共生

こーの新

共生


 三匹のネズミたちは、今日も日が沈んだころに藁束の中から顔を出した。長男のグルは鼻をひくひくと動かして匂いを嗅いだ。そして辺りが安全だと判断すると、乾燥して固くなった畑の土の上に飛び降りた。そのあとに続くように次男のレグと三男のログも飛び降りて辺りを改めて確認する。周りに敵がいないと分かると、三匹はグルを先頭にして闇夜に紛れて駆け出した。


 住処にしている藁束が置かれている畑を飛び出して、隣の畑の土手を駆け抜ける。途中、レグが道の真ん中にカラスが落として車に割らせたらしいクルミの破片を見つけた。グルはレグとログを置いてパッと道に飛び出すと、器用に破片をかき集めてまた土手に戻る。土手の小さな草むらに隠れてグルが戻ってくるのを待っていたレグとログは、グルが集めてきたクルミを置くのを待ってグルに頭突きをお見舞いした。


「安全確認もしないで道に飛び出すな、危ないだろ!」


「そうだよ、グルに何かあったら、僕、僕、うぅっ」


 レグはポロポロと泣き出してしまったログの背中を硬い毛を擦った。二匹の様子を見たグルは肩を落として頭を地面にぶつかるほど下げた。


「ごめん、これからはもっと気を付ける」


 グルが反省の色を示せば、三匹は仲良くクルミを分け合って食べ始めた。カラスが大部分を食べてしまっていたクルミを食べ終わるのはあっという間だった。綺麗に完食した三匹は、また土手の上を走り出した。そうして畑の端まで行くと、グルが辺りを見渡してから道に飛び出した。レグとログもそれに続くと、道を渡り切って今にも崩れ落ちそうな土倉の横を駆け抜けた。そうしてまた道を渡ると、小さな寺と墓地が見えてきた。その近くに生えていた青々とした人間の腰ほどの高さの低木には、ネズミが両手でやっと持てるくらいの大きさの赤い実が無数についていた。


「昨日はまだ熟しきっていなかったけど、今日はもう完熟だろうな」


 この場所を見つけたレグは木の実の香りを嗅ぐと、得意気に胸を張った。


「じゃあ、食べてみるか!」


 グルがワクワクを隠しきれない様子で木の実に手を伸ばすと、隣からパッと手が伸びてきた。グルの手を止めたその手は、ギュッと不安げに握られた。


「で、でも、毒とかあったらどうしよう」


 ログが情けなくプルプルと震えながら言うと、グルは木の実をもぎ取ってその上に石を置いた。重みで潰れた実から出てきた汁に触れたグルは、それをペロリと舐めてみた。


「ん、全然大丈夫だよ」


「何やってるの!?」


 グルの突飛な行動にログは目玉が飛び出すほど驚いた。ペチペチとグルの身体中をまさぐって、その身体の無事を確かめるとホッと息を吐いた。


「あんまり危ないことをしないでよ」


「ごめんごめん。さ、食べようか」


 あまり反省する気がないグルにログはムッと頬を膨らませた。けれどレグがその口元に実を持って行くと、思い切りパクリと実にかぶりついた。呆れて眉を下げたレグも実を頬張り始めると、三匹は夢中になって実を取っては食べた。


 実が木の一角からごっそり姿を消したころ、三匹は丸まると膨らんだお腹を抱えて住処を目指して歩き出した。途中草むらで揃って糞をして、少し身軽になった身体で焦ることもなくのんびり帰る。


「今日の空はまた一段と綺麗だな」


「そろそろ寒くなってきたからな。空気が澄んでいてよく見えるんだと」


「へえ、レグは物知りだな」


 グルとレグの会話を聞きながら、ログはビクビクと後ろを振り返ったり辺りをキョロキョロと見回したり。


「ログ、そんなにびくびくしなくても大丈夫だって」


「そ、そんなこと分からないでしょ!」


 ログがグルに言い返す。しかしその声は大きすぎた。レグの耳が近くの草むらでガサゴソと何かが動く音を聞き取った。


「走れ!」


 何か分からない。けれどとにかく逃げておくに越したことはない。三匹はレグに言われるがまま来た道を引き返し始めた。自分が何から逃げているのか気になったログが走りながらチラリと後ろを振り返る。闇夜に光る黄金色の瞳。シューシューという息遣い。チロチロと見え隠れする細長い舌。


