第16話〈最終回〉 飛ぶ桜


「――おっもしろくねえ」


 文司が与田屋の店先でお茶を飲んでいる。

 相変わらず機嫌が悪い。

 凛々しい眉を寄せて、ほとんどここに来ると条件反射で不機嫌になってしまうのかもしれない。


「お団子、おまちどうさまです」


 小春が奥から団子を持って出てきた。

 文司がお盆の中を覗いて嫌そうな顔をする。


「また団子か。そんなもん、とっくに一生分を食ってるよ。目刺の干物と茄子の漬物、それにお茶漬けを出して」

「そういうのはやってないんですけど……」

「出さなくてもいい。早く支度をして来い!」

「はい……」


 花見が終わり、綾に会わせる約束の日がきた。文司はいつもの様子を作っているが、髪を手櫛で直したり、着物の襟元を直したりと落ち着きがない。


「ほんっとうにおもしろくねえ」


 借金のことだ。

 文司の視点で言うと、金次郎があずま庵に来て、与田屋の借金の証文と引き換えに十六両を置いていった。


 だが、小春の家の借金が無くなったわけではない。借金取りが金次郎に変わっただけで、今は人の良いおっさんを演じているようだが、今後、金次郎がどのような無理難題を小春に持ってくるかわからない。そう思って文司はおもしろくなかった。


「お前、わかってんのか」


 支度を終えて外に出てきた小春に文司は言った。


「なにがです」

「あのデップリのおっさん、相当な食わせものと見た。小春がもう少し成長したら、妾になれとか言い出すよ。ああいうのは女ったらしに決まってるから」

「まさか」

「ばか、笑いごとじゃない。とにかく、借金は早く返せ」

「え~っ?」


 文司に借金を返して、もう文司と借金は繋がりがなくなっている。それなのに、今度はお兄さんづらで金次郎へ借金を返すようにうるさく助言に来るのだろうか。そう思って小春は苦笑いをした。


「まあ、向こうが豹変して金の取り立てが厳しくなったら、また僕が金を貸してもいい。だから、金に困ったら僕に相談して」

「また文司さんに?」

「わかったね」

「はい」


 口応えするのも面倒だから、小春は思い直して爽やかに返事をした。



 文司と共に小春が歩く。

 小春は途中で菊の切り花を求め、それを持って無言で歩いた。文司もその後に無言で続く。


 木野下町きのしたちょうを抜け、百舌もず坂を上がると、急に畑が広がって人家が少なくなった。文司が「なにか言えよ」という感じで小春を見るが、小春は何も言わない。小春は初めての人には緊張して無口になるが、知っている者には人懐っこく自分から雑談を振ったりする。それなのに、小春を何も話さなかった。


 だんだん、文司の呼吸が荒くなってきて小春は心配した。それほど暑い季節でもないのに額に汗を浮かべ、歩を進めるたびに顔面蒼白となってゆく。


「――くはぁ……」


 深い息を落とし、ついに文司は胸を押さえて地に膝と手を付けた。


「文司さん、大丈夫ですか」


 小春は文司の丸めた背中をさすった。文司は苦しそうにうつむいている。


「もう、やめろ。……やめてくれ」

「なにがです。苦しいんですか」

「……もう、いい。この先は、もう樟蔭寺の墓地しかない。まさか、俺をそこに連れて行くつもりか」


 小春は何も答えない。

 文司の隣にしゃがんだ小春が、文司の手を引いて起こそうとする。

 八幡川の船上で綾に会った。


 あの人は幽霊だ――。


 そう思い込むことが綾の幸せになるはずで、だから久平も綾が亡くなったと思い込むことに決めたのだ。小春もそう思い込まなければ綾の幸せが壊れてしまう。文司には、綾に会ったことを決して言うわけにはいかなかった。


「やめろ!」


 文司がその手を振り払った。


「文司さん、行きましょう」


 また小春が文司の手を引いた。文司は赤い目をして涙を溜めているが、小春のほうこそ今にも落ちそうな涙を瞳に溜めていた。文司の悲しみが移っていた。


「やめろ! なぜ泣く。その花はなんだ。墓参り用の香花だろう。もう僕は動かないぞ」

「文司さん、さあ」


 だが、綾に会わせるためには、綾の墓前に連れて行くしか方法がない。


「やめろ!」


 文司は大声を上げて地面に突っ伏して泣き始めた。天も悲しくなったのか急に曇り、そして雨が降りそそぐ。小春も文司の側に力なく崩れ、そこで両手で顔を覆って文司と一緒に泣き声を上げた。文司を見て、綾の訃報が届いたときの悲しさが蘇ってきたのだ。



