社畜式鎮魂歌

kumanomi

来る

 男はその日、残業をしていた。上司に終業時刻間際に任された業務は20時に終わり、電車に乗り自宅の最寄り駅に着いた頃には21時を過ぎていた。

 男は駅近くの喫煙スペースに寄り、煙草に火を点けた。口からぶわーっと煙を吐くが、一向にいら立ちは収まらない。


 あの上司は終業時刻ぎりぎりをわざと見計らって業務を俺に投げつけてきたのだ。新人時代から嫌な人であった。「どうしてできないのかねえ」と「これ言うとハラスメントになるかもだけど」が口癖の人である。

 とにかく人間は関係性の生き物だと痛感した。それほどまでに彼と二人三脚を組まされた数年は不快だった。やっと業務を一人でこなせるようになり、その上司の口癖は違う新人社員に向き始めたころであった。

 そんな折に、大事な会議のプレゼンで俺はしくじってしまった。我が意を得たりと上司の矛先が俺に戻ってきてしまった。その結果が今日の残業である。これからもこういうことが増えるかもしれない。

 



 ……そう思うと、いくらモクをやっても気分など収まらない。腹立たしい。みじめったらしい。

 じゃあなにかパーッとと思っても、明日も仕事だ。寝るまでの家での自由時間が少なくなると思うと気が気ではない。

 煙草を灰皿にギュッと押し付け、結局、俺はチェーン店でかつ丼を食うことにした。おまけのからあげを三個に増やした。食う間は満足だが、会計が1000円を超えた。分かっていたが、レシートを見ると無性にむかついた。メンタルが振り出しに戻る。




 店を出て、家に向かって歩く。するとゴミ捨て場が目についた。可燃ごみが詰まった袋の山が目についた。

「おー、すげえ」

 俺は普段よりハイだったと思う。だからこそその山の中で目を引く存在に気づき、夜道にも関わらず割と大き目な声が出た。今の時刻を思い出し「やべっ」と焦りつつ、その存在に近づく。


 それは西洋人形だった。女の子の人形である。ロリータファッションに身を包む赤毛の女の子の人形だ。ゴミ山の中にこれだけがむき出しで投棄されていた。


 しかし目は引くものの、所詮は人形である。しかもゴミの山の中で薄汚れている。カラスが興味本位でつついたかもしれないし、虫がたかったかもしれない。

 そう思うと、ばっちいなと思い、もう歩き出そうと思った。その時である。

 



 その人形と。そんな事実に気づいてしまった。俺はその人形に真正面から向き合っていない。そしてその人形の首は正面を向いていた。つまり、俺が近寄り、対面に立たない限り目が合うことなどあり得ない。――否、一つ可能性はある。




 それはということである。




 ……面倒は避けたかった。こんな日にこんなことで怪談話の登場人物になどなりたくない。だからこそ俺は、今、知覚したすべてを「気のせいだ」ということにして、その場を足早に去っていった。


 


 その後、30分程経ち帰宅した。借家である。マンションは隣人トラブルを考えると受け付けられないのでそうした。玄関に入り、家の中に向き直る。

「ただいま、帰りました。今日もありがとうございました」

 これは小さいころからの習慣である。最近ではポジティブなんとかと言って、何事にも感謝しろ、言霊だ、なんて本が多いがそれに近いかもしれない。イラつく日でもこういうことは欠かせないのだ。

 そして服を脱いで風呂に入り、自室に入るとPCの電源を点けた。数秒待ったのち、検索エンジンを立ち上げて動画サイトをクリックする。


 新着動画のサムネイルを見漁っていると、スマホが震えた。目をやると真っ暗な画面に緑と赤の丸が見える。しかしそれより気になったのは「不明」の文字。非通知の電話だ。ばかばかしい。出るわけがない。

 しかし、一度コールが収まると再び、スマホが震え始める。再び黒い画面に浮かぶ「不明」の文字。

 普段の俺ならば、絶対にその電話に出ない。しかし白状するならば、とにかくその日は俺には余裕がなかった。「不明」の文字に対して恐怖よりも怒りが生じた。だから出てやった。


「もしもし」

 少し怒気が籠ってしまった声に対して、スピーカーから聞こえる音は雑音のみだった。正確に言うならば、その雑音はかすかに聞こえる風の音と歩く音だった。電話主は外からかけているようだった。


 その音に耳を傾けていた刹那。

「あたしメリーさん。今〇〇通りを歩いているの」


 そして通話は終わった。○○通り。そんなことを告げて何がしたいんだ、このアマは。しかもメリー? 外人か? 