「へ、ヘビ!」


 ログが悲鳴を上げて速度を上げると、グルはレグに自分より先に行くように鼻で示した。


「グル?」


「大丈夫だ。レグはログを見失わないようにして。はぐれたら危険だ」


「分かった」


 ネズミは単独行動をとることが多い。それでも三匹の兄弟がいつも一緒にいるのはこういうときに協力して逃げるためだ。野ネズミは家ネズミよりも寿命も短い。生き物はいつか死ぬものだけど、まだ死にたくはない。せめて老衰したい。


 グルはレグとログから距離が開いたことを確認すると、少し速度を落としてヘビが自分を狙うように仕向けた。そして完全にロックオンされた瞬間、レグとログが通った道を外れて近くの空き家の草だらけの庭に飛び込んだ。


 ここにも野生動物はたくさんいて、見つかれば命はない。けれどあのヘビから逃げ切るためにはこれしかない。なるべく安全な道を選ぼうと、朽ちたブロック塀の上を軽やかに駆け抜ける。ヘビもブロック塀をニョロニョロと上がってグルを追いかける。それでも少し距離が開いた。


 このままここを駆け抜けようとしたとき、グルは上空にトビが旋回していることに気が付いた。後ろにも上にも天敵がいる。グルはトビが急降下を始めた瞬間にブロック塀を駆け下りた。飛び降りればそこを狙われる。案の定トビはグルを追うことが難しくなってまた上空に飛び上がった。グルはブロック塀を下りた先にある小さな隙間をすり抜ける。けれどその先にも大きな影があった。ネコはグルを見つけると飛びかかって来た。グルは横に飛んで避けると、加速して近くの小穴に逃げ込んだ。


 その先は垂直な壁になっていて、退路を失ったグルはそこを駆け上がるしかなかった。必死に走るとそこからは少しだけ星が近く見えた。住処から少し離れた赤いトタン屋根の家。ネズミが走るには少し距離のある開けた場所だけと、周りには敵の姿が見えない。呼吸を整えようとグルが立ち止まると、後ろからシューシューと鳴き声が聞こえた。グルは後ろを振り返ることなく屋根から飛び降りた。


「グル!」


 落ちる途中に聞こえた声にグルが顔を上げると、隣の青い瓦屋根の家の屋根裏に繋がる穴からレグが顔を覗かせていた。グルは後ろと上空を確認すると、着地と同時にレグの元へ駆け出した。


