灰の台車

晴鮫

灰の台車

 これは、狐狸こりにでも化かされたのかね。

 ふと、その場にいた誰かが呟いた。


 焼骨しょうこつの終わった火葬用の台車の上には、僅かばかりの灰が残るのみ。どのように痩せ衰えた老人であろうと、少しなりとも骨片が残っているものであるが、そこには一片の骨も残ってはいなかった。

「このような事は有り得ない筈なのですが」と、これには火葬場の職員も首を捻るばかり。


「とりあえず、手は合わせておこうか」

 老人の言葉に、皆は賛同する。何処の誰とも知れぬ亡骸に、灰ばかりの台車に、その場にいた人間は一様に手を合わせた。



 それは、涼介りょうすけの地元の神社の祭りが行われた日の事であった。三日ばかり続くその祭の二日目、午後を回った辺りで急に大雨が降り、祭りは中止となってしまった。

 中止の報せを聞き、涼介は内心喜んでいた。大学が夏休みに入ってしばらく、何となく実家に帰省する事を決め、地元に帰ってきたは良いものの、そこで押し付けられたのは実家にやって来ていた親戚家族の子守りであった。

 涼介に任された親戚の小学生姉妹の興味は、当然ながらその祭りへと向かった。


 兎角とかく祭りの的屋てきやというのは割高料金で物を売るものである。すぐにポイが破れる金魚掬いが一回三百円。命中しても賞品が倒れず、微動だにしない射的が一回四百円。原材料がただの砂糖である筈の綿菓子がキャラ物の小さな袋に入って一袋六百円。飴のかかった表面だけが美味いりんご飴が一個五百円。極めつけは、見るからに安っぽいプラスチック製のおもちゃの指輪が二つで千円である。あれもこれも、とものをねだられ、駄賃に渡された五千円はすぐに底を尽き、涼介は自腹を切るしかないという有様であった。

 その上、あっちに行こう、こっちに行こう、と別々の方向に引っ張る姉妹を何とか取り持たなくてはならないときた。一日目にして、涼介は既に心身共に疲れていた。それが二日目、三日目と続くと考えると、流石に辟易とする。そう思っていた所に中止の報せである。彼はほっと胸を撫で下ろした。


 しかしてその安堵は、また別の形で打ち破られる事となった。

 祭りを中止へと追い込んだ大雨。それが随分と激しく降ってしまったのだ。滝のように降りしきる雨は地元を流れる河川を瞬く間に増水させ、氾濫直前にまで川の水位は及んだ。

 町には警報が鳴り響き、河川からそう遠くない位置に住んでいる涼介達は、近くにある小学校の体育館に避難を余儀なくされた。

 涼介が怖がる親戚姉妹を宥めながらそこで過ごしていると、町内会長をやっている老人、山下が血相を変えてやって来た。豪雨の中、雨具も無しにやって来た彼はずぶ濡れの身体のまま、体育館に避難している住民達に告げた。


 川の土手に死体が打ちあがった、と。


 その亡骸は、女性であった。歳の程は二十代。祭りの最中であったためか、藍染の着物を着ており、顔には白粉と紅を差した痕跡が残っていた。

 彼女を発見した者がすぐに救急車を呼んだものの、病院に運ばれた時点で死亡が確認された。

 その後の検死の結果、死因は溺死。遺体発見時、死後数時間は経過した状態であったため、雨が降る少し前に河原にいて、既に豪雨が降り注いでいた上流からの鉄砲水に飲み込まれたのだろうというのが警察の見解であった。事件性はなく、その女性は不幸な事故によりこの世を去った。

 めでたい筈の祭りの最中、まだ未来ある若い女性の水難事故死。何とも痛ましい事故ではあるが、事故自体は鉄砲水に巻き込まれたという、水難事故としてはよくあるものである。


 ただ、一つだけ問題が生じた。

 この女性が、一体何処の誰なのか分からないのだ。


 川に流されたのか所持品の類は無く、身分証も無い。彼女を知っている町の者もおらず、当然ながら町の誰かの親類縁者などではない。他所から祭りを楽しみに来た者であると考えるのが自然であるが、一週間経ってもその女性の身内から捜索願が警察に提出されたなどという話も出なかった。

