バブル・ダブルドロップキック

葉月氷菓

過去と未来と冷凍睡眠

 カコと私との交換日記は十二月三日付で止まっていた。それも最後の一週間あたりは幼稚な悪口合戦に終始しており、見返すほどに溜息が漏れる。

 少しの懐かしさと多分の呆れを感じながらページをぱらぱらと捲る。ノートの中ほど、最後(と思い込んでいた)の日記から五ページ程とばした所に、それは現れた。


ばか-あほばか--ばかあほ-ばかばか-ばかあほばかばか--あほばかばか-ばかばかあほ----あほばか-ばか--あほばかばかあほ


 ムカつく……のは一旦置いといて、妙な違和感を覚える。このページに限って文字の記入がノートの方眼に対して丁寧過ぎるのだ。音引きを表す伸ばし棒の一本一本に至るまで、一マスに原則一文字がきっちりはみ出すことなく収められている。筆跡からしてカコ本人が書いたことは疑いようがない。ノートはB5サイズ、十ミリ方眼罫のよくあるタイプで、ためしに他のページを確認してみるとやはり罫線など無視してマス目から元気よくはみ出していたり、斜体かつ斜め配置だったり、文字サイズや色に至るまでルール無用のフリーダム書式だ。私たち女子高生の自由なセンテンスはマス目なんぞに縛られはしない。だからこそ丁寧すぎるページは却って浮いて見える。その不自然さを検証するために、カコが記入した別のページから似たような罵倒語を抜粋してみよう。


         サキのば───────────か‼


 ほら。こういう具合に音引きが一直線にマス目を元気よく貫いている。十七歳という年齢に対して幼稚過ぎる罵倒語のチョイスに関してはノーコメントで。私が記入したページもカコに向けた同レベルの言葉で埋め尽くされていたからだ。

 最初はこうじゃなかった。日記帳の最初のページに戻ると、そこには女子高生らしく勉強や教師への愚痴、不満、クラスメイトの悪口……いや、まるで可愛げはなかったが、とにかく矢立ての初めからして二人が罵り合っていたワケではなく共通の敵にツープラトンを決めて留飲を下げるようなやり取りが常だった。ケンカの切っ掛けは、もちろん覚えている。当時は交換日記のみならず顔を合わせる度に険悪になっていたから。

 一度にたくさんの文字を目に入れたせいで頭が痛む。日記帳を閉じてベッドに横になると、病室特有のツンとした匂いが鼻を突く。なにしろ六十年ぶりの目覚めだ。比喩ではなく凍り付いていた脳神経が仕事を再開したばかりの今、無理をしてはよくない。目を閉じると瞼に浮かび上がるのは家族と、そして悪友カコの姿だった。


   ◆


 時は平成。世界有数の経済大国日本では十六歳から十八歳の国民のうち十五パーセントに相当する子女を「冷凍睡眠コールドスリープ」させ、六十年先の未来で労働生産・経済活動を行うように閣議決定された。日本政府がそのような奇天烈な政策に及んだ理由は、ひとえにバブル経済の影響に依るものだ。

 更に遡ること三十余年。昭和末期から日本国で巻き起こった急激な経済成長は十年経っても勢いを落とすことなく、登り竜が如く世界経済を牽引していた。プラザ合意に始まるドル是正による円高の促進と、それに呼応させた低金利政策により円高不況を回避しつつ投資を活性化。資産価値は爆上がりし、経営者らは物価高を鼻で笑う羽振りの良さで労働者達にその恩恵を還元した。サラリーマンらも逞しく、ある者は二十四時間会社に身を捧げ、またある者はアフターファイブだマイホーム購入だと経済を回し、傍目には豪奢かつ異様な雰囲気を纏った時代だった。そんな怪物的好景気は国内という檻に収まりきらず海外にもその牙を剥きはじめ、欧米諸国の土地や企業、技術を食らい尽くすように買収していった。東洋の小さな島国の傍若無人な立ち振る舞いは他国の反感を買い、一連の暴挙を揶揄して排他的独善バブル経済と呼ばれるまでになった。

 そんな社会の元に生まれ落ちた子ども達もまた、好景気の恩恵にぬくぬくと預かっていた。親の金で欲しいものを買い、学びたいことを学び、労せず就職にありつく。それが平均的なバブル世代のライフプランだ。生まれた時からその調子だったから、恵まれている自覚もなかった。

