マリーゴールド

「ねぇ……ど、どうしよう」


 愛が屋上から姿を消したあと、菊岡梨深きくおかりみは焦燥しきった表情で、近藤海人こんどうかいとへと助けを求めた。


「し、知らねぇよ……お前がしたことだろ」

「はぁ!? あんた、私の彼氏でしょ! 私のこと守ってよ!」

「だから、知らねぇって言ってんだろ!」


 知らないの一点張りを貫く海斗に、梨深は失望と軽蔑の念を覚えた。

 ふざけるな。たかが道具の分際で、私に楯突こうとするな。

 二人の間にできた亀裂が、どんどんと勢いを増して広がっていく。ぎりぎりと親指の爪をかじりながら、梨深は今自分が置かれている状況を再確認した。

 どうして、こんなことになったの。ただ、いつも通り憂さ晴らししようと思っただけなのに、どうしてこんな目に遭わされなくちゃいけないの?

 ぎしぎしと、爪へ歯の圧力が伝わっていく。

 花園愛……あの女は異常だ。あいつはなんの躊躇ちゅうちょもなく、ただ私たちを追い詰めるためだけに、ここから飛び降りたのだ。私たちを、自分を突き落とした犯人へ仕立て上げるために。

 パキッっと、爪の割れる音が鳴り響く。梨深は血相を変えて辺りを見渡し、周囲に他の目撃者がいないことを確認した。

 誰も、見ていない……。私たち以外、屋上には誰もいない……。

 風が吹き抜ける中、梨深はひとり、屋上でほほ笑んだ。

 そうだ。誰も、あいつが飛び降りたところを見ていないんだ。だとすれば、花園愛の求めている結果を変えることなど容易なことだ。あいつは、屋上にいる私たちを、自分を突き落とした犯人に仕立て上げたかったのだろう。けれど、こちらには海人も、椎名しいなあさひもいる。十分すぎるほどの証言者だ。

 梨深の頭で、愛が奈落の底へと突き落とされたビジョンが浮かんでくる。

 とすれば、あいつはただ無駄死にしただけ。ほんと、馬鹿な奴だ。私怨にとらわれすぎたせいで、あいつは周りが見えなくなっていた。ただ、徒野結葉を傷つけられた恨みを晴らすためだけに、私たちにあだなそうとしたのだ。実に馬鹿らしく、そして滑稽だ。


「ね、ねぇ梨深……。私ら、どうすればいいの……」


 声を裏返しながら、取り巻きの一人である椎名が梨深へ助けを求める。


「あんたらはただ、『何も見ていません』ってだけ言ってればいいよ」

「ほ、ほんとに……?」

「うん、ほんとほんと。私を信じて」


 まるで親鳥を慕う小鳥のように、二人が梨深の言葉へうなずく。


「それよりも、早くずらかろうよ。ここに居たら、私たちが愛を突き落とした犯人って思われるかもしれないよ」


 梨深の唐突な一言に、3人の顔が一気に青ざめる。

 あと数分もしたら、状況を察した教員たちがここへ駆けつけてくるだろう。私たちがここに居たことを知れば、彼らは間違いなく疑いの目を向けてくる。それだけは、なんとしても避けなければ。


「ほら、早くして!」

「お、おう」


 梨深を先頭に、4人の足が屋上の入り口へと向かっていく。取っ手へ手をかけた瞬間、梨深は軽い扉へ妙な違和感を感じていた。

 扉が、わずかだが開いている。おかしい。花園愛は屋上へ来た時、確かに扉を閉めていたはずだ。だというのに、扉が開いている。……誰かが、私たちの一部始終を見ていたのかもしれない。この、屋上の扉のわずかな隙間から。

 まぁ、そうだとしたら都合がいい。私たち以外に、事実の証言者が一人増えてくれるということだ。「花園愛が自ら飛び降りた」ことを立証してくれるというなら、こちらとしても願ったりかなったりだ。


「いい? 絶対に余計なことはしゃべらないで。私たちは何も知らない。だって、そもそも屋上になんて行ってないんだから」

「う、うん……」


 ガシャンと、屋上の扉が勢いよく閉まる。4人は急いで階段を降り、それぞれの教室へと戻っていった。

 ざまぁみろ。やっぱり、私の方が優れているんだ。足りない頭で考え抜いた最後の作戦があれだというなら、ずいぶんと下らないものだ。私を犯人に仕立て上げる? 私を追い詰める? そんなこと、出来るわけないじゃないか。だって、あいつが私に勝てる要素なんて、一つもないんだから。

 階段を強く踏みしめながら、乱れた呼吸を整える。廊下を足早に歩いていき、梨深は1年2組の教室の前に立った。

 ずっと、目障りだった。成績だって、容姿だって、家柄だって、私の方が良いに決まってる。だというのに、玉木先輩はあいつの方へ歩み寄った。私の初恋の人を、あいつは奪っていったんだ。

 許せなかった。どうして、あんな人殺しが私の一番欲しかったものを手に入れているのか。どうして私が、失恋なんかに悩まされなければいけないのか。全部、悪いのは花園愛だ。あいつさえいなければ、なんて、これまで何度願ったかもわからない。

 だけど今日、その望みは叶った。ようやくあいつは、私の前から消えてくれたんだ。やった……。これで、先輩はきっと、私の方へ戻ってきてくれる。きっと、私を見てくれる。


 1年2組のドアへと手をかけ、扉を開く。すると、教室の中にいた全員が、まるで異物を見るかのような眼で、梨深の顔を凝視した。


「ねぇ……菊岡さん。これ、どういうことなの」


 委員長の新沼佳奈にいぬまかなが、梨深の前に携帯の画面を差し出す。


「なに……これ……」


 佳奈の携帯に映っていたのは、まるで梨深が愛を突き飛ばした、一枚の写真だった。梨深は、今聞いている陰口が、すべて自分に当てられたものであることを察し、大きく一歩、後ずさりをした。


「さっき、愛さんが花壇で倒れ込んでいるのを、3組の生徒が発見したの」


 佳奈がこれから何を言おうとしているのか、梨深は嫌でも理解せざるを得なかった。


「いや、違う……!私は……」


『私はやっていない』


 喉元まで差し掛かったその言葉が、声に出ない。


「散々いじめといて、挙句の果てに屋上から突き落とすとか……怖すぎ」

「んね……。もうさ、どっちが人殺しかわかんないじゃん」


「人殺しの娘と人殺しならさー、愛ちゃんの方が断然よくない?」

「それな。いくらなんでもさ、これはやりすぎでしょ」


 やめてよ。なんでみんな、そんな目を向けるの。信じてよ。私はやってない。あいつは、自分で飛び降りたんだ。私は、人殺しなんかじゃない。私は、人殺しなんかじゃ……。

 遠くに見える救急者が、サイレンを流しながら紅色のランプを点灯させる。枯れ果てた花畑の中、梨深はようやく、自分がいじめられる側に立ったことを自覚した。



マリーゴールド 花言葉は「絶望」

 

 

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花言葉 スバ @subaru0929

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