「グル、無事で良かった!」


「ああ、はあ、レグも、ログも、良かった、はあ」


 グルは流石に息を切らしてへたり込んだ。レグがその背中を擦っていると、ログは泣きながらグルの胸元に飛び込んだ。


「泣くなよ」


「だ、だってぇ」


 泣き喚くログを二匹が宥めていると、今度は屋根裏の中からも何か物音がした。


「嘘だろ」


「ごめん、確認はしたんだけど」


「ふう、戦うしかないか」


 疲弊したグルと一緒に戦おうとレグが立ち上がると、ログはプルプルと震え出した。


「た、戦うって、そんな、危ないよ!」


「大丈夫、俺の力とレグの頭脳があれば勝てるさ」


「ログ、ここはオレらに任せて隠れとけ」


「う、ううん。ぼ、ぼ、僕、僕も、行く。隠れてばっかりじゃ、嫌だ」


 ログが震えながら言えば、グルとレグは少し目を見開いた。けれど嬉しそうに微笑んでログの頭を撫でた。


「分かった。一緒に行こう」


 グル、ログ、レグの順に物音がした方に歩いて行くと、大きな影が見えた。けれどネコではない。茶色の毛並みと少し痩せた身体。タヌキだ。


「行くぞ」


 グルが声を掛けた瞬間、タヌキはのそっと身体を動かして三匹の方に駆け出した。


「ぎゃあ! 食べないで!」


「ごめんなさい! 命だけは!」


 グルとレグは飛びかかろうとしたところでつんのめった。ログは震えながら頭を抱えているし、タヌキは三匹に土下座をして命乞いをしている。


「食べないから、オラのことも食べないでぇ!」


「ぼ、僕は食べない! ぐ、グルとレグも食べないから! だから食べないでぇ」


 二匹の情けない声が屋根裏に響く。グルとレグはずっこけた体勢のまま、お互いに縮み上がっている二匹を見比べた。予想外の展開に頭が追い付かない。


 けれどずっと呆けてもいられない。あのシューシューと言う息遣いがまた近づいて来た。


「追って来たか」


 グルの声でヘビの存在に気が付いたログとタヌキは、お互いに抱き合いながら震えあがった。グルとレグも流石にもう逃げられないと終わりを悟ったが、ログを庇おうとヘビの前に立ち塞がった。しかし、ヘビはピタリと動きを止めて来た道を戻って行った。


「そうか、ヘビは耳が聞こえないから。彼がどんなに情けない声を上げていても気が付かない。オレたちを食べるより天敵から逃げることを選んだんだ」


 レグがそう考察してログとタヌキを振り返ると、二匹はヘビが去ったことに安堵して、背中を預け合って脱力していた。タヌキに三匹を食べる意思はない。けれどグルとレグは死なないために警戒心を強めた。タヌキはそれを察知すると慌てて三匹から距離を取った。


「オ、オラ、食べない! だからお願い、食べないで!」


 タヌキは必死な形相で首をブンブンと横に振る。そんなタヌキの姿にグルは首を捻った。


「どうして食べないんだ?」


「だ、だってオラ、狩りが下手だし。今みたいに暗いと怖くて動けないし。でも明るいところにいたら襲われるし。いっつも、夜遅くならないうちに木の実を集めて食べてんだ。ここに住んではいるけど、怖いから食べたらジッとしてるだけ」


 タヌキはしゅんと肩を落とした。その姿は情けないが、今日までここで生きてきた。それだけ音や匂いに敏感で、身を隠すことに長けている。


「タヌキさん、俺はグル。こっちはレグで、君に抱き着いていたのがログ。君の名前は?」


「名前? えっと、確か、そう。ラスカル。母さんが、そう呼んでた」


 ラスカルはずっと一匹で暮らしてきた。ラスカルはビビりで狩りが苦手だから、群れにとっては邪魔だった。


「ラスカル、俺たちを食べないでいてくれるなら、一緒に暮らさないか?」


「い、良いの?」


「ああ。そうだ、ちょっと待ってて」


 グルはパッと駆け出すと、屋根裏に空いた小穴から駆け下りて家の中に侵入した。キョロキョロと見回しながらすっかり寝静まった家の中を歩いていると、お目当てのものを見つけた。静かにそれを口に咥えて来た道を引き返す。そして咥えて来たものをラスカルの前にコロッと転がした。


「これは?」


「灯りだよ。この家の旦那がよくイヌの散歩をするときに持っているものを拝借してきた」


 グルはこの辺りの地理にも住人にも詳しい。レグほど知識が豊富なわけではないが、地頭は良い。とはいえ、拝借してきた懐中電灯の使い方は分からないからレグの方に押しやった。レグは小さくため息を吐くと、持ち手の先端にあった黒いボタンを押した。途端に屋根裏の一角が明るくなって、ラスカルは歓声をあげた。