 そんな超勝ち組国家の超々勝ち組世代に生まれた彼らを、しかし不幸が襲う。世界中から技術を買い漁ることで急速に発展したネットワーク技術、そしてAI技術が一種の特異点を迎えたのだ。進化したAIは容赦なく人間の仕事を次々に奪っていった。手始めにぶら下がり社員を。やがて、免許・資格を手にして晴れて手に職をつけたエンジニアたちを。運転・操縦を、掃除を、製造を、接客を、営業を。圧倒的な仕事効率を誇る電子頭脳の前に、人間はもはやクジラの前の小魚みたいなものだった。

 世界が羨むAI技術のおかげで国家の経済はますます好調の一途をたどり、物価も資産価値も右肩上がりの中で、皮肉にも人間という労働力だけが価値を暴落させていった。無数に増える事業所数に対して生身の従業員は殆ど必要とされず、大勢が職にあぶれ、国や企業も慌てて雇用形態を再整備し始めたが、待っていたのはAIの尻拭いや端役に終始する残酷な飼い殺しで、様々な意味での格差社会が形成された。

 尚のこと悪いのは、AI革新が第三次ベビーブームの直後に起こったことだ。好景気の享楽的な空気に感化されて産めよ増やせよ地に満ちよと天より聞こえんばかりの結婚出産ラッシュで、式場は先負仏滅問わず予約で埋まり、産婦人科も満床で自宅出産がトレンドになった程だ。技術革新寸前のことだから娯楽のバリエーションも少なかったのだろう。

 果たして脅威の合計特殊出生率三・二超時代に生まれたのがネオバブル世代と呼ばれる、時代のツケを支払う哀れな子どもたちだ。物心がつく頃にAI革新が到来しモノや娯楽こそ溢れていたが、テレビから絶え間なく流れてくる暗澹あんたんたる社会不安の空気を肺の奥まで吸い込んで育った彼らは、すっかりスレてヒネて冷めきっていた。

 世代人口が爆発的に増え、しかしその世代は益々発展するAIの影で将来的に大量に職からあぶれることが約束されている。安定した生活を得られない若者らは所帯を持てず、未来に待つのは急激な少子化と治安悪化だ。更にその次の少子化世代の子らは将来的にネオバブル世代の山ほどの年金や健康保険料を支えねばならず、やがて労働者・保険受給者比率ワークライフバランスが崩壊する。

 そんな諸々の問題に喘ぐ日本国を、ある大臣の実にクールなアイデアが救うことになる。ネオバブル世代の一定割合を冷凍睡眠させ、少子化が起こる将来に目覚めさせることで人口バランスを調整する、通称ヒューマンリソースシェアリングHRS政策の実施を政府は取り決めたのだ。政府は百年先を見据える慧眼と、道徳を歯牙にもかけない胆力を併せ持っているらしい。人間の冷凍睡眠メソッドは当時既に確立されており命を落とす心配は殆どなく、更に目覚めた将来の当人に安定した生活を保障するという条件付きだったが、引き換えに選ばれた子らは〝今〟という人生を失ったのだった。


   ◆


 私はめでたくHRS政策の制度受給者いけにえとして選ばれ、冷凍睡眠コールドスリープする羽目になった。家族や友人との六十年の別れなんて今生の別れと殆ど同義だ。思春期の若者にとってこれほど残酷な仕打ちがあるだろうか。私宛の無駄に長くて堅苦しい公文書が送られてきたとき頭が真っ白になった。誰もがそう考えていたように、自分が選ばれるワケがないと思っていたから。それからは家族一同、連日お通夜みたいな空気だった。悪友であるカコに打ち明けたら怒ってくれた。泣いてくれた。一緒にどこかに逃げようと言ってくれた。その気持ちが嬉しかった。けど別れの日が迫るにつれて、周囲をしんみりとさせぬよう私はなるべく気丈に振舞った。そしたらカコは一転して悪態をつくようになった。「無視すればいいじゃん」とか「お金もらえるんでしょ。羨ましい」とか。私も売り言葉に買い言葉でいろいろと酷いことを言ったと思う。その癖、律儀に悪口だらけの交換日記は続けていたのが滑稽で、本音では互いに繋がっていたかったのだ。

 くだらない意地を張って、悪友に碌な別れも告げずに六十年先の未来にきてしまった。今はまだ病室で独りだから実感が湧かないけれど、外に出て知らない人だらけの世界を見たらきっと孤独感が私を襲うのだろう。家族は元気かな。両親にとって私はまだ娘なのかな。

