生前葬をしたいの、と彼女は言った

八方鈴斗(Rinto)

生前葬をしたいの、と彼女は言った

 久しぶりに訪れた彼女の家は、随分と物が減っていた。

 彼女が用意した夕食は、まるで最後の晩餐であるかのように僕の好物ばかりが並んでいる。大学入学記念に色違いのお揃いで購入した折り畳み自転車は最小単位へ分解され、今は赤茶けたスクラップとして部屋の片隅にまとめられていた。


「……ごめん。なんて?」

「生前葬をね。したいな、って思ってるの」


 彼女がこんな突拍子のないことを言い出すのは、今日が初めてだと思う。

 婚約者の莉緒とは、もう十年の付き合いだった。

 出会ったのは高校の入学式だ。僕は彼女のそのぷっくりとした可愛らしい頬に一瞬で骨抜きにされた。三年間彼女とその頬に真剣にアプローチをし続けて、同じ大学に入学出来たのを期に交際が始まり、社会人になる頃には僕は彼女の婚約者というポジションに収まった。

 一般論で言えば、莉緒は華やかな顔立ちではない。だけど僕にとっては、その頬骨に下支えされる柔らかな頬が、神々が生んだ奇跡の美術品にしか思えなかった。

 だから社会的な契約を結んでもなお、僕の熱量は変わらなかった。

 以前と変わらず莉緒とその頬へ愛を囁き続ける向こう見ずな僕とは対象的に、美しい頬を持つ彼女はいついかなる時も控えめで聡明で理知的であった。

 その頬の美しさと同様に、その精神の在り方も美しかった。

 莉緒は、頭の回転がとにかく早い。

 どんな会話においても一言一句過不足がない。

 先回りしてでも周囲への気配りし、骨を折るのも惜しまない。

 そんな人だったはず、なのに――


「どうして生前葬をしたいの?」

「踏ん切りを、つけるため」


 いまだに莉緒が何を言いたいのか分からなかった。

 酷く戸惑いながらも、察するところはあった。この部屋に入ってから目にしたもの全てが、賢い彼女でも言葉にしにくい気持ちを物語っている気がする。

 今だってそうだ。

 いつもだったら丸机を挟んで向かい合って食べるのに。

 今日の莉緒は定位置から逸れた斜め向かいに腰を降ろしている。

 まるで食事中も彼女の頬へと向けがちな僕の視線を避けるかのように。

 なんらかの、最後通告の予感に、僕は怯えた。

 莉緒はあくまで無感情に、目を伏せたまま僕に言う。


「手を煩わせるつもりはないの。場所を借りて知り合いを呼ぶみたいな葬儀をしたいってことじゃなくて。ただ私たちで、形式的な、通過儀礼をしたいだけなの」

「ごめん、わかんない。てかなんでそこ座るの? どういうこと?」

「……ご飯、冷めちゃうよ。――それとも、食べれない?」

「いや、食べれるよ。食べるけど。……いただきます」


 食器の音が響くくらい、静かな食卓だった。

 長く一緒にいれば、それは喧嘩になる時だってあった。

 だけど、そういう時だって彼女は声を荒げることはなかった。

 喧嘩の原因となった骨子部分を把握して、あまりよく把握出来ていないことが多い僕を小馬鹿にすることもなく、理解してもらうための説明を懇切丁寧に積み重ねて意見をすり合わせていこうと常に心がけるくらいに、莉緒は気骨のある人だ。

 たまたま僕たちの喧嘩を目撃した友人からは、「なんかの打ち合わせにしか見えなかった」と笑われた。ある意味的を射た感想だった。僕と莉緒は、お互いの関係性を無理なく持続させるために、色々な形で打ち合わせをし続けてきた。

