しゅなぽん

きひら◇もとむ

第1話

「「「いやーん可愛い!!」」」


隣の席に集まった女の子たちが一斉に黄色い歓声をあげた。

何事かと目を向けると、(俺の)春野さんがスマホの画面をみんなに見せている。


「この子がしゅなぽん。ミニチュアシュナウザーの男の子なの。とっても可愛いんだよ」


彼女の話によると、この前のクリスマスにやって来た新しい家族だそうだ。以前から犬を飼いたいと熱望していた彼女へのご両親からのクリスマスプレゼントらしい。


「しゅなぽんはとっても甘えん坊でね、いつも私のベッドに入ってきて一緒に寝てるんだよ」


――(俺の)春野さんのベッドで一緒に寝てるだとぉー?!


僕は秘かにギリギリと奥歯を噛み締めた。

そもそも猫派の僕だ。気高く崇高に振る舞う猫に対し、シッポ振って媚びるだけの犬という存在のどこが良いのだろうか。

いやいや、犬ではない。イッヌだ。


「あとね、しゅなぽんには悩みとか聴いてもらってるんだー。しゅなぽんには何でも言えちゃうんだけどなぁ……」


――あれ!?


今、(俺の)春野さんが

一瞬こっちを見たような……。

いや、気のせいか……うん、気のせいだ。


そう、誰にも知られてはいないが僕は(俺の)春野さんに絶賛片思い中である。

ちなみに春野さんの名前の前に付いてる『(俺の)』という表記は僕の願望であり妄想であるので気にしないでほしい。

でもヘタレなので必要以上に緊張してまともに話が出来ず、ラブコメだったら恋のひとつやふたつ始まりそうな隣の席という絶好のポジションもまったく有効活用できずにいた。


――おのれー!しゅなぽんめー!!イッヌの分際で(俺の)春野さんのお悩みまで聞いているだなんて……。


ヘタレな僕はお門違いな感情を、人知れず彼女の愛犬にぶつけるのであった……。



その夜、ベッドでゴロゴロしながらスマホをイジっていた僕は、ふと思い出してとある言葉を検索した。


「えーっと、『ミニチュア……シュナウザー』……っと」


画面に出てきたのは黒い体毛に眉と髭のような灰色の毛を纏ったちっこいわんこの画像。

まるで英国紳士のおじいちゃんのようだ。


「ふーん、これがしゅなぽんか……」


僕はスマホ画面に映るどこぞのわんこに羨望の眼差しを向けた。


「いいなぁ……。俺もしゅなぽんになりたいよ……」


いやいや、別に犬になりたいわけじゃないよ。ただ(俺の)春野さんと仲良くなれたらなーって。

そんなことを考えながら(俺の)春野さんの笑顔を思い浮かべた。


「やっぱ好きだなぁ」


告白する勇気どころか話しかける度胸も無い僕は、いつものように胸を痛めながら眠りに落ちるのであった。



「ふわぁー、おはよー」


聞こえるか聞こえないかわからないくらい小さな低い声で、キッチンの母さんに挨拶をする。低血圧の朝はスーパーローテンションで始まる。

スマホでネットニュースを確認しながらトーストを食べるのが僕の朝のルーティンだ。

天気予報をチェックする。未明から降り出した雨は昼前には雪に変わるらしい。

寒いのは苦手だ。こんな日は猫よろしくコタツで丸くなっていたい。犬、いやイッヌのように喜び庭を駆け回るなんて狂気の沙汰じゃないかと思う。


左手に持ったトーストを頬張るとホットミルクでゴクリと流し込んだ。



「おはよう」


席につこうとすると(俺の)春野さんが笑顔で声を掛けてきた。


――くぅーっ!朝からかわいいなぁ♡


「お、おはっ、おはよ」


……噛んでしまった。

そして照れくさくてめっちゃ無愛想になってしまった。


『そういうとこだよ、大岡山クン』


頭の中で八奈見さんが囁いた。

ちなみに八奈見さんとは某アニメの負けヒロインの女の子である。


「ねぇねぇ、大岡山くんて犬派?猫派?」


(俺の)春野さんが僕の方に少しばかり身を乗り出してきた。

デキる男なら「もちろん犬だよ。人懐っこくて可愛いよね」などと空気を読んだ発言をするのだろうが、陰キャな僕にそんな気の利いたことが言えるわけもなく、


「猫派だけど、何か?」


と言ってしまう。


「そ、そっか、猫派か……」


ちょっと残念そうな表情を浮かべた(俺の)春野さんは、すんと体勢を戻してしまった。



その日の帰り道、予報通り雪が激しくなってきた。雪に慣れていない東京都民である僕は、わずかな積雪に四苦八苦してしまう。

おまけに僕の通うこの学校は小高い丘の上にあるので、足元に細心の注意を払いながら坂道を降りていかなければならないのだ。


――何であそこで「犬派だよ」って言えなかったんだろう。嗚呼、俺ってホント駄目な奴だ……


朝の出来事を反省しながらトボトボと歩いていると、どこからか微かにクーンという鳴き声が聞こえてきた。

