骨と触手

鱗青

骨と触手

 裏通りを賑わすアラビア音階の民族音楽。焼肉ケバブ屋台の脂っこい煙。主張の激しい二つの要素が、夏の正午という最高の状態コンディションで青空に輝く太陽から加熱された風を纏って室内に侵入してくる。

 こわい黒髪をオールバックに撫でつけ、草臥くたびれたワイシャツにノータイの小男が、軽く舌打ちをして開け放たれた窓に向かった。

「聞いてた話と違うじゃねえですかい、署長」

 文句を垂れながら小男── 東京シティ・芝浦分署の刑事課所属の古株、陰塚おにづかは背伸びした。建物の中で一番高いこの部屋の窓ガラスはひび割れ一つない強化ガラス製なのだが、開け閉めの際に矢鱈ガタピシ唸るのが難点だ。

「俺、が、頼んだ、のは!荒事ばっかの捜査現場に、気骨コツのある奴を寄越せって事だったん、だぜっ」

 一々引っかかりのする窓をリズムをつけて閉め、ガチリと錠を下ろす。

 窓から逃げていたエアコンの風が室内に留まり始めると、深い横シワが「三」の字に刻まれた陰塚の額の汗がすっと引いた。掘りの深い生まれつきの赤ら顔に割れた顎をしているところがそこはかとなく、東北地方の「泣く子はいねがぁ」の存在に似ている。また顔自体が大きいため、ただでさえミニマムな身長がより低く見える。

 そんな刑事が顰めっ面でシャツの襟をせわしなくバタつかせ、涼風を首元に送り込む姿を眺めるのは、窓から少し離した机につく大きなカピバラ──もとい、カピバラの頭を持つ獣人だった。

 何を隠そうこのカピバラこそ芝浦分署の長、出隅いですみである。

「そうはいうが、さて君のリクエストを悉く弾いてきたのは君自身ではないかの」

 署長しか使うことを許されないオーク材のデスクから、のんびりのほほん…泰然自若を表したような声を返してくる巨大な齧歯類。高級な英国製の生地を銀座の個人洋裁店テーラーで仕立てたスーツを身に纏う、署内でも一目置かれる存在だ。

 二十一世紀後半から、世界では遺伝子改造運動ゲノムデザインムーヴが盛んになった。その多くは独裁国家や狂信的科学者による危険な火遊びとして弾圧されたが、一部の疾患の根絶に役立ったのみならず副産物として人間に類すべき労働者・・・・・・・・・・を生み出すに至った。

 それが獣人である。

 彼ら彼女らは主に研究所で人類ヒトをベースに多種の遺伝子を破綻しない境界線内で組み込んで生まれ、社会に変革をもたらした。

 高所や水中、高温或いは低音…様々な厳しい環境に適応し、人間と変わらぬ知性と感情、ひいては倫理観を持って職責を果たす。それはもはや架空ファンタジーの存在ではなく、遥かなる宇宙進出を目指す人類の発展には欠かせぬ新兵プライベートとして迎え入れられたのである。

 そして署長は中でも愛玩獣人タレントという異色の経歴を持っている。いわば、文化面における獣人の活躍を買われそのまま公務員に転身した才色兼備・・・・の俊才だ。無論きちんと筆記試験にも合格している。

 各種の賞状が高く掲げられた壁の下、腰の高さに設置された棚には人気の獣人タレントとして一日署長にやってきた出隅の昔日せきじつの紙の新聞の切り抜きが、桐の写真立てに入れてある。たまに署長室を訪れる要職の者に見せて場を和ませる為だと本人は言うが、半分以上は自慢じゃないかと陰塚は読んでいる。

