さようなら、アメジスト

たれねこ

さようなら、アメジスト

「トルバ、新しいゴミの山があるよ」

「本当だ。じゃあ、今日はここにしよう、アヴィ」


 二人の少年は投棄とうきされたゴミの山を目指した。

 二人が住むのはゴミ溜めの町と呼ばれる、富裕層や貴族が多く暮らしている優美な街の外にあるゴミ捨て場。そこでまだ使えそうな物や屑鉄くずてつなどを日銭ひぜにのために拾い集めている。


「アヴィ、大物があったよ」


 トルバが指差した先にはピアノがあった。

 経年劣化で色褪せ、側板などには傷があり、脚が一本折れているせいで傾いていた。

 トルバはピアノのふたを開け、試しに鍵盤の一つを押した。


 ポーン。


 思いのほか綺麗な音が響いた。

 それを見たアヴィも同じように鍵盤を押すと、どこか間抜けなビョーンという音が鳴った。アヴィが顔をしかめながら別の鍵盤を押すと、今度は音すら出なかった。

 アヴィが不機嫌そうにする隣でトルバは腹を抱えて笑った。

 それが二人がピアノに出会った日のことだった。



 数年後――。

 跳ねるようなピアノの音色が、陽が暮れたゴミ溜めの町に響いていた。その音を囲むように住人が集まっていた。

 ここにいる人間は皆、小汚い身なりで食事もみすぼらしく、雨風をまともにしのげない環境で暮らしている。アヴィとトルバも同様で、二人は物心つく前に町に捨てられていた孤児だった。

 二人は町に育てられた子供で、かわいがられている存在だった。そんな二人の弾くピアノは、聴く人の心をうるおし、笑顔にした。


「トルバ、何か一曲頼むよ。お前のピアノは上手いから聴き心地がいいんだ」

「アヴィは今日も楽しそうにピアノを弾いてるな。聴いてるこっちまで楽しくなっちまう」


 あの日拾った壊れたピアノを町の大人は修理してくれた。

 といっても、ゴミに埋もれない場所に移動させ、折れた脚の代わりになる台を用意し、調律としてそれっぽい音が出るようにしただけで、出ない音はそのままだった。

 それでも二人には十分だった、

 まだ聴ける廃レコードを集めていた人に音楽を聴かせてもらったり、読み書きができるトルバがピアノの弾き方などを拾い集めた本で調べた。

 トルバが先に上達して、アヴィに教える。そうやって二人は独学でピアノを弾けるようになった。

 二人はみんなの喜ぶ顔見たさに、毎日のようにピアノを弾いた。


 そんなある日、予期せぬ来訪者がやって来た。警護のための兵士を引き連れた貴族の男がやって来たのだ。

 ゴミ溜めに貴族たちの街から人が来ることはあまりない。来てもろくなことがない。

 無意味に暴力を振るわれるだけならいい方で、玩具おもちゃ奴隷どれいにするために連れ去っていくということもあった。連れ去られた人は、廃人か死体でしか帰ってこなかった。

 だからと反抗的な態度を見せれば、問答無用で殺されたり、ゴミとして町ごと焼き払われるだけだと経験から知っていた。


「ゴミ溜めでピアノを弾いているのは誰だ?」


 兵士が貴族の言葉を代わりに告げた。

 町の人間は、ピアノの音が不愉快だから殺しにやって来たのだと思い、誰しもが口を閉ざした。

 そして、大人たちはアヴィとトルバを隠すように二人の前に立った。


「おい、聞こえなかったのか? さっさと名乗り出ろ」


 兵士は威圧的に言葉を重ね、持っていた銃を空に向けて発砲し脅してきた。

 トルバは大人の陰で「僕がピアノに興味を持ったから……」と小声で呟きながら、恐怖と後悔で震えが止まらなくなった。

 アヴィはトルバの肩に手を置き、トルバを安心させるために笑顔を見せ、大人の陰から前へと歩み出た。


「僕です」


 名乗り出たアヴィはそのまま連れていかれ、トルバはそれを見つめることしかできなかった。

 それが二人の人生を分かつ岐路となった。



 アヴィは貴族の男の家に連れていかれた。

 貴族の男はロダトと名乗り、アヴィを連れ帰った理由を説明した。


「少し前かな。仕事から帰ってると、風に乗って、ゴミ溜めから楽しそうなピアノの音色が聴こえてね。その音色がとても気に入ったんだ」


 ロダトはさっそくアヴィにピアノを弾くように命じた。

 アヴィはトルバほど上手くない。もしここで上手く弾けなければ――想像するだけで緊張して、指先どころか全身が冷たくなった。

 思うように動かない指で奏でられるぎこちない音色に、ロダトは表情を曇らせた。アヴィはそれを見て、演奏を止めてしまった。

 しかし、ロダトは怒ることはなかった。それどころか、まだ幼いアヴィが突然のことに緊張してしまうことに理解を示した。

 さらにアヴィに、美味しく温かい食事や新品の綺麗な服だけでなく、練習用のピアノや大量のレコードなどが用意された部屋まで与えた。

 ロダトの期待がアヴィには重圧で、トルバに対する罪悪感にさいなまれた。

 この厚遇はトルバが受けるはずだったもので、今さら人違いだと白状すればアヴィは殺され、代わりに連れてこられたトルバが同じ待遇を受ける保障もない。腹いせに町がひどい目に合うかもしれない。

