ショートショートvol.10『図書館駅の司書』

広瀬 斐鳥

『図書館駅の司書』

献辞 この本を図書館駅の司書に捧ぐ


 電車を降りると、そこは図書館の中だった。

 板張りの床にずらりと並んだ、背の高い書架。その間を縫うようにして置かれた、重厚な木製テーブル。外光を取り入れるような窓は見当たらないが、白熱電球の暖かい光で空間が満たされていて、まるで外国映画に出てきそうな雰囲気だ。

 土の香りにも似た古書のにおいに包まれつつ、僕は立ち尽くしていた。高校の帰り、乗り慣れた電車に乗ったはずなのに、なぜこんなところにいるのか、さっぱり分からなかった。

 背もたれに体を預けて、つい、うとうとしてしまったのは覚えている。停車時の振動に揺り起こされた僕は、寝過ごしてしまったのかと思い、急いで降りたのだ。

 だが目の前にはなぜかこのように図書館があるし、振り返れば僕を乗せてきたはずの電車の姿はなく、線路が闇の奥に伸びているだけだった。

 何度もまばたきをする。それでも謎の図書館は消えてなくなることはなかった。

 そういえば、意識のはっきりした夢を見ることもあると聞く。たしか明晰夢、だったか。

「夢か」ぽつりと呟く。

「ある意味、そうかもね」

 まさか返事があるとは思わず、ぎょっとして、声のした方を向く。

 いつの間にか、書架の間に真っ白なシャツを着た若い女性が立っていた。数冊の本を両手で抱え、目を笑わせている。年はいくらか僕より上だろうか。

 まっすぐな立ち姿を見て、キレイな人だ、と思った。

「いらっしゃい」

 まるで馴染みの客に話しかけるような調子で言われたものだから、僕も「どうも」と応じてしまう。

「あの、ここはどこですか」

「どう見える?」

 どうと言われても。

 僕が素直に「図書館ですか」と返すと、女性は満足げに頷いた。

「そう、ここは図書館。さしずめ私は司書ってところかな」

 司書と名乗ったその人は、抱えた本をテーブルに置いて、椅子に腰掛ける。

 目で促されたので、僕も同じテーブルに座った。面識のない人と話すのは気が引けたけれど、すぐに思い直す。どうせ夢の中なのだ、と。


 司書さんは、栞という名前らしかった。もうずっとこの図書館にいて、本を読み続けているのだという。

「ある日、電車の中で寝ちゃってね。気が付いたらここにいたの」

 僕と同じだ。そう伝えると栞さんは「やっぱりね」と言って、この図書館のルールを教えてくれた。

 ここに来るためには、電車の中で深く眠る必要があること。書棚に置いてあるのは、世界中の多くの人に読まれ、名作と認められた小説ばかりで、現代作家の著書はあまりないということ。一方で、世界的な文学賞を取ったような作家の本は、すぐに収蔵されることが多いのだという。

「ここを創った神さまは意外と流行かぶれなのかも」

 不満げに首をかしげる栞さんは、生身の人間にしか見えない。

 栞さんは僕にいろいろと教えてくれる一方で、現実世界のことに興味があるようだった。とくに、実用化が近付いているリニアモーターカーの話をすると、目を丸くして驚いていた。

「時速五百キロ? からかわないでよ」

「本当にあるんですよ。しかも、宙に浮くんです」

 栞さんは半信半疑だったが、仕組みを細かく説明すると、「そんなものがあるなら、ぜひ乗ってみたいなあ」と、肩まで伸びた髪を揺らして笑う。


 優しくて、ちょっと皮肉屋の司書さんと話すのは楽しかった。あっさりと打ち解けた僕らは、冗談を言い合ったりお互いに黙って本を読んだりもして、心地よい時間を過ごした。

 ただ、気がかりな事もあった。目が覚める兆しが一切ないのだ。これが夢であるならば、現実世界でどれほどの時間が経っているのだろう。

 栞さんに訊くのもおかしな話だと思ったが、帰る方法はないのかと尋ねてみる。すると、図書館とホームを隔てる自動改札機を通れば、そのうち帰りの電車がやってくるのだと教えてくれた。

 悩んだけれど、覚めない夢に取り残されたらどうしようという不安に負けて、僕はその方法を試してみることにした。

「気が向いたらまたおいで」

 栞さんに別れの挨拶をして、言われたとおりに改札に向かう。

 改札機には切符を入れる投入口が付いていたが、僕のようなゲストはフリーパスらしく、かしゃりとゲートが開いた。

 ホームに立つと本当に電車が現れた。いつも通学で乗っている私鉄の車両だった。おそるおそる乗り込む僕を、栞さんは軽く手を振って見送ってくれる。

 中には誰もおらず、適当なところに座った。アナウンスもなくドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。

 それと同時に強い眠気に襲われ、あっという間に意識を手放した。


 目を開けたとき、僕は相変わらず電車のシートに座っていた。しかし、周りには乗客がたくさんいて、窓の向こうには見知った街が見える。

 現実の世界に戻ったということを、すぐには理解できなかった。それほどまでに、真実味のある夢だったのだ。ただ、意外なことに、現実ではほとんど時間は経っていなかった。なので、降りるべき駅でちゃんと降りることができた。


