山のおじさん

栃木妖怪研究所

二人だけの山岳部

 私の母校には山岳部がありました。

 幼馴染で、一歳年上の先輩が、山岳部では唯一の知人でした。

 その先輩は、幼い頃から高い所に簡単に上がってしまう人で、幼稚園の頃には、親に叱られると、ひょいと家の屋根に上がって降りてこない事もある子供でした。

 先輩と同じ高校に入学した時、山岳部は先輩一人になっておりました。

 田舎の進学校で、一学年240人前後。全校生徒が800人に満たない小さい高校で、当時は運動部も盛んではなく、人数が少ない為に、部活を掛け持ちでやっている生徒も多い学校でした。

 また、運動会と学校祭は一年毎に交互に行い、全校イベントとしては、学習合宿や進路にあった補講をする為、中々部活動と並行する事が難しい時代でした。

 私も、応援団、器械体操部、歴史研究部、落語クラブ、生物部等に所属し、あちこち顔を出しておりました。小さな学校ですので、そんな事も出来たのでしょう。

 そんな私に、山岳部にいた先輩から、何度もラブコールを頂いたのですが、私は親から、「山岳部だけは入るな。」ときつく言われておりました。母が大学生の時に、同じ大学の山岳部が遭難して、知人が帰らぬ人になったのだそうです。その為、悪い事でなければ、何でも自由にやらせてくれた母ですが、山岳部だけは絶対に許してくれませんでした。

「幼馴染の◯◯ちゃんが.一人でやってるんだよ。』と言っても、全く聞く耳持たずだったのです。仕方がないので、◯◯先輩には、

「すみません。部活やりすぎて無理です。」と、申し訳ないと思いつつ、お断りをしておりました。


 やがて年も明け◯◯先輩達の卒業が迫って来ました。12月頃から、3年生は、登校して来る方々がめっきり減ります。受験に行っていたり、学校公認で自宅に籠って勉強していたり、進学塾に朝から行きっぱなしになって来るからです。

 でも、相変わらず◯◯先輩は、一人、山岳部室におりました。2年も1年も入部がなかったので、自分の代で終わらせてしまうのは忍びない。と、私に、名前だけ部員と言う事にして、まだ見ぬ来年度の新入生に期待すべく、部活の内容、初心者への山岳の基礎、部史の編纂等を作成していたのでした。

 名前だけの私も、気になって、時間が出来ると部室に顔を出して、未経験ながら引継ぎ事項を聞いておりました。

 一通り話が終わった先輩は、一呼吸置いてから、ちょっと言いにくそうな顔をして、私の顔をじっと見ました。

「あのさ。俺への義理で、部活を残す為にやってくれているから、物凄く言いにくいんだけど、聞いてくれるかな。」

「何を?」

「一応山岳部と言う事になるのに、全くトレッキングの経験もない。テントも張った事もない。道具の使い方も分からない。では、話にならないと思うんだよね。いや、分かってるよ。本音はただの義理だって言うのは。でもなあ。」

「仕方ないでしょ。やった事ないし。」

「そうなんだよな。で、考えたんだ。卒業しても、俺が大学に行くためにこの町を出るまで2ヶ月弱はある。で、その間に近くで安全な低山に二泊ぐらい付き合わないか?体力は大丈夫だろ。応援団で旗手やってるぐらいだから。」と、突然言い出したのです。

 私も話を聞くうちに、これは後輩が入って来ても、何の役にも立たないな。と思っていたので、

「了解しました。お任せします!」と、引き受けたのでした。先輩から、どこの山か聞くと、標高が300メートルとちょっと。ハイキングコースとして登れる山で、1日でも走破出来そうな簡単な場所で休憩所やキャンプ場もある安全なコースだという事でした。

 帰宅して、先輩と山に行きたい旨を、母に話すと、母も、その山はよく知っていて、

「一緒に行くのが近所で幼い頃から知っている◯◯君の卒業記念なら。」と許可してくれました。

  翌日から、放課後には山岳部室に毎日行って、道具の使い方やロープの縛り方など、即席で習い、顧問教師には低山にハイキングに行く事や校庭を使用する許可をとり、校庭の隅でテントを張る訓練を行って、登山靴等も揃えました。

