サーフェス

三鞘ボルコム

「煙草の煙に二度、咽る」


 煙草に火を着け、胸一杯に煙を吸い込む。

 そして紫煙を――。


「ゲェホッゲホッ……」


 吐こうとする直前、気管に入った煙が喉を刺激して盛大にむせた。


 その咳で気付かれたのか、窓から母親が顔を覗かせる。


涼真りょうまっ! こんなところで煙草を吸わないでちょうだいっ!」


(あーあ、母さんに見つかっちまった。こりゃ面倒事になるな)


 涼真りょうまと呼ばれた少年は母親の叱責を気にも留めず、煙草の火を消す事もしない。

 それを見かねた母親は玄関を回ってやって来て、火の点いた煙草を奪い取った。


「あんたって子は……っ。今日がどんな日か、分かってるのかいっ!?」


「うるっせーよ、クソババァ」


一馬かずまが死んじゃったんだよ? 何でこんな日にまであんたは……!」


 今、家の中では涼真りょうまの双子の兄・一馬かずまの通夜の準備が行われている。


 先週の深夜、近所の林の中でナイフでメッタ刺しにされた中学生の遺体が発見され、前日から行方不明の一馬かずまだと断定された。

 そして昨日、司法解剖から遺体が返却されて今夜が通夜ということだ。


 犯人は、まだ見つかっていない。


「なんで一馬かずまがあんな目に……。真面目な、いい子だったのに……。それに比べてあんたはっ!」


(あーあ、また始まった。母さんは何かってーとオレたちを比べたがるんだよな)


 一馬かずまは優等生だった。

 勉学に励み、校内イベントや地域ボランティアにも積極的に参加して、次期の生徒会長も決まっていた。


 対して涼真りょうまは、俗に言う不良だった。

 学校をサボり、煙草も吸う。悪友たちと深夜を徘徊して、警官の世話になる事も珍しくなかった。


 一馬かずま涼真りょうまは、顔以外は似ても似つかない双子だった。

 そんな2人を見れば、母が「一馬かずまは、一馬かずまは」と言ってしまうのも無理はなかろう。

 ……いやそれは逆で、そんな周囲の態度が涼真りょうまを不良にしてしまったのかも知れないが。


「せっかくアイツがいなくなって清々せいせいしたってのに、まだ言うのかよ?」


「……っ!」


“パチンッ”


 失言、というにはわざとらしすぎるセリフではあったが、その言葉は母親の逆鱗に触れた。


「ってーな」


「あんたはっ! なんて親不孝ものだいっ! いっそ、あんたが……っ」


(あ~あ、こっちはモノホンの失言だ。それ以上言ったら母親失格だぜ?)


 それは親として、決して言って良い言葉ではない。だが息子の言葉に激昂した母親は冷静ではない。

 それでも最後の言葉を飲み込んで滂沱ぼうだの涙を流し、自分の息子をかたきを見るような目で凝視している。


「そこまでにしなさい。ご近所に丸聞こえだぞ」


 母子の間に割って入ったのは父親だった。

 その姿は仲裁、というよりも疲れ切った様子だ。


 ……無理もない。

 この父も、息子を無残な姿で亡くしたばかりなのだから。


「だってっ、この子がっ!」


「いい加減にしなさい。もうすぐ学校の方たちも来られる」


 努めて冷静に、父親は母親をなだすかす。

 だが、その姿は……。


(けっ。結局どいつもこいつも世間体ってヤツが大事だってことかよ)


 まだ中学生の少年には、決して良い父親に映ることはなかった。


涼真りょうま、お前も中に入りなさい……おい、どこへ行くつもりだ?」


「コンビニ。付き合ってられねー」


「待ちなさいっ。もう通夜が始まるんだぞっ。涼真りょうまっ!」


 父親の制止にも聞く耳を持たず、1人夜の街へと出ていく。

 コンビニなどは方便だ。家から離れる事ができるのなら、どこでも良かった。


(あんなとこに1日中いたら、頭がおかしくなるぜ……)


