このクソみてぇな世界でお前と笑う

たると

魔法の一つも使えないでくの坊でも、出来ることがあるらしい

 つまり世界はクソだ。


 例えば路地裏を歩いているだけで絡まれたり、例えばやってもいないことをやったと糾弾されたり。例えば誰にでも使えるような魔法が使えなかったりするだけでバカにされたり。


 ──例えば、腹の底で思っていることと言っていることがまるっきり違う人間ばかりだったり。


 この世界は、そんなところがクソだ。


 胸倉を掴まれたまま壁に叩きつけられて、オレ、ロイは肺の中の空気をすべて吐き出した。


「かは……っ」

「ハハッ。こいつ、ガンつけてきやがったくせにクソみてぇに弱いな」

「おいおい、ただのイキり野郎かよ」


 ぎゃはははは、と下品で耳障りな笑い声が二つ重なって路地裏に響く。


 オレを取り囲んでニヤニヤしている奴らは揃いも揃ってヤンキーのテンプレな姿をしていた。つまり、耳や鼻や口にいくつもピアスをつけて、髪を安っぽい金色に染めている。あとついでにだるだるの服を着ている。カッコいいとでも思っているのか。だらしないだけなのに。


 褐色の分厚い前髪の下で、オレはヤンキー二人を睨みつけた。それに気づけば激昂するはずなのに、こいつらはただただ嫌らしく笑っているだけだ。前髪のせいでオレの目が見えないからだろう。いやそっちに目が見えてないのに、なんでガンつけられたとか思ったんだよ。言いがかりをつけるにしてももっとあっただろ。当たり屋の方がまだ実際にぶつかってるぶん、筋は通ってるぞ。


 オレを嗤うのにも飽きたのか、胸倉を掴んでいない方のヤンキーが手を差し出してきた。


「出すもん出すなら見逃してやるよ」

「……」

「怖くて口もきけねぇってか? ハハハ、だーいじょぶだって。ちゃんと金さえ出したら痛ぇことはしねぇから」


 子供をなだめすかすような甘ったるい猫なで声が気持ち悪い。


 ここは黙って金を渡した方が得か。二対一で戦って勝てるほどオレは強くない。そもそも一対一でも厳しい。オレは所詮、頭の中では元気いっぱいでも現実で行動することはできないド陰キャなのだ。クソカッコ悪くてクソ情けない。


 仕方ない、なんて思いながらポケットに手を突っ込んだ。


 瞬間。


 ぶわりと一陣の風が吹いた。強い強いその風に前髪が浮き上がって、オレの胸倉を掴んでいる方のヤンキーと目が合ってしまった。


 キィン、と脳みその真ん中で耳鳴りのような音がして、オレは顔を歪める。──『なんだコレ』『セット崩れるじゃん』『うわ、目ぇ合っちまった』『気色悪ィ』


 聴覚でも視覚でも嗅覚でも触覚でも味覚でもない、別の何かを受け取った情報が直接頭に流れ込んでくる。絶妙に不快で、でも息苦しさを感じる程ではない圧迫感が襲って来た。


 あぁクソ。また他人の心がオレに流れ込んでくる。最悪の気分だ。


 風が止むのと同時にまた前髪で視界が遮られて、ほっと息をつく。流れてくるヤンキーの心の声も断たれて、圧迫感が消えた。


 トン、と誰かが舞い降りたような軽やかな音がして、


「こーらキミたち。そんなことしちゃダメだぞ~?」


 ふざけた調子の声が、路地裏の入り口の方から聞こえた。


 聞き馴染みのありすぎるそれに、オレは勢いよくそっちを見る。


 そこには魔法使いらしい三角の帽子を被った女がいた。おさげにした燃えるように赤い髪を両肩から前に流し、リボンや布で飾ったほうきをついて不敵に笑っている。遠くてハッキリとは見えないが、彼女の瞳は緑色だ。──よく、知っている。動揺と驚愕が胸の辺りに詰まって、声が出ない。


 同じように彼女を見たらしいヤンキー達が、オレよりも早く反応した。


「っえ、嘘だろ、カーラ⁉」

「マジ⁉ 本物⁉ あの噂ガチだったのかよ‼」


 沸き立つヤンキーどもに、女は「本物ですよ~」なんてニコニコのんきに手を振っている。


 女──カーラは大人気配信者だ。オレたちくらいの年代、どころかネットが通っている国の人間なら誰しもが知っている。ひねくれまくっていて流行っているものはとりあえず避けるオレですら知っている。


 国から国へほうきで旅をし、訪れた場所の人間と屈託なく交流する。自分の国以外を知ることなく死んでいく人間が大半のこの現代で、様々な国を画面越しに見ることができる彼女の配信が人気にならないわけがなかった。まぁオレは別に好きではないが。むしろちょっと嫌いだが。人気者への醜い嫉妬である。ええい、身の程知らずなのはオレが一番よく分かっている。


 カーラはコツコツとこちらに近寄ってくる。恐れ多いのか突然現れた有名人に若干パニックになっているのか、ヤンキーはオレから離れ、何歩か後ずさった。


 そばまで来ると、カーラはまずオレの顔を覗きこんできた。


「少年、怪我なぁい?」

「え、あ、はい、まぁ」

「良かったね~!」


 一応カツアゲの現場だというのに、カーラの笑顔はからっとしている。なんか他人事だ。いや実際に他人事だが。


 続いてヤンキー達に顔を向けると、彼女はピッと人差し指を立ててみせた。


「ダメだよ、こういうことしちゃ。いつか自分に返ってくるんだからね」

「は、はい、あの、すんませんっした……」

「あっ、その、自分カーラさんのファンなんですけど! サ、サインとか……!」

「え、ほんと? あはは、嬉しいな。いいよいいよ、いくらでもサインしちゃう!」


 後ろめたい現場を見られた直後だというのにサインを頼める神経が信じられない。そしてそれにコロッと嬉しそうに応える神経も信じられない。そういえばカーラは明るくて人懐っこくて、でも微妙に空気の読めない変な奴だった。


 サインをもらおうとカーラに群がるヤンキーどもは、すっかりオレを忘れ去ってしまっている。奴らのターゲットから外れられた以上、ここに留まる理由などない。


 ふらりと立ち去ろうとして、腕を掴まれた。振り向けば、印象的な緑の瞳と視線が絡む。


「待って。まだ行かないで」


 カーラに声をかけられるなんて予想もしていなかった。声が喉に詰まり、掠れる。


「は……? なんで」

「いいから。ね? ほらあたしキミの恩人だし」


 何とも恩着せがましい。しかしそれを言われてしまっては強く出られない。

 踏み出しかけていた足を止めると、カーラは満足そうに頷いた。





 たっぷりサインをもらって満足したヤンキーたちが路地裏を去っていく。


 ぐったりした気持ちでその背を見送っていると、突然カーラがぐるりとこちらを振り向いた。


「ねぇキミ」

「な、なんすか」

「ちょっと手伝ってくれない?」

「……はぁ?」


 声がひっくり返った。


 何を言っているんだこの人は。


 前髪の下で思いっきり眉間にしわを刻む。当然気付くはずもなく、カーラはニコニコと機嫌よさそうに笑っている。髪の隙間からそれを見て、オレはますます眉間のしわを深くした。


「なに、言ってんですか」

「あ、あたしのこと知らない? んっとね、あたしカーラって言うの。配信者やっててねー、これでもケッコー有名なんだよ」

「知ってますけど……」

「わ、ほんと? うれしー」


 両手の指先を合わせて、カーラは笑顔で小首を傾げる。本当に言葉通り嬉しそうで、どんどん頭が混乱していく。


「知って、ますけど。オレごときに何を手伝えって言うんです? 国民と交流するって画が撮りたいんだとしたら、オレほど向いてない奴いませんよ」


 さっきの奴らの方がマシ、と言いかけて飲み込んだ。事実だったとしても自分で認めるのは癪に障る。


 カーラの目が丸くなった。


「違うよ? 配信を手伝ってほしいな、じゃなくて、『あたしを』手伝ってほしいな、だよ」

「はい?」


 何が違うのか分からなくて、つい首を傾げる。ついでにカーラも首を傾げた。はたから見れば間抜けすぎて笑えてくる光景だろう。


「いやあの。あんたみたいな人がこの国に来て配信以外にやることあるんですか」

「配信する分の動画は撮り終わったもん」

「もうですか」

「もうだよ」


 そういえば先にサインをねだったほうのヤンキーが『あの噂』とかなんとか言っていた。なるほど、彼女ほどの人物が動画を撮っているのに噂にならないわけがない。オレがあまりにも周囲との関わりがないせいで知らなかっただけか。悲しくなんかないからな。


「ね、敬語いらないよ。カーラって呼んで」

「は、いや、はぁ……」


 結局カーラが何を言いたいのかが分からなくて、返事が曖昧になる。


 動画は撮り終わってるのにいち国民でしかないオレに何を協力しろと。なんだ? 自分のイメージアップのためにヤンキーから助けた少年と仲良くなりましたみたいな写真を撮らせろと? そんなのごめんだぞ。


 こっちが混乱しまくっているのをよそに、カーラはにっこり笑った。


「キミ、魔力量多いのに隠してるでしょ」

「っえ」


 心臓が握りつぶされたような感覚がした。胸元に手をやることもできず、ただひたすらに彼女を見つめる。


 なんで分かったんだ、なんて当然の疑問が、浮かんだ瞬間に弾けて消えた。


 この態度からは考えられないが、カーラは超絶優秀な魔法使いなのだ。そうでなければ結界で守られていない国の外を自由に動けるわけがない。今も日の光に照らされてシャボン玉のようにきらめく結界の外で、魔物が悠々と飛んでいる。


「あたし、これでも優秀な魔法使いさんだからさ。分かるんだよそういうの。タイミングよく助けに入れたのだって、魔力量が極端に多い割に一生懸命隠してる人がいて気ぃ引かれたからだし。色んな国を見てきたけど、キミほどの魔力を持ってる人、初めて見たよ」

「……」


 無意識に後ずさろうとして、壁に阻まれる。


 そう、カーラの言う通り、オレの魔力量は桁外れだった。


 この国ではほとんど全員が魔力を持って生まれる。その能力や才能には個人差があれど、ある程度の魔法が使えるのだ。


 そんな中、オレは常人の十倍の魔力量を持って生まれてきてしまった。


 小さいときは魔力のコントロールが上手くできずに周囲に多大なる迷惑をかけてきた。親父もおふくろもとっくの昔にオレを見放して、どこかに行ってしまった。毎月金は振り込まれるしそんなに強い魔法使いだったわけじゃないからこの国にいることは分かるが、探すつもりは毛頭ない。これ以上の、迷惑は。


 それからは必死に魔力コントロールの特訓をして、目立たないように、関わらないように、ひっそりと暮らしてきた。


 死に物狂いで隠してきたそれをあっさり暴いて、この女は何がしたいのだ。


 オレの苛立ちに気付いていないわけがないだろうに、カーラはお構いなしだった。


「なにより、その『目』。そこにいちばん魔力が集中してる。なにかあるよね」


 言いながら手を伸ばしてくる。目を隠すように垂れる前髪を上げようとしているのだと気づいた瞬間、オレは反射的に彼女の手を振り払った。


「っやめろ!」

「わ、」


 カーラの目が丸くなる。いきなり突き飛ばされた子供のようなその表情に苛立ちが増して、オレは彼女を怒鳴りつけた。


「何も知らないくせに、ずかずか土足で踏み入ってくんじゃねぇよ! お前みたいに恵まれた人間には分かんねぇだろ、なんにも!」

「だから知りたいんじゃん? 分かんないから分かりたいんじゃんか」

「……ッ」


 驚いた顔のまま、それでもカーラは平然とのたまう。それがウザったいって言ってんだよ。ちょっと優秀だからって、勝手に人の心に踏み込んでいいわけがない。元々さして高くもなかった好感度が音を立てて落ちていく。


「旅ができるような優秀な魔法使いサマになに言っても分かりゃしねぇよ。自分の優秀さ見せびらかしてぇなら他あたってくれ」


 吐き捨てて、オレは勢いよく立ち上がった。前髪の隙間から思い切りカーラを睨みつけて、身をひるがえす。


「えっ、ちょっと待ってよ! ねぇったら」


 後ろから引き止める声がしたが、オレは一度も振り返らず早足に歩き続けた。





 協力しろと言ったり、引き止めてきたりした割には、カーラが追ってくる気配はなかった。それにもまたわずかな苛立ちを感じている自分に舌打ちする。たまたますれ違うところだった子供が怯えて離れて行った。その姿をなんとはなしに横目で見て、それからため息をつく。


 自宅へ近づけば近づくほど、オレを知っている人間が増える。必然的に、オレに怯えたりオレを警戒したり嫌悪したりする人間も増えるのだった。多すぎる魔力のコントロールがまだ出来ていなかった頃にさんざん迷惑をかけたし、カーラも指摘した『目』のこともある。今さら悲しいとも寂しいとも思わないが、そう思えないことに少しくすぶるものはあった。


「おー、いたいた!」

「はっ⁉」


 眉間にしわを寄せていると、背後から大きな声がかけられて肩と声がはねる。とっさに振り返ると、そこにはオレを追いかけてこなかったはずのカーラがいた。オレに拒絶されたのも忘れたように、機嫌のよさそうな笑顔を浮かべている。


 彼女の存在に気付いた周囲がざわめき始める。しかしオレがいるからなのか、人々は近づいてこようとはしなかった。そんなことはひとかけらも気にせず、カーラはオレにまとわりついてくる。無駄に距離が近い。


「もう、なにも逃げなくたっていいじゃない」

「いやお前」

「あ、もしかしてすぐ追っかけなかったから拗ねてるの? 意外に乙女チックだねキミ。ごめんね色々みんなにサインとかしてたから」

「ちっげぇよ!」


 的外れなことをのたまうカーラに、つい声が大きくなった。周囲が一瞬にして静まり返る。声がなくなった代わりに、向けられる視線が鋭くなった。言葉がなくてもよく分かる。視線は有名人に、それも女に怒鳴り散らすオレを非難していた。


 カーラは気付いているのかいないのか、オレを見たままニコニコしている。


「もうオレに構うな。協力なんざしてやるつもりはねぇ」

「やだ。せめてちゃんと話くらい聞いてよ。びっくりさせちゃったのは謝るからさ。……ん? ていうか、説明しようと思ったらキミが逃げ出しちゃったんだよね? じゃ、あたし悪くなくない?」


 頑固なことを言っていたかと思うと、カーラは細いあごに手を当てて首を傾げた。いま考えるべきはそこじゃないだろ、絶対。


 こいつ相手に激昂したり悩んだりするのがバカらしくなってきた。オレたちを遠巻きにしている奴らにちらりと目を走らせて、オレはさっきよりも深く深くため息をつく。


「……いい。分かった。話くらいは聞いてやる、聞いてやるからいったん離れろ。近い」

「照れてる?」

「どつくぞ」


 声を低くすると、カーラは「こわーい」なんて笑いながら離れていった。それを睨みつけて、オレは歩き出す。こんな人に囲まれた状態じゃ落ち着いて話も出来ない。とりあえず近所の寂れ切った公園に向かうことにした。まさかいちおう男であるオレの家にいちおう女であるカーラを招くわけにはいかない。


「ね、そういえばキミの名前は?」

「……」

「答えてくれないならまたくっつくぞ」

「ロイだ」

「即答されるとそれはそれで傷つく」


 一人でもずっとペラペラ話しているカーラを無視しつつ公園へたどり着く。いつも通り誰もいない。オレたちを取り巻いていた人々もとっくのとうに離れてどこかへ行っていた。カーラに話しかけたくても有名人すぎて尻込みしてしまったのだろう。オレが近くにいたから、だとは思いたくない。悲しくも寂しくもないからって傷つかないわけではないのだ。


 カーラは公園につくなりブランコに駆け寄って漕ぎ出してしまった。馬鹿なのだろうか。馬鹿なのだろう。


「話するんじゃなかったのかよ」

「するけどー! ブランコ楽しくてー! ロイくんも乗ろー!」

「乗るか。つかそのブランコの鎖、あんま強く握ると手ぇ汚れんぞ」

「え? ぎゃあほんとだ! あたしの手茶色くなってる!」


 ずざざざざ、と盛大な音を立てながら止まり、カーラは「やだやだ」と汚れを落とすように手をすり合わせている。そんなことをしても手についた錆が伸びるだけだと分からないのだろうか。


「普通に魔法使えよ。旅に出てるくらいだ、洗浄魔法ていど使えるだろ」

「あそっか」


 手をすり合わせるのをやめたカーラは「洗浄プリフィケーション」と唱えた。手のひらに淡い青の光が生まれたかと思うと、萎んで消える。彼女から離れているから見えないが、恐らく手についた錆は綺麗に消えているはずだ。


 平然と魔法を使うカーラに羨望にも似たムカつきを覚えながら近づく。まだブランコに座ったままの彼女の前に立った。


「で?」

「……で?」

「説明! するんだろーが!」

「あっそうだ忘れてた」


 ちょっと抜けているとか空気が読めないとかズレているとかで表現していいのかこれは。


 オレが呆れ果てていると、ふとカーラがじっとこちらを見ていることに気付いた。


「なんだよ」

「いや説明もするんだけど。その前にその目がどうしても気になっちゃって。そんな風に髪で覆わなきゃいけないようなものを隠してるんでしょ?」


 息が詰まる。


 カーラの視線は逃げられないほどまっすぐで、魔法でも使われたかのように目をそらせなかった。じり、と無意識のうちに下がった足が音を立てる。ふいにぴょんと立ち上がったカーラが、素早くオレの前髪を上げた。


 ばち、とカーラの目とオレの目が合う。


「ッ……‼」


 襲い来るであろう不快感と圧迫感に顔をそむけようとして、オレは思わず硬直した。


 頭の中に、何も流れてこない。


 それどころか、その前兆であるキィンという耳鳴りに似た音もしなかった。確かにオレはカーラと目を合わせているはずなのに。


 目をそらせずに、まじまじとカーラを見つめる。こんなことは初めてだった。少しも心が読めない。彼女は優秀な魔女だから、魔法で何か対策でもしているのだろうか。いや、そんな雰囲気はないし、そもそもカーラはオレの力を知らない。対策のしようなど、ないはずだ。


 混乱していると、視界をぱさりと前髪が遮った。いつも通り、髪越しの世界に戻る。


「ふーむ? 直に見ても何を隠してるか分からないなんて、なかなかだなぁ」

「なっ、なんで。なんでっ、だよ」

「え、どしたのロイくん」

「なんでっ、心が読めないんだ……⁉」


 叫ぶように言うと、カーラの表情が凍り付いた。しかし、そんなのに構っている余裕はなかった。ウザったくてウザったくて、消えてしまえばいいといつも祈っているような力でも、突然使えなくなると何か大事なものが抜き取られたような気分になることを知った。


「目、目を合わせたのに、なんで。オレ、いつも他人と目を合わせるとそいつの気持ちが頭ん中流れ込んできて、それで、だから」


 だからオレはいつも一人で、だからオレはこんな風に鬱陶しい前髪を垂らしているのに。


 半ばパニックに陥りながら後ずさると、ブランコの周りに設置された柵につっかかった。足から力が抜けて、ずるずると座り込む。


 凍り付いたままだったカーラが、気を取り直すように首を振って一歩オレに近づいてきた。少し腰をかがめると、オレの頭にそっと手を置く。なだめるように撫でながら、静かに言った。


「ロイくん、落ち着いて。キミがおかしくなったわけじゃないよ。あたしがおかしいの。そっか、キミ、目を合わせると人の心が読めるんだね。そっか」

「なに、いって」

「あたしね、気持ちってものが分からないの。生まれた時から」

「え?」


 オレとカーラの間に、冷たい風が吹く。それに頬を撫でられて正気を取り戻したオレは、呆然とカーラを見上げた。画面越しでいつも見かける笑顔が、帽子のせいなのか彼女の心情のせいなのか、陰って見えた。


「人の気持ちはもちろん、自分の気持ちも。形がなくて、曖昧で、簡単に移ろって。みんなが当たり前みたいに扱ってるそれが、あたしにはちっとも分からない」


 衝撃が大きすぎて、カーラの声がろくに頭に入ってこない。他人の気持ちも自分の気持ちも分からないくせに、この女はあんな風にヘラヘラ笑っていたのか。画面の中であんな風に楽し気に過ごしていたのか。全部ぜんぶ、フリだったって言うのか。


「それを知りたくて旅に出たんだ。その中でたくさんの人と触れ合って、なんとなくのテンプレートは見えてきた。こういう人はこういう気持ちになりやすい、こういう人はこういう気持ちからこういう行動を取りやすい」


 彼女がとうとうと並べる言葉は、心の話をしているというよりは何か実験の話をしているようだった。だって心はテンプレートなんかにあてはめられるほど分かりやすくはない。心はもっと複雑で、もっと気味が悪くて、もっとぐちゃぐちゃのものだ。

 本気で気持ちが分からないのだということを悟って、背筋が冷えた。


「キミがあたしの心を読めなかったのは、あたし自身あたしの心を分かってないからだよ。たぶんキミの力はその人が心の表面に浮かべた感情や気持ちを読み取るもので、脳で考えてることを読み取るものじゃない。考える、と感じる、は別物でしょう?」

「……」

「あたしがロイくんに協力してって言ったのは、あたしが今まで作ってきたテンプレートからキミが著しく外れてるから。キミの気持ちを知れば、気持ちの理解に近づけるんじゃないかなって思ったの」

「外れてるって」

「力が強ければ強いほど、人はそれを誇示する傾向にある。でもキミはそうじゃない」


 いつの間にか、カーラの顔から笑顔が消えていた。配信者『カーラ』がする顔ではなかった。もしかしたら、彼女の笑顔は感情が分からないなりに周囲に受け入れてもらおうとした結果生まれた、盾のようなものだったのかもしれない。


 画面越しに見慣れてしまった顔に浮かぶ、見慣れない表情に、オレは唾を飲む。

 カーラが視線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「ね、お願いがあるの。あたしに協力して。最初は気持ちを教えてもらうだけのつもりだったけど、キミの力を知ったのにそんな控えめなこと言えない。ねぇ、あたしと一緒に旅をしよう」

「は、」


 掠れた声が、いや、声に近い空気がもれる。緊張も何もかも吹き飛ぶほどの衝撃だった。


 オレが? この嫌われ者のオレが、人気者のカーラと一緒に旅?


 二の句が継げないオレに、普段の笑顔を取り戻したカーラが明るく言う。


「もっちろん、タダでとは言わないよ? キミ、魔力を抑えることばっかり考えてるから、ぜーんぜん魔法使えないでしょ。超々初歩な火付けの魔法やちょっとした浮遊の魔法さえ使えないと見た」

「なっ」


 図星である。オレは長年『魔力を抑える』ことに全力を傾けてきたから、『魔力を使用する』魔法をろくに扱えない。つまり魔力が多いだけのでくの坊だ。


 ニヤニヤしながらカーラは立てた人差し指を振る。


「そーいうの、教えてあげるよ? 気持ちが分からない代わり、理屈的なものはよぉく分かるから。それに、きっとその『目』の力だってオンオフできるようにしてあげられると思う」

「っ⁉ マ、マジで⁉」

「マジマジ。大マジだよ。もちろんロイくん自身が頑張って訓練しなきゃいけないけど。ついてきてくれたら、ぜぇんぶ教えてあげる。あたしが知ってる魔法の使い方を、あたしが持ってる技術を、ぜぇんぶキミにあげる」


 だから、さ。


 言いながら、カーラが手を伸ばしてくる。今度はオレの髪を上げるためではなく、協力を要請するために。


「あたしに人の気持ちを教えてよ。誰よりも人の気持ちが分かるキミの見る世界を、あたしに教えて」


 座り込んだままのオレは、カーラの手と顔を何度も見比べた。正直、怯む気持ちの方が大きい。


 当たり前だ、オレはどんなに周囲から避けられ邪険にされてきてもずっとこの場所で育ってきた。カーラはそれを捨てろと言っているのだ。そんな決断が、簡単に下せるわけがない。


 カーラは手を下ろさない。ただオレをじっと見つめたまま微笑んでいる。偽りの笑顔だ。本当のこいつは空っぽで人の気持ちが微塵も分からない奴だ。そうだ、人の気持ちが分かるなら、出会ったばかりの人間を、しかも異性をこんなにラフに旅に誘ったりできるわけがない。


 ……そんな人の気持ちが分からない奴が、ここで断ったくらいで諦めるか?


 浮かんだ問いの答えは一瞬で出た。そんなわけがない。オレが一度首を横に振ったくらいでこいつが諦めるわけがない。いつまでたってもまとわりつかれ続けるくらいなら、いっそ。


 カーラの手に、手を重ねる。


「分かったよ。どうせ、親しい人間なんざ一人もいねぇしな。ここに縋り続けるくらいならお前についていってちったぁ魔法が使える人間になる方がいい」

「あはは、そうだね、ロイくん友達いなさそうだもんね!」

「悪かったな!」

「いたたたた、ごめんごめんあたしが悪かったから手ぇ握りつぶそうとしないで!」


 痛がるカーラに、陥れられたとか上手く乗せられたとか腹立つこと言われたとか。あと、本当は悲しかったとか寂しかったとか、そういう些細な事実がほどけていく。


 我ながら相当性格が悪いと思うが、ここまで捻じ曲がるのも仕方がない環境だったのだから多少見逃してほしい。


 何だか楽しくなって、オレはケラケラと笑い声をあげた。そのままカーラの手を借りて立ち上がる。


「それじゃあ、これからよろしくね。ロイくん!」

「はいはい、よろしくなカーラ」


 名前を呼べば、カーラは少しきょとんとした後、弾けるように笑った。

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