 二週間後、3月の晴天。早朝から電車とバスを乗り継ぎ、目的の低山入口を目指します。電車はガラガラに空いていました。ボックス席の窓際に向かい合って、通路側に荷物を置いて座りました。

 先輩は色々説明をしてくれていましたが、私はぼんやりと、先輩の履き古した登山靴と、私の新品の登山靴を見ておりました。

 やがて目的の駅に着き、バスに乗り換え山に入りました。

 1日目は素晴らしい晴天。三月の山は、木々に新芽が出て、薄緑色に染まり、山桜は小さな蕾がついて淡いピンク色に見えるものもあり、水彩画の様な美しさです。

 荷物が重いのと、歩き慣れない山道で結構きつかったのですが、昼飯を取る頃には身体も慣れて、余裕も出て来ました。

 やがて野営地に着き、テントを張って、飯盒で飯を作り、満天の星空の下で、語り明かしました。

 翌日は簡単な食事を済ませて撤収し、次の目的地に向かいました。翌日も晴天。昨日より少し雲が増えた程度で、三月だというのに、汗ばむ気温になりました。

 ところが、午後から段々と雲が厚くなり風が変わりました。急に気温が下がり、かなり寒くなってきました。やがてポツポツと大粒の雨が落ちて来た。と思ったら、あっという間に豪雨と強風に変わりました。

「まずいな。とりあえず雨宿りだ。」と、レインコートが貼り付いた先輩が、脇道に外れました。豪雨でよく聞こえませんが、とにかく先輩の後をついて行くしかありません。

 脇道を10分か15分か歩いたら、目の前が開けて、小さな神社の敷地内に入りました。社務所も何もない小さな神社です。雨でけぶっていましたが、神社の前が少し広場になっていて、滑り台や鉄棒があるのが見えました。

 二人で神社の軒下に逃げ込みましたが、風も雨も強く、軒下では雨宿りにもなりません。

 仕方がないので、二礼二拍手一礼して本殿を開け、中に入りました。鳥居と本殿しかないので、これは本殿でいいのかな?などと思いましたが。

 中は正面に神棚があり、広さは8畳間か10畳間位はあったでしょうか。以外に埃っぽい感じではなく、風雨も入って来ません。

 二人で神棚に礼をして、とりあえず雨具を脱ぎ、びしょびしょになった服も脱ぎ、タオルで身体を拭いて、着替えを急ぎました。

 とにかく濡れたままでは、寒くて冷え込むのです。乾いたシャツに着替えたら、身体がほてって来ます。

「これは参ったな。多分、うちの方も嵐だな。」と先輩が着替えて言うので、

「心配しているかな?」と私が言うと、「ま、しょうがないわな。連絡しようがないし。」と先輩が言って、

「これから先も酷くなっているから、今夜はここに泊まる。身体を温めるから、湯を沸かしてコーヒーでも入れよう。」と私に指示が出ました。当時は携帯電話等ありませんので、公衆電話がないと連絡しようがないのです。まだ16時ぐらいでしたが、どんどん暗くなり、仕方がないのでランタンを付けて、コーヒーを飲み、雨が上がるのを待つしかないなあ。と、思っておりました。

 やがて日没となり、時間も19時近くになりましたら、次第に風も止み、雨も小降りになってきました。20時前には雨も上がったので外に出ました。

 神社の前で、ぐちゃぐちゃになった地面に立って飯を炊き、レトルトのカレーを食べて夕食を済ませました。

 真っ暗な神社前の広場でした。やはり滑り台と鉄棒がありましたが、そこから見える景色は、遠方に人家の燈が見えるだけ。周りが真っ暗で、道すら見えません。広場なので、近くに人家があるのでは?と思った期待は脆くも崩れてしまいました。