「うわあ、これは良いや! グルくん、レグくん、ありがとう」


「すごい!」


 同じく暗がりが苦手なログも嬉しそうに笑ってラスカルに身を寄せた。ビビりなくせに一度信頼すると全く疑わない。それはログの長所でも短所でもある。


「あの、これから、よろしくね」


 ラスカルが三匹に微笑みかけると、ログがいの一番に頷いた。グルとレグは若干の苦笑いを浮かべながらも、ラスカルと鼻先をぶつけた。




 三匹のネズミと一匹のタヌキの生活は思いのほか順調な暮らしぶりだった。お互いに雑食ではあるものの、肉を好んでは食べなかった。だからグルとレグが見つけてきた木の実の在り処にみんなで出向いて食事とした。ラスカルがいれば、グルたちは大抵の天敵に襲われることがなかった。もしも襲われてもグルたちがいれば、今まで引きこもっていたせいで土地勘がないラスカルも確実に逃げることができた。


 グルたちは今まで冬が来ると寒さに震えながら藁束の奥に隠した木の実を食べて、身を寄せ合って暮らしていた。けれど今年は断熱材の中に身を隠した。そして断熱材のない寒いところには、四匹が冬の間に食べるための木の実を積み上げた。それを食べながら、ラスカルの冬毛の温かさにも助けられて四匹揃って冬を越えた。


 春が来ると、四匹は少しずつ動きが活発になってきた。ラスカルの冬毛も徐々に抜けて、出会ったころのシュッとした姿も肥えた。スマートながらほどよく肉付きの良い身体に、ラスカル自身が一番驚いていた。


「オラ、今まで瘦せ細っていたのに」


「ほどよく食べていたからだろ。これからは適度に運動もして、一緒に身体づくりをしていこうぜ。そうしないと今度はプヨプヨになっちまう」


「うん。一緒にやろう」


 レグとラスカルの会話を聞きながら、グルとログも身体を伸ばした。オスばかりだから繁殖のためには出会いを求めていかなければならない。しかしラスカルはこの冬をこの屋根裏で過ごしたために、パートナーがいない。グルはそれを心配していた。


「ラスカル、俺たちはこれからたまにパートナー探しをするけど、どうする?」


「オラたちタヌキはもう繁殖期も終わるころだから。それに、こんな弱っちいのを相手にしてくれる子なんていないから」


 半ば諦めているラスカルの姿にログも肩を落とした。


「僕も弱っちいからな」


 そろいも揃ってしょんぼりするログとラスカル。グルとレグはため息を吐くとパンパンと手を叩いた。そしてログとラスカルを梁の端に立たせると、その背中を押し出した。


「ランニング百本!」


「グルの鬼!」


「ネズミでなし!」


「なんだよそれ」


 グルはラスカルの造語にケラケラと笑う。グルとレグはログとラスカルがスピードを落とせないように後を追いかけた。屋根裏の中ならば天敵は来ないし、梁から落ちても断熱材が受け止めてくれる。


 そんな好条件の中で気を抜いていたのだろう。連日ランニングをしていた四匹が昼間に身を寄せ合って眠っていると、ガサゴソと物音がした。物音に気が付いたグルとラスカルがレグとログを起こそうと身体を揺すった。ログは起きたが、寝坊助のレグは全く起きない。仕方がなくラスカルがレグを咥えたまま梁の陰に身を隠した。


 急に灯りが漏れてくると、人間が顔を覗かせた。手に持った懐中電灯でグルグルと周りを照らす。顔を覗かせて様子を窺っていたグルも慌てて頭を下げて身を隠した。ジッと息を潜めていると、人間の男はガサゴソと何かを置いている。


「うわ、こっちに糞あるぞ」


「じゃあ、やっぱり住みついちゃってるんだ」


 男と下にいるのだろう女の声。グルは自分たちがここに住んでいることを察した人間が自分たちを抹殺、または追い出そうとしていることに気が付いた。未だに眠っているレグとブルブル震えているログとラスカル。自分がしっかりしなければと気合を入れた。