 ──怖い。外に出たくない。

 現実から逃げるように、日記帳を再び開く。冷凍睡眠コールドスリープに際して少量の所持品の持ち込みが許されていたが、スマホは解約したし音楽プレーヤーもサブスク料金が無駄になるので家族に預けてきた。結局持ち込んだのは家族全員が写ったアクリルフォトと、カコとの交換日記だ。縋るようにページに目を通すうちに、私はようやく例のページの謎に気付いた。

「あ……これ、モールス符号か?」

 高校生時分、専門知識なしに簡単に使えるSNSクラッキングアプリ友情破壊ツールが出回った。それはメッセージアプリでクラスメイトの陰口を叩くグループチャットを全世界に公開したり、攻撃的な発言を繰り返す匿名アカウントの住所や顔を暴いたりと、動機は義憤か享楽か知らないが心やましいところのある全てのSNSユーザーを震え上がらせた。そして、ついに私の通う学校内でもクラッキングに遭った生徒が吊るし上げられるのを目の当たりにして、私とカコは青い顔を見合わせて互いのメッセージ履歴を消去したものだった。悪意というものは本当に技術の発展と相性抜群だ。

 そんな訳で、友達間でのみ共有できるシフト暗号や換字式等のアナログ暗号をひとつは持っておくのが自己防衛手段として流行した。私とカコはメッセージアプリで会話する時はモールス符号の短長点やスペースを更に別の文字や絵に置き換えるという二重暗号を使い、さらにスーパーハッカーもお手上げであろう時代遅れな手書きの交換日記まではじめた。〝ばかあほ〟と丁寧に記入された謎のページはその応用だ。短点とスペースを〝ばか〟〝あほ〟にそれぞれ入れ替えたのだろう。

「いつものとこで」

 解読したメッセージを声に出して読み上げると、「くひひっ」と小悪魔みたいに笑う悪友の声が記憶の底から呼び起こされた。いつものとこで。同ページには五月三日という日付が添えられている。五月三日! それは今日、この日であるはずだ。冷凍睡眠コールドスリープはその開始、覚醒日がこと細かに公表されていたのでカコも知るところだろう。きっと今頃テレビなんかで報道もされているはずだ。つまりこれは、「五月三日。目が覚めたら、いつもの場所で会おう」という、カコから私へのメッセージに違いない。とんだタイムカプセルだ。

 ベッドから飛び起き、リノリウムの冷たい床に足を着ける。立ち上がると全身の血の気が引く感覚がして、足がふらつく。六十年もの時が経ち、変わってしまった世界を目にするのが怖い。誰も私を待ってなんかいない現実を思い知るのが怖い。もう一度ベッドに寝転んで目を閉じて、真実に蓋をしてしまいたい。

 それでも私は足を踏ん張った。スリッパを足につっかけて、病室のドアの取っ手を掴む。過去と未来とを隔てる扉をいま開かなければ、きっと一生外の世界には出られない。いつもなんだか斜に構えていて、嫌味ったらしくて、子どもっぽいアイツに──カコにばかあほと言い返す、きっと最後のチャンスだ。私は震える手にぐっと力を込め、重いスライドドアを開け放った。


   ◆


 看護師さん達の目を盗んで、私は六十年ぶりに外の世界に出た。五月にしてはずいぶん暑く、強い日差しに目が眩む。昔テレビの向こうで偉い人達が憂いていたように、きっと地球温暖化が進行したんだ。ギラつく太陽から視点を逸らし、青空を見渡す。空飛ぶ車の姿はない。ふっと冷めたような感覚。技術的には可能でも道路交通法の改正とかが大変なんだろうな。街の様子もいろいろと違う。覚醒処置のあとは住民票のある自治体の病院に移送されたと聞いていたので、地元で間違いないはずなのだけど。とは言え当時から都市開発で公園は潰され、雨後の筍のようにマンションが建ち、いーや、やっぱり子どもの遊び場を大切にしようとまた公園が作られたり、目まぐるしく景色が変わっていたので不思議はない。なんとなく面影を残す道々を歩きながら、カコのことを想った。