 それどころか、この女性が祭りに参加していたという目撃情報すら全く無かったのだ。

 これには警察の人間も困惑した。足取りすら追えず、その女性は身元不明の遺体とするしかなかった。


 こうして身元不明の遺体となった女性。当然だが、遺体をいつまでも放っておくわけにはいかない。こういった遺体は、各自治体がその火葬を行うものである。

 そこで手を上げたのが、遺体の第一発見者の男性と、町内会長の山下である。このままこの女性が粗末に葬られるのはかわいそうであるからと、町の皆で金を出し合い、ささやかな葬儀を行う事を提案した。

 そうして集まった者達でその女性の葬儀を行い、火葬場で遺体を焼き、そして拾骨しゅうこつの時間がやってくる。


 そこにあったのは、一片の骨も無い灰の台車であった。



「一体、何だったんだろうな」

「何だったんでしょうね」

 山下家の玄関で向かい合う二人。溜め息交じりに呟く山下に、涼介は相槌を打った。

 涼介の手元には、骨壺の入った箱。身元不明の遺骨は、この辺りでは神社がその保管を請け負っている。町内会長である山下が神社まで遺骨を届ける手筈になっていたのだが、昨日の夜半に腰を痛めてしまい、神社の長い石階段を上れなくなってしまった。

 そこで若いからという謎の理由により、涼介が代わりにそれを神社まで届ける役を負わされた次第である。


「すまんね、涼介君。お盆なのにこんな事に付き合わせてしまって」申し訳無さそうに山下は言う。

「構いませんよ。暇してますんで」

 涼介はかぶりを振り、それでは、と骨壺を抱えて山下家を後にした。


 遺体の発見から九日。涼介の実家にやって来ていた親戚は既に地元に帰っていた。遊んで遊んでと騒がしかった姉妹がいなくなり、実家の中は随分と静かになった。彼もまた、あと数日したら実家を発つ予定である。


 中々に休まらない帰省であったと、涼介は今更ながらに思った。

 外はうんざりする程に暑く、外出なんてしたくない涼介であったが、親戚姉妹は外に出て遊びたがった。仕方なく持って来た携帯ゲーム機を与えて何とか日中はクーラーの効いた家に押し留める事に成功したものの、夕方、祭りでの姉妹の散財に付き合わされ、彼の財布の中身は大ダメージを負ってしまった。

 その後の豪雨からの避難、遺体の発見である。

 親戚が帰った後も、彼は水の引いた河原で遺留品の捜索の手伝いに駆り出され、その後は親に連れられてその女性の葬儀に参列する事になった。

 そして現在、何とも気味の悪い灰しか入っていない骨壺を抱えて、彼は神社へと向かっている最中である。

 面倒事をあれこれと押し付けられ、帰省なんかするべきじゃなかったと、涼介はふと帰省を思い立ったあの日の自分を呪った。



 目的地であるその神社は小高い丘の上に建っていた。境内へと続く長い石段の前には、真っ赤な鳥居が立っている。

 祭りの日には神社前の通りに的屋が並ぶのだが、既に彼らは屋台を引き払っていた。大雨による中止、更に近くで死体が見つかったとなっては、今年の祭りが再開されることは無いのだろう。


 涼介は息を切らしながら神社の石段を上りきる。境内では一人の男が石畳の上を竹箒で掃いていた。この神社の神主である。三十代半ば程の、眼鏡をした男性であり、神主としては随分と若い人だなと、涼介は思った。

 神主は涼介の姿を見ると近くに竹箒を立てかけ、彼に近寄る。

「山下さんから話は聞いています。暑かったでしょう、飲み物を冷やしてますよ」

 涼介が手渡した骨壺を受け取りながら、神主は穏やかな口調でそう言った。


 日陰になっている神社の軒下の一角で、涼介は神主からよく冷えたサイダーの缶を手渡された。早速彼はプシュリと栓を開ける。暑さに任せしばらくグビグビと中身を呷った所で、あの、と口を開いた。

「神主さんは聞きましたか? あの女の人の話を」

「えぇ。身寄りも無く、骨も残らなかったと聞いております」

「火葬場の人が言っていました。普通は少しでも骨は残る筈だと。こんなのは有り得ないと」

 涼介は誰かの葬儀に参列した経験は数える程も無い。骨の無い台車を見て、最初は骨が残らない事もあるんだな、などと何の気も無しに思っていた。しかし、火葬場の職員や町の皆の、明らかに異常なものを目の当たりにしているという様子を見て、得体の知れない恐ろしさを覚えたのだ。


