空から降って地で溶ける羽
浬由有 杳
短編創作フェス お題「羽」+「10」
ジムからの帰り道。
冷たい雨はいつの間にか大きめの
街灯の灯を白く反射してふわふわと落ちていく雪とも氷ともつかぬ薄片。
なんだか、羽毛みたいだ。
ふと思う。
まるで、夜空を羽ばたく純白の羽から抜け落ちた小さな羽毛みたいだと。
静寂の中、振り続ける
溶けかかった雪はそのうちまた雨に変わるのだろうか?
それとも、本格的にドカ雪になるのだろうか?
1月は真冬。北部九州では雪が降り積もることもある。
雪は嫌いだ。どうせ冷たいなら雨の方がいい。
雪は静かすぎて、思い出してしまうから。一人でこんなふうに歩いていると。
『10年ひと昔』なんて嘘だ。
10年経っても、『想い』はちっとも色あせやしない。
今でも、はっきりと蘇る。
空っぽの冷たい身体に縋って、一人、泣き続けたあの夜を。皆が眠りについた後、誰もいない部屋でたった一人で。
結露で濡れたガラスの向こうでは、羽のようにふわふわと霙がただ音もなく舞っていたっけ。
最近、よく母が思い出話をするんだ。
貴方と行った鎌倉旅行のこと。貴方と観たミュージカル映画のこと。
あの頃、私は仕事で手いっぱいで、いつだって留守番だった。
『あなたが料理をするなんて、びっくり仰天よね。○○〇が聞いたら大笑いよ』
彼女にとって、貴方はすでに大切な思い出の中の存在なんだね。
懐かしそうに、愛おしそうに、貴方の名を口にする。
あれから、私が呼んだことがない貴方の名を。
10年経っても、私は声にすら出せない貴方の名前を。
『ごめんなさい』も、『ありがとう』も、『さよなら』さえ告げずに、静かに旅立った嘘つきな貴方。
ずっと一緒だと言ったくせに。
退職したら二人で海外をあちこち旅行して回ろうって言ってたくせに。
守れない約束だけ残して、勝手にさっさと逝ってしまった貴方。
私は決して許さないから。絶対、優しい思い出になんかしてあげないから。
貴方が最期まで気にしていた母さん。彼女は相変わらずお喋りで、活動的で、年の割には元気にしてるよ。
貴方が拾った、貴方にべったりだった茶虎の子猫。彼は立派なシニアのブタ猫になり、私のストーカーになっている。
大丈夫。安心していいよ。
彼らは私が幸せにしてみせる。彼らの生が無事に終わるまで。
死にゆく貴方に誓った言葉を、私はちゃんと覚えているから。
貴方は約束を破ったけれど。
傘をずらして、白い羽が降る夜を見上げる。
ひとひら、ふたひら…。
降りこんだ薄片が頬に触れ、たちまち冷たい雫となって滑り落ちた。
夜空の向こう、天上には、天使も神も居はしない。
どんなに必死に祈っても、奇蹟なんて起こりはしない。
それでも…
「全て果たした暁には、どうかできるだけ早く貴方のところへ行けますように」
静まり返った夜に、震える声で呟いてみた。
ずれ落ちたショルダーの紐をかけ直し、凍てつく大気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ハンカチを出して、涙を拭う。
目を瞑って、心の中で一言唱えて。
『がんばれ、私。その日まで』
空から降って地で溶ける羽 浬由有 杳 @HarukaRiyu
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