 自分の交友関係を振り返ってもパツ金の女と関係を持ったことなど一度もなかった。


 そして十数分後、再びの非通知着信である。

「もしもし」

 歩く音、風の音。

「あたしメリーさん。今○○アパートの前を通ったよ」

「おい、あんた一体……」

 そして再度電話が切れる。この女は位置情報を一方的に伝えてくる。目的はなんだ? ○○通りに○○アパート……。もしかしてこいつ、俺の帰り道を辿っているのか……?

 

 疑念は次のコールで確信に変わった。

「あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの」

「何!?」

 切れたと同時に急いで窓から玄関を見る。しかし誰もいない。脅しだろうか? それとも家の前には電信柱や塀などの死角があるからそこからか……。しかし家に入ってくる手段はないはずだ。


 


 ガチャリ。バタン。




 ――ハッキリと聞こえた。何者かが施錠した玄関のドアを開き、ドアが閉じた音。それは何者かが今まさに、この家に入った事実を意味する。

 俺はただ明るい部屋の中で携帯の画面を凝視した。




 ブーッ。ブーッ。


 ブッ。


 今度は風の音も、歩く音もしない。


「あたしメリーさん」

 その声はスピーカーとはも聞こえていた。




「今、あなたの後ろに……ッ!」





 


 刹那、メリーの顔面、その鼻っ柱に掌打しょうだが叩きこまれていたッッッ! 







 ――私は、突如顔面に生じた激痛と衝撃に驚愕した。私のシリコンの頭蓋は揺れ、脳震盪のうしんとうを起こしていることは明らかだった。先ほどまで研ぎ澄まされていたはずの殺意は、驚愕に塗り替えられてしまっている。

 なんだ? 何が起きているッ!?


 体をくの字に曲げ、嗚咽する。するとその前髪が掴まれた! 凄まじい力に! 

 そしてその剛力によって曲がった体が真っすぐになった私は、その男を直視した! 


 先刻、ゴミ捨て場で出会ったあの男のくたびれた覇気の無い表情はどこに行ってしまったのだ。そこにあったのは阿修羅あしゅらの如し。憤怒ふんぬの表情に顔を歪めた男がそこに在った。

 そのまま男は、人ならざる剛力によって、髪を掴んだまま、後頭部から私を押しつぶすように地面に打ち倒したのだ。

 

 驚愕すべきは、最初の掌打しょうだからここまでがただの一秒の間に行われたという事実ッ! 

 

 


 私は、這った。やっとの思いで廊下に這い出た。私には全てが受け入れがたかったッッッ!

 前の家も、その前の家も。いいや、これまで全ての遭遇者達。全てきっちり呪い殺した! いたぶり、もてあそび、恐怖の表情を張り付けたまま死んでいく彼らの最期に愉悦ゆえつした。

 時には神の名を叫び十字架を向ける者、経を唱える者もあった。その十字架をへし折り、経本を目の前で破り去った時など……もう! 至福の極みだ。


 それがなぜだ! なぜ、私が恐怖している!? 勝ちたい、踏みにじりたい! それらの思いが、「ヤバイ!」という三文字に塗り替えられているのだ! 私の中の怪異としての生存本能が「逃げろ!」とがなり立てているのだ!

 やっとのことで衝撃から回復した私は立ち上がりうの体で玄関に辿り着いた。


 


 しかし開かない。なぜだ? 霊力でこじ開けたはずのドアノブがピクリとも動かない!

 そして私は気づいた。開いた際には気づくはずのないその事実に! 