 とはいえ、目的もなく夜の街を徘徊しても楽しいことなど何もない。多少の金は持ってはいるが、今は何をしても楽しめる気がしない。

 だからかポケットからスマホを取り出し、悪友へと連絡した。ヤツなら一馬かずまの通夜になど出席はしないだろう。


「おーっす、待ったか?」


「いや、どーせヒマだし」


「ヒマって、今日一馬かずまの葬式じゃなかったか?」


「通夜な」


 スクーターで現れたのは小学校の頃からよく知る相手だ。もちろん、一馬かずまの事もよく知っている

 だが中学に上がってからは涼真りょうまと共に不良グループに入り、一馬かずまとは疎遠になってしまっていた。


「とりあえず、そこら走り回りながらダベるか。乗れよ」


 そう促され、50ccの原付バイクのシートに跨る。そして2人ともヘルメットを着けていないにも関わらず、車輪は回り出した。


 目的地などないが、今はそれが良い。

 心地よい夜風とエンジンの振動、そして違法行為をしているという背徳感が陰鬱いんうつな気分を紛らわせる。


「しっかし一馬かずまが死んじまうとはなー。誰がやったんだ?」


「さーな」


涼真りょうま、オメーじゃねーだろーな?」


嫌疑けんぎをかけるなら証拠か、せめて動機を提示しろよ」


「ショーコはねーけど、ドーキならあんだろ? オメー、一馬かずまの事キライだっつってたじゃん?」


「そんなの動機になるか」


 だが話題はどうしても一馬かずまの死になってしまう。

 しかしこれは仕方ない。それに同じ話題でも、気心の知れた悪友と親の非難めいた物言いとでは大違いだ。


(ホントはオレ、カズの事はキライじゃなかったんだけどな)


 夜闇を照らす街灯が視界を横切る。カーブのたびに、倒れそうなほどに身体を傾ける。時には、車の進行を妨害すらする。

 そんなことをしている瞬間だけは、死んだキライなアイツの事を忘れることができた。


「でも葬式くれー出てやってもよかったんじゃねー?」


「今日は通夜だっつってんだろ。葬式は明日――」


『そこの2人乗りのスクーター、止まりなさいっ!』


 会話の最中、大音量のスピーカーを通して2人に警告が飛んだ。


「やっべ、涼真りょうま落ちんなよっ!」


「テメーこそ、捕まんなよっ!」


 ナンバープレートを上に折り上げたスクーターが、ノーヘルの中学生2人を乗せて逃げる。パトカーは赤橙せきとうを灯らせてサイレンと共に2人を追う。


 ――――そして、一夜が明けた。




 一晩中パトカーを挑発して逃げ回るのは悪くなかった。疲れはしたが、同時に嫌な事も忘れられる。

 だが、いつまでもというわけにもいかない。


(坊主の念仏なんざ聞きたくねーし、火葬に間に合えば充分だろ)


 昼前になって、ようやく悪友と別れて自宅へ足を向けたのだが……その玄関前には、まるで誰かを待ち構えるように人が立っていた。


「……のぞみ


「リョウ……今まで、どこ行ってたの?」


 一馬かずま涼真りょうまの幼馴染……そして涼真りょうまの彼女ののぞみだ。

 幼稚園の頃からずっと一緒だったのぞみは、中学に入ってすぐの頃に涼真りょうまが告白をして付き合うことになった。


 そののぞみが悲し気な……非難するような眼差しを向けてくる。


「んだよ……オメーも説教か?」


「そんなつもりない……けど、カズが死んだ時くらい……」


「アイツの話はやめろっ!」


 両親に一馬かずまの死について話されるのは、ただ鬱陶しかった。

 悪友に一馬かずまの死について話されるのは、どうでもよかった。


 でも、のぞみに話されるのだけは……我慢がならなかった。


「こっちに来いっ!」


「ちょ……どこ行くのよっ? まだお葬式が……」


 のぞみの抗議も聞かず、強引に手を引いて連れてゆく。

 向かった先は、の中だ。


 少し奥へと進めば町の喧騒は遠のき、風と虫の音しかしない。


「ここなら、少し大声出したくらいじゃ人に聞かれる事もねーだろ」


「ここ……カズが死んだトコでしょ!? 何考えてるのよ!?」


「アイツが死んだトコなら、もっとあっちだ」


 同じ林の中ではあるが、一馬かずまの死体が発見されたのはここから数百mは先だ。そこでは、いまだに黄色いテープが張られて立ち入り禁止となっている。

 だが多少離れているからと、ここが死体発見場所であるのに変わりはない。


(あーあ、のぞみを怖がらせちまったな……。もーちょいマシなトコに連れてきゃ良かったのに)


