松代

@kinchanmaru

松代

 1622年 二代将軍となった徳川秀忠は、次々と幕府に従わない大名の改易や転封を行っていた。


上田藩を治める真田信之も江戸城にて転封を言い渡された。


真田信之 五十六歳の年であった。


上田六万石から松代十万石へ四万石の加増であったが、信之は浮かない様子だった。



「上様、加増は大変ありがたきことと存じまする されどこの歳で父祖伝来の地を離れるというのは……」


「まだ六十にもならぬではないか、我が父は七十五まで生きたぞ」


「流石は大御所様でございます、それがしはもういつ迎えがくるか分かりませぬゆえ、松代に移るまで生きていられるかどうかも……」



実際、体が弱く大坂の陣にも体調不良で出陣しなかった信之なら有り得ぬ話ではないと思いつつも、秀忠は転封については曲げなかった。


上田へ戻ってからも信之はため息ばかりで意気消沈といった様子であった。


ついに出立の日をむかえ本丸東虎口を出た信之は、櫓門横の石垣から父 昌幸の形見だと言って太郎山から掘り出した大きな岩にしがみついた。


「殿!おやめ下さい!」


「ええい!離せ、三十郎!儂はこれを松代へ持っていく!」


岩を掴んで離そうとしない信之の腕を真田家 筆頭家老 矢沢頼康が掴んだ。


「きっと、あの時のことを根に持っておられるのでしょうな」


1600年 関ヶ原での戦の折、秀忠は信之の父 真田昌幸の挑発にのり江戸から関ヶ原へ向かう途中、信濃の上田城を攻めた。


秀忠は父 家康をよろこばせようと、必死に止める信之の言葉を聞かず上田城攻めに失敗、更には関ヶ原に着陣した時には勝敗は決しており、家康をよろこばせるどころか失望させたのであった。


「で、ありながら殿に対する大御所様の評価は高く、粗末には出来ぬといった所でしょうな」


信之は、秀忠に将軍職を譲り大御所となった家康の死後五年も経つというのに、そのお墨付きを蔑ろにしないあたりが律儀で真面目な秀忠らしいと感じていた。


「殿、この三十郎がどこまでもお供いたします 気をお鎮めくだされ」


頼康が「どこまでもお供いたします」と言ったのはこれが三度目であった。


一度目は勝頼公が天目山にて自害、仕える家がなくなり路頭に迷った時、二度目は父 昌幸、弟 信繁と東西に別れて戦うと決めた時だった。


数え切れないほどの裏切りや別れの中でここまで付いてきてくれた。

今更、この男を無下に扱う事はできない。



「そうか、どこまでもついてきてくれるか三十郎」


落ち着いたのか疲れ果てたのか、大人しくなった信之を駕籠に乗せ、一行は上田城を出発した。


紅葉がなければ、春と間違えてしまいそうな程に暖かい日だった。


途中一度だけ、砥石城の当たりを通った時、信之は感慨深そうに揺れる景色を眺めていた。


一行は砥石城を過ぎると真田の郷の近くを通り、地蔵峠へと入っていった。


一面に敷き詰められた紅葉に木々の隙間から射す陽がキラキラと輝き、信之の花道を飾った。


幾度か休憩をするも、信之が駕籠から降りてくることはなかった。

こんな素晴らしい小春日和に鬱屈とした雰囲気でいるのはもったいないと誰もが感じながら海津城に到着した。



ところが信之は太鼓門を通り駕籠を降りるや否や「どうだ、松代は良い所だろう!なあ、三十郎!」と、頼康をまっすぐ見つめた。


問いかけられた頼康は目を丸くして驚いた。



そばに居た誰もが驚いた。

あれほど松代が嫌だと嘆いて出立の前には仙石氏への引継ぎ書類を処分しようとしていた男が急に態度を変えたのだ。


駕籠の中が窮屈であったと言うように両腕をいっぱいに伸ばし、胸いっぱいに松代の乾いた空気を吸い込んでいる。


「殿、これは一体……」


「上様が改易や転封を行うと聞いたのでな、まわりに洩らしておったのじゃ、『いくら加増であっても松代だけは勘弁して欲しい』とな」


そう言って信之は高らかに笑った。


「必ず上様のお耳に入ると思っておったわ」



頼康は信之の考えをようやく理解した。


「ずっと芝居を打っておったと言うわけですな!いやー、しかし上様のお考えを逆手に取るなど、よう思いつかれましたな」


「父上ならそうすると思ってな」



信之の父 昌幸は頼康にとって従兄弟であり、かつての主である。


「九度山で言われたんじゃ『なにゆえ秀忠に逆の事を言わなかった お前が進んで上田城を攻めようと言えば、これは何かおかしい裏があるかもしれぬと、そう思って素通りしたに違いない』とな」


「ははははは!」


それを聞いた頼康も確かに昌幸らしいと大笑いした。


「時に、なにゆえ松代に?」


「もし転封になったらと、ずっと考えておった あの城を離れるのは些か寂しい気持ちはあったが、あれは元々徳川が造った城じゃ 返してやろうではないか」


そう言うと本丸、櫓、その奥にそびえる山々を見渡した。


「この城はな、この海津城は、信玄公が築城したんじゃ」


「よう覚えております」


「父上や源二郎と共に武田、織田、北条、徳川、上杉、豊臣と渡り歩いて来たが、なにせ勝頼公がご自害あそばされてからと言うもの、目まぐるしくてな、儂の中で御館様と言えば今でも信玄公なんじゃ」


海津城は幼い真田兄弟が憧れた城だった。


「やっと手に入れた、ここから儂の第二の人生が始まる、儂はまだまだ生きるぞ!」


その言葉どおり、真田信之は江戸時代では異例の九十三歳で人生を全うした。

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