 男が帰って行ってまた屋根裏が薄暗くなると、ずっと張り詰めていた空気がホッと緩んだ。ログとラスカルはお互いに手を握り合ったままへたりこんだ。


 レグもようやくのそのそと起きて、ふわぁっと大あくびをした。そしてそのままさっき人間たちが顔を出した辺りにフラフラと歩き出す。


「レグ、待って。そこは危ない」


「ん?」


 グルに声を掛けられて足を止めたレグは、ぼやけていた目をくしくしと擦って目を凝らした。するとそこには何やら紙のようなものが敷き詰められていた。


「これは……粘着トラップか」


 レグは以前これを見たことがあった。藁束のねぐらに辿り着く前、民家の屋根裏もいくつか見て回っていた。そのとき、これに捕らえられたネズミを見たことがあった。これに捕えられれば最後、飢えと喉の渇きに耐えられなくなって、やがて力尽きて死んでいく。途中で他のケモノに齧られることもある。他のネズミがそこを安全に通るために足場にされることもある。恐ろしい拷問具だった。


「これに引っかかれば最後、ただ死を待つだけだ」


 レグの静かな声に、ログとラスカルは縮み上がった。


「じゃ、じゃあ、オラたちはもうその辺は歩けないの?」


「ああ。そういうことになるな」


 確かに勝手に屋根裏を間借りして悪いと思わないこともない。けれど、懐中電灯を拝借した以外で彼らの家に押し入ったことはない。ここで獣肉を食らったこともない。それなのに追い出されなければならないなんてことがあってたまるか。


「とにかくこれを何とかしよう」


「何とかって、どうやって」


 グルは粘着トラップを避けながら走っていく。冬の間寝床にしていたものとは違う断熱材に歯を立てると、それを勢いよく噛み切った。グルがそれをズルズルと引き摺ると、レグもグルがやろうとしていることに気が付いて走り出した。ラスカルも走り出そうとしたけれど、レグに止められた。


「ラスカルは粘着トラップに引っかかりやすい。そこで待ってろ」


 ラスカルが一番の力持ちだということは分かっていた。けれど身体が大きくて小回りが利かない。一番粘着トラップに引っかかりやすくもあった。


 グルとレグが断熱材を引き摺っていると、それは何かに引っかかって動かなくなった。そっと様子を覗き込んでいたログの表情がぱあっと明るくなった。


「粘着トラップに引っかかったよ」


「よし、この調子だ」


 グルとレグがある程度の足場を作ると、様子を窺っていたログも協力して三匹で粘着トラップの全ての面を断熱材で覆ってしまった。その間にラスカルは外に出ていた。夜ではないから人目につきにくい場所に生えたオレンジ色の木の実を収穫した。それを両手に抱えて、途中出会ったネコに威嚇されながらもなんとか屋根裏に戻ってきた。


「お疲れ様。おやつ採って来たよ」


「ありがとう。大丈夫だったか?」


「大丈夫だよ。前にグルが教えてくれた木に行ったらね、たくさん実がなっていたんだよ」


 四匹はラスカルが採って来た木の実を食べながら疲れた身体を労わった。そしてまだ夜は来ないから、ゆっくりと眠りについた。


 夜になるとまた起き出して、いつものように狩りに出かける。木の実をたらふく食べて戻ってくると、またログとレグによるランニング指導が始まる。粘着トラップは断熱材の下。四匹は気兼ねなく駆け回ることができた。


 思う存分身体を動かしたら、日が昇るころにまた四匹で身を寄せ合って眠りについた。


 しかし、また日が高く昇っている間にガサゴソと何かが迫って来る音がして、グルはパッと目を覚ました。ログとラスカルをつついて起こす。レグのことはどうせ起きないからと起こそうともせず、そのまま梁の陰に転がり落とした。勢いよく転がったけれど、ラスカルがしっぽで受け止めたから怪我はない。


「うわ、やられた。断熱材がボロボロだ」


 前日と同じ場所から顔を出した男は、無残に切り裂かれた断熱材を見て顔を歪めた。男は一度顔を引っ込めると、今度は何やら重みのあるものをそこに置いた。グルは身を屈めたまま唾を飲んだ。何が起きるか分からないけれど、粘着トラップよりも質が悪そうだ。


