きれいな街
中村ハル
輝かしい未来、美しい都市、健やかな人々
「初めての特区観光なら、多少高いけどガイドを雇うことをお薦めするよ」
画面越しに久しぶりに見る坂崎は、以前と変わらぬ笑顔でそう言った。
「なんかお前、若々しいな。俺ばっかりやつれたみたいだよ。やっぱ暮らしやすいのか、特区は」
俺は無精髭の伸びかけた顎を擦った。学生時代よりも、顎の皮膚が柔らかくよれる。
「そうだねえ。まあ、健やかではあるよね」
「あれか『輝かしい未来、美しい都市、健やかなる人々』ていう」
観光ガイドブックの表紙にも掲載されている特区イーストセントラルトウキョウ通称ECT(国はエコトウキョウと主張する)の掲げる標語を口にする。
「移住、大変なんだろ。よく申請が通ったよなあ」
「たまたまだよ」
にこやかにそう答える坂崎は、数年前のお調子者の気配もなく、仕事が順調にいっている成功者の落ち着いた気配を漂わせていた。
「坂崎が特区に旅行したまま戻らないとは思わなかったなあ。あの頃はまだ特区ができたばっかりだっただろ」
「だから余計にだよ」
「そうだよなあ。今は移住となると審査が厳しくて、夢のまた夢みたいな状況だって聞くもんなあ。もう何年だっけ。たまには帰ってこいよ。この前、お前の母さんとばったりでくわしたけど、ぼやいてたぞ」
「毎月、通話はしてるんだけどね」
困ったように坂崎は笑った。とはいえ、息子がなかなか戻ってこないと零す坂崎の母の顔が、誇らしさを含んでいたのを思い出す。
日本国内の、オーバーツーリストと大都市の人口集中を緩和するために実験的に創られた特区は数カ所あるが、理想都市と呼ばれるその街に暮らすための審査基準は、明らかにされていない。
特に、ECTはトウキョウの渋谷、銀座、日本橋、浅草を囲うように整備された小さな特区だが、人口は密集せず、一定の割合に留まっている。
幼い子供も、老いた人々も、健やかに暮らしている理想都市。
ここに生まれることが一つのステイタスでもあり、高い旅費を払って観光に来たり、安くはない仲介金を積んで就職を希望したりする人たちが後を絶たない。それでもなお、都市議会の議員たちによる選別により、人口は一定に保たれていた。
無闇矢鱈と他からの移住や就職を認めない。若い夫婦や子連れの移住であっても住民権は一代限り。観光客は、入区の際にIDを発行され管理される。
他地区で生まれた人々がECTの住民となれるのは、宝くじに当たるようなものだ。
「まさか、オーバーツーリズム対策として、木戸番が復活するとは」
特区ECTの白く巨大なゲートを見上げて、俺は思わず呟く。
隣に立ったガイドが、にっこりと笑みを向けた。
「入れない、がいちばんの対策ですから」
「まあ、なあ」
真っ白な通路を進み、空港のような個別改札のようなゲート機械の列に並んだ。
「それでもまだ、違法入区が後を絶たないのが困ります」
「個人識別IDと紐付いてるのに?」
列が進んで、認証機械の前に立つ。
「まさかとは思うでしょうが、それごと売買する人たちもいるんです」
驚いて見開いた目を生体認証の画面がスキャンを始め、認証完了マークがグリーンで表示されるとゲートが開いた。
「確かに、旅行費は安くはないけど」
俺の後ろでアラームが鳴り、振り返る。
『生体認証が確認できませんでした。立ち止まり、画面を正面から数秒間注視してください』
華やかな合成音声が響き、周囲の人々もちらりと視線を向けた先で、狼狽えた若者がきょろきょろと辺りを見回している。幾度も画面に顔を近づけるが、その度にエラー音が虚しく鳴り響いた。
『入区購入履歴とIDを確認いたします。お手数ですが、案内に従い、管理室までお越しください』
ともすれば陽気にさえも聞こえる声と共に、個別ゲートの向こう側から小型の円錐形ロボットが滑り出てきて、若者の前で止まった。頭部と覚しき辺りの画面には、愛嬌のある表情が表示されている。
『管理室までお越しください』
明るい陽気な音楽が小さく流れて、ロボットの胸元から照射されたブルーの明かりが道筋を示す。戸惑った若者が逡巡の末に逃げるようにロボットから離れると、大音量のアラームが辺りに響き、右手の壁が滑るように割れて、重いブーツの音を響かせた数名の係員が走り出た。
「逃走者一名。現在、首都中央データセンターとIDの照合を行っています。周辺の皆様は安全のため、一定の距離を開けてお進みください」