 

 侵入する際にはなんの変哲もないドアだった。しかし玄関側から見たそのドアには、奇妙なが張り付けてあった。否、それはただの紙片ではない。

 だ。怪異にとっての恐怖の象徴! 幾人もの同胞たちがこれを持つ者たちに敗れ去っていったか! そして私は、遂にそこでどんな奴を相手取ってしまったかいやというほど思い知ってしまった!

「つまり、こいつは……! 我々が入ってにこの家に結界を張っているッ! つまり奴は……」

 

 声が詰まる。に耳を疑ったから。しかしやはり聞こえている! あの男の部屋からだ。


「いやあああああああああああああ」


 悲鳴ではない。もはや声でもない。低く地を揺るがすような、地の底から響くような声。位の違う生命体が出すような声。

 

そして私はある怪異から聞いたことを思い出す。




「坊さんの経って聞いたことあるだろ?」

「あるよ、そりゃあ」

「経を読む坊さんの声と普段話す坊さんの声って違うだろ? 低い声というか、地面から聞こえてくるような声だよ」

「ああ、確かに」

「あれはねえ、まじないや念をかける時の声さ。そしてあの声が私たちに向けられた時はやばい。私たちは焼いた刃で氷を切るように、紙っぴら一枚をずたずたに裂くように、なすすべもなくお陀仏さね」




 その怪異は数日の間に私の目の前から消えた。それこそ氷のように、紙っぴら一枚のようにはかなく。


 


 そうあの声だ! この声だッ! この男がいま発しているのは!

 やるしかない。退路を断たれた、ただ今! やらねば私はやられるのみだ。勝たねば死ぬッ!


 私は部屋から出てきた男に躍りかかる。首根っこをもぎ切って血の海に沈めるためだ!

 しかし躍りかかって、首に向かって伸ばした私の両の腕は、男の両腕によって阻まれ、結果として男の手首をつかむ形に終わった。


「流石だ、貴様。しかし怪異に力勝負を挑んだのが貴様の敗因だ! 不意を突かれ、先程は不覚を取ったが、今、私は正面対峙だ!」

 両の手に殺意を込める。万力のように力を込める。およそ人であったころには無かった力の全てを!

「おしまいだ! ざくろの実を潰すように! 貴様の腕を握り潰し、その血を飲み干してくれる!!」

 

 刹那、私は手を離した。手のひらを襲った恐怖と共に。そしてその恐怖は肘から上腕にまで駆け上がった。私はやっとの思いでその恐怖の感覚を口にする。

「こ、氷……!」




 古事記にこのような話がある。


 タケミナカタ神がタケミカヅチ神に勝負を挑んだ。

 

 まずはタケミナカタがタケミカヅチの手を取った。しかしすぐにタケミカヅチの手がつららになり、剣刃となってしまった。触れた手が氷漬けになることを恐れてタケミナカタが引き下がったのだった。


 そして今度はタケミカヅチがタケミナカタの手を取ろうと提案し、手を取ると、藁を掴むように、握りつぶして放り投げてしまった。タケミナカタはすぐに逃げ去ってしまう――。




 男は呟いた。痛みに崩れ落ちる私を見下ろして。

「お前に今かけたものは法術。呪殺だ。腕から脊椎に向けてかけた。今逃げおおせたとしても数日の内に、お前のシリコンの骨格は機能不全に陥り、完全に木偶でくに成り下がる」

 

 男の言葉が事実ならば、この男は。この目の前の男は、私に神代かみよの術を使ったのか!? 畜生ちくしょう、氷のつららと化した男の腕を握ってしまった私は、寒さに凍っていくしかないのだ!

 


 

 もはやこれまで。私は今際いまわの際に、この恐るべき存在を、シリコンの眼球に刻み込みたかった。

 そして男の背後に見えたビジョン! 青く揺らめくその男の背後にそびえたっていた者は……!