「大体陰塚、君が女性警官は苦手だとか言うから獣人しか来手きてがないのだの。あと人間に心地良い温度はカピバラにはちょっと寒い」

「るっせぇクソ署長。俺はただ、女はやりづれぇし男でも気骨の無ぇ玉無しは反吐が出るっただけだろ」

「差別的発言は慎みたまえの。…」

 説教モードに入った真剣な口調をぶったぎり、ドアが開いた。

「あー♫やっと見つけた!早く捜査に行きますよ先輩っ」

 戸口に両腕を突っ張って部屋の中を覗き込むのは、生肉色の縞模様を持つ蛸の頭だった。

「出やがった…タコ助が」

な予感が当たりました。私の悪口してたでしょう」

 紺のスラックスに純白のワイシャツ。襟元には紫翡翠ラベンダージェイドのループタイがミステリアスな輝きを加えている。

「大丈夫かのクリス君。刑事課の仕事に嫌気がさしたりしてないかの?」

 クリスと呼ばれた蛸人は、横割れの瞳孔を厚くして微笑んだ(ように見えた)。

「はい!先輩はとっても下品で乱暴で共感力が低くてうんざりしています♫でも研修も今日終わりますから」

 歯に衣着せぬ物言いに、陰塚の表情の苦味がより深まる。

「どう取り繕おうがてめぇらは獣人だろが。それをやれ権利だとか政治的正しさだとか差別的だとか、外野連中が好き勝手吐かして仕事の邪魔をしやがる」

「あ、あのな陰塚君。私が言うのもなんだが獣人の刑事は必要不可欠なのだの。特にクリス君のように特殊なタイプの能力は貴重──」

 陰塚は首を大きく後ろに振って…

 かーっ、ペッ!

 あろうことか床に唾を吐き捨てた。

「獣人て奴らはどいつもこいつもお敏感センシティブでやりにくい。ちょっとした事ですぐ本能行動パニックやら起こしやがる。爪も牙も使えなけりゃ無用の長物。そこの、いつも開けっ放しの防弾強化ガラスの糞窓と同じだろがぃ」

 陰塚は苦々しげに頭を掻き、じゃあ行ってくる!とクリスを引き連れて退室する部下を見送って、署長は

「わ、私は署長なんだの。偉いんだの〜…」

 とメソメソしながらリンゴを齧るのであった。

 狭い署の廊下を陰塚がつまらなさそうな顔で歩く。ただそれだけで、他の職員が道を譲る。

「たく、あの鼠野郎。大体なんだあのピカピカしたスーツは。芸能界かぶれかよ」

「職業柄、都政の要人との面会も多いのでしょう。みすぼらしいよりマシでは?」

「こっちゃもういい加減うんざりなんだ。獣人保護法ジュウホ受けてる奴らなんざ」

 クリスの横割れの瞳孔が、ミッと細まった。

「今の差別発言ですよ。旧獣人保護法は五年前から特定遺伝子保持者関連法規トッカンと名称を変えてます」

「ハッ。だからなんだ?撤回しろってか?でなきゃ署長に言いつけるか?ウェ〜ン鬼に苛められマヒタよぉ〜っ、てか?」

 クリスはそんなことしません、と心底軽蔑したそぶりでスーツの襟を正す。

「僅かな時間ですが十分先輩の人間性・・・は見て取れましたから。研修さえしっかり終えられれば問題ありません♫」

「そりゃこっちの台詞だっつぅの」

 署を出た後、二人の足は高速道路が何本も立体的に入り組んだ湾岸方面に向かう。

 クリスの研修の最終日である今日の朝、刑事課にVPNを使用したタレコミ通報があった──子供を海外に人身売買している組織がある、と。

「そこの角で立ち止まるな。高確率で詐欺募金のバカが居やがる」

 先を行く陰塚が振り返りもせず言うと、間髪入れずに曲がり角のビルの陰から

「私労働者なんですけど、獣人差別に遭って辞めさせられ…」

 と募金箱を抱えた犬系の獣人が現れた。が、クリスの蛸の頭部を正面に見上げるや「キャインっ」と鳴いて駆け去っていった。

「うわー、地味に傷つきます」

 置いてけぼりを食らいそうになり早足で追いつくクリスに陰塚はケケッと嗤う。

「お前のヌラついた面相は俺も苦手だ。ついでに教えてやるが署長は長虫の類が苦手だからな、蛇、ミミズ、百足の話はするなよ」

「私も先輩の失礼な所が苦手です⭐︎」

 交差点で赤信号を待つ。不意に陰塚がズボンのポケットに手を入れ、バイブで着信を知らせるスマフォを耳元へ持ち上げた。

「おう次郎。どした?…はぁ?遠足半ドンで早上がり?馬鹿野郎そういうのは早く教えろよ。うん、うん…だな、カップ麺なら野菜も食え。ああ今夜は俺を待たなくていい。冷蔵庫にモツ鍋セットがあるだろ。それに冷飯でもチンして食え。火の始末だけは気をつけろよ。うん。勝手に寝てろ…んじゃな」