顔を上げて見回すと道路の真ん中で子犬が雪にまみれているではないか。ブルブルと震えていて動けなくなっている。


――おいおい、あんなとこにいたら危ないぞ


と思った矢先、坂の上から一台の乗用車が走ってきた。いや、正確に言うとズルズルと滑っている。

ノーマルタイヤで制御不能になっているようだ。


「危ないっ!!」


僕は急いで子犬に駆け寄り、その凍えた小さな身体を抱きかかえた。

と次の瞬間、背中にドスンという衝撃を感じて雪の坂道を転げ落ちていった。



気がつくと、僕は布団の中にいた。

寒かったからだろうか、布団の中にすっぽりと潜り込んでいる。

なんだか石鹸の柔らかい香りがする。

今までと違うとてもいい香りだ。


――母さんてば、また柔軟剤を変えたのかな?


そんなことを思いながら、もぞもぞと布団から顔を出した僕は自分の目に映る光景に固まった。

な、な、なんと、目の前に(俺の)春野さんが同じ布団で眠っているではないか!


「!!!」


良いことでも悪いことでも、想定外のことが起こると人は固まってしまい何も出来なくなるというが、今の僕が正にその状態だ。

突然のことに声も出せず呆然としていると、彼女がゆっくりと目を覚ました。


「あ、おはよ」


僕を見るとニコリと微笑んで優しい声で囁いた。


寝起きの彼女もやはり天使であった。



「ほら、もっとこっちにおいで」


寝起きで少しトロンとした表情の(俺の)春野さんが腕を伸ばし僕をたぐり寄せる。


――な、な、なにをーっ!?


されるがままに抱きしめられる。


そうか、これはきっと夢だ。それにしてもこんな幸せな夢を見るなんて。

『あぁ~なんて素敵な日だ〜〜〜っ!!!』

思わず大森もっくんばりのハイトーンで歌いたくなる。


「あったかいなぁ、しゅなぽんは」


――ん?しゅなぽん?は?いや、俺、大岡山だけど……


その時、部屋に置かれた姿見に映る自分の姿を見て愕然とした。黒い体毛に眉と髭のような灰色の毛。鏡の中のミニチュアシュナウザーと目が合った。


――え?なっ!?俺、しゅなぽんになってるーーー!?



――いやいや、これは夢だ。夢に違いない!

こういう時はまず自分の頬をギューッとつねって確認するんだよな。よし、右手でギューッと……


僕は右手を頬に伸ばした。


「!?!」


当然ながらミニチュアシュナウザーの身体では頬をつねることなど出来ようはずもない。


――これは夢だ!夢なんだ!頼む、この悪夢からさましてくれ!


ガブッ!


焦った僕はあろうことか目の前にいる(俺の)春野さんのすべすべの頬に歯を立てた。


「痛っ!!」


(俺の)春野さんが飛び起きる。


――ヤバっ!とんでもないことをやっちまった


それでも彼女は怒ることもなく僕にそーっと手を伸ばしてきた。


「ごめんね、しゅなぽん。無理やり抱えちゃったからびっくりしちゃったんだね」


そう言って僕の頭をゆっくりと撫でた。


飼い犬に噛まれても彼女はやはり天使だった。



朝食を終えた彼女が部屋に戻ってきた。

ピンクのパジャマにもこもこの半纏姿。

こんな格好ですらたまらなくキュートである。


(俺の)春野さんはベッドに腰掛けると大きくため息をついた。


「今日は会えるかなぁ?もう一週間だよ……」


その表情は今まで見たこともない寂しげなものだ。

しばらくの間ションボリしていた彼女だったが、ふと我に返ると「わっ!もうこんな時間だ!」と声をあげた。

おもむろに立ち上がるとワサワサと半纏とパジャマを脱ぎ始めた。

パジャマのボタンを外すと白い肩が露わになる。


――ちょっ!ちょ?ちょーい!?


僕は突然の眼福すぎる光景に彼女をガン見していたが、冷静と情熱の間で罪の意識を感じてそろりと背を向けた。



次に目を覚ました時はまだ夢の中だった。

ということは正確には目は覚ましていないのだが。

何故夢とわかるのかって?

だって僕は雲の上にいたからね。


真っ白な服を着た僕は雲の上にいた。ところどころ空いた穴からは遥か下に僕の住む街が見える。


「大岡山殿」


背後から威厳ある低い声で名前を呼ばれた。

振り向くと真っ白い大型犬が二本足で立っている。頭上には白い輪っかがフワリと浮いている。


「もしかして犬の神様?」


「いかにも。私は犬の神じゃ。大岡山殿、この度は凍える子犬を救っていただき感謝申し上げる」


「いえいえ、当然のことをしたまでだよ」


「いや、自らの危険を省みずに行動した貴殿は誠に素晴らしい人間じゃ。お礼に貴殿の『しゅなぽんになりたい』という願いをかなえて差し上げた。だが私の力は人間に対しては効力が僅かでな、もう切れてしまったのじゃよ。最後に礼を申し上げたく参った次第じゃ。これを機に猫同様、犬も好きになってくれ給え」