係員が爽やかな笑顔で誘導を始めると、人々は何事もなかったかのように動き出す。
「びっくりしましたね」
ガイドがにこやかにこちらを向いた。
ロボットは陽気な音楽を流し続け、青いラインは半径2mの赤い円となって、若者の周りを囲っていた。
『大豆由来インクで痒くなったり、赤くなったりしたことはありますか』
「たぶん、大丈夫だと思うけど」
『手首または手の甲を、青いライトの下に置いてください。お江戸通行手形をプリントします。アラームが鳴るまで動かないでください。印刷中にご気分が悪くなった方は、左手の呼び出しボタンを押してください。係員が参ります』
微かな稼働音と共に手の甲がくすぐられるような感覚が一瞬して、ちろりん、と軽い終了音が鳴った。ためつすがめつするが、プリントされているはずのお江戸通行手形は視認することができなかった。
「透明なインクでプリントされています」
言わずもがなのガイドの得意げな説明に、頷いてみせる。そんなことよりも、悶絶するほどダサい名前に決まった経緯が知りたい。なんだ、お江戸通行手形って。
無事に入区を果たして硝子張りのエントランスを通り抜けると、ECTの街に踏み出す。荷物は貴重品を除いて、宿泊先に届けられているそうだ。
「荷物が少なければ、乗車スペースの混雑緩和に繋がります。身軽だったら、車に乗らずに歩くことも負担が少ない。歩けばさらに健康が促進されます」
健やかな人々、と笑顔でガイドが力説するのを適当に聞き流して、思わず大きく息を吸った。俺が子供だった時に見た東東京の街と、ずいぶんと様変わりしている。
いや、建物自体はさほど大きく変わっていない。
だが、真っ直ぐに道を進むのが困難な程に混雑していた街は、ぶらぶらと心地よさげに歩く人々がところどころにいるだけで、のんびりとした時間が流れている。
路地を覗いても、建物の端っこにも、ゴミが積み上がっているどころか、ペットボトルや食べ物の包み紙の一つも落ちていない。
「綺麗なものでしょう」
ガイドが眩しげに街を見渡す。
「特区になる前は、地獄の一丁目みたいに散らかっていたんですけどね」
「俺の住んでるとこは、未だにそうですよ。やれ他の国ではゴミ箱があるだの、観光地なのにって批判ばっかりで、結局文句言ってるヤツらは率先して捨てていく」
花火大会などの大きなイベントがある度に、目の前でポイ捨てされていく雑菌と涎のついた飲食物のパッケージを片付ける住民の気も知らずに。
「そうなのです。片付けるのは、行政ではなく、そこに暮らす人々なのです。この辺りの区域でも、住民の方々の心労が爆発しました」
「俺の幼なじみは、ここで働いているんです」
思わず坂崎の顔を思い出して、胸が熱くなった。ガイドが小首を傾げて、眩しげに目を細める。
特区に旅行にいったきり戻ってこなかった坂崎から、半年後に連絡が来た。それまで羽目を外しがちだった坂崎は落ち着いた、けれど溌剌とした口調で「こちらで職を得たよ。都市をよくするための部署にいるんだ」と近状を報告してくれた。
「冷やかし半分で特区に観光に行ったと思ってたんだ」
「初期に旅行にいらした方は大抵そうです。ですが、その方々が、この特区の礎となっているんです。生まれたての特区の改善すべき点、強固にすべき点、間違っていた点、誇るべき点、全ては初期の旅行者の方々の行動とフィードバックに基づいて進化してきました。それは今も変わりません。今後は、もっとよい特区になっていくでしょう」
俺は大きく頷く。それと同時に、坂崎がなぜここで職を得ることができたのかも腑に落ちた。初期の旅行者の何人かが、そのまま特区に移住したケースが多かったのは、そういうことだったのだ。彼らは最適のモニターあり、まだ若い都市の良き協力者だったのだ。
「今から俺がここに移住できるのは難しそうだなあ」
「あなたの住む街も、いずれ同じように整備されるはずです。ここに暮らす人々がそのための最適解を構築します」
「なるべく早くそんな日がくるといいけどね」
ガイドは力強く頷くと、さあ、と先を促した。
「まずは食事にしましょうか。レストランもいいですが、ランチは緑の綺麗な公園でお弁当など食べるのもお薦めですよ」
「いいねえ」