「あの遺体は、本当に人間だったんですか?」

 故にこそ、そのような疑問が湧き出てきた。誰に聞けば良いのか分からないその疑問を、神社の神主なら答えてくれるのではないか。そう考えた彼は思い切って神主へと訊ねてみた。


 神主はうーん、と少し悩んだ後、少し待って下さいと涼介に言い、その場を離れる。

 程なくして、彼は陶製の容器を手に戻って来た。


「それは?」涼介は問う。

「およそ百年前の骨壺です」

 答えながら神主は骨壺を開けて、中を見せる。骨片はなく、さらさらとした灰がそこに入っていた。

「この方も、灰しか残らなかった身元不明の遺体だったそうです」

 骨壺の蓋を閉じ、神主は続ける。

「私どもは彼らの事を「身代わり様」と呼んでいます」


 神主は話し始める。

 涼介の地元には「神」というものが存在する。その神は、起こる筈だった誰かの死の運命を、また別の誰かを動かす事で変えるような事をするという。

 例えば自動車に轢かれて死んでしまう男がいたとして、その神は男が事故に遭う前に彼の友人や家族などを動かし、彼と引き合わせる事で事故に遭わない別の道を進ませるように仕向ける事ができるのだ。


 誰が動かされたのか、誰が死ぬ運命だったのか、明確には分からない。しかしその行為の確かな名残りとして、とあるものが生まれ落ちる。

 それが灰しか残らない身元不明の遺体。起こる筈だった死の肩代わりをしてくれる存在。居る筈だった死人の帳尻合わせとして生み出される存在。「身代わり様」である。

 身代わり様は、死ぬ筈だった人間の死の代理人。つまり、死に様もその人物の死を模倣する。転落死する人間の身代わりとして、首の骨が折れた身代わり様が。焼死する人間の身代わりとして、真っ黒焦げの身代わり様が。その人物の死体がある筈の場所に、身代わり様は現れる。

 そして今回も、増水した川で溺れ死ぬ人間の身代わりとして、溺死した身代わり様が土手に打ち上がったのだ。


 また、身代わり様は死ぬ筈の人物が死の直前に身に着けていた物を持っている事がよくあるという。身代わり様の所持品から、誰が死ぬ運命であったのか、明確ではないがある程度推測は可能である。そして、その人物が直近で一番関わっていた者が、神によって動かされた人間である可能性が高いとされている。

 今回見つかった身代わり様も何か持っていた可能性が高いものの、遺体からは遺留品の類は見つからなかった。きっと川に流されてしまったのだろうとは、神主の見解である。


 こうしてこの町では、ごく偶にそういった身元不明の遺体、身代わり様が見つかる事があるという。だが次の身代わり様が生まれ落ち、身元不明の遺体として見つかるまで、およそ百年という長すぎる間があるため、人々の記憶から忘れ去られてしまうのだ。

 そして誰しもが忘れ去るそれらを記録し、その遺灰を管理するのがこの神社の神主の仕事の一つであった。



「身代わり様、か」神主の説明を聞いて、涼介は呟く。

 自分の地元に神様や身代わり様などという超常的な存在がいる。十八年地元で暮らしてきて、そんな話は終ぞ聞いた事がなかったし、何よりもそれは今までの彼の常識から外れ、遥か彼方にある物事の話である。遺骨が残らなかった台車を目の当たりにした涼介でも、その話は俄かに信じられないでいた。

 眉間に皺を寄せて唸る涼介に、神主は穏やかに語りかける。

「信じて頂かなくても構いませんよ。正直、私も半信半疑でした。文献こそ残ってはいましたが、肝心の身代わり様を見た事がありませんでしたし、残っている遺灰もこれだけでしたから」