そう言うと犬の神様は右目でウインクした。

すると僕の足元にあった雲がスッと消え去り、まるでバラエティ番組のワンシーンのように僕は綺麗に落下していった。



次に目を覚ますと、見慣れない無機質な白い天井が広がっていた。病室だった。

子犬を救い、車にはねられた僕は頭を打って一週間眠っていたらしい。

再度精密検査を受け、どこも異常が見当たらないとのことで目を覚まして三日後に退院した。


入院していたのが地元の病院だったので、自宅までは歩いて十五分程の距離だ。リハビリにはちょうどいいだろう。


「ちょっと買い物していくから先に帰っててね。柔軟剤切らしちゃったし……」


以前とまったく変わらない僕の様子を見て安心したのか、付き添いに来た母がスーパーマーケットに消えていった。


久しぶりの外の空気は時折肌を刺すような寒さだが、それさえも僕には心地よく感じられた。

近道となる中央公園の中をショートカットしていく。


――空が広くて気持ちいいなぁ


そんなことを考えながら芝生広場を歩いていると、遠くから何やら小さな影がこちらに向かって走って来るではないか。

その影は正に『まっしぐら』という言葉がピッタリくるように一直線に僕に向かってくる。

黒い体毛に眉と髭のような灰色の毛。


「しゅなぽん?!」


僕がしゃがみこむと小さなその犬はハッハッと嬉しそうにじゃれついてきた。抱え上げるとペロペロと僕の顔を舐めてくる。


「な、な!どうした?!」


すると遠くから聞き覚えのある声とともに女の子が走ってきた。


「しゅなぽーん、待ってー!」


(俺の)春野さんだった。


「春野さん」


「大岡山くん?!」


十日ぶりに会った彼女。いや厳密には三日ぶりか。


ハァハァと息を弾ませながら驚いた様子で僕を見る。ダウンジャケットにマフラーとマスクで防寒対策はバッチリな格好をしている。


「退院したんだ?」


「うん。ちょうど帰り道」


「そっか。良かった……。退院おめでとう」


彼女は少しはにかんだ笑顔を見せた。


「うん。ありがと」


その間もしゅなぽんは僕にじゃれついている。飼い主である(俺の)春野さんが来たというのに。


顔を見合わせた二人の間に無言の時間が流れる。

フランスではこういう沈黙を「天使が通る」って言うらしい。

もっとも僕にとっては(俺の)春野さんが天使なんだけどね。


「あ、そうだ……」


僕はおもむろに右手を伸ばした。ぐるぐると顔にかかるくらいに巻かれている彼女のマフラーに手をかけると、少しだけ押し下げた。


「えっ!何?」


戸惑う彼女の頬に小さな傷跡が見えた。


「ゴメンね」


僕はそう言ってその頬をそっと撫でた。


動転したのか顔を真っ赤にして固まる彼女。

すると取り繕うかのように突然早口で話しだした。


「あのね、この子、しゅなぽんっていうの。可愛いでしょ?ミニチュアシュナウザーっていう犬種でね、だからしゅなぽんなんだ。えーっと、それでね……」


テンパると早口になるのは僕も同じだ。

そんなところも愛おしい。


「うん、可愛いね。散歩の途中?」


「うん。公園に来たら突然走り出しちゃって、びっくりしちゃった。そしたら大岡山くんがいるし、もう何が何だか……」


そう言いながらも何だかとっても嬉しそうだ。


「いいなぁ。ウチはマンション住まいだからペット飼えないんだよね。こんなふうに散歩するのとか憧れちゃうよ」


「だったら今度から一緒にしゅなぽんの散歩しようよ。どういうわけか大岡山くんには懐いてるし、きっとしゅなぽんも喜ぶよ」


大好きな(俺の)春野さんからの嬉しすぎるご提案。

僕はしゅなぽんを左手で抱えると右手を差し出した。


「よろしくお願いします」


「あ、ちょっと待ってね」


(俺の)春野さんは右手の手袋を外すと、差し出された右手をギュッと握った。


「こちらこそよろしくお願いします」


あろうことか(俺の)春野さんと手を繋いでしまった。


――わー!ちっちゃー。ほっそー。やらかっ。あったけー。かわいいーwww


ありとあらゆる称賛の言葉が脳裏に浮かぶ。

その手の感触に僕はこれも夢なのかと思ってしまう。

するとしゅなぽんが、目を覚ませとばかりに僕の左頬にカプッと噛みついた。


「痛たっ!!」


どうやら夢じゃないらしい。


「あっ!大丈夫?」


(俺の)春野さんが僕の頬をそっと撫でる。


「えへへ、お返しだよっ」


悪戯っぽく笑う僕の天使。

そんな僕らを見てドヤ顔でパチリとウインクするしゅなぽん。



二人と一匹の夢のような物語が幕を開けた。

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