 会って何を話そうか。向こうには積もる話もあるだろうが、私にとっては数日ぶりくらいの感覚で、口喧嘩で言われた悪口も一字一句違わず覚えているし怒りも脳内にきっちりと冷凍保存されているが、カコからすれば六十年も前の出来事だ。うら若き日の微笑ましい思い出に変換されているかもしれない。そんな蛙化現象ジェネレーションギャップに私は耐えられるだろうか。皺だらけで、背中も性格もすっかり丸くなった彼女をカコだと認められるだろうか。十七歳。六十年後。七十七歳。事故や大病に見舞われなければ生きているであろう、微妙な年齢。そもそも約束わたしのことなんか忘れて、あれから新しい友達と幸せに過ごしたかもしれない。幸せがきっとカコを丸くしちゃったんだ。嫌だ。ずっと尖ったヤツのままでいて欲しい。悪口を言い合える新しい悪友はできたかな。それもなんか嫌だな。私のことをしょっちゅう思い出して泣いていてほしい。それで、約束の場所でソワソワして待つカコに元気な私の姿を見せて、皺だらけの顔をもっとしわくちゃにして泣かしてやろう。そしたら、曲がった背中を抱きしめてあげる。

 期待と不安、暑さと体の鈍りのせいで心音がうるさいほど高鳴り、十分も歩いていないのに息が上がり汗が吹き出す。入院着の袖で額の汗をぬぐい、ぼやけた視線を持ち上げると目的の場所が目に映った。駅から徒歩五分ほどの、噴水のある寂れた広場。二人で学校帰りに寄り道して、お菓子を食べながら取り留めのない話をした、。驚いたことに当時とさして変わらない姿で私を待っていた。ぐるりと見回すも、カコらしき老婆の姿はない。しかし、ベンチに座る一人の少女に私は目を奪われた。何故なら少女は女子高生ライフを共に過ごした、あの頃のカコによく似ていたからだ。もう一度、汗を拭いてから私はその少女に歩み寄る。少女も私に気が付いたようで、こちらを見て目を丸くしていた。深呼吸して、話しかける。

「あの、もしかしてひいらぎカコさんのお子さん……お孫さんですか?」

「えっ! あの、はいっ」

 少女は驚いたように立ち上がり、控えめな可愛らしい声で答える。たおやかな所作に、透明感のあるナチュラルメイクと清楚な身なり。ガサツなカコとは似つかないものの顔立ちだけはよく似ていた。同級生の孫と顔を合わせるなんて不思議な感じだ。いや、現実的にありえないイベントでもないのだが、こちとら感覚的にはつい先日まで女子高生だったのだ。戸惑いもする。

「そっか。私は三枝さえぐさサキ。おばあちゃんから聞いて、代わりに来てくれたのかな?」

 少女は顔を赤くして俯きがちに、私の問いにこくこくと頷く。内気な子なのだろうか。カコもこのくらいおしとやかなら可愛かったのに。どうやらカコは自分では来られず約束を可愛い孫娘に託したのだろう。約束のメッセージを覚えていてくれた嬉しさの反面、カコ本人が来ていない理由を確かめるのには勇気が要った。けれどいつまでも濁しておくわけにはいかず、私の方から口火を切る。

「ええと知ってるかもだけど、私はあなたのおばあちゃんの同級生だったんだ。HRS政策ってヤツで六十年間……今日まで眠ってたんだよ。びっくりでしょ。ニュースになってたりする? てか、おばあちゃん元気?」

 少女は視線を落とす。そして返ってきた無情な答えは希望を一手で打ち砕く。

「……おばあちゃんは、亡くなりました。二年前に」

 ざあざあと吹き出す噴水の音が急に耳障り聞こえ、苔むした石段が残酷な時の流れを語る。ごめんなさい、と少女は何も悪くもないのに付け加える。

 最後の会話、なんだっけ。ああ、喧嘩か。永遠の別れなら、もっと言うべきことがあったはずなのに。そもそも、どうして私たちが引き裂かれなくちゃいけなかったんだ。バブルなんてサイテーだ。社会なんてサイアクだ。世界はばかあほだ。でも、そう一緒に叫んでくれる悪友はもう居ない。カコの居ない世界じゃつまらない。カコもカコで、あと二年くらい頑張って生きてよ。私ひとりじゃ戦えないよ。

 眩暈がして、膝から力が抜けて、私はベンチに腰を下ろす。少女も気遣うように私の隣に座りなおした。しばし無言の時間が続く。少女もきっと気まずい思いだろう。よく知りもしない女が待ち合わせに来るなり、訃報を聞いて黙りこくってしまうのだから。なんだか申し訳なく思っていると、少女の方から沈黙を破った。

