宵から酔いと朝を待ち
御景那智
第1話
ふう、と彼は息をついて椅子にもたれかかりながら体を伸ばした。視界の端に映った時間は午前四時。週末となると彼の様なフリーランスで生計を立てている者は平日よりも忙しい。クライアントは駆け込むように夜遅くに彼の元へメールを送ってくる。そうして会社員たちはその週の仕事を終えて週末を楽しみにするのだが、彼にとっては週末はもはや楽しみではない。
月曜が校了日の仕事の最終確認に対する修正を終えた彼は伸びをした後、デスクのカップを持ってキッチンに向かった。飲み終えてしばらくたっているカップを洗い、新しいグラスを出して冷凍庫からロックアイスをいくつか入れて、ウイスキーを注ぐ。
ウイスキーのグラスを持ってデスクの上の煙草とライターを拾い上げ、ついでに毛布を肩に引っかける。そのまま彼はベランダへと続く窓を開けて、まだ冷え込んだ外に出ると煙草に火をつけた。
冬の午前四時。まだ空は暗く、朝までは時間がある。
吐いた煙が白いのか、寒さで息が白くなっているのか、両方か。
きりりと冷たい空気が肌を刺す。煙草の箱とライターをエアコンの室外機の上に置いて、毛布にくるまった彼はグラスのウイスキーに口をつける。冷え込んでいる分、口に含んで喉を通り胃に落ちるアルコールがやけに熱く感じる。
専業フリーランスになって早五年。いい加減彼は平日よりも週末の方が忙しく、昼間よりも夜の方が忙しい生活に慣れ切った。スケジュールを自分で管理するもの楽しい。しかし、ほんの稀に会社勤めのサラリーマンが羨ましくなる。過剰に残業することもなく、ほとんどは日付をまたいで仕事することもない。そつなく仕事をこなしていれば収入は保証される。
彼はサラリーマンのそんなところが嫌でフリーランスになったのだが、深夜まで仕事をしていると遅い時間に最終修正を投げつけて悠々と週末を楽しむのだろうサラリーマンが羨ましくも憎たらしくもなる。用はないものねだりの矛盾だ。
「あー……ひと段落ついたら温泉でも行こうかな。せっかくだから雪降ってるとこ」
ベランダの柵に凭れながらちびちびとウィスキーを飲みながら彼は呟いた。
月曜に校了する仕事のほかにもうひとつ完了してしまえば一週間ほどスケジュールに空きができる。冷え込むばかりで雪も降らない冬らしくない都会で余暇を過ごすよりは雪国で温泉にでも浸かった方がリフレッシュできそうだ。
「雪……だから、白とグレー……薄い青と、群青……? よりも濃い青かな。それからぼんやりしたオレンジ……。加えるなら透明感。硬質な感じで、屈折率は高くないやつ……」
四時を過ぎてもまだ暗い夜空と地上にわずかに光る明かりを眺めながら、彼は雪国を想像しながら呟いた。都会よりももっと冷え込むのだろう雪国のイメージは悪くない。肌を刺すような寒さと引き換えに静かさが得られそうだ。
からりとグラスの氷が鳴って、ウイスキーを飲み干してしまうと、彼はグラスを室外機の上に置いて煙草に火をつけた。白い息と紫煙が混ざり合う。
雪の白は煙草の煙とは違う、水分を含んだ白、もしくはもっと硬質な結晶。
忙しさに追われると、時々彼はどこかに出かけたくなる。しかし、思い立ってすぐにとはいかなく、代わりに現実逃避の妄想をしながら多くの人が眠っている時間の移り変わりをぼんやりと眺める。
酒と煙草を喫しながら、夏でも冬でも同じく人が目覚めるまでの時間の空を眺める。その色は天候によって、季節によって、彼の気分によって違う色に見えるが、明けていく空の色はいつでも美しい。
冬は夜明けが遅く、まだ日が昇るまで時間がある。
「もう一杯……いや、瓶ごと持ってこよう」
彼は煙草を吸いながら肩にかけた毛布を引きずって室内に入ると、ウイスキーの瓶からグラスに新たな酒を注いだ。
まだ時間はある。冬の夜明けはのんびりとして、夜が長い。今朝はどんな色彩を見れるのかと、彼はほろ酔いのまま移り行く空の色を眺める。
宵から酔いと朝を待ち 御景那智 @mikage_n
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