遺骨の夢 - 量子物理学が証明した輪廻転生SF

ソコニ

第1話 遺骨の夢



「お父さんは、私たちの誇りです」


息子の言葉が耳元で響く。卒業式の朝、凛々しい袴姿の息子を見送った日の記憶。妻の手料理の香り。会議室での拍手。部下たちの笑顔。地域の盆踊りで太鼓を叩いた夜。すべてが温かく、愛おしい。


佐藤誠は、白い病室のベッドで静かに微笑んだ。


「お父さん、また明日来るからね」


息子が部屋を出ていく。七十年の人生は、幸せだった。


その瞬間、激しい頭痛が走った。


「ぐっ...」


視界が歪む。見知らぬ映像が意識を侵食していく。


血に染まったナイフ。悲鳴。逃げ惑う女性。現金を強奪する自分。刑務所の独房。ドヤ街の安宿。恐喝で脅える老人の顔。


「嘘だ...これは...」


汗が噴き出す。心拍計が狂ったように鳴り始めた。


「佐藤さん!」山田医師が駆け寄る。「早く、記憶安定剤を!」


看護師が注射器を準備する。その手が震えている。


「私の...記憶は...」


「落ち着いてください」医師が額の汗を拭う。「記憶の移行期には、時々このようなことが...」


「嘘をつかないで!」佐藤は叫んだ。「あの息子も、妻も、全部作り物なんだろう?」


沈黙が落ちる。


「...はい」医師はゆっくりと頷いた。「でも、これは贖罪の機会なのです」


「贖罪?」


「2157年、仏教物理学は衝撃的な発見をしました」医師は説明を始める。「人の意識、特に死の直前の記憶が、量子もつれを通じて次なる生命に影響を及ぼすことが判明したのです」


佐藤は息を飲む。


「負の記憶を持って死ぬ者は、その歪みを次世代に伝播させる。それは個人の輪廻転生だけでなく、地球上の生命全体にも影響を与える。だから私たちは...」


「記憶を書き換えているんですね」佐藤は苦笑いを浮かべた。


その時、廊下から怒号が聞こえてきた。


「姉を殺した犯人を、なぜ救う必要がある!」

「お嬢さん、冷静に...」

「真実から目を背けることが、どうして贖罪になるんですか!」


佐藤は耳をふさいだ。


「私には...贖罪の資格なんてない」


「いいえ」医師は佐藤の手を取った。「だからこそ、あなたには必要なんです」


「でも...」


「考えてみてください。あなたが負の記憶を持って死んだら、その苦しみは次の世代に引き継がれる。憎しみは憎しみを生む。でも、もしあなたが幸せな記憶と共に旅立てたら?」


佐藤は黙り込んだ。


「記憶は、時に嘘をつきます」医師は続けた。「でも、その嘘が新しい真実を生むこともある。あなたの幸せな記憶は、きっと誰かの人生に光をもたらすはずです」


窓の外で、桜が舞っていた。


佐藤は、ふと思い出していた。刑務所の塀の向こうで見た、一輪の花を。


「...私の記憶は、本物になれますか?」


医師は静かに微笑んだ。


「ええ、きっと」


注射器が静かに腕に入る。佐藤は目を閉じた。


意識が溶けていく中で、確かな幸せが芽生えていた。それは偽りの記憶か、本物の感情か。


もう、それは誰にもわからない。


ただ、遺骨となった後も、その夢は永遠に続くのだろう。


(了)

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遺骨の夢 - 量子物理学が証明した輪廻転生SF ソコニ @mi33x

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