 不思議な体験だったことには違いない。でも、単なる夢と言えば夢だった。何かが変わったかと問われれば、以前よりは本を読む習慣が付いたくらいのものだ。

 そうして僕は、季節が一巡して大学生になる頃には、この夢のことを忘れかけていた——のだが。

「また来たね。いらっしゃい」

 大学からの帰りの電車。居眠りをしてしまった僕は、再びあの図書館にいた。

 栞さんの姿も、いつかの記憶どおりに変わらない。

「ここ、夢の中ですよね」

 つい口をついて出てしまった言葉に、栞さんは噴き出す。

「それ、質問としてはあんまり意味ないんじゃないかな」

 たしかに、夢の中だと言われても納得できないし、夢じゃないと言われても信じられないのだから、無意味だ。言い表すなら、夢を見ている間だけ訪れることのできる場所、という表現がいちばん近い気がした。


 僕は結局、前に来た時と同じように栞さんと過ごした。

 栞さんは相変わらず外の世界に興味があるようで、何か新しいトピックがないかとしきりに聞いてくる。

 僕は栞さんに、そんなに気になるなら一緒に見に行かないかと誘ってみた。思えば、この時点で僕は彼女にだいぶ惹かれていたのだと思う。

 でも、彼女は本のページを繰りながら、僕の提案を否定するのだった。

「私はもうここから出られないから」

 司書である栞さんはこの図書館こそが自分の居場所であるので、出ていくことができない。それがルールなのだと、彼女は言った。

 それでも何か方法がないのかと訊くと、栞さんは「あるにはあるけど」と呟いて、本の末尾から一枚の紙片を取り出す。

「この貸出カードに名前を書いて、改札に通すの。そうすると、その本の世界に行けるんだ。それが、私がこの図書館から出る唯一の方法」

 誰かの書いた物語への片道切符、ということらしい。

「だから、ぴんとくる本がないか、こうして読み漁ってるわけ」

 でもずっと見つからないんだよね、と、栞さんは笑う。その表情にはどこか諦めのようなものが滲んでいて、胸が苦しくなった。


 それから僕は、定期的にこの図書館を訪れるようになった。

 ただ電車で居眠りさえすれば毎回来られるというわけではなく、図書館に行けるのは、だいたい一年に一回程度だった。

 訪れたところで何ができるわけでもなかったけれど、僕は何とか、図書館に囚われてしまった栞さんの力になりたいと思ったのだ。

 書架を巡って、面白そうな本を見つけては栞さんに薦めてみる。でも、栞さんはあらかた読み尽くしているようで、どれもこれも、ぴんときてくれなかった。

 それに、もう一つ問題があった。ぴんとくる本を見付けたとしても、栞さんが飛び込んでいく世界に、僕はいないということだ。

「君は自分の物語を生きていいんだからね」 

 その言葉は、栞さんの優しさだったんだと思う。でも僕は、どうしても受け入れることができなかった。

 僕の世界と、栞さんの行く世界。平行する二つの世界を、交わらせる方法はないのか。

 あるアイデアを閃くのに、たいして時間はかからなかった。

 我ながら無謀な考えだと思った。同時に、これしかないとも感じた。

 幸い、参考となるような本を読む時間は、いくらでもあるのだ。それも、名作と呼ばれた小説を山ほど。

 

 そして、何度目かも分からない来館の時、僕は書棚にごく薄い短編小説を見つけた。

 原稿用紙十枚ほどの文章量しかないこの本こそが、ずっと探し求めていた本だった。ああ、やっと。やっと収蔵された。

 僕は逸る気持ちを抑えて、本を栞さんに差し出した。

 栞さんはタイトルを見て不思議そうにしていたけれど、読み終える頃には、少し体を震わせていた。それは笑いを堪えているようでもあり、泣くのを我慢しているようでもあった。

「これ、大丈夫かな」

「大丈夫だよ、きっと」

「じゃあ、やってみようかな」

「リニアも乗ってみたいし?」

「そうだね、乗ってみたいし」

 栞さんは僕が渡した本から貸出カードを抜き取り、名前を書く。彼女の強さを表すような、しなやかな文字だった。

「じゃあ、行ってみましょうか」

 少し緊張した様子の栞さんの背中を押す。貸出カードは投入口にあっけなく吸い込まれ、ゲートがかしゃんと開く。

 改札を抜けると、まもなく、ひゅんひゅんと音を立てて流線型の車両が入線してきた。リニアモーターカーだった。

「あれ、ここで乗れちゃうんだ」

 栞さんはおかしそうにして、僕の手を取った。しわだらけになった僕の手を栞さんは強く握って、ずっと放してくれなかった。

 車体が動き始めると、まるでゆりかごに抱かれた赤子のように、どろんとした睡魔に襲われる。すると、栞さんは眠たげな声で聞いてきた。 

「ねえ、初めて会ったとき、私のことキレイって思ったの?」

 僕は年甲斐もなく照れてしまって、何も言えなかった。

 そして、リニアの振動に意識を連れ去られるまで、彼女と初めて会った遠い日のことを思い出していた。


(おわり)

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