おとうにんさん

日間田葉(ひまだ よう)

金刀比羅宮の例大祭

 金刀比羅宮の神事として知られる秋例大祭の「お頭人とうにん」のことを、地元では「おとうにんさん」と呼びます。


 お頭人とは汚れのない童男・童女には神が宿るという古い信仰から祭りの日にお山のご本宮から里のお旅所たびしょまで大神様を先導して下りてくる子どものことです。


 行事は十月九、十、十一日の三日間行われ、特に近郷の人たちがどっと詰めかけるのは十日夜の「おさがり」です。


 大神様がご本宮を午後九時に出発して七百八十五段の石段を約四百人が平安絵巻さながらの大行列で下ります。


 私が子どもの頃は十月十日の体育の日を挟み九、十、十一は小中学校がお休みになりました。


 九日は琴平に三校ある小学校からそれぞれ鼓笛隊が出て金毘羅さんの麓の町を演奏しながら練り歩きます。


 ブラスバンドのパレードほどの規模でも内容でもないですが今考えるとあの時代にトランペットを筆頭に演奏しながらパレードする田舎の小学生ってなかなか珍しかったのではないかと思います。


 この鼓笛隊は多分もうやっていないと思いますがあの頃は土曜日も半日授業があった時代なので練習する時間も十分にあったのです。秋の運動会が近くても文化祭が近くてもなんのそのでした。


 九日の昼には出番も終わり、それ以降は楽しいお祭りが待っています。


 当時の小学生にとっては大神様のお下がりよりもお旅所の露天市のとうもろこし、金魚すくい、いか焼き、たこ焼き、怪しげな見世物などにドキドキワクワクでした。


 ただ露天市に出かけるのは親と一緒に夕方からです。お昼ご飯は家で母親が作ったばら寿司(ちらし寿司)やレンコンやゴボウの揚げ物にうどん、甘酒などをいただきます。


 私は酢が苦手でばら寿司も好きではなかったのですがこの日だけはたくさん食べていたような気がします。


 甘酒は一斗甕いっとがめで米麹ともち米で作る本格的なもので毛布を掛けて温度管理をしていたのを覚えています。私は甘酒が大好きでこっそりかめから柄杓ひしゃくで掬って飲んでいました。


 いつの年だったかいつものように甕の置いてある流し台の下の幕を持ち上げたらイタチと目が合ってお互いにびっくりしてしばし見つめあったこともありました。


 甘酒の蓋は簡単にとれないのでイタチが飲んではいないのですが、何故あの場所にイタチがいたのかは今でも謎です。一体何をしていたんだろう。


 そんな不思議な出来事も大祭の頃は日常茶飯事だったような気がします。


 昔はたくさんの参拝客でそれはそれは賑わっていた大祭も今ではすっかり寂しくなってしまったようです。


 スマホもゲームもない時代、何でもない事が楽しくて嬉しくて、未来に夢や希望がありました。


 もうあの頃には戻れないけれどあの頃の幸せだった記憶だけは大事にとっておきたいなと思います。

 

 読んで下さりありがとうございました。

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