受験生のチョコレート事情~柊の棘は甘すぎる 番外編~

羽間慧

受験生のチョコレート事情~柊の棘は甘すぎる 番外編~

 ついにこの日が来たわね。戦いへ行くときが。


 カツサンドを冷蔵庫から取り出した私は、貼られているカレンダーを見つめた。


 今日は二月十四日。

 私立高校の一般入試だ。


 彼氏に手作りチョコを用意する時間はなかった。暖房で溶けないよう、紙袋はお留守番だ。さっき鞄に詰め込んだのは、受験票と筆記用具。洗濯した上履きを入れた袋は、玄関に待機済みだった。


 緊張に打ち勝てますようにと祈りながら、カツサンドを咀嚼する。父が用意したコーンスープを飲み干している間、母が髪を整えてくれた。変に気負わせないように普段通り接しているのがありがたい。


「父さんが学校付近まで送ろうか?」

「受験生がみんな送迎してもらっていたら、近隣のコンビニや駐車場が混み合ってしまうでしょ。電車の行き方は汐亜しあちと確認したから大丈夫よ」


 それに。今日は駅で汐亜と待ち合わせしている。


 スマホをまだ持っていない私が、急に予定を変える訳には行かないわ。彼氏と一緒に会場まで行くことは、ずっと前から約束していたもの。

 こんな理由、浮ついているみたいだから両親には話せないけど。


 ダッフルコートとマフラーを装備して、駅へ歩き出す。


 厳選した単語帳と問題集を入れた鞄は軽い。上履きを入れた袋も頼りないほど軽かった。ちゃんと入っているかどうか、何度も確認しながら進む。


 改札口で密集する制服も、荷物を確認したりプリントアウトした地図を確認したりしている。汐亜を探していると、学ランが近づいてくる。クリスマスにあげたキャラメル色のマフラーが、リボン結びを作っていた。あげるのはチョコレートじゃなくて僕と言わんばかりに。


「おはよ、紅葉。上履きはちゃんとあるね。受験票は持った? 筆記用具は合格鉛筆もシャーペンも消しゴムも余分にあるから貸せるよ」


 いつも私の方がおかんみたいと言われるのに、汐亜も私にだけはお節介を焼く。

 付き合う前からも、付き合った後も、私だけの特権だ。


「持ってきているわよ。カイロは持ってくるの忘れちゃったけど」

「じゃあ、代わりにこれで温めて」


 持たされたペットボトルのラベルには、チュコレートラテと表記されている。手に伝わる温かさは、カイロに負けていない。


「私が飲みたいって言った新作」

「さっきコンビニで買ってきた。それは紅葉の分。僕もさっき自分用に買ったから、遠慮しないでいいよ」


 コートのポケットから同じものを取り出す汐亜は、ふたを開けて口をつける。私も手袋を外して飲んだ。

 緊張した体にほどよい甘さが沁みる。


「美味しい」

「それはよかった。手で温めていたかいがあったよ」


 美味しい理由はまだある。

 付き合って初めて渡されたチョコだもの。美味しさが何倍も膨れていく。


「言っておくけど、これはチョコに入らないよ。ただの差し入れ。僕の手作りチョコは、帰宅した後で渡しに行くつもりだからよろしく。家族でご飯を食べに行くんだったら、紅葉の家のポストに手紙を入れておいてくれる? 明日の午前中にお届けするよ」


 思いがけない情報の連続で、頭が追いつかない。


「さらっと重要事項を並べ立てないでくれる? これがチョコ代わりじゃないの? しかも手作りって……私は断念したのに」


 汐亜のチョコを買ったのは、気分転換で母と行った百貨店の催事場だ。材料やラッピングを買って作るまでの時間は、圧倒的に汐亜の方が長い。気持ちで負けてしまった気がして悔しい。


「前日準備は気持ちを落ち着けることを優先してって、担任から言われたでしょ? 僕にとってお菓子作りは精神統一と同じだから、悪影響にはならないんだよね。紅葉がどんなチョコを選んでくれたのか、楽しみだなぁ」

「視線がうるさい。そろそろ行きましょ」


 フォローしてくれるのはいいけど、焦る私をおもしろがっているんじゃないわよ。


「うん! チョコのために頑張るぞぉー!」


 人目を気にせずに言った汐亜に、解答欄を間違えてしまわないか心配になる。少しくらい緊張感を残しておきなさいよ。


 汐亜ちのチョコを期待してしまった上に、喜んでもらえるか楽しみすぎてスキップしたくなる衝動を抑えている自分は、人のことをとやかく言えないかもしれない。

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