少し先の地下鉄の入り口で、腕を絡めたカップルが立ち止まっているのを微笑ましく眺めながら応える。ふたりの手には、緑色のロゴマークのフラペチーノのカップが握られていた。
「セイレーンコーヒーがあるんだ」
「寄っていきますか?」
確か、新しいフレーバーのフラペチーノが出たはずだ。
横目でカップルの手元をちらっと見遣る。カップに貼られたラベルの商品名は最新のものだ。
「これ、置いていっちゃう?」
くすくすと、女の囁き声が聞こえた。俺は思わずガイドを見た。ガイドは前を向いて、にこやかな笑みを浮かべたままだ。
カップルはもたれかかるように互いに密着しながら、カップを所在なげに振り回して額を寄せた。
「邪魔だし」
「もーう」
小さな悪事の共有は、盛り上がっているふたりにとって、くだらなくてチープで陳腐なスリルだ。俺も覚えがある。そして、そんなやつらが放置したゴミが街のあちこちに蓄積されて、地獄の一丁目と成り果てることも知っている。
俺の苛立ちを余所に、周囲を見回すこともなく、むしろ見られていることに馬鹿げた快感すら感じているような顔で、ふたりはそっと地下鉄の階段の降り口に飲み残しのカップを置いた。それから手を取り合い、額を寄せて笑いながら小走りに階段を駆け下りた。
捨て置かれたカップが小さく上げた悲鳴に、気付かぬまま。
取り残されたカップは小さく悲鳴を上げ続けたが、ふたりは振り向きもせずに仲良く階段を駆け下りていく。
丁度階段を上ってきた通行人の数名が、か細く叫び続けるカップに目を向けると、憐憫を込めた眼差しでふたりの消えた階段を振り返った。俺の隣で、ガイドも、微笑んだまま階段の底の薄闇を見下ろしている。
カップを拾おうとした俺の手を、ガイドがそっと抑えた。
「大丈夫ですよ。再生法によって、ちゃんとリサイクルされます」
ポケットから取り出したスマホをカップのラベルに向け、にっこりと笑う。小さな音とほぼ同時に、路地からするりと現れたロボットがカップの前で止まる。
『再生法に基づき、リサイクルを開始します。再生対象の位置を確認しました』
液晶画面でにこやかな顔が蠢き、胸元の小さなライトが周囲を旋回する。
『購入者は直ちに放置されたゴミを回収し、回収ボックスに投入してください。購入履歴を調べます。IDにより位置を確認中。購入者が当該地点に見当たりません。ペナルティ対象者追跡開始。ペナルティレベルが加算されます。直ちに戻らない場合には、さらにペナルティレベルが加算されます。再生センターまで、放置したゴミの回収をお願いします』
陽気な音楽を流したロボットの表示画面が、一瞬止まった。
『対象が、区域を離れました。高速で移動中。応援を要請します。ペナルティ対象者が逃走中。お江戸通行手形ならびにIDを移動手段と共有します。乗車車両を確認、次の駅にて再生法に従い、対象の回収を開始します。ペナルティレベル加算。対象の回収、並びに対象二名の再生を行います』
明るい音楽に乗せて、愛嬌のある声が、淡々と告げる。
俺は隣を見る。
観光客と覚しき数名が、遠巻きに立ち止まっているのが視界の端に映った。
ガイドがにっこりと俺を見た。
「無事にリサイクルされるみたいですね」
「なにが」
「ゴミですよ」
ロボットがアームを伸ばして、階段に放置されていたカップを開いた腹の中に納めた。
『カップを再生します』
「特区でのゴミの放置と逃走は、重罪に当たります」
ガイドがロボットを指さした。
『回収完了』
陽気で明るい音楽を流すロボットの画面が切り替わる。
『ゴミは次世代の清らかな人々の役に立てるために、パーツごとに分けてリサイクルします。輝かしい未来、美しい都市、健やかなる人々』
「彼も、再生法によってリサイクルされたブレインを基盤としてAIを構築しています。ああ見えて、高度な会話が可能なんです」
くるくると踊るように回った後で、ロボットは愛嬌を振りまきながら、街の中に遠離っていった。
「さあ、食事に行きましょう。公園で食べるランチは、きっと美味しいですよ」
俺のポケットの中で、スマホが鳴った。
「通話ですか、どうぞ」
「いや、いい」
坂崎からと表示された着信を遮断して、俺は深く溜息を吐いた。
涙が零れそうなほどに、街は美しかった。
きれいな街 中村ハル @halnakamura
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