花を追い夜に踏み込む 4

 あっけらかんとした場違いな声が空気を変えた。薄ら寒さが爽やかに。

 が、それも一瞬。警戒し直した大翔は伸びる青白い手を見据えて、疑問に眉をひそめる。


「恨んで、ない……? あれで?」

「だから恨みで引き込もうとしてるんじゃなくて、陸に上がりたくて何かを掴もうとしてるんだよ。蛇の気配を感じるなら、ロープ代わりなのかも」


 にこやかに笑む元幸は滑らかに推測を語った。堂々とした姿には説得力が感じられる。

 改めて見れば確かに溺れて藻掻いているようだ。

 あの手も何者かに利用される被害者だとすれば深く同情した。


 かといって安心はできない。発した声は渇いていた。


「でも、結果は同じじゃ……」

「うん。引きずり込まれるね。だけど、それなら助ければ未練を断ち切れるはず。でしょ?」

「そう、ですね」


 確信はできなくても貴重な手がかり。

 かりんと常葉の奮闘を助けたかった。

 大翔は深呼吸。意を決して、前へ踏み出す。


「僕が掴まれるから、皆で引っ張って!」


 足が震えるのを我慢して無防備に待つ。表情だけは強気に。

 話を聞いていたのか、心配げにしつつも場を譲るかりんと常葉。入れ替わり際には背中を尾と手が押してくれた。


 そして。

 抑えがなくなった手が、大翔めがけて伸びる。

 恐怖に目を閉じない。歯を食いしばって迎えた。

 がっ、と両手でそれぞれに掴まれる足。強烈な力で下へ引っ張られる。足が道路に沈んでいく。波紋が広がっていく。

 悲鳴を噛み殺し、踏ん張った。自分が耐えれば全てを救えると意地を張った。

 その意気は、後ろから熱い力に支えられる。


「耐えろよ!」

「おにーちゃん、いけるよ!」

「じゃあボクも微力ながら」

「三人ともありがとう!」


 三人の力が合わさって引かれ、体が浮く感覚すらした。

 大翔も屈んで逆に手を取る。ぐいと引っ張る。引き寄せる。

 皆で対抗。綱引きのような闘争で、薄気味悪さが夏らしい熱さに上書きされる。


 ずる、ずる、と徐々にこちらが優勢へ。

 腕から先が道路から出てきた。肘、肩、頭、そして目が合う。怯えた瞳だ。敵意はない。

 ホッとした。やはり助けるべき相手だ。自然と力がこもる。


 更に全力で引き、完全に引き上げれば、正体は中学生くらいの男子だった。黒い靄の薄れた、幼さの残る被害者だ。


「もう大丈夫!」


 彼が道路に降り立つと同時。掴んでいた手が通り抜け、全身薄っすらと透けて始める。

 幽霊だとしても怖くはない。

 微笑みかければ、相手もぱあっと笑顔が咲く。

 すうぅっと消えていく姿に、大翔は小さく手を振った。


 そこに、軽い衝撃。


「……おにーちゃん! いきなりムチャ言ってもう! 仕方ないけどさ!」

「妹に任せっぱなしじゃ情けないから」


 プリプリと叱ってくるかりん。心配をかけていたと反省はしたが、後悔はしない。

 今更になって怖さが来たのか、震えが走る。立っているのがやっと。それでも意地で笑ってみせれば溜め息を吐くように呆れられる。

 そして後ろから、肩に力強く手を置かれた。


「やるじゃん」

「常葉さん。ありがとうございます」


 強気な笑みに称えられ、自然と口角があがる。認められたと誇らしくなった。

 そんな彼女だが、元幸がにこやかに話しかけると途端に顔が歪む。


「ね、疲れたでしょ。指とか食べる?」

「やっぱこれが一番こえーよ」

「なら爪はどう? パリポリ美味しそうじゃない?」

「テメーで食ってろ」


 元幸は心底嫌そうな顔を向けられても動じない。しつこく誘い続け、遂にはヘッドロックされた。

 助けられはしたものの、苦手意識ができるのは仕方ないだろう。かりんはニヤニヤしていても、大翔には乾いた笑みが浮かぶ。


 静かな夜のはじまり。異質な気配が去り、残るは熱気。何処か遠くからはしゃぐ声が聞こえる。日常の音だ。

 改めて夜行組合へ向かう。再び若者の賑やかな帰り道。


 大翔の心は、既に先程と違う。

 不安より強まった、自信。堂々とかりんに並べると思えていた。

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蛇の瞳は何を見る 右中桂示 @miginaka

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