉子の言葉に目を伏せ、そっと息を吐いた。


 ——たとえ、莉子がこの日のことを忘れてしまうとしても。


「莉子。」

『ん?』


 翔太は一瞬、言葉を探すように空を仰ぎ、そしてゆっくりと口を開いた。


「お前が何を忘れても、俺は覚えてるよ。」


 莉子はきょとんと翔太を見上げる。


「今日、何を話したか、どんな景色を見たか……全部、俺が覚えてる。」


 莉子は少しの間、何かを考えるように沈黙し、それからふわりと笑った。


『そっか。』


「うん。」


『なんかね、不思議なんだけど……』


 莉子は小さく息を吸い、そっと目を細めた。


『翔太にそう言われると、すっごく安心する!』


 翔太は莉子の横顔を見つめ、ゆっくりと笑う。


 風が吹き抜ける。

 莉子の手の中のガラス細工が、夕陽を受けて静かにきらめいた。


 ——きっとまた、忘れてしまう。

 けれど、この瞬間の温もりだけは、心の中にずっと残る気がした。


─────────────────────(完)


どうも。こんにちは!

はむん hamunです!

短編ではありますが初めて小説を書いてみました。


プロの作家さんには到底及ばないので、優しい目で見守っていただけると幸いです。


☆や♡をいただけると飛び跳ねます。


修正に関する指摘などはコメントにお願いします。


───────────────────────

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