 しばらく二人で泣いて、


「風邪をひくから」


 と、我に返った文司にうながされた。そして、二人は樟蔭寺の墓地の山門。そこで雨宿りをした。


 ほかに人は居ない。

 雨が静かに降りそそぎ、薄暗い山門の道を洗っている。

 小春は雨の音をぼんやり聞いていたが、ふと気づくと、持っていたはずの菊が無くなっていた。さっきの場所に置き忘れてきたのかと思ったら、文司が気づいて拾ってくれたようで、文司の脇に菊の花が置いてあった。


「拾ってくれたんですね……」


 小春が寂しげにそう聞くと、文司はそのことには答えず、


「薄々は知っていた」


 と、山門に寄り掛かり、うなだれた姿勢のままで言った。


「……綾さんが消えて、君の家に何度も行っただろ。そしたら――」


 文司は嗚咽にまみれ、


「い、いつだって、そっちに行ったら線香の匂いがする。おかしさに気づくよ。もう綾さんは死んでしまったんじゃないかって。そう気づくよ……。だから、間違いかもしれないって、何度も匂いを嗅ぎにいったんだよ。でも……」


 文司は綾の異変に気づいていたようだ。おかしいと思いながら、借金の返済を迫るふりで何度も小春の家を訪れていた。


 綾さんは生きている――。

 そう信じたかったのだろう。


「君らがさ、綾さんは田舎で養生してるって言うから、それを信じたいって思ったんだ」

「ごめんなさい。文司さんに、もっと早く伝えるべきでした」

「謝られても綾さんはもう帰ってこない。君らが殺したわけでもない。でも、あんまりだよ……」

「ごめんなさい」



 雨が止んで、文司が落ち着いたので二人で綾の墓参りをした。

 ここは、労咳が移るからと来ることを制限されていた寺の施設からは少し離れている。小春は綾が亡くなったあと、何度もここへきて手を合わせていた。二人で墓の掃除をして、そして菊と線香を供えて文司と共に手を合わせた。


(このお墓はなに?)


 小春は改めて思った。

 綾が大名の妻になるためにこのような仕掛けが必要だった。

 偽のお墓……。


 おかしいと思った。だから久平は墓参りに来なかったのだ。綾は死んだことにして名を変え、どこかのお武家の養子になって大名家に嫁いだ。


(姉さんはあの人のこと、そんなに好きだったんだ)


 あきれたような溜息を落として小春は思った。綾は与田屋に借金があることをもちろん知っていたが、借金問題が深刻化したのは文司が返済を強く迫ってきたからだ。綾が居るときは、そこまで借金は深刻ではなかった。借金が嫌で与田屋から逃げたわけではない。


 むしろ、微笑ましくもある。

 団子屋の娘と、団子の大好きな大名。

 お滝が楽しそうに話す二人を目撃したというが、おそらくそれは本人たちだった。「殺された」というのは違うが、姉の墓がある以上、ある意味では当たっている。やはり、文司に真実を伝えることはできない。ナカに伝えるのにも機会を待たなければならない。そうしないと、大掛かりな綾たちの仕掛が水の泡になってしまう。



 文司が予想した以上に打ちひしがれていて、小春はどうしたものかと思ったが、家から持ってきたものを懐から出して文司に渡した。綾がいつか描いていた文司の似顔絵が家にあったのだ。


「僕に?」


 似顔絵の横に「ぶんじさん」と、綾の字で書いてある。


「それ、姉さんが描いた文司さんですよ」

「綾さんが?」


 瓜二つ……。とまではいかないが、目元が文司に似ている。


「ふっ、似てる。鼻の穴が異様にでかいのが気になるけどね。あはは……。似てる」

「労亥が移るといけないから、文司さんに会えなかったんです。文司さんの顔を忘れるといけないからって、絵を描いて、姉さんはその絵の文司さんに、いつも話しかけていたんですよ」


 もうしょうがない。文司にはかわいそうだが、嘘をつくなら徹底的と思って、小春は創作を加えた。そして、いつか綾の本当のことを伝えることが出来たらいいのにな、と思った。


「僕に話しかけていたって、なんて言ってたの」

「それはわかりません」

「寂しいなあ」

「ほんとうに……。あと、このカンザシは――」


 と言って、小春は首を傾けてカンザシを抜いた。それを両手で押し抱くようにして文司に差し出した。


「文司さんにお返しします。私の匂いが付いてしまって申し訳ないですけど、この銀スダレのカンザシは、姉さんが亡くなってから私が勝手に形見にと貰ったものです」

「ああ……。そんな大切なものを僕は折ってしまったんだね」


 銀のカンザシを小春に手渡され、何かを思い出すように文司が見つめる。しばらく見つめて、文司は小春の髪にカンザシを戻した。


「小春がそれを使ってくれ」

「いいんですか」

「うん」


 なにかを思うように小春を見つめる文司。小春の中に綾の面影を捜しているのかもしれない。



 帰り道、文司が気を取り直すように明るい声音で言った。


「あれからどれくらいたった。もう十日か。あの八幡川でのことが、遠い昔のように感じるなあ。勝ったってえのもあるけど、あれは楽しかった。また、あそこで団子を売りたいなあ」

