〈全部嘘〉
こーの新
〈全部嘘〉
俺の名はこーの新。ここから語る話は〈ノンフィクション〉である。
俺の名が決まったのは小学生のときのことだ。まだ小さなノートに小話を書いていただけだった俺は、そのまっさらな表紙のノートに記名をしようと考えた。小説家の夢への第一歩、せっかくならペンネームを作ることにした。
特に仲のいい友達もいなかった俺は教室の席にポツンと座りながらペンネームの案を考える。男らしい名前にしようか、中性的な名前にしようか。なんて考えたが答えが出なかった。性別が関係無さそうなものから決めようと思い直した結果、とりあえず名字だけ決めることにした。
「田中、佐藤、鈴木……」
有名どころから候補を挙げていると、視界の端に河野が友達と話しながら楽しそうに笑っているのが見えた。
河野は俺の初恋の相手。幼なじみだった河野はいつでも優しくて、俺はその魅力的な笑顔に惹かれた。河野は周りを笑顔にする天才で、たとえ自分が犠牲になるとしても周りのために頑張るような、放っておけないタイプの人間だ。
早速ノートの表紙の下、罫線に合わせて「河野」と横書きした。河野のような誰かのための物語を綴れる人になりたい、なんてものはただの建前だ。好きな人の名前を名乗りたい下心しかない。
もし万が一誰かに名前の由来を聞かれたら。
何の気なしに机の引き出しに手を差し込むと、ひんやりとした塊に手が触れた。引っ張り出してみると昨日の昼休みに図書館で借りてきた本だった。読み切ってしまっているし今日にも返そうと思っていたのだが、すっかり忘れていた。放課後にでも図書館に寄るか。
世の若い女性たちの間で今大人気の恋愛小説。恋愛小説を書く勉強になればと思って読んでみたが、かなり面白くてラストシーンには涙を流さざるを得なかった。作者の名前は、河野……ん? 河野?
これだ。
この作者にあやかっていることにしよう。実際、この作者の作風は好きだから問題は無い。
さて、名字は決まったとして。名前はどうするか。恋愛小説を書きたいからなるべくかっこいい名前か厳つい名前にすればギャップが生まれると思うのだが。
好きな漢字から考えると龍か狼、朔もありだよな。霧、雪、六花とかもかっこいい。銀狼、朔月、霧夜、紅雪、龍牙。好みの名前を挙げればキリなく出てくる。
だが、名字は河野だぞ。河野銀狼、河野朔月、河野紅雪……絶妙に微妙だ。かっこいいのかダサいのか分からない。何をどう捉えても、今流行りのダサかっこいい、にはならない。
もう少し普通の名前でかっこいいもの。かっこいい、そもそもかっこいいってなんだ。
一度考えることを放棄して天井を見上げる。凸凹している黄土色の天井は見慣れているような、見慣れていないような。普段から見るわけではないけれど、テストの時間には手持ち無沙汰なときによく眺めている。古い天井にはいくつか蜂の巣が作られかけた痕跡や、どうやってつけたのか分からない足型も残されている。あまり見ていて気分が良くなるものではないが、悪くなるものでもない。ただそこにあるものだ。
そうだ、俺の要素を入れよう。この名前が、俺がここにいる証になればいい。
俺の名前をバラバラにして、組み立てて。良い感じの名前ができないか?
……アラタ。漢字に直して、そうだ、新にしよう。
河野新。うん、悪くない。
ここから語る話は〈フィクション〉である。
作品を世の中に出すようになって半年、俺は大学生になっていた。いくら宣伝をしても読者は一向に増えない。試しにスマートフォンで自分のペンネームを検索してみると、とある政治家や野球選手に同じ名字、名前の人がいるもので、俺の作品ページに辿り着くには次の検索結果を読み込まなければならなかった。
これだけが原因な訳ではない。分かっている。けれど、改善できるところは改善していかなければ。そうして思い立ったのは改名だった。
寝起きのまま寝癖もそのまま。夜のうちに最新話が放送されたアニメタイトルの中から、何度も視聴したテンポ感の良いものを選んで第一話から流す。
「異世界転生ってやつ?」
お気に入りのふかふかの手触りが心地いいぬいぐるみを抱っこして、テンションが高い少年主人公の声をBGMに、思考を巡らせる。
俺は俺。河野新は自称小説家で、何の制約もなく思うがままに言葉を綴る。メガネを掛けていてクールを装っていて、謎の自信に満ち溢れている。あといつも目つきが悪い。
考えるほどに名前の全てを変えることは受け入れられなくて、結局表記を変えるだけにしようと決めた。
使い慣れた名前占いのサイト。履歴に出てくる我が子たちの名前の上に思いついた変更案を一つずつ順番に入力していった。「こうのあらた」「こう野あらた」「こうの新」「河野あらた」「こーの新」……
一番運勢が良かった「こーの新」を今度は検索エンジンにかける。「こーの」だけでも試してみると、他のものが出てこないわけではない。それでも今のままよりはマシなようだった。
「これに、しよっか」
投稿サイトの名前を変えて、SNSの名前を変えて。報告の近況ノート作成やツイートをして。
「自重しろ!」
「ごめんなさぁい!」
ようやくテレビに意識を向けたころには第一話がちょうど終わったところだった。
これは〈正真正銘〉俺、こーの新の名前の由来だ。
俺は〈嘘つかない〉から。
〈全部嘘〉 こーの新 @Arata-K
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