 青信号になる迄に通話を終える。クリスは横割れの瞳孔でこっそり陰塚を観察していた。特にその形相が一言ごとに珈琲に落としたアイスクリームのように溶けていくのに驚いていたのだが。

「そんなに俺が電話してるのか面白いか?」

 歩きながらいきなり問われ、蛸の頭部がキュッと細まった。

「意外です。息子さん?ですか?…優しい所もあるんですねっ」

 眉を山の如く吊り上げ、先輩への口の利き方を教えてやろうか?と言いだけな陰塚であったが、暴力による教育的指導をするより早く通報のあった場所に着いた。

 二百年程前は貝が採れる浜辺だったのだろう湾に面した埋立地の一角。すっきりしたデザインの新しいビルである。

 入口の上には真鍮の板がぴかぴかに磨き上げられており、そこに篆刻された仰々しい筆書き風の文字は『NPO法人・蓬莱院』と読めた。

 ブザーを陰塚がモールス信仰のように短気に鳴らす。はーい、と後ろがうわずった返事があり、これまた重そうな厚いドアを開けて職員らしき獣人が顔を出した。

「お知らせのあった警察のかたですね。どうぞ入って!本日は安全点検のほう、宜しくお願いします」

 サーモンピンクのワンピースを着た馬頭の獣人女性が、ややぽっちゃりとした肉付きの良い体を折り曲げて礼をした。

 陰塚もペコリと頭を下げた。口を開けたらまた余計な事を言ってしまいそうだ。

 まさか疑われている当事者に「おたく、悪い事してますか?」などと訊くようなやり方はしない。あくまで警察署におたくの建物を襲撃するぞという脅迫電話がありまして、いえ念の為に警備関連のチェックと防犯の指導をさせて頂きたく存じます──とかなんとか尤もらしい理由をつけてある。

 クリスは陰塚とは反対に馬獣人の睫毛が長いですね♡とか瞳が綺麗ですね♡とか脅迫なんて怖いですよね、私達にお任せ下さい⭐︎…などと如才なく会話をはずませ警戒心を解いている。

「そうですよねー、獣人同士助け合わなくちゃ。この院を創設したのもその理念があるからなんですよ」

「えっ、貴方が創ったんですか?」

 馬人は深々と頷く。

「粗雑に扱われ傷付いたり、棄てられた愛玩用の獣児。それを専門に保護する機関は本当に少ないんです。困っている獣人はまだまだ多いのに…」

 陰塚は神妙に嘆く馬人を醒めた瞳で眺めていた。

 建物の中には特に怪しげな隠し部屋などもなく、保護されている獣人の子供達もサッパリと清潔な衣服を身につけていた。

 子らが遊んでいる中へクリスも混じってみた。多少おとなしめに感じる他には、皆礼儀正しく素直だった。際立って目立つ蛸の獣人である(しかも警察官)大人に対して褒められこそすれ、問題行動の気配は無い。

 それは恐らく院長の馬人の教育が良いお陰なのだろう──と、クリスは受け取った。

 一通り見て回り、少し休憩しようという馬人の提案に乗った時だった。

 陰塚がそれと気づかれぬよう、まさに生き馬の目を抜く・・・・・・・・俊敏さでクリスの足元を払った。

「ひゃっ」

 堪らずよろけ、クリスの体が馬人のワンピースに覆い被さり壁に押し付ける形になる。

「すっすみません!」

「あーあー何やってんだタコ助。ほら早く離れろ、よっ」

「ま、待ってください先輩、急に引っ張ると吸盤が」

 言わないことではない。クリスの手は遺伝子に由来する吸盤が裏にも表にも並んでいる。これは物を取るときには便利なのだが、驚いたりすると収縮して表面に触れていた物を吸着してしまう。