「おばあちゃんとは、仲良しだったんですね。六十年越しの約束なんて、なんだか素敵です」

「あー。な、仲良し……だったかな?」

 教室ではいつも一緒に居たし、別の子から仲いいねと言われることはよくあった。私は八方美人タイプというか、そうでなければ魑魅魍魎住まうJK監視社会で生き残れなくて、そんな中でカコだけは不思議と波長が合って、それ故に互いに露悪的な態度で接することも多くて。そんな関係を私は悪友だと称した。けれど照れくさかっただけで本当は──。

「うん。親友だったよ。いつでも一緒で、なんでも話せて。口は悪いけど頼りになって。たまに可愛いところもあって。カコのこと、大好きだった」

 いっそ口に出すと、氷が溶けたみたいに思い出が溢れて、視界いっぱいの景色にかつての私とカコとの姿を幻視する。

 他の生徒の目に付かないこの広場に寄りあって、クラスの性格が悪い女子や先生への陰口悪口をコソコソ共有する私たちは情けないし格好悪かったけれど、同志で戦友で親友だった。私の冷凍睡眠が決まった時も、他のクラスメイトはインスタントな「可哀そう」な表情を作っておきながら放課後にはけろりとした顔でカラオケやスタバをエンジョイしてやがったけど、カコだけは目が腫れるまで泣いて、いつまでも寄り添ってくれた。最後の一日まで交換日記を続けてくれた。別れの日が迫って互いに罵詈雑言を吐いたのも、戦友を失う寂しさに押し潰されそうだったからだ。

 もう二度と会えない親友。素直になるのに六十年もかかってしまった。だから、せめてカコと似た姿をした目の前の少女に伝えないといけない。

「ねえ。もしも今、あなたに親友が居るなら、大切にしてあげてね。照れくさくても時には気持ちを言葉にして伝えてあげて」

「し、親友ですか」

 私の言葉に狼狽したように、少女は顔を赤くする。心当たりのある相手が脳裏に浮かんだのだろうか。

「うん。いつまでも一緒に居られるような気がしちゃうけど、病気とか事故とか、ワケわかんないことで突然、永遠の別れの日が来ることだって、あるんだよ。だから……」

 言葉にすると鼻の奥がつんと痛くなる。しゃくり上がりそうな声をこらえると、代わりに涙が溢れ出た。さっき汗を拭いた袖で、今度は涙と洟を拭う。

「大好きだよって、言ってあげるの。もしも会えなくなっても一生、友達だよって。後悔しないように。サキばあちゃんとの約束だよ」

 言い終えると、カコがずっと遠い所へ行ってしまった気がして胸が苦しくなった。だけど別れの日にすら泣くんじゃなく悪態をつく。そんなカコの尖った魂をタッチで受け継いで、私は残りの人生イリミネーションマッチを強く戦おうと決めた。これは若き少女への忠言であり、過去への挽歌であり、そして未来への宣戦布告だ。

 思うところがあったのだろうか。少女は顔を手で覆い、ついには体を折るようにしてうずくまった。くつくつと嗚咽を漏らして背中を震わせている。少女を慰めるために、私は身を寄せて頭を撫でる。

「くひひひっ!」

 突然、少女が奇妙な声を上げて、私はぎょっとする。脳の奥のまだ溶け残っていた部分がじわりと染み出すみたいな感覚。何かおかしい。だってその声は、カコの笑い方そっくりだった。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

 笑い方って隔世遺伝するのかなと考えていると、少女はようやく顔を上げて言い放った。

「くひひっ、もう無理! てか、はよ気付けって! あたしだってば!」

「あっ、え?」

 笑い方だけでなく、口調も表情も似てるってレベルじゃない。信じがたい事実を目の前に、思考がフリーズする。

「マジでカコ……? えっ幽霊?」

 混乱する私を見て、またちょっと品のない感じで手を叩いて笑うその仕草は確かにカコそのものだった。でもカコは喜寿を迎えるおばあちゃんで、それどころか二年前に死んでるはずで──。

「もしかして……カコも冷凍睡眠コールドスリープしたんだ!」

「ちげーよ! 中止になったの。なんとか政策が」

「え、なんで」

 カコはスマホを取り出して何かを検索し、画面を私に見せつける。カコのスマホは私の知らない新しい機種になっていた。ディスプレイに映されたネット記事には「冷凍睡眠コールドスリープ措置の一環として血管に注入する不凍食塩液の品質再検査にて、採用メーカー品は人体内においては経年により腐食リスクが急激に高まることが発覚した」とある。状態次第では冷凍睡眠コールドスリープ後二十年以内に死亡に至る可能性があるらしく……背筋の凍る話だ。