「リョウ……どうしちゃったのよ? カズが死んで辛いのは分かるけど……」


「アイツの話はやめろっつっただろ? それよか、もっと楽しい話をしよーぜ? 昨夜ゆうべ、ポリ公から逃げ回っててさー……」


「何の話をしてるの? リョウ……ちょっとおかしいよ……」


 実の兄が死んだというのに通夜に参加もせず、翌日の昼頃になってようやく帰ってきたかと思えば「兄の話はするな」とかたくなになる。挙句の果てには警官から逃げたなどという、それこそどうでもよい話だ。


 常人には……いや、他人には理解できない奇行に映るだろう。

 それは幼馴染であり恋人であるはずののぞみも例外ではなかった。


「わからない……。わたし、リョウがわからないよ……」


「何がわからねーんだよ? いつも通りのオレだろ?」


 そう言って、まるで焦りと苛立ちを抑える為かのように煙草を咥える。

 身体に良くない事は承知しているが、煙草というのも存外悪くない。味などの話ではなく、「煙草を吸う」という行動そのものが沸き立つ感情を抑制してくれる。


「ゲェホッゲホッ……」


 ただ、むせるのだけはどうにも慣れない。


「あー苦し。オレ、しみったれた話がキライだろ? んで、アイツの事もキライだ。だからアイツの話はしたくねー。わかるだろ?」


 煙草のおかげか、少しだけ落ち着いた頭で順に説明する。

 だが、それを聞いたのぞみは首を左右に振った。


(あぁ……。オレたちって何でも分かり合ってるって思ってたけど、そんなモンだったのか……)


「わからないよ……。どうしちゃったの? リョウ、まるで別……んぐっ!?」


 冷静になったつもりでした説明ものぞみには届かない。

 だからか、セリフの続きを言わせまいとするようにのぞみの口を煙草臭い口で強引に塞いだ。


「んっ……んむ……っ。や、やめてっ! こんな時に、なに考え……んぶっ!?」


 有無を言わさずのぞみの口内をねぶる。

 数秒……数十秒が経って、酸欠気味の身体が力を失ってから、ようやく口を離した。


「ふー、ふぅー……。のぞみ……オマエはオレのモンだ。その為なら、なんだって……」


「ハァ……ハァ……。なに……言ってるの……?」


 すでにのぞみの言葉は聞こえていない。

 そこにいたのは、ただ己の欲望を抑えきれない一匹の獣だった。


「やっ!? いやっ!! やめて、リョウっ!!」


「その名前で、オレを呼ぶなっ!!」


 1人の少女の悲鳴は林の中に呑まれ、誰にも届く事はなかった。

 2人の双子の兄弟という例外を除いて――。


(そうか……カズ……。だからお前は、オレを――――)




△▼△▼△▼△▼△




「どう、オレの新作?」


「サイッテー」


「ありゃ、辛辣な評価」


「なに勝手にあたしを出してんのよ? しかも何であんたと付き合ってるコトになってるワケ? あんた、あたしをそんな目で見てんの?」


「おっ? もしかしてリョウ先生の新作? オレにも見せろよ。確か、オレを主人公にしてくれてんだよなっ?」


「カズ、あんた主人公なんて良いモンじゃないわよ? 殺人犯にされた上に、レイプ魔にされてたわよ」


のぞみ、ネタバレすんなよ」


「丸括弧しかセリフのないヤツは黙ってて。そんなコトより、こんなの絶対に投稿しないでよっ? したら絶交だかんねっ」


「えー、せっかく書いたのに」


「したら、二度と悪さができないように腕をへし折ってやるから」


「投稿って、これ? ホレ、ポチっとな」


「あ、あーーっっ!?」


「投稿したのはカズだから、オレは無罪放免な?」


「いや書いたのはリョウなんだから、オレこそ罪はないだろ」


「ま、待ちなさい2人ともーっ! せめてスマホを渡せーっ!! それから腕を差し出しなさーいっ!!」




 ~ 完 ~

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