 馬人のワンピースが、背中から大きく裂けてしまった。

「何してやがんだクリス!すんませんね、弁償させますんで」

「はあ⁉︎先輩が足を引っ掛け…」

 ギュ、と尻をつねられクリスは飛び上がる。

「いいえ、気になさらず…でも私、着替えてきます」

 そそくさと私室に退がっていく馬人の背中を見送りながら、なぜこんな事を!と目で訴えるクリスの顔の間に、陰塚はワンピースから千切れたタグの部分を振ってみせた。

「マックスマーラの夏の新作だ。こんなモン、一介のNPO代表が普段着にできると思うか?」

 手早くビニールの小袋にしまう陰塚に、クリスは目をまん丸にする。

「よく気付きましたね」

「こんなもなぁ年季で気付くもんだ。それよりもタコ助、お前の嗅覚は何も感じないか?」

 クリスは首を振る。ああそうか、と陰塚は咳払いを一つ。

「質問が逆だな。何か嗅ぎとれたか?ガキどもと触れ合ってただろう?誰か一人でもクサい奴は居たか」

 これも首を振る。と同時にクリスは驚いていた。蛸人である自分の吸盤には匂いを感じ取れる受容器がある。だがその事を知る者は署内でも自分の他に居ないと思っていた。

「何かおかしい事があるんですか、先輩」

 陰塚は答える代わりに走り出した。事務室に駆け込むとクリスに鍵をかけろと命令し、自分は立ち上げてあるパソコンにメモリースティックを挿し込んでデータをコピーしていく。

「あのー、先輩」

「ガキがな」

 激しいタイピングが雨垂れのように室内に響く。セキュリティのかかったファイルも次から次へと鍵穴マークを解除する陰塚の次の台詞を、クリスは待った。

「あんなに大勢のガキがいたら、誰か一人…いや四、五人は羽目を外して漏らしたりするもんだ。小便ってのもアリだが、あの中にはイタチの獣人もいただろう」

 クリスはハッとした。確かに子供といえど獣人は、興奮すると臭腺からの分泌をしてしまう。それはもうどうしようもない自然の摂理だ。

「だのに、ここのガキどもにはそれが無え──っと、これが答えだな」

 陰塚はタイプを止め、キャスター付きの椅子で横にズレる。

 画面に開かれたファイルには、子供の名前と獣人種、それと使用している薬物の名称と量が見やすい表に纏めてあった。

「…向精神薬を使って意志をコントロール…」

 クリスの呟きに合わせたように、事務室のドアが激しく叩かれた。

 出入口と違って薄い造りのドアである。それが爆発したように蝶番をぶら下げて弾け飛んだ。

「…よくも見たな」

 ふしゅー、ふしゅーと鼻面から湯気を吹き、新しいワンピースに着替えた院長が肩をいからせて立っていた。

「おう見たぜ。表では情け深い聖母の顔、裏では獣児売買の手先とはね。このデータを分析すりゃお仲間まで連座させられるだろうな」

 昏い怒気をはらんだ院長が一歩、室内に踏み入る。クリスは部屋全体がズン、と傾いたような気がした。

「放っておけばどうせ野垂れ死ぬ無保護者の集まりを、より役立つように導いてあげただけ。そのデータが流出する前に、貴方達もここで天国に導いてあげる」

 成仏するがいい!

 野生に戻り、いななきを上げて襲いかかる院長はまさに馬頭めずの鬼。

 クリスは恐怖で動けなかった。座学ではこんな犯罪者との対峙は想定していない。

 陰塚の短躯がクリスを蹴ってどかせる。二人のいた空間を、院長が通り過ぎて壁に当たる。その部分に蜘蛛の巣状の亀裂が入った。

 陰塚はゆっくり振り返り、再び腰を撓めて力を貯める院長に対しいきなり飛び上がった。

「ミチビキミチビキるっせぇんだよ!てめぇこそ──」

 ギュルギュルと縦に回転をつけ加速する。そして踵の一番硬いところを馬面のど真ん中、鼻腔の上から振り下ろした。

 めきょっ…という骨にくる響き。陰塚がシュタ、と着地した背後で院長は横様に倒れた。

「お縄を貰いやがれってんだ。人でなしにはいい手綱だろうよ」

 陰塚は乱れた前髪をビッ、と後ろに撫でつける。あまりに決まったポーズにクリスは小さく拍手した。

 その日の夜。

 当直番とまりを除いた殆どの職員が帰宅する時間、署長室のドアをノックする音が響いた。

「失礼します⭐︎只今報告書の作成が終わりましたっ」

 陰塚が閉めた筈の窓がまた開けてあるのを、入室したクリスは横割れの瞳で捉えて苦笑した。

「どうだった?実りある研修期間だったかの?」

「ええ!それはもう」

「あの院長、建物の地下に獣人の赤子まで飼ってたそうだの?一体どこの研究所から攫ったのやら…いずれにしろ大手柄だの。クリス君を預かった身としても鼻が高いの」

 出隅はにこにこと上機嫌でデスクの前に椅子を引き摺って置き、座るよう勧める。クリスは素直に従う。

「ひとまずおめでとうを言わせてもらうの。明日からは希望の部署に移動できるからの。獣人組のエリート!数年もしたら警察庁にいける筈だの」

 署長手ずから珈琲を淹れてくれるのがこの署の名物でもある。のっそりのっそり。ユーモラスに巨体を揺らしながら壁際の棚のサイフォンへ歩く出隅に背を向けたまま、クリスは明るく切り出した。