「じゃあ、やるぞ」


 何故か男の方が唾を飲む。グルは自分たちの方に光が届いていないことを確かめてから顔を覗かせた。黒い無機質な物体。男がそこに取り付けられたボタンを押すと、高周波の音が流れ出した。


「なっ」


 レグは嫌な音に飛び起きて大声をあげそうになった。ラスカルは慌てて自分の手を当ててレグの口を塞いだ。レグはギョッとした顔をしていたが、次第に落ち着きを取り戻してラスカルの手をトントンと叩いた。けれど自分も怯えているラスカルは一向に手の力を緩めない。レグはバシバシとラスカルの手を叩いた。口を塞がれているだけではなく、鼻も微妙に塞がっているから呼吸が苦しい。ようやくレグが暴れていることに気が付いたラスカルが手を離す。レグはラスカルを睨み上げた。ラスカルは身を竦める。


 男が戻って行って屋根裏に薄暗さが戻る。


「殺す気か!」


「ご、ごめんよぉ」


 いきり立つレグにラスカルがアワアワしていると、その隣でトサッと軽い音がした。


「グル?」


 ログが音のした方を振り返ると、グルが耳を塞いで倒れていた。苦しげな呼吸。レグもあの音のせいで痛み始めた頭を抑える。ログはうるさいとは思うが体調に大きな影響が出ることはなかった。震える手でグルとレグの頭を撫でてあげながら、あの機械をどうにかしなければと考えた。けれど怖くて仕方がない。


「き、きっと、あの男が押したスイッチ、あれを押せば、止まる、よね?」


「オ、オラが行くよ」


「ううん、僕が!」


「いや、オラが!」


 二匹とも怖い気持ちと戦いながら、苦しげに倒れるグルとレグを見つめた。いつも二匹に助けてもらってばかりだから。今日は自分がなんとかしなくてはと武者震いをした。


「一緒に、行く?」


「うん。そうしよう。グル、レグ、オラたち、行ってくるから。もうちょっと頑張ってね」


 ログとラスカルはビクビクと周りや足元を気にしながら歩き出した。手を繋いで歩く二匹の後ろ姿を見送りながら、グルとレグは目を見合わせると、苦しみに勝る嬉しさに微笑ましく笑った。


 ログとラスカルは無事に機械の元に辿り着くと周りを観察し始めた。ログが見て回っていると、ラスカルは機械に鼻でツンと触れた。音の他に何か危ないものがないか、爆発したりしないか。不安しかなかった。


「だ、大丈夫だよ、ラスカル」


「だ、だよね!」


「ねえ、こっちにボタンがいくつかあるんだ」


「ま、待ってね、そっち行くから」


「気を付けてね」


 お互いの声が震えていることには気が付いていた。けれど気にしてしまえばもっと怖くなる。ログもラスカルも、ただこの機械の動きを止める以外のことは頭から押しやろうとしていた。


 ソロソロと移動したラスカルがログの隣に立つ。ラスカルは三つ並んだボタンを前にして首を傾げた。ログもお手上げといった様子で肩を竦めた。ラスカルはログの姿にグッと気合を入れ直した。


「よ、よし。順番に押してみよう」


「えぇ、大丈夫かな?」


 ログが不安そうにラスカルを見上げる。ラスカルはログと目が合うと、押し殺していた不安がむくむくと沸き上がってきて肩を落とした。


「わ、分からない」


 二匹は騒々しい音の前で小さくなってしまった。


「い、一回グルたちに相談しよう」


「そ、そうだね。僕もそう思う」


 ログとラスカルは二匹の元に戻ろうとした。けれど、二匹がさらに苦しそうに丸まっているのを見て足が竦んだ。今ログとラスカルがやらなければ、グルとレグはそれの分長く苦しむことになる。ログとラスカルは目を見合わせるとまたボタンの前に戻った。それぞれ何かマークがついているが、そのマークの意味は分からない。