「桜が奇麗でしたよね」

「ああ……。みんなで一緒に見たかったなあ」


 文司が綾のことを言っているのはすぐにわかった。

 小春が沈黙しているので、文司が前にまわって小春の顔を覗いてきた。


「なんです?」

「いや、なにを考えてるのかと思って」

「少なくとも、文司さんのことじゃないです」

「ふっ……」


 文司が含み笑いをして首を何度も横に振った。


「君、本当におもしろいね。こんなに変わっていておもしろい娘だなんて、ぜんぜん気づかなかった」

「文司さんの方がおもしろいです」


 小春が口に手を当てて笑う。


「なにが」

「やっぱり、私たちのお店に来て怖い顔をしていたのは演技ですよね。お芝居のつもりで」

「さあね」

「わたし、文司さんが役者さんになりたかったこと、知ってますもん」

「ど、どうして」


 図星なのか、桶の水を食らったような顔を文司はした。


「か、勝手なことを言うな。男の志は誰にも言わないんだよ。だから君が知ってるわけがない。だいたい、僕の夢はもっと大きいから」

「でも、顔に書いてあります。おれは役者になりたいって」

「まさか」

 と言いつつも、顔を両手で擦ってしまう文司だった。

「文司さん」

「うん?」

「姉さんのこと、黙っていてごめんなさい」


 小春は路上に立ち止まって改めて頭を下げた。真実をまだ言えない分も含めてだ。


「……うん。許すよ。僕も、君たちに酷いことをしてすまなかった。小春を女郎屋へなんて、そんなこと……」

「わかっています。もういいんです」


 春風が小春のおくれ毛を揺らし、頬を撫でて通り過ぎる。見上げると、いつの間にか青空が広がっていた。小春はまぶしい太陽の光りに目を細める。


「あっ」


 小春は空に何かをみつけた。


「文司さん、なにか落ちてくる」


 天空から、何かがひらひらと舞い落ちてくる。なにかと思って文司とそれを見つめる。その落ちて来たものが、小春のカンザシに吸い付くようにとまった。文司が掴もうとカンザシに手を伸ばしても、小春はもう逃げない。


「桜の花びらだ」


 文司が指でつまんで小春に見せた。


「どこに……?」

「あれ」


 つまんだはずの桜の花びらがなくなっている。文司が見回すが、落ちたわけでもなく、桜の木などどこにもない。文司は花びらがあるはずの手を不思議そうに見つめている。


「確かに桜だった。君も見たよね」

「さくら?」


 小春は首を傾げた。

 もう桜は散ったはずだ。まさか、雪だから消えたというわけではないだろう。


「見えない花びらが舞っている遊びですか?」


 小春は肩を弾ませてころころ笑った。そして思った。


(文司さんは、姉さんに会った)


 文司は、大名船であるにも構わず、顔を上げてその船内を見つめていたように小春には見えた。それならば、天野久扶の隣にいた綾を見たはずだ。文司は綾に会った……。恋はもう可哀そうだが成就しないが、あれだけ会いたかった綾に、ついに文司は会うことができたのだ。


「文司さん、天野様の奥方様に会いましたか。お舟に天野様と一緒にいらした」

「まあ、会ったよね」

「ほんとう? 何か言ってましたか」

「いや、言葉はないけど、僕を見て笑ってたね。なんかこう、満面の笑みというのか、顔中で笑うみたいな」

「へー」

「綺麗な方だったなあ。そういえば、綾さんに少し似てたね」

「似てましたか?」

「綺麗な人は、みんな似るのさ」

「そうですよね」


 特に、引っ掛かりのない声音で文司が言って、そのサッパリとした表情から、奥方が実は綾だとは気づいていない様子だった。そのことに小春は安心して、文司の指先に、


 ふっ


 と、息を吹きかけた。


「ほら、桜がお空に飛んでいった。飛んでいった先で桜は幸せになりますよ」

「さよなら」


 文司もその見えない桜の花びらを見送る。小春は心に見える桜の花びらを、いつまでも見送っていた。〈了〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

団子屋の娘は太れない! じゅん @jun27

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