第18話 「––––私が癒してあげよっか」


「疲れた……」


 すっかり暗くなった空を見て、私は小さく呟いた。さして仲良くもないグループに誘われて。結局、こんな時間まで付き合わされた。話に合わせて相槌を打つのも、それっぽいタイミングで笑顔を見せるのも。全てに疲れた。


「はぁ……」


 しばらくはこういうのないといいなぁ。でもあるんだろうなぁ。これからのことを考えると余計に気持ちが重くなる。


 気持ちだけじゃなくて肩にも僅かな重みを感じたのは、そのすぐ後だった。


「……?」


 違和感を感じて振り返る。


「えっ」


「佐奈。珍しいね、この辺で会うの」


「若菜さん」


 少し驚いた。若菜さんは私の肩に手を乗せて。同じく驚いたような顔をしている。さすがに跡をつけてたとかそうゆうことではないのだろう。


「ちょっと、学校の人とね……」


「え、浮気……?」


「そんなわけないでしょ。そもそも若菜さんとも付き合ってないから」


 勘違いしないでよね、と念を押しておく。若菜さんは少しだけ笑みをこぼして。途中まで一緒に行こうと提案してきた。


「若菜さんはどうしてここに?」


「散歩」


 意外だと思った。若菜さんにそんな趣味があったなんて。あまりイメージが湧かなかったから。


「なんか、一人で外歩いてると気分転換になるんだよね。誰にも何も見せないからさ」


「……なるほど」


 それは一理ある。自分しかいない空間。何も考えなくていい時間は大切だ。


「佐奈、疲れてるでしょ」


 それは、質問というよりも確認という意味合いが強いように感じた。若菜さんにはお見通しか。いや、若菜さんでなくても今の私を見れば疲労しているのが一目瞭然だろう。私は小さく頷いて答えた。


「そっか。じゃあ––––」


 甘い香りと、少しだけ冷たい風が頬を撫でて。疲れた肩に、優しい温もりと確かな重みが乗る。


「––––私が癒してあげよっか」


 私の耳に白い息を吹きかける若菜さんが、いつも以上に色っぽく見えて。疲れた身体に押し当てられた若菜さんの身体が。私の思考を奪っていく。


「癒すって、どんなふうに……?」


「んー。佐奈はどんなことして欲しい?」


 私が、若菜さんにして欲しいこと。柔らかな肌に。腰に近づくにつれ肉付きが良くなっていくふとももに。丸みを帯びたその胸に。若菜さんの身体に、求めること。


 若菜さんは、どこまで許してくれるだろうか。この疲れた身体が癒やされるのなら。それを若菜さんに求めてもいいのだろうか。


「––––なんでもいいよ」


 若菜さんの、甘い囁きが。私の中のダメな感情を後押しする。後悔とか、焦りとか。全部がどうでもよくなっていって。


「……ほんとに? なんでもいいの?」


 若菜さんは嫌がるだろうか。でも、もう抑えられそうにない。疲れてうまく回らない頭が。私の衝動を若菜さんにぶつけてしまえと訴えてやまない。


「えっ。あ、うん。そうなんだけど……」


 若菜さんは、少しだけ戸惑ったように言葉を詰まらせる。私が何を言おうとしているのか。若菜さんには、既に分かっているのだろうか。


「じゃあ––––」


「た、タイムアーーップ!!」


 漏れかけた言葉は、若菜さんの大きな声によって遮られた。若菜さんは、少しだけ乱れた吐息を漏らしていて。なんだか慌てた様子に見えた。


「いや、そのっ! ご、ごめん! 今日、下着地味だから!」


「……下着?」


「だから、その……。んでしょ……?」


「え、なにを」


 若菜さんは言いづらそうに下を向いて。やがてゆっくりと口を開いた。


「……えっちなこと」


 その言葉に一番驚いたのは、私で。同時に、現実へと引き戻された気がした。


「なっ! 何言ってるの!? そそそ、そんなこと頼むわけないじゃん!」


「え、じゃあなにを……?」


「そ、それは……」


 それを口にするのがはばかられた。冷静になった今、それを伝えるのはあまりに恥ずかしい。疲れていたとはいえ、私はなんてことを考えていたんだ。


「……結構偏ったやつ、とか?」


「ち、ちがっ––––! ただ、頭とか撫でてもらおうかなって……っ!」


 思いがけず口にしてしまった言葉に、僅かな沈黙が流れる。私も、若菜さんも。お互いを見つめて動かない。時が止まったような静寂が二人の間を流れる。

 

 先に動いたのは、若菜さんだった。その細い腕を、私の身体に伸ばして。小さくて、少しだけ冷たい手で。私の頭を優しく撫でる。


「……こんな感じ?」


「……うん」


 それは、とても心地よくて。若菜さんの手は冷たいのに。若菜さんの温度は、確かに私の中に流れ込んできて。どんどん身体が熱を帯びていくのを感じる。

 柔らかな手のひらが私の髪を撫でるたびに、それは顕著になっていって。若菜さんは時々、髪を解くような撫で方をしたり。頬に手を添えたり。私を気持ちよくさせようとしてくれる。


 やがて若菜さんは、ゆっくりと私を抱き寄せて。温かな若菜さんの温度が、全身を支配していく感覚。


 若菜さんは、何も言わない。ただひたすらに、私の頭を撫でてくれる。そんな時間は、まだしばらく続きそうで。私は、若菜さんにその身を委ねることにした。

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