「こっわ! てか、いま何年何月なの?」

「令和三年八月。絶賛夏休み中」

「レイワってなに。私、何年寝てたの?」

「三年ちょい。三年寝太郎じゃん」

「誰だよ。てか三年? レイワって平成の次ってこと?」

 そういえば目が覚めたとき、お医者さんに今はナントカ何年だって説明された気がする。その時は寝起きで頭がぼうっとしていて平成から遠い未来にきたんだなあと思っていたが、元号が変わったばかりとは。てか夏かよ。温暖化を憂いた時間を返せよ。……その前に私、さっきカコの前で何を言ったっけ。落ち着いたら、小っ恥ずかしい発言の数々がありありと脳裏に蘇ってきて、鏡をみなくても顔が青ざめているのがわかる。

「どしたの? 具合悪そうだよ、サキお・ば・あ・ちゃん?」

 カコは嘲るように口元に手を当てて言う。全身の血が沸騰したように体が熱くなり、今度こそ怒りが完全解凍された。そんな私にカコは更に畳みかける。

「くひひっ! 顔真っ赤。もっかい冷凍してもらえば? てか、そんなにあたしのこと好きだったんだ。結婚しよっか?」

「うるさい! お前、マジで性格悪すぎだろ! 死んだとか言ってさあ!」

「サキが勝手に勘違いしたんじゃん? あと、ばあちゃん死んだのはマジだし」

「服も化粧もいつもと雰囲気違うし。最初から騙す気だっただろ!」

「違うって。令和はこういう清楚っぽいのが流行ってるんだよ」

「だからレイワってなんだよ!」

「え、待って。あたし今、大学生なんだけど? 敬語使いなよ女子高生おばあちゃん」

「黙ればか」

「うっさいあほ」

 相変わらず、すぐに互いに語彙が尽きてばかあほ合戦になる。暑さで茹って二人とも息が上がり汗だくだ。刺すような日差しで、涙をぬぐった袖はとっくに乾いていた。

「ちょ……場所変えよう。アイス食べたい。駅前のタリーズまだある?」

「あるよ。いろいろ値上げしたけど」

「行きたい。あ、でも一回着替えたい」

「そのままでいいよ。令和じゃみんな周りのことなんて気にしないし」

「適当言って恥かかせる気だろ……もう面倒だしいいけど」

 ベンチから立ち上がると太陽が近くなって暑さに足がふらつく。カコはミニバッグから取り出した折り畳みの日傘を差して、こちらに傾けてくれた。私の知るカコには無い大人っぽい立ち振る舞いに、三年という隔たりが少し憎らしくなった。六十年どころかたった三年で人は変わるものなんだ。大学の友達とか、もしかして彼氏とか、きっと周囲の影響を受けて。小さい日傘の影に二人が収まると、互いの肩が触れあって余計に暑苦しい。けど、なんとなくひっついていたい気分だった。

「そういえば病院黙って抜けてきちゃった」

「ご両親に連絡しときな。今頃、迎えに行ってるかもよ」

「スマホない。あと財布もないや。貸して」

「んー、今日だけ奢ってあげる」

「マジ? 好き。結婚しよ」

「考えとく。そういや結婚できる年齢も変わるよ。女も十八歳から」

「慌ただしいなレイワ。てか私いま何歳の扱いなんだろ」

「国会で討議中らしいよ。ウケる。けど、どのみち来年には受験じゃない?」

「サイアク。考えたくねー」

「赤本貸すよ。あたしも就活ヤバいんだけど。今って就職氷河期とか言われててサイアクでさあ──」


 理不尽な理由で未来に送られたと思ったら、またサイアクの時代にタイムスリップ逆戻りだ。独りで戦う決意ができたとか言ったけど、やっぱり嘘うそ。私のメンタルじゃ千年後だろうが石器時代だろうが、世界の厳しさに心挫けるだろう。だけど〝今〟の私には、一緒にサイアクだと吠えてくれる戦友が居る。カコっていう親友が居る。だから私たちは精一杯スレてヒネて、社会に牙を剥いて、世間に噛みついて、二人で手を繋いで。

 サイアクの時代めがけて、ツープラトンを決めるのだ。


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