「獣人の子供達を売買していた黒幕は、貴方なんですね?署長」

 出隅は鼻を小さくヒクつかせた…が、そのまま珈琲豆とミネラルウォーターをサイフォンにセットした。

「突拍子もない結論だの。一体どこから思い付いたのかの?」

 背筋をピンと伸ばし、ハキハキとクリスは答えた。

「今回の事件で幼児が見つかった事から。獣人は研究所で遺伝子加工を受けて生まれます…そのせいで盲点がありました」

 スイス製のサイフォンは優秀で、すぐに水がコポコポ小気味良い音をたてて沸騰する。

獣人同士が自然出産をする・・・・・・・・・・・・──それにより赤ちゃんが産まれれば、親である獣人は途方に暮れる…そこへ子供を引き取って育ててやる、と救いの手が差し伸べられたら、きっと縋ってしまうでしょう」

「ふむふむ。しかし出自製造元の分からない獣人を買う人間がいるかの?」

「一つの警察署の署長が加担していれば話は別です。この芝浦は国際港みたいなものです。外国人も多く出入りします。もし危険があっても、署長の立場ならいち早く事前通告ができる──そう考えた時、他にも刑事課の関わった他の様々な犯罪において、あの優秀な先輩が犯人を取り逃がしてしまった辻褄と、犯人が先回りして姿をくらませられるカラクリとが解けました」

 有田焼のカップとソーサーに美味しい湯気を立てる珈琲を、出隅はそろそろと運んだ。

「自首してください。市民権を得た初期の獣人であり、ひとかどの地位にある貴方が逮捕されたら世間がなんと言うか。これ迄人間と信頼を築いてきた仲間達も、これからそうなる筈の子供達までもにるいが及ぶっ」