 スッと百年前の骨壺を軽く持ち上げる神主。それを見て、涼介は訊ねる。

「それより昔のものは無くなったんですか?」

「えぇ。昔はこの遺灰が長命の飲み薬として密かに有難がられていたそうです。これ以前の遺灰は、薬として消費されたのでしょう」

「うへぇ」遺灰を飲むという気分が悪くなる話を聞き、涼介は苦い顔をした。


「身代わり様は人間の死体を模した何かです。怖いと思うのは無理はありません。しかし、彼らは決して悪い存在ではないのですよ」

「……まぁ、死ぬ筈だった町の誰かが神様に救われた証と考えると、確かに悪いものではないかもですね」

 涼介を安心させるように言う神主の言葉に、彼は頷く。あの日見つかったのは溺死した身代わり様。誰かが迎える筈だった死の形。


 溺死はとても苦しい死に方だと、涼介は何処かで聞いた事があった。


「よし」と、何かを決めた涼介は、サイダーを飲み干して言った。

「神様に感謝を込めて、ちょっとお賽銭奮発してきます」

 未だ半信半疑ではあるが、その半分の「信」に感謝を乗せて拝む事に、きっとバチは当たらない。

 そう思い、彼は参拝することを決めたのだ。

「ありがとうございます」

 あはは、と神主は笑って礼を言った。



 スマホの画面に、おもちゃの指輪を着けた少女が二人。笑って写っていた。

 二人の着けている二つの指輪。その太めのプラスチックのリング部分、全く同じ箇所に全く同じ某電気ネズミの小さなシールが貼ってあった。先に姉の方が妹の持っている指輪との区別を付けるために貼ったものであるが、妹もそれを真似した結果、全く同じものが出来上がったのだ。

 今しがた涼介のスマホに親戚から送られてきた写真である。「またあそぼう!」というメッセージも添えられていた。

 やれやれと肩をすくめて、簡単に返事を送り、涼介はスマホをズボンのポケットに入れた。


「この辺り、だったな」

 神主に遺灰を届けた涼介は家へと帰る道すがら、一人河原の土手を歩いていた。そして遺体が見つかった場所で、彼は立ち止まる。誰かが置いたのだろう、そこには花が供えられていた。

 自分も何か供えるべきだろうか。暫し逡巡する涼介の視界に、キラリと何かが光った。

 涼介はその場所を見る。土手の片隅で茂っている草の根元に、それはあった。彼は手で草をかき分けるようにしながら、それをひょいと摘まみ上げる。


 果たして、それはいかにも安っぽい、プラスチック製のおもちゃの指輪であった。例えこれがあの女性の持ち物だったとしても、この辺りで遺留品を捜索していた町の住民からは捨てられたゴミとしか思われない、ただのである。

 しかしそれは、彼の親戚姉妹に祭りの的屋で買わされた物と全く同じ物であった。




 全く同じである。リング部分に後から貼られた、電気ネズミのシールさえも。




「まさか」


 この世にある筈の無い、三つ目の指輪を見て、涼介は思わず呟いた。

 手に持っているこの指輪が、身代わり様の所持品だったのならば、あの遺体は、姉妹のどちらか片方の身代わりとなったという事になる。

 この辺りにいる神様とやらは、誰かの死の運命を、別の誰かを動かす事で変え、その命を救うという。


 では、動かされたのは誰だ? 遺体が見つかる前の数日間、あの姉妹に一番関わっていた人物が第一候補である。


「――俺か」


 涼介はハッとする。

 そもそも、帰省をしようと思い立ったのは「何となく」であった事を彼は思い出した。大した理由はなく、彼はただ実家に帰りたくなったのだ。

 もしそれが、神様とやらによって動かされた結果であるとするのならば。


 仮に、自分が実家に帰省しなかったとして、その場合はどうなる?


 涼介は考える。外出したがる姉妹に対し、暑い中外出したくなかった自分は、持って来た携帯ゲーム機で遊ばせる事で彼女達を涼しい家に留めていた。それが無くなるという事は、きっと暇を持て余した姉妹は外に出て、近くにある遊べる場所へと向かうのだろう。

 とは言え姉妹も暑さを感じないわけではない。水があるなどして、涼しい場所に向かいたがるのは想像に難くない。


 例えば、すぐ近くにある河原であるとか。

 そして、そこに上流から鉄砲水がやってくるとしたのならば。


 考えすぎかもしれない。

 だが、しかし。


 何処か確信めいた何かを感じた涼介は供えられた花の前でしゃがみ、静かに手を合わせた。

 照りつける夏の日差しの中、汗を流しながら、ただひたすらに彼は感謝をした。

 自分をここまで向かわせた、この辺りにいるとされる神様とやらに。

 あの姉妹のどちらかの身代わりとなって死んだ、身代わり様と呼ばれる何かに。

 灰の台車が、白骨を乗せずに済んだことに。







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