グリーンローズ
文重
グリーンローズ
『モッコウバラは成長が早いから定期的に剪定しないとね』
庭の入口に設けられたアーチのモッコウバラが、黄色い八重の小花を周囲にまき散らすかのごとく我が物顔に咲き乱れている。麦わら帽子に園芸用グローブと長靴、お気に入りのバラ模様のエプロンをつけた完璧な装備で、庭に咲く色とりどりのバラの手入れを日課にしていた母の声が聞こえてくるようだった。
主を喪って半年が経ったバラの庭は、モッコウバラのように勢いを増している花もあれば、ピンク色に縁取られた黄色の花弁を持つ繊細な<ピース>などは、愛情と手間暇をかける者がいなくなったせいで、立ち枯れていたり虫に食われて惨憺たるありさまだった。
空き家になった家屋自体もうら寂れたようになっていたが、庭のほうも人の手が入らなくなった途端、植物が一斉に野生に回帰しようとするかのように弱肉強食の世界が繰り広げられ、人間に〝雑草〟と呼ばれるたくましい種ばかりがはびこり、弱い種は自然淘汰されていく運命のようだった。
「どうせ売りに出すんだろう。地元の不動産屋に買い取らせて片付けも一切任せればいいじゃないか」
自宅から2時間半の実家まで車を出してほしいと頼んだ時から、渋々運転しながらの道中でも、夫は同じ言葉をネチネチと何度も繰り返した。接待ゴルフもないせっかくの日曜日を潰されたことが不満なのは見え見えだった。私だってできることなら夫と一緒に来たくはなかったけれど、交通の便が悪い上に持ち帰らなければならない荷物がかなりあったので、夫が不機嫌になるのは承知の上で頭を下げて車を出してもらったのだった。
母が生きていたら、今頃は春バラが盛りを迎え、モッコウバラだけでなく、<ピース>も、<ブルームーン>も、真っ赤な<ブリランテ>も、純白の<アイスバーグ(シュネーヴィッチェン)>もそれぞれの一番美しい姿を見せつけてくれていたことだろう。
「お義母さんも酔狂な趣味を持ってたよなあ。結婚したての頃、慣れない庭仕事手伝わされた時は参ったよ。小金はあったんだから庭師か何かに手入れは任せればよかったのに、そういうところはケチだったよなあ」
そうじゃないのよ。自分の手で手塩にかけて育てるからこそ意味があるんじゃないの。それに手伝ったのはあの時一回きりだったじゃない。それもお母さんが腰を痛めたから手を貸してほしいと丁重に頼んだのだし。
そんな言葉が口をついて出そうになったけれど、私は口元まで出かかった言葉をぐっと呑み込んだ。
植物の手入れは子供を育てるのと同じ。
「これもバラなのか? 色もついていないしパッとしないな。咲き終わった後なのかな。色のない緑のバラなんて何の価値もないよな」
そう言って夫はモッコウバラの陰にひっそりと咲いていた緑色のバラを足で乱暴に踏み潰した。
「ああ、それは……」
踏みにじられたグリーンローズを目の当たりにして、私の中で何かが音を立てて崩れた。
『私はピンクのバラが一番好き。お母さんは?』
幼い頃そう尋ねると母は決まってこう言った。
『グリーンローズかしらね』
『どうして? 赤にピンクに黄色や白、いろんな色があるのに?』
『グリーンローズは中国の
子供の私はやっぱり赤やピンクのバラが好きだったけれど、その話を聞いてからは自分と同じ名を持つ、花びらのようなガクで形作られたグリーンのバラに心惹かれるようになった。
「あなた、もう帰っていいわよ」
私の言葉に一瞬、夫はぽかんとした表情を浮かべたが、
「帰りはどうするんだ。こっちに泊まっても明日は仕事だから迎えには来れないぞ」
といらついたトーンで言い放った。
「大丈夫よ。私はここに住むから。荷物はそのうちとりに行くわ」
娘が嫁いで夫婦二人きりになった家で、この先ずっと暮らしていくものだと思っていた。大企業の重役を務める夫のおかげで自分が働かなくても何不自由ない暮らしをさせてもらっているわけだし、家を守り、家族の健康を第一に考えておいしい料理を作り、感謝されることはなくても夫に奉仕するのが自分の人生だと思い込まされていた。
でも、私には違う人生もあるはずだ。母が遺したこの場所、この庭、このバラたちと共に生きる人生が。踏みつけられてもかすかに頭をもたげようとするグリーンローズの向こうに、バラが咲き誇るカフェで忙しく立ち働く薔薇色のエプロン姿が見えた。
グリーンローズ 文重 @fumie0107
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