『エンジェルウィングス』

滝川誠

『エンジェルウィングス』

「ごほっ、ごほっ」

 私は今日もベッドの上で咳き込んでばかりいた。病名は知らされていない。

 多分、もう治らない。だって、ベッドの上には大量の羽根が散っている。

 咳き込む度に、口の中から羽根が出てくるのだ。体の奥から出てくるのか、口の中で作られるのか分からないけれども、この奇病に悩まされていた。

 父と母は、こんな私を怖がって、食事のとき以外、あまりこの部屋に近づいてこない。 話す相手がいないので、私はずっと本を読んでいるか、ベッドの上で寝ている。散歩は許されてもらえない。きっと、この病気を他の人に知られるとまずいから。

 窓の外を見る。隣の家が見える。最近できた家だ。お隣さんなのに一回も顔を合わせたことがない。

 今日は春の陽気がうららかで、たまには外の空気を吸いたい。

 カララと窓を開け、サンダルをつっかえベランダに出る。

 うーんと背伸びをして、大きく息を吸うと、どこからか花の香りが漂ってくる。香りのする方は右下だ。そちらを見ると、隣の家の庭に女性が一人、花の手入れをしていた。

 女性がこちらに気づいて顔を上げる。綺麗な人だった。目はぱっちりとして、鼻の形が整っていることが特徴だ。女性が手を振る。

 予想外な展開となって、緊張をしていた私は小さく手を振った後、自分の部屋に引っ込んでしまった。

「ごほっ」

 はらりと羽根が落ちる。

 やっぱり外なんて出なければ良かった。


 ピンポーンとチャイムが鳴る音がする。

 母は出かけているので、今家には私しかいない。

 仕方ないのでパジャマに上着を羽織って一階に下りた。

「はい……」

 玄関のドアに小さく話しかける。

「隣の家の者です」

 女性の声がした。おそらくこの間見た人だろう。私はガチャリと鍵を開けた。

「こんにちは、うちでマドレーヌを焼きました。良かったらどうぞ」

「あ、はい。ありがとうございます……」

 マドレーヌを受け取ろうとした瞬間、うっと込み上げる気配があった。

「う、ごほっ、ごほごほっ」

 膝をついて、床に向かって羽根を吐き出す。

「大丈夫⁉」

 女性が近寄ってきた。まずい、羽根を見られたら。私は手で急いで羽根をかき集める。

「大丈夫、です」

「それ、羽根?」

 一枚取り逃した。私はさっとその一枚を取ろうとしたら、手の中の羽根をばらまいてしまった。

 やばい。やばい。やばい。

 こんな姿を他人に見せたくなかった。目をぎゅっと瞑っていると涙が滲む。

「大丈夫よ、安心して」

 震える体を女性が優しく私の背中を撫でる。その手が温かくて、陽だまりみたいで、私の体は徐々に緊張を解いていった。

「ほら、もう平気」

 おそるおそる女性を見る。優しく微笑む彼女は私に安心をくれた。

「あ、ありがとうございます……あの、このことは、絶対に誰にも言わないでください」

「うん、言わないよ。えーっと……名前を教えてくれないかな?」

「え、あ、早紀です」

「私は香子。お隣同士よろしくね」

 香子さんは私に手を差し出した。

 香子。あの初めて彼女を見た日、香りに誘われた私はぴったりな名前だと思った。

「 香子さん」

 手を取る。そして、小さく上下に動かし、笑い合いあった。

 照れ臭くなって顔が熱くなる。久しぶりに親以外の人と交流をして、私の心に潤いが戻った気がした。

 香子さんはマドレーヌを私に渡して、隣に帰って行った。


「花吐き病なら聞いたことあるのにな」

「花吐き病?」

「片想いを拗らせた人が花を吐く病気。まあ、フィクションなんだけどね」

 私はがっくりと肩を落とした。

 私と香子さんはお互いの家のベランダにいて話している。

 ベランダに頬付けをついているだけなのに絵になる香子さん。カメラがあったら絶対にシャッターを切っていたのに。

「羽根を吐く病気を調べたけれども、やっぱりなかったわねえ」

「やっぱり……」

 こんな奇病が他にあったとしても表に出てこないだろう。私のように家族がその人を部屋に封じてしまうはずだ。周りに気づかれないようにするだろう。昔は村八分なんて言葉があって、奇病を持つ一家は不当な扱いを受けたらしい。