 アヴィは、生きるために自分の価値を証明しなければならない。

 だから、死ぬ気で練習をするしかなかった。

 トルバの音や教えてくれたことを思い出しながら、ピアノに向かった。


「最初はゆっくり狙った音を出せばいいよ」

「アヴィは耳がいいから、いい音はすぐ分かるはずだよ」


 アヴィはトルバの言葉を指針に、用意されていたレコードを聴きあさり、いい音と曲を必死に覚えた。それを鍵盤の上で少しずつ形にしていく。

 しかし、どんなに上手くピアノを弾いても、ロダトは満足しなかった。


「上手いピアノが聴きたいのなら、ちゃんとしたピアニストに頼めばいい。君に求めるのは“それ”じゃない」


 ロダトの言葉をアヴィは理解できず、記憶の中のトルバに救いを求めるしかなかった。


「ねえ、アヴィはどうピアノを弾きたい?」

 ――誰かが喜ぶピアノを楽しく弾きたい。


「アヴィは気持ちをピアノに込めればいいんだよ」

 ――分からないよ、トルバ。


 アヴィの精神は限界が近かった。

 暗い部屋に淡い月明かりが射しこんでくる。アヴィは暗さには慣れていて、今では手軽に明るさを手に入れられる場所にいるのに、不安で胸がいっぱいだった。


「今の気持ち……寂しいよ」


 アヴィは月明かりに照らし出されたピアノを鳴らし始める。

 即興演奏インプロビゼーションは、次第に輪郭を持ち始める。

 細く綺麗な音で、今は会えない大切な人たちを想って紡がれる小夜曲セレナーデ

 しばらく弾いていると、部屋の扉が開けられ、現実に引き戻されたアヴィは演奏を止めた。

 扉の向こうには、満ち足りた表情を浮かべるロダトと涙が止めらない使用人の女の姿が見えた。


「私が求めていたのは、“それ”だよ」



 それからアヴィはロダトが聴きたいときにピアノを弾く道具として、次に自宅に招いた友人に見せる特別な玩具としてピアノを弾いた。

 ロダトは、アヴィがレコードを聴き込んで弾ける曲が多いことや感情を揺さぶる即興演奏インプロビゼーションに、ラウンジピアニストとしての才能を見いだした。

 そして、自身が主催するパーティ会場で、アヴィをラウンジピアニストとして紹介した。

 その瞬間、アヴィはゴミ溜めで拾われた玩具から、人間になった。


 その後、アヴィは商談をする場や貴族の社交場であるサロンでも演奏をし、ピアニストの階段を駆け上っていった。

 連れてこられて十年後には、小規模のホールでコンサートをするまでに至った。

 初めてのコンサートを終えた舞台上で、アヴィは拍手の雨を浴びた。

 聴いた人の心を満たしたという実感と達成感が込み上げてくるが、同時に強くなるトルバへの罪悪感と寂寥感せきりょうかん



 ピアニストとしての地位を確立したアヴィは、ロダトを後見人に市民権を得た。


「これは私からの贈り物だ」


 ロダトはアメジストがあしらわれた首飾りをアヴィに贈った。


「アメジストには、感受性や想像力を豊かにすると表現者に好まれる宝石だ。他にも癒しを与え、前向きにする力があるとも言われている。それはまさに君にピッタリだと思うんだ」


 アヴィは首飾りと共にわずかな自由も手に入れた。

 そして、久しぶりにゴミ溜めの町に帰ることにした。

 あの日拾ったピアノは健在で、傷にまで懐かしさを覚えた。


「お前、アヴィか? 生きていたんだな。それにしてもその姿は……いや、今はまた会えたことが嬉しいよ」


 アヴィに気付いた町の大人が驚いた様相で声を掛けてきた。安堵の想いが強い声にアヴィの張りつめていた気持ちがほどけていく。


「……トルバは?」

「トルバか……あいつはな――」


 トルバはアヴィと別れてすぐに心を病んでしまった。

 あの日、ピアノに興味を持たなければ、アヴィより先に名乗り出ていれば――トルバは自分を責め続け、ピアノを弾くこともできなくなった。

 それでもアヴィとの繋がりだからと、ピアノから離れることもできなかった。

 そして、トルバはゴミ漁りをしている最中に崩落に巻き込まれて、呆気あっけなく亡くなった。


「トルバはずっとアヴィに謝っていたよ。鍵盤のふたの裏を見てみな」


 アヴィは言われるがまま鍵盤の蓋を開けると、そこにはトルバののこした想いが刻まれていた。


『アヴィ、君は僕を明るく照らす太陽だった』


 アヴィはその文字に触れながら、静かに涙を流した。

 きらびやかな街に憧れることなく、ゴミ溜めでも毎日笑っていられたのはいつも隣にトルバがいて、手を引いてくれたからだった。

 アヴィにとってトルバは、アメジストだった。


 アヴィはグリッドサンドでピアノの音を確認する。

 相変わらず調律は狂っていて、出ない音は放置されていた。




 ポーン、ポーン――


 呼びかけるようにトルバが最初に弾いた一音を響かせる。

 そこにトルバとの思い出が、音になって重なっていく。

 途中からトルバの音がなくなり、孤独だった日々を月夜に弾いた小夜曲セレナーデのメロディを使いながら、重層的に描いていく。

 そして、またトルバの音が戻ってくるが、二度と交わることがない悲しみに満ちていた。

 最後にトルバに届くように最初の一音を響かせ、想いを余韻に残して消えていく。



 それは聴いた人の寂しさに優しく寄り添う葬送曲レクイエム

 アヴィが生涯で唯一遺した曲――『さようなら、アメジスト』。

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さようなら、アメジスト たれねこ @tareneko

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