 風邪にでもなったら大変だと本殿に戻り、早々とシュラフに潜り込んで、先輩と並んで、横になっておりました。

「明日、直ぐに下山して帰るから。最後は酷いことになったけど、どうだった?」と先輩に聞かれました。正直に面白かったので、その通りに答えますと、先輩は、ちょっと嬉しそうな顔をして、

「来年度に、入部したいってのが来たら、引き続きして辞めてもいいからな。たくさん部活やってて無理だろ。顧問の先生が、後はやってくれるから。」と、寂しそうに話ます。後は受験の話や山の話等、取り留めもない話をして、疲れていたのでしょうか。いつのまにか寝入っていました。

 と、突然、「おい!」と言う声に起こされました。ハッ!っと目覚めると、隣の先輩も目覚めています。先輩が呼んだのか?と思って声をかけようとしたら、先輩が上半身を起こして、本殿の奥の神棚の方をじっと見ているのです。

 私も上半身を起こしてそちらを見ると、男が神棚の前に立っておりました。

 真っ暗でよく見えなかったのですが、雨が上がって出てきた月明かりで、身体の大きな男だと分かりました。

 すると男は、懐中電灯を持ち、私達の顔を照らします。

「お前達、何でここで寝ているんだ?お前達は誰だ?」と聞かれ、先輩が、

「私達は◯◯高校の山岳部です。豪雨で避難させて頂きました。勝手に入ってすみません。」と言うと、男は、

「あ、入って悪い事だと言っているんじゃない。あの嵐じゃ仕方がない。ただ、俺はここによく居る者だから、挨拶ぐらいはしないといけないだろ。」と、言います。

 その間に、私は枕元に置いてあった電池式のランタンを探して、やっと見つけ点灯しました。

 明るくなって男をみますと、作業着を着た50代位の、山男と言うより、農作業から帰ってきた普通のおじさん。と言う感じでした。

 ただ身体が大きく、身長は180センチは超えているでしょうか。幅もあり、力士かプロレスラーの様な体型です。

「そうか。それは大変だったな。俺は名乗る程じゃないが、この山に住んでいて、色々見回りをしているんだ。ここで灯が見えたからな。なんだろうと来てみた訳だ。この山には神社や観音堂が五ヶ所あってな。以前に子供が火遊びをして、火事になりかけた事があったのでな。そうか。山岳部か。ならば火の始末も問題ないな。」などと話をします。

 私も先輩も、ちょっと寝たせいか眠気もなくなり、話してみれば人の良さそうなおじさんです。

 私がコーヒーを出すと、おじさんは大変喜んで、

「気が利くな。後輩さん。」などと、フレンドリーになって、山の話や、この神社にまつわる話などを話し始めました。やがて東の空が群青色になった事、そのおじさんが、スッと立ち上がり、

「じゃ、間もなく夜も明けるから、俺は帰るな。」と言って、本殿から出ていきました。私は何気なく見送っておりましたら、先輩が、

「あっ!」っと声を上げたのです。

「どうしたんですか?」と聞きましたら、「今、出て行ったよな。」と、目を見開いて、本殿の扉の方を見て言うのです。

「出て行ったけど、何か?」と聞きましたら、「扉、開けたか?」と言います。

「え?」

 確かにそうなんです。扉は開けてないんです。スッと出て行ったのがあまりに自然で、私は気づかなかったのです。

 外はどんどん明るくなってきました。急いで扉を開けて、外に出ようとしたら、先輩が「ちょっと待って。」と言って、先に出て、地面をじっと見ておりました。

「靴底見せて。」私の靴底と、自分の靴底を見た先輩は、地面を指差して言いました。「足跡、俺たち二人分しかない。」泥濘になった地面には、私達の足跡しか残っていませんでした。ふと、神棚の方を見ると、手付かずで冷たくなったコーヒーが置いてありました。

 その後、無事山を降り帰宅いたしましたが、未だにあのおじさんは誰だったのか。成人して先輩と呑む度に話に出るのでした。 了

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山のおじさん 栃木妖怪研究所 @youkailabo

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