 顔色ひとつ変えず出隅が叩きつけた珈琲とカップに、クリスは悲鳴と湯気を上げて床に転がった。

「他人の事を危ぶめるなんて優しいの。醜い外見なりをしているクセに」

 よろけながら立ち上がったクリスを、出隅が今度は助走をつけて頭突きで吹っ飛ばす。ビタンと壁に打ち付けられた蛸人は力無くなじった。

「…他人ひとの善意におもねって血税を啜るだけでなく、同じ立場の仲間達を裏切って──獣人の風上にもおけないクズですね」

 カピバラ人は勝ち誇り、ふふんと巨大な鼻面を震わせて嘲笑う。

「どうせならもっと知的に掃除屋スカベンジャーと呼びたまえの。私のような悪役は必要だの、世の中にも獣人社会にも」

「それこそ笑わせる。貴方なんか石の下の悍ましい百足やミミズにも劣る、真の意味での寄生虫。本当に価値のない害悪ですよ♫」

 ぶち。

 カピバラの顔面で青筋が千切れる音がした。

「私をミミズと一緒にするなぁっ」

 猛然と振り回す出隅の腕は、弱ったクリスを軽く窓へ殴り飛ばした。慌てて手脚を柔軟に窓枠に絡ませるクリスに、悠然と出隅は指の関節を鳴らす。

「手を滑らして熱い珈琲を浴び、本能行動でひと暴れ。前後不覚のまま窓から墜落…と。獣人にありがちだの」

 カピバラ人は大きく拳を振りかぶり、辛辣な凶器の如き一撃を放つ…

 …と、予測して目を瞑るクリスの耳に、低いが声が聞こえた。

「俺の相棒に──」

 出隅が振り向く。その腰あたりまでしかない背丈の人物が、自分より大きなカピバラ人の右手を捕まえる。

「何してやがんだゴラァっ‼︎」

 相手の太短い腕を上手く取り、足を払って巨体の重心を中心にグルンと一回転。その勢いのまま出隅を床に叩きつけた。

 一本背負いである。

「良い予感がすると思ったら、クソ署長に一発喰らわす機会チャンス到来じゃねぇか」

 最高に良い笑顔の陰塚だった。

 目を回した署長はさておき、すぐに体の半分以上が窓の外に出てしまっていたクリスの手を引っ張って室内に戻す。

 さすがに肩で息をしている陰塚に、そういえばとクリスは顔を向けた。

「“ヌルヌルしたものが苦手”って言ってませんでした?」

「だからどうした。自分てめぇの相棒なら話は別だろが」

 陰塚の遠慮のない瞳がクリスに問い返す。

「ちょっと…勘違いしていたようです、私も」

 微笑む蛸人に、陰塚は片眉を上げて首を傾げた。

 今度こそ仕事を終えて署を出た頃には、もう深夜に近かった。

「研修明けの祝いだ。ラーメンでも奢ってや──」

 言いかけた陰塚を、路傍の自動販売機の陰から不意に出てきた大きな犬型の獣人が羽交締めにした。

「誰⁉︎まさか人身売買組織の──」

「違う違う!よせやめろ、騒ぐな!」

 色めき立つクリスを止める陰塚。その頭の上から顎を擦り付けながら、よく見れば狼系の不審者は甘えた顔で尻尾を盛んに振っていた。

「こいつぁウチのガキだ。狼系だから小学三年生の癖にタッパありやがんだよ」

「一人で寝るの怖いから。父ちゃん迎えに来たんだっ」

 エヘヘと無邪気に笑う狼人を眺めるうちにクリスは気付いた。

 狼人…狼男…人狼…ジロー…

「ああ!次郎…君?」

 狼人はようやく陰塚を放し、優しく地面に下ろすとクリスに頭を下げた。

「初めまして。陰塚次郎です。お姉ちゃんは父ちゃんのお仕事の仲間?」

「う──うん。先輩、この子、先輩の…?」

 陰塚は首を縦に振る。

「れっきとした俺の家族だ。血が繋がってねぇだけでな」

「えええええええ⁉︎」

「いきなりうっせぇ!…それよりお前、なんか今変なこと言ったよな?いや聞き違いかな…お前が女なワケねぇもんな」

 次郎は子供らしい手つきでクリスを指した。

ボク匂いで分かるよ。お姉ちゃんだよ、この獣人ひと

 歯並びが全部見える程あんぐりと口を開ける陰塚に、さも心外だと腕をうねらせつつクリスは胸を張った。

「私の名前はクリス・・・ティーン。今年十九歳になるピチピチの乙女です♫」

「マジか…」

「ていうか先輩!今の今まで私の事を男扱いしてたんですか?酷いっ」

「しょうがねぇだろ!こちとら獣人の性別なんざ見て判んねぇんだからよっ。クリスティーンなんて妙に小洒落た横文字を名前に付けやがって…」

「そういえば私、陰塚さんの下の名前をまだ教えてもらってないんですけど。明日からもバディを組むんですから、きちんと教えてくださいよ」

「やなこった。オラ、店が閉まんねぇうちに急ぐぞ。次郎もラーメン喰うだろ」

 陰塚から父親らしく腰を叩かれた次郎が、無心にはしゃいでクリスに告げた。

「お姉ちゃん、父ちゃんの名前はねえ」

 あっこら、言うな!という陰塚の目配せがあったが次郎は忖度しなかった。

「父ちゃんの名前ね、ソル・・っていうんだよ」

「え?」

天道ソルっていうんだよ!“正しい光でこの世を照らすお天道てんと様”っていう意味なんだって!」

「次郎、もう黙れ…」

 ぷりぷりと大きな尻から尻尾を振っている息子に、陰塚はそれ以上怒れなかった。

 クリスは口許に手を当てて込み上げるくすくす笑いを堪えた。

 漢らしくて厳しくて、不器用なほどに硬派。

 この先輩に相応しい名前だな。

「ったく余計なこと教えやがって…お前もなクリス、下の名前を呼ぶんじゃねえぞ」

「はい!これからも先輩って呼びますね。本質を知って人間的にも、異性としても好きになりました⭐︎」

 最後のワンフレーズに陰塚はギョッと足を止めた。

「てかお前、まさか刑事課に配属希望出すのかよ…?」

 彼を怪訝に見下ろす蛸と狼、二人の獣人に挟まれて、先輩刑事は最高に苦虫を噛み潰したかおになるのだった。

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