 それはそれで、真摯な愛の形なのだと思っていた。

 でも、だからこそ、今のあまりにも不可解な彼女の発言に僕は動揺していた。


「検査で何か重い病気が見つかった、ってこと?」

「ううん、違う。別に、怪我の経過自体は良好だし」

「それじゃあ、どうして生前葬が必要になるのさ。踏ん切りをつけるって――」

「わかるでしょう。私たちの関係を、もう終わりにするため」


 ああ、と思う。

 予感は正しかった。全身から血の気が失せていく。

 終わり。もう終わり。彼女の冷え切った言葉が反響して僕の骨身に沁みる。でも、その言葉に微塵も安堵はしなかったと言えば嘘になる。むしろ、僕からずっと言い出してこないから向こうから言ってきたという側面さえあるだろう。


「私は弔いたいの。この十年間、楽しくはあったから」

「……そんなこと、言わないでよ」

「いいえ、これは私たちに必要なことよ。決めるなら早い方がいい」

「頼むから、そんなこと――」

「……まだ、食べられるよね?」


 莉緒はゆっくりと立ち上がり、机の上の空っぽになった皿をシンクに下げていった。彼女の背中からはぼんやりとした失望が滲み出ている気がした。それで僕はこの前彼女にぽつりと言われた言葉を思い出す。「結婚式、したかったんだけどな」という、ひどく乾いた台詞。


「あのね、勘違いしないで。私はね、貴方のことを愛してる」

「僕だって、莉緒のことを、愛して――」

「私の頬を、でしょ。無理しなくていいって」


 キッチンに立つ、莉緒の細い肩が小さく揺れた。

 それで僕は、彼女が今日始めて笑ったことに気づく。

 僕たちの関係性は、既に破滅を迎えてしまっていたのだろうか。

 彼女は電気圧力鍋の蓋に手を掛けながら、


「お願いだから、分かって。お互いの未来のためよ。生前葬をして、私たちの楽しかった十年を終わりにするの。それで、お互い別々に、新しい道へと進みましょう」

「……生前葬って言ったって、何をどうやって弔うの」

「私たちを結びつける何かを残せたら、それで諦めもつくでしょ」

「どういうこと? 出来っこないじゃん、そんなこと」

「――あのね。私の最後のわがまま、聞いてくれる?」


 ぱかん、と鍋の蓋は開かれる。


「車に挟まれたんだもの、直すのが無理なくらい壊れてた。はやく処分しようと思っていたけれど、でも、そうしなくてよかった。……私、見つけたんだ。そこの自転車の残骸――ハンドルの支柱の部分にね、幾つかの」


 それで僕は、言葉を失った。

 だからもう、何も言えなくなった。

 彼女が言いたいことを、理解したから。


「こんなこと言って、ごめんね」


「でもね、もう、絶対元には戻らないんだもの」


「私、分かってるから。面倒なことは言わない」


「お金もいらない。二度と貴方の前に現れない」


「だから、お願い。どうか終わらせて欲しいの」


「私、貴方と永遠の繋がりを作れたならね」


「それで全部、諦めることが出来るから」


「こんなの気持ち悪いよね、ごめんね」


「でもね、それさえしてくれたら、私」


「貴方と、ちゃんと、別れられるから」


 蒸気を立てる圧力鍋の中から何かを皿の上にひと掬いして、彼女は帰ってくる。

 ことん、と音を立てて、皿が僕の目の前に置かれる。

 ほろほろに煮崩れた、何かの小さな破片。


「これが、貴方が愛してくれた頬を、支えてた骨」

「…………をしたい、って――?」


 僕は静かに顔を上げて、莉緒の顔を直視した。

 あの事故のせいで、骨ごと抉れて完全に喪失した両頬と鼻。

 完璧な美しさは永遠に失われた。そこにあるのは、引き攣ったケロイド状の傷跡のへこみだけ。かつて頬があったであろうところに、静かに涙が流れていく。

 やがて彼女は、幼子のように声を上げて泣きじゃくり、言った。


 お願い。食べて。それで、私を諦めさせて。

 貴方には、未来があるから。わかってるから。私、ちゃんと別れるから。

 だから、お願い。どうか。食べて。終わりにさせて。


 その皿を前にして、僕は――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生前葬をしたいの、と彼女は言った 八方鈴斗(Rinto) @rintoh0401

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