「こっちから、やってみる?」


「そうだね」


 ログが一番右のボタンを鼻先で押そうとするが、重たくて押すことができない。そこでラスカルが後ろからお尻を押してやると、カチッと音がして徐々に音量が大きくなった。


「う、うぅっ」


「うるせぇ……」


 グルとレグの苦しそうな声が聞えて、ログとラスカルは抱き合ってプルプルと震えた。


「ど、どうしよう」


「と、とにかく隣のボタンを押そう」


 ログも流石にこの大音量には耐えがたかった。けれど自分の推し間違えのせいでグルとレグが苦しんでいる。ヨロヨロとボタンの前に戻って行った。


「ログ、離れてて、オラがやるから」


「大丈夫。僕、頑張る」


 ラスカルはふらつくログを心配した。しかしログがあまりにも真剣な眼差しをしているから、それ以上止めることはできなかった。


「分かった。次は、真ん中だね」


 今度もログが鼻先でボタンを押して、ラスカルがその後ろから力を掛ける。すると今度は音量が徐々に小さくなっていった。


「や、った?」


「やった、ね。うん、やったよ!」


 まだ音は鳴り続けているが、微かに鳴っている程度だ。離れたところにいたグルとレグにも聞こえてはいるが、そこまで気になりはしない。


「最後の一個、押してみようか」


「そうだね」


 ほんの少しだけ勇気を持つことができたログとラスカルは最後のボタンも力を合わせて押すことができた。すると音は完全に止まった。


「と、止まった」


「やった、やったね、ログ!」


 ログとラスカルは喜んで飛び跳ねる。グルとレグがふらつく足で立ち上がると、ログとラスカルは二匹に駆け寄った。


「グル、レグ!」


「大丈夫?」


 ドタバタと駆け寄ってきた二匹に苦笑いを浮かべながら顔を見合わせたグルとレグは、それぞれログとラスカルの頭を撫でてやった。


「ありがとな」


「助かったぞ。ありがとう」


 二匹に感謝されて満足気に笑ったログとラスカルは、安心したのかうつらうつらし始めた。グルが一定のテンポで背中を叩いてやれば、二匹並んで夢の中。グルとレグも二匹の傍に身を寄せて眠りについた。


 夜、四匹は目を覚ました。そして人間が置いて行った機械の匂いを嗅いだり周りを回って他の危険がないかを改めて確認した。そして男が顔を出した場所までそれを運んだ。


 すぐ近くではあった。それでもネズミたちには重たくて、汚れが擦れた痕がなければ動いているのか分からないほどしか動かなかった。でもラスカルの力を合わせれば、ズリズリと目的の場所まで運ぶことができた。狙い通りの場所に運ぶことができた四匹は喜んだ。けれどこれ以上に追い出されそうになっても困ってしまう。


「しばらくは静かに過ごすか」


「そうだな」


「じゃあ!」


「ああ、ランニングは止めて、あまりドタバタしなくてもできる筋トレメニューを組んで身体づくりも続けよう」


 ラスカルはランニングがなくなると表情を明るくした。けれどレグがにこやかに笑って筋トレと言うと、絶望したような顔をした。


「夜に外を走るのと筋トレと。どっちが良い?」


 見かねたグルが問いかける。


「筋トレで!」


 ログとラスカルは食い気味に声を合わせて答えた。グルとレグは顔を見合わせると小さく吹き出した。そして、頑張ろうとお互いを鼓舞している二匹を微笑ましく眺めていた。




 屋根裏から物音がしなくなってから一年。家主の男が夕方のイヌの散歩に行こうと準備を始めた。玄関でイヌにリードを付けて、靴箱の上にいつも置いている懐中電灯を取ろうとした。しかし懐中電灯は見当たらない。


「母さん、懐中電灯知らないかい?」


「そこにないの? 仕方ないわね、探しておくからとりあえずこれでも使って」


「すまない。ありがとう」


 女が男に予備の懐中電灯を手渡す。女は近くをガサゴソと探し始める。男はイヌを連れて散歩に繰り出した。


 男が庭を出てすぐ、屋根裏から白く揺れる光が漏れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

共生 こーの新 @Arata-K

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説