「ふ、不動明王……!」




 勝敗は決した。それは誰の目にも明らかであった。勝てるわけがない。この呪術師か、古武術家かもよくわからぬ男。何もかもが規格外だ。そんな怪異の恐怖の対象のようなその男に挑んだ私にツキが無かったのだ。……いや、違う。




「……いつかはこんな日が来る定めだったんだな」


 


 極限まで凍てついた私の両腕が重みに耐えられず自壊する。床に落ち、砕け、氷塊となった腕のきらめきに、私のこれまでの怪異譚かいいたんが見え隠れする。


「なあ、男よ」

 私は問いたかった。

「私はどう生きればよかったのだろう。何を恨めばよかったのだろう」

 

 男は答えた。

「お前にもいたのだろう、死ぬほど恨んだ奴が。ならば恨んでいた者を生きている内に恨み、殺しておけばよかったんだ。憎かった奴は生き延びて、お前は憎くもない者で満足しようとした。それがどこかで分かっていたんじゃないのか? だから悔しかったんじゃ無いのか?」




 嗚呼ああ――。頬を伝う暖かな一筋が私をほどいていく。




「……悔しいなあ。そうか、あいつを殺せなかったのが悔しかったんだなあ。あいつだけがのうのうと生きていくのが許せなかったのだなあ。しかし我慢して私は、自分からくたばってしまったのだ。そうだったなあ……」




 光が差す。

 夜明けか。こんなにも日の光は綺麗だったのね。




 ありがとう、名も知らぬ強者よ。私を打ち倒してくれて。

 

 そして馬鹿だなあ、あたし。あいつが許せなくてこんなところまで――。


 


 



 朝日が昇る頃。俺は目の前のメリーという怪異の最期を看取った。


 もはや人形とは思えない、美しい女性のようなその怪異。砕けた腕が朝日の中で緩やかに溶けていく。俺の腕を握りつぶそうとしたあの苦悶に満ちた表情は、今や穏やかな微笑みの中にある。

 頬をつたう一筋の涙に何が込められていたか俺には分からない。しかし、最悪の一日を過ごしたことは彼女との一騎打ちのために必要だったのかもしれない。

 



 朝日が眩しい。さあ、出社時刻だ。







「なあ、○○。最近慣れてきて調子こいてたんだろ。でも仕事は仕事だよなあ? みいんな、一生懸命なんだよ。特にあの会議? 大事だったのにな。皆、準備してたのにな。……ダメだよなあ、あれではなあ?」

 俺は始業後、すぐにあの上司に呼び出された。思っていた通り、ねちねちと先日のプレゼンの失敗を指摘された。


 しかし、俺はなぜか心が晴れやかだった。


 そして純粋に一理あると感じた。ミスはミスである。この上司に迷惑がかかることはどうでもいいが、世話になっている同僚や優しい他の上司にまで迷惑がかかったことは申し訳ない。


「すいませんでした!!」


 上司もおののき、周りのデスクも一瞬静まるほどの大声で謝罪した。心からそう言いたかった。

「これからで取り返していきます。自分の至らなさを痛感いたしました。ぜひまたご指導ご鞭撻べんたつのほどよろしくお願い致します」

「……わ、分かったらいいんだよ」

 上司は手をひらひらさせ「下がって、下がって」と呟く。調子が悪そうだった。


 


 昨日の俺ならばこうはならなかった筈だ。上司のミスを指摘したり、謝ったとしても不快感を表にして行っただろう。しかし、こういう恨みが「彼女」を形作ったのだと思えば今日の俺には到底できなかった。ある意味で先日の俺は「彼女」と何も変わりのない精神状態にあったと思う。

 



 古武術の師匠に言われたことを思い出す。

「殺す殺法が武術の全てではない。活かす活法かっぽうこそが武術の表だ。武によって対話し、相手を活かす。その手段に殺法があるのみ。心しておきなさい」

 



 師匠、俺は学びました。殺戮の中に身を置いた怪異にです、師匠。




 休憩時間、缶コーヒーを買いに外に出たときに一陣の風が吹いた。その流れに従って空を見上げ、俺は思わず微笑んでしまった。


 


 寒空に流れる雲が、微笑む「彼女」に見えたからだ――。








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