 私は羽根を吐いたところを見られたのが香子さんで良かった。しかも、私のために病気を調べてくれるなんて、優しくて聡明な人だ。

「そういえば、香子さんは何故、こんな辺鄙な住宅街に引っ越してきたんですか?」

「東京に嫌気がさしてねえ」

 東京にあまり憧れがなかったので、「へえ」としか相槌を打たなかった。

 彼女の住む家は立派で、建て売りではなく、注文住宅らしい。そんな家に一人で住んでいる香子さんが不思議でならなかった。

 結婚はしていないのだろうか。彼女は見たところによると、30歳前後と言える。大人の女性に歳を聞くのも失礼な気がしているので、私の感覚でしかないが。

「香子さんは……ごふっ、ごほっ」

 はらはらと吐き出された羽根がベランダから舞う。

 香子さんはそれをキャッチして、じっくりと羽根を見ている。

「これ、鳥の羽根でもなさそうね」

「では、何の羽根なんでしょうか?」

「調べてみるね。これ、貰っていい?」

 こくりと頷いた。彼女になら託してもいいだろう。

 香子さんに心を許していた。


「早紀ちゃん」

 母が食事を持って部屋に入ってくる。今日は野菜のポトフと、バターロール。

 私の食欲は日に日になくなって行った。

 吐き出す羽根も多くなり、私の命はもうすぐ絶えるんだと覚悟をしていた。

「お隣さんと最近、会話していないわよね?」

「うん」

「それならいいのだけれど……」

 母はびくびくと世間体ばかり気にする。香子さんとベランダで話しているのを見られてから禁止されて一ヶ月が経った。

 母は食事をしている私をじっと見ている。

「そろそろ病院に移った方がいいんじゃないかしら」

「私は自分の部屋で死にたい」

 死にたいという言葉に母ははらはらと涙を静かに流した。そんな母を見ていられなくて、窓ガラスを見た。真っ白な顔をして、痩せこけた自分がうつっている。

 香子さんと話したかった。せめて最後の一回。

「ごちそうさま」

 食事をほとんど残して、母におぼんを渡し、ベッドの中に潜りこんだ。


 雨がざーっと降っている。じめじめとして鬱陶しい。

 6月になっていた。

「ごほ、ごほっ」

 羽根が私の部屋を埋め尽くす。

 ピンポーン。チャイムが鳴る。

 今は母が家にいるから、私が対応しなくてもいいだろう。

 しばらくすると言い合う声が聞こえてきた。

 気になって、部屋からそっと出て階段を下る。声がはっきりと聞こえた。香子さんだ。

「お願いですから、彼女と話をさせてください!」

「娘はもう限界なんです! 帰ってください!」

「お母さん」

 私の声にはっと後ろを振り返る母。

「私、香子さんとお話したい。させて」

 母は娘の体を心配したが、娘の頼みである。母は一歩下がって、香子さんに「どうぞ」と道を譲った。

「お邪魔します」


「あの後ね、いろいろ伝手を使って調べたの。いたよ、羽根吐き病の人」

「嘘……その人は今?」

 静かに横に首を振る香子さん。私は「そっかあ」と呟いた。そんな私を見て、香子さんは美しい顔で私をじっと見た。

「私、最近分かってきたの」

「何ですか?」

「花吐き病もフィクションじゃないってこと」

 花吐き病が何か関係あるのだろうか。。私は話の続きを待った。

「おそらくだけど、何かを成就するとその病気が終わるんだと思う」

「成就……」

 私は考えた。何がしたいのかを。

「小説が書きたい」

「小説?」

「この病気を題材にした小説」

 本ばかり読んできたけど、たまには自分で文章を書いてみるのもいいだろう。誰に見せるわけでもないかれども、私は物語を作りたかった。

 ただ、羽根吐き病の小説と言ってもハッピーでなければ。

「それなら、私がバックアップする」

 香子さんは身を乗り出して、言った。

「香子さん、でも、それじゃお仕事は?」

 そういえば、香子さんの仕事を聞いたことがなかった。

「私は小説家よ」

「えー⁉ ごほごほっ」

 羽根が手の中で艶を失っている。もう限界が近い。早く成就せねば。


 次の日、香子さんが私の部屋にノートパソコンを持ってきた。

 私はベッドの中でぽつぽつと物語を紡ぐのを、香子さんが原稿用紙に打ち出す。

 その間、できるだけ母は近くにいた。

 日に日に、私の物語を紡ぐ時間は短くなっていく。

 それでも、辛抱強く香子さんは私の言葉を待った。

「完……ごほっ」

 咳き込んだ瞬間、体がぱっと光った。

「何⁉」

 母と香子さんが顔を見合わせている。

 体が温かい。

 私はやりたいことを成し遂げたのだ。

 これで、やっと……。

 光がおさまる。

「きゃっ」

 母が悲鳴を上げた。私は窓ガラスを見た。背には立派な羽があった。

「あ……そうか……」

 私は分かってしまった。何故、羽根を吐いていたのか。あれは私のこの羽を作るための羽根だったのだ。

 私はふわりと浮かぶ。

「早紀ちゃん!」

 母が悲鳴のように私の名前を呼ぶ。

 外を見ると、虹がかかっていた。虹は天使の通り道だと聞いたことがある。もしかして、私のための虹なのだろうか?

 ベランダへ出る。虹の起点がこのベランダだ。私は生まれて初めて虹の端っこを見た。

 振り向くと、香子さんがじっと私と虹を見ている。

「香子さん、お世話になりました」

「私は何も……できなかったわ」

「いいえ、小説が完成したのは香子さんがいたから」

 私はふわっと浮き上がり、虹に乗った。

「行かないで!」

「お母さん、ごめんなさい……」

 私は前を向いて虹を渡り始めた。ベランダから乗り出す香子さんの声がする。

「タイトル! タイトルは何⁉」

 ああ、作品にタイトルをつけるのを忘れていた。ふと、香子さんの庭に白い不思議な植物があるのを見た。

「あれ! あの白い羽根が重なったような植物の名前で!」

 指をさす。そして、最初に会った日にできなかった、大きく手を振ることをし、私たちは別れた。

 ちらっとだけウチを見た。私の姿が小さくなっても、香子さんと母は手を振り続けていた。

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『エンジェルウィングス